第99話 ずる賢い王子様
「お疲れ様ですっ!」
「ありがと」
香奈は休憩している巧にドリンクのボトルを差し出した。
部活中はなるべく付き合っていることがバレないように意識して接しているが、やはり少しは話したくなってしまうものだ。
仲の良い先輩後輩のちょっとした雑談くらいなら普通だろう——。
心の中で言い訳をして、香奈は話しかけた。
「先輩、一軍には慣れました?」
「まあ、ぼちぼちね。君は?」
「私もぼちぼちってところですね。冬美先輩を初めとして、みなさん優しいのでやりやすいです」
「よかった」
三軍と二軍ではそれぞれ嫌な思いもしてきたので、香奈は小さくない不安を抱いていたが、一軍のマネージャーは全員優秀で優しかった。
推しとお近づきになりたいだけの役立たずを昇格させる気なんてさらさらない、とマネージャー長の樋口愛美は言っていた。その通りだと思った。
「ただ、やっぱりこのギャラリーの多さにはまだ慣れませんけど」
「二軍とかにもいないことはなかったけど、この数はちょっとすごいよね」
二人は一緒になって周囲を見回した。
「先輩、ギャラリーに見惚れてちゃダメですよ?」
「ごめん。一人にだけすごい目がいっちゃう」
「えっ、私以上に先輩の心を射抜いた曲者が……⁉︎ どれですかっ? あのおっぱい星人ですか⁉︎」
香奈は一人の女子生徒を見た。
控えめに佇んでいるものの、その胸の圧倒的な存在感のせいで目立ってしまっている。
「そういう言い方しない。あの人僕のクラスメートだから」
「誰ですか?」
「山吹小春さん。あと、目がいっちゃうのは山吹さんじゃないからね。その右隣の女性」
「右隣……? あ、あれはっ、咲麗高校三賢人の一人で御年七十二歳の家庭科の申し子、トメ子さんではありませんかっ!」
本名は葉月トメ子。トメ子さんの愛称で親しまれているおばあちゃん先生だ。
くしゃっと目を細めた笑みは実に優しげで、先生の人気投票を行なったら優勝候補筆頭だろう。
「眩しそうにしつつもニコニコとこちらを見ているあの姿は、可愛い以外に表現が見つからないよ」
「認めざるを得ないです」
香奈も自分の容姿に自信を持ってはいるが、トメ子の可愛さはどう足掻いても出せない。
そもそも出したいわけでもないが。
「お疲れ様ですっ。あっ、お疲れ様でーす」
部活中は巧とばかりしゃべっているわけにもいかないので、他の部員にも次々とボトルを渡していく。
その中には真もいた。
「お疲れ様です」
半ば無意識に、香奈のトーンはそれまでよりも下がっていた。
言ってしまったものは仕方ない——。
そう思って立ち去ろうとしたとき、ポンっと何かが頭の上に乗った。
途端に、ギャラリーから悲鳴にも似た歓声が漏れた。
真が香奈の頭に手を乗せたのだ。
「お、おい、見たか⁉︎ 今、真が白雪の頭ポンポンしたぜ!」
「やっぱりイケメンがやるとサマになるよなっ」
「それな! あの二人に割って入れるやつなんているのか?」
「あれだけの美男美女コンビだぜ⁉︎ 無理に決まってんだろ!」
ギャラリーはまるですでに真と香奈がデキているかのようにはやし立てた。多くは男子生徒のものだった。
魂胆はわかっている。彼らは悔しいのだ。自分たちと大差ないと——あるいは自分より下だと——思っている巧が香奈と親しくしているという事実が。
真であるなら完全に自分たちよりも上の存在であるがゆえにあきらめもつくし、「真相手なら勝てなくても仕方ない」とプライドを守ることができる。
そんなくだらない自己防衛のために、彼らは真と香奈の仲を応援し、まるで巧を間男のように扱って溜飲を下げているのだ。
(ミーハーどもが……!)
