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言葉のかけらたち

あいしてる?

作者: 山田ぽぽろ





愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してるあいしてるあいしてるあいしてるあいして






「じゃあ、一体どうすればよかったというのですか?」






 彼は私に問いかけてくる。それを私は肯定してやる。それが私の役目であり、そうすることが当然のことだからだ。


 そうですね。貴方はどうすることも出来なかった。どうすることも出来なかったから、貴方は彼女を殺したんですよね。






「そうですそうです。僕は、どうすることも出来なかった。だって、どうしようもないじゃないですか。彼女に、愛してるなんて言われても、あんなふうに、愛してるって言われても」






 仕方の無いことでしたね、と私は彼に笑いかける。彼は私のその笑みに安堵したかのように、うっすらと柔らかい泣き顔を浮かべた。理解されている、という思い込みは、彼の唇をより活発に動かす。それがひどく滑稽で、無様で、あまりに可笑しかったから、私も柔らかく微笑み返した。


 それが尚更彼の心に響いたのだろうか、先ほどよりも勢い込んで言葉をべちゃべちゃと吐き出してくれた。私はその言葉を肯定していく。






「だって、どうしようもないじゃないですか。彼女が、だって、あんなふうにするまで、僕を愛してくれたって、僕は、どうすることもできないじゃないですか」






 そうですね。貴方がお金に困ってる、って嘘を言ったら、彼女が内臓を売ってお金を作ってきたからって、貴方はどうすることもできませんよね。






「嘘じゃないですよ! ……生活には困ってませんでしたが、お金が欲しいと思う程度には困ってた、ってだけです。言葉の幅の違いですよ。解釈の違いです。…まさか、売れるだけの臓器を売ってお金を作ってくるなんて、僕は少しも予想をしていなかったんだ!」






 そうですね。彼女は、貴方が生活に困ってない程度の困ってるを、勝手に誤解しただけなんですよね。彼女が生活に大変困ってる人だったなら、そうやってお金を稼ぐしかなかったという予想を立てられないほど、貴方はよく考えもせずに彼女に縋ったんですよね。






「違う、違う! 僕は消費者金融に行ってくる程度だと思っていたんだ、その程度なら後々どうにかなるって、思ってたんだ!」








 どうにかなる。そういった彼の顔を、今鏡で彼に見せてあげたいな、と私は思った。いつもの綺麗に整った顔とは想像もつかないくらい、醜悪に歪んだ、人間としての顔を。彼が自慢していた、甘い言葉と重なれば、大概の女を落とせると自負していたその顔が、どれほど大したことが無いかを見せてあげたかった。



 ああ、いけない。肯定してあげなければ。






 そうですね。貴方がお金を持ってどこかへ逃げてしまえば、後々彼女が首をくくって死んでしまっても、彼女の死体を見ずに終われますものね。罪悪感をそんなに抱かずに終われますものね。それは貴方の計算違いでした。






「そうなんだ。何だって、臓器なんかを売ってしまったんだ。僕が、死ぬ寸前の彼女を見なくちゃならないじゃないですか。僕がしでかしてしまったことを、直視しなくちゃならないじゃないですか! どこか僕が知らないところで死んでくれるならばまだしも、僕の目の前で死んでしまうその様を彼女は見せようとしたんだ! だから!」






 そうですね。貴方はとてもその姿が耐えられなかった。それはそうですね、もう彼女は今にも死にそうなのですから。あんなに綺麗な彼女が、あるべきものを、貴方のために失って、どれだけ凄絶に美しく恐ろしかったのか分かりますよ。怖かったですね。






 彼は、私の怖かったね、という言葉に救いを見出したかのように、瞳を潤ませた。泣くのか、と私は素直に驚く。彼にもまだ泣く、という感情表現があったのか、という驚きだったが、よくよく考えてみれば使える表情なのだから、あって当然なのだ、と納得してしまった。泣き顔、というのは、ふわりと見せれば心を揺らせるものだから。


 震える声が、私の思考をその場に引きずり戻す。聞き逃したら、面倒だ。






「……はい、とても、とても怖かった……。肌に血管が透けて、元々白かったのですが、もう青白く光っているくらいで…折れそうに細い手首で、僕に差し出すんです。『これなら、貴方は困らない?』って……」






 そうですね。貴方は彼女の差し出した銀行通帳を見て、どんなに嬉しかったでしょうね。ゼロがいくつあったんですか? まあ、それはもう調べがついているので詮無いことですね。彼女のそこまでしてくれた愛情が、貴方は怖かったのですね。分かります。






「そう、そうなんです。いくら困ってるからって、何で、臓器なんか売ると想像できますか? 僕は、僕は目の前の彼女が化け物にしか見えなかった…」






 そうですね。いつだって、貴方は上手くやってきた。困ったふりをして、ああいや、困ってたんでしたね、幅が違うだけで。ある程度困っている貴方が、付き合っている女性に対して、それとなくお金が欲しいと匂わせて、貢がせる。貴方はとても顔がいいですから、結構楽に色々稼げたんでしょう。貢がせるだけ貢がせたあとは、その女性が見えなくなるところまで逃げればいい。そうすれば、死ぬだろう彼女たちを見ることは無い。死体さえ見なければ、大丈夫だという貴方の精神構造ですから、それで十分だった。けれど、彼女は






 ふいに、私の言葉が詰まる。喉が上手く動かない。馬鹿らしい。こんなもの、ただの感傷だ。私が言葉を躊躇ったからとはいえ、何が変わるというのか。現実は、言葉以上に実態を伴って全てを侵略する。侵略するべきものが現実であるならば、されざるものは? 


 ……ああ、馬鹿らしい。単なる、感傷で。




 


 彼女は、貴方の目の前で死んでしまった。






「……そうです、血を、真っ赤な、真っ黒な血を吐いて、倒れて……ああああああああああああああああっっっっ」






 がたがた震えだす彼を、私は特に何の感情も抱かずに見つめる。一応、目の焦点が揺れているけれど、狂気の色はそれほど見られないのでそのままにしておく。しばらく放っておくと、何とか正気を保ったようで、こちらのてをがしりと握ってきた。まあ、この程度は譲歩していいと思う。






 まあ、この程度なら、許してあげていいと、思う。






「彼女は、笑ってました……笑ってたんだ……『これで大丈夫でしょう?』って、いつものように……甘い声で、笑って……」






 私には容易に想像できた。彼女の甘い声は、聞いていてひどく心地が良かったから。いつも、優しく、頭の奥に響くように聞こえていた。




『だめね、私、こういう風にしか生きられないの』




 あの時も、そういって、困ったように笑っていたね、姉さん。






「違うんだ…俺は、そんなこと望んでなかった……あんな、目の前で、目の前で死ぬような結末を望んでなんかいなかったんだ……」






 大体のことは、笑って大丈夫、って笑っていたよね。姉さん。そうやって、そうやって笑っていた。それが、私にとって、とても救いだったよ。






「そんな、そんな様なのに……言うんだ、彼女が……彼女、血を吐きながら……あ、愛してる?って、俺に聞くんだ………!!」






 愛してる? 愛してるよ、姉さん。とても、愛していたよ。だって、本当に、姉さんがいれば、別に他はどうでも良かったんだ。姉さんが私を許していてくれるならば、それ以外どうでもいいように思えたんだ。


 だから、こんな男と付き合っていると聞いて、どうしても許せなかったんだ。




 ごめんね、姉さん。






「愛してる? って、何度も聞くんだ。綺麗な、綺麗な眼で……綺麗な白目の中にある黒い瞳が、まっすぐにこっちを見るんですよ……愛してる?って…」






 愛してる、って、何度も伝えたのに、姉さんは困ったようにごめんね、と答えるだけだったね。仕方ないとは思っていたけれど、でも、こんな奴を選ぶことないじゃないか。こんな、女=金みたいな屑と付き合うだなんて、諦められるわけないじゃないか。


 こんなやつに、渡せるわけ、ないじゃないか。






「怖くて…血を吐きながら、こっちを見て、いつもと変わらずに愛してる?って聞く彼女が、どうしようもなく怖くて……!!」






 姉さん、貴方はとても優しかった。悲しくなるほど。悔しくなるほど。


 切なくなるほど、こんな男を愛していたね。






 あの日私が貴女を殺すためにつけた傷が、この男の為に摘出して売った臓器の傷口として縫われていたときは、本当に絶望して仕方が無かったよ。






 私のものにしたくて刺した想いは、全部あの男のための想いとして働いてしまったなんて、これをどうして絶望せずにいられるだろう?






