第一話 旅の道中
山道に入ると、整備が行き届いていないせいか車体は大きく揺れ、気を抜くと舌を噛んでしまいそうな程だった。日はすっかり暮れており、一寸先も見えないこの森の中で、御者のランプだけが微かに道を照らしている。窓の外に目を向け、暗闇の中をじっと見つめていると、前にいた御者が口を開いた。
「行き先はロルゼン地方だよな。嬢ちゃんも疎開か?」
「まあ、そんなところです」
窓の方を向いたまま、馬の爪音にかき消されてしまいそうな小さな声で返答する。
「あそこはいいぜ。都市部とは違って、帝国側に殺される心配もねえ。まあ、それだけ行きにくい土地と言ってしまったらそれまでなんだがな」
饒舌な御者を横目に、側にあったトランクのロックを開ける。そろそろ頃合いだろう。私は衣服と本の上に置かれた棒状のものを手に取り、ゆっくりと席から立ち上がる。
「すみません。一度、馬車を止めてもらえますか?」
御者に聞こえるよう、大きな声で呼びかける。御者は突然背後から呼びかけられビクッと体を震わせたが、すぐに後ろを振り返り、困った様子で答えた。
「嬢ちゃん、はやく降りたい気持ちは分かるがよ、ロルゼン地方まではまだ数十キロあるぜ?それにここらは————」
「いいから止めてください」
強気に答える私に目を丸くしながら、彼はしぶしぶといった様子でハーネスを強く引いた。完全に停車仕切る前に、私は馬車の扉を蹴り上げて、外に出る。
「絶対に中から出ないでください」
さっぱり訳が分からずこちらを見つめる彼を背後に、鬱蒼とした森に向き合う。数秒待つと、木の間を縫うようにして、一匹の狼が出てきた。やはり、木々の間に時々見えていたのはこいつだったか。月が雲に隠れていることもあり、二つの眼球が暗闇のギラギラと光っている。パッと見た限りそれほど強い魔物でもなさそうだ。ここは速めに————
「逃げるぞ、嬢ちゃん!」
「へっ⁉︎」
魔物との間合いを取っていると、突然体が浮くような感覚に襲われた。狼に気づいた御者に後ろから引き摺り込まれたのである。体の小さな私は軽々と中に投げ込まれ、扉が閉められた。
「出して!」
「自殺する気か!いつからお前がアレに気づいていたか知らねえが、生身の人間がどうこうできる相手じゃねえ。まだ、一匹だったからいいが、近くに仲間がいる可能性も——」
早口で捲し立てる彼の手を振り払おうと、私は必死に抵抗するがしっかりと押さえつけられてしまう。そういえばこの御者、元軍人とか言っていた気が……
その時、地面に横になりながら馬車の外の光景に気がつく。
「馬車を今すぐ止めて!」
「だから、駄目って————」
暴れる私を押さえるため、彼が後ろを向いた瞬間、馬車が大きく揺れた。いや、倒れたのだ。馬車から転げ落ちて頭を打ち、木片が下半身に重くのしかかる。御者は倒れた位置が悪く、馬車の下敷きになってしまった。頭にひび割れるそうな激痛が走る。しばらくすると、ゆっくりとと視界が紅くなるのがわかった。ぼんやりと狼が馬の腹を貪っているのが見える。これはさっきの個体よりも遥かに大きい。狼は一匹ではなかったのだ。
私は、地面に手をつきながらフラフラと立ち上がり、側に落ちてしまった杖を拾い上げた。狼がこちらに気づき、低い唸り声をあげた。
「あんまり使いたくなかったんだけどな……」
あれ以降、人前ではしばらくは使わないつもりだったのだが…今回は仕方がないだろう。というかそもそも、力の調整はできるのだろうか?ここまで、血を出してたら……
考え事をする私に狼が大きな声をあげて一斉に飛びかかった。
私は素早く彼らに向き合って杖を向ける。
「スパーク‼︎」
直後、雨粒一つ落ちてこない天空に雷鳴が轟き、狼達は白い雷に包まれた。