沸々と怒りが込み上げてくる。しかし、それを発散するわけにはいかない。
香奈は冬美に抱きついた。
「冬美センパーイ!」
「わっ、な、何よ?」
目を見開く冬美の胸に顔を埋める。
歪んだ表情を周囲に見られないようにするため、そして、
「冬美先輩、頭撫でてください!」
「はっ?」
「早くっ」
「なんなのよ……」
困惑しつつも、冬美は香奈の頭を撫でた。
「ありがとうございますっ」
(よし、これで毒消し完了!)
真に触られたままというのは嫌だったが、まさか大衆の前で巧に上書きしてもらうわけにもいかないため、冬美に代役をお願いしたのだ。
もっとも、香奈がその意図を伝えなかったため、ただ飛びつかれて頭を撫でさせられただけの冬美の脳内には疑問符が飛び交うことになったが。
真からの接触は、その一回だけではなかった。
多くは頭に手を置いたり肩を叩いたりという、彼ほどのルックスを持つ者なら許されてしまう程度の一瞬で行われるものだった。
事実、一部の真ガチ恋勢を除くギャラリーからは好意的に見られており、最近ではまるでカップルのような扱いを受けていた。
「ねえ、白雪さんって西宮先輩と付き合ってるの?」
クラスの女子から聞かれ、香奈は漏れそうになるため息を必死に堪えながら、
「付き合ってないし、別に仲良くもしてないよ」
「えっ、でも部活中とかも——」
「それは向こうが勝手にしてきてるだけだし、私は好きでもなんでもないから」
「えー、でも、あのルックスだよ? ちょっとはキュンキュンするでしょ?」
別の女子が会話に割り込んできた。
「ううん、まったく。そういうのって好きな人からされるから嬉しいものでしょ」
「えー、そうかなぁ。まあ、香奈はウチらと違ってイケメン耐性ついてるもんねー」
「別にそんなことないけど……とにかく、そういう噂があったら否定しといて。ガチ恋勢に睨まれたくないし」
「ほいほーい」
香奈は、真との交際に関しては頑なに否定をしていた。
しかし、噂も真からの接触も一向に減らなかった。
先生に相談してみようかとも考えたが、やめた。
咲麗高校は生徒の自主自律をうたっていて、基本的に先生たちは生徒の問題に積極的に干渉しない。
真は常識から逸脱したことはしてこないため、たとえどんなに深刻そうに相談したとしても、せいぜい軽い注意がいくくらいだろう。
真の影響力を考えると、中途半端な注意や抵抗は逆効果になる可能性すらある。
それはおそらく香奈や巧が直接物申す場合も同様であり、もし大衆の前で真に恥をかかせたり敵対したりすれば、ただでさえ小さくない二人へのヘイトがさらに大きくなる恐れもある。
彼らはほとほと対応に困ってしまっていた。
武岡のような沸点の低いタイプは、身の危険も増える代わりに対処はしやすい。
実際、彼はキャプテン資格を剥奪され、謹慎処分を受けた。
その意味で、真のやり方はずる賢いと言えた。
彼のみならず、サッカー部には総じて立ち回りの上手い者が多い。
他の部活では対戦相手のマネージャーにちょっかいをかけて活動自粛してるところもある中で、特に品行方正な生徒が集っているわけでもないサッカー部が対外的に何ら問題を起こしていないのがその証拠だろう。
香奈としてはもちろん、巧以外の男に触られ、なおかつそれを周囲にはやし立てられるのは不快だ。
しかし、その分だけ巧に構ってもらっているということもあり、そこまで深刻に考えてはいなかった。
実際、今も彼の家で頭を撫でてもらっている。
真から受けたストレスは、巧に甘やかしてもらえば綺麗さっぱり解消されるのだ。
——しかし、彼女の毒消しに努めている巧は、かなり頭を悩ませていた。
単純に恋人が他の男に触られ、カップルのように扱われている時点で不愉快だったし、何より香奈のことが心配だった。彼女は自分でも知らぬうちに溜め込むタイプだからだ。
やがて、彼は一つの結論にたどり着いた。
「香奈——」
巧は姿勢を正して彼女を見た。
「いっそのこと、僕たちが付き合ってることを公表しちゃおうか」
「面白い!」「続きが気になる!」と思った方は、ブックマークの登録や広告の下にある星【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にしてくださると嬉しいです!
皆様からの反響がとても励みになるので、是非是非よろしくお願いします!