 姉さん。貴女は、本当に、酷く優しい人だった。






「ああ、どうすれば、どうすればいいんですか先生……!! あの声が、ずっと聞こえるんです、ずっと、ずっと!! 今もです、今も、ああ、聞こえる、聞こえるんです、あの、声が、俺に向かって、聞くんですよ……!!」






 彼は私の手を握って、がたがたと震える。私の手のひらは、それほど縋れるようなものではないというのに。彼は、私がどんな奴だか知らないからだろう、と私は結論付けて、その手を握ってやる。






 私は、彼が嫉ましくて仕方が無い。








 私には、姉さんの声が聞こえないから。






 あの、優しい声で、愛してる? と、甘く囁いてはくれないから。






「先生、先生どうすればいいんですか、どうすればいいんですか! どうすれば、あの声が、あの化け物の声が聞こえずにいられるのですか!!」






 私は、彼に微笑む。ああ、羨ましい。ああ、嫉ましい。何でお前なんだ。何で、お前のようなやつが姉さんに選ばれたんだ、くそくそくそくそくそ、この屑が。






 彼は、救いを求める眼でこちらをみる。血走っていて、汚く濁っていた。ああ、醜い。ああ無様。ああ素敵。


姉さん、これが目的だったんだろう。彼は完全に、貴女のものだよ。それでよかったんだろう。私のつけた傷すら利用して、姉さんはこいつを自分の物にしていたかったんだろう。そんな羨ましすぎる呪縛を解いてやりたい。






だけれど、私の言葉では、姉さんには勝てないのだ。






 


 そうですね。じゃあ、死ねばいいんじゃないですか。








 その言葉で今日も、面接が終わる。








 暴れだした彼に鎮静剤を打って、部屋をでる。今日も同じことの繰り返しだった。いつもとは違う言葉でいってみたのだが、どうにも上手く行かない。


 別に治してやるつもりはない。適度に壊して、適度に正気が保てていれば、それでいいのだ。彼を許してやることは到底出来ないし、彼女の呪縛を解いてやるなどという親切なことは出来ない。一生苦しんでいればいいと思う。けれど、彼女の声をずっと聞き続けるという甘美過ぎるその呪縛は、正直嫉ましい以外の何者でもない。どうすればいいのか、本当に悩んで悩んで悩んでいる。






 ため息をついて、それから。


 それから?






 私は、ふと、長く長く続く、だだっ広い廊下を見つめた。白く、無菌状態の硬質な世界。鉄格子のはまったドアが延々と続くその道を見ながら、私は思う。








 ああ、姉さん。








 私はそこで、ほんのりと理解する。舌先に感じる快楽に似た、ほんのりとしていて、それでいて、確実な。








 そこに、いたんだね。








 姉さんが、こちらを見る。甘い声が聞こえる。優しい、声。あの、聞きたくてたまらない声が、聞こえる。






『ねえ』










『愛してる?』












 勿論だよ、姉さん。












 私は、心から微笑んだ。










___○月○日(△)A医師、自宅マンションから飛び降り、頭部陥没骨折により死亡。遺書らしきものはなし。周囲の人間の証言によると、特に思い悩んでいる様子も無かったということで、突然の死亡に困惑している。






 同じく、○月○日(△)、精神科病棟で、1人の男性が死亡。遺体はしめやかに安置所へ安置され、引き取り手が誰一人いないため、しばらく放置されている。






















うふふ














 ねぇ、愛してる?



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