第83話 先輩が好きだから
「おーい、先輩。生きてますかー? ……返事がない。ただの屍のようだ」
「勝手に殺さないで……」
巧はなんとか声を絞り出した。
当然ながら、三軍よりも二軍、二軍よりも一軍のほうが練習の強度は高い。
やっとの思いで片付けまで済ませた後、彼は干からびたナメクジのように伸びていた。
一応、日陰ではあるが。
「おっ、生きてた。よかったよかった」
「巧、大丈夫か?」
誠治が笑いながら、巧にペットボトルを差し出した。
「あぁ、ありがとう……」
「意識確認しまーす。美少女何人に見えますか?」
「二人……」
「異常ですね」
「異常だな」
うつ伏せの状態で顔だけ横に向けている巧からは、香奈と誠治しか見えないはずだ。
他にも巧を心配している者はいたが、すでに三人だけの空気ができあがってしまっていたため、なんとなく遠慮していた。
「ま、冗談が言えるならまだ大丈夫そうだな。どうする? 肩貸してやろうか?」
「いや……大丈夫」
巧は緩慢な動作で起き上がり、そのまま立ち上がった。
——その足はガクガク震えていた。
「いや、大丈夫じゃねえだろ。生まれたての子鹿みてーになってんぞ」
「小島? ダイジョブダイジョブ〜……」
「よしおじゃねえし、絶対大丈夫じゃねえから。ほら、行くぞ」
誠治が巧の腕を肩にかけさせて、ゆっくりと歩き出す。
(くっ、巧先輩とあんなに密着できるなんて羨ましいっ、縢先輩と代わりたい……! けど、私じゃ身長的に巧先輩に無理をさせちゃう……くそっ、任せるしかない……!)
香奈は断腸の思いで誠治に巧を託した。心の中で。
「高いなぁ……」
「おめえが低すぎんだよ」
言い返しつつも、誠治が少し屈んだ。
「……チッ」
「おい、舌打ちしたろ」
「JBK」
「ジェービーケー?」
「耳鼻科」
「いい度胸じゃねえか」
「でしょ〜——うわっ!」
巧が驚いた声を出した。
誠治が彼を片手で持ち上げて振り回したからだ。
「ちょ、せ、誠治!」
巧が焦った表情を浮かべ、手足をバタバタさせた。
(か、可愛すぎる……!)
香奈は、自分といるときよりも幼い巧に内心で悶絶していた。
同時に、お互いに憎まれ口を叩きつつも楽しそうに戯れ合っている二人を見て、男子っていいなぁとも思った。
(……ん?)
何やら強烈な視線を感じた。
——何人かの女子たちが、鼻息を荒くして巧と誠治の戯れを見ていた。
(……うん、ああいう子たちは平和でいいな)
彼女たちは、いわゆる腐の属性だ。
巧はその可愛らしいルックスにより、三軍のベンチにいたころから、彼女たちの間で密かに出回っている薄い本ではレギュラーを獲得していたらしいが、
(ごめんね。あなたたちの期待する展開にはさせないから)
今日の夜、香奈は巧を家に呼んでいる。
夕食を一緒に食べる約束だが、それだけで終わらせる気は毛頭なかった。
◇ ◇ ◇
——夜。
約束していた通り、巧は白雪家で夕食を食べていた。
対面にいるのは香奈だけだ。
「……うん、本当に僕好みの味だ。すごく美味しいよ」
「本当ですかっ? やった!」
香奈が満面の笑みでバンザイをした。
彼女は「私が巧先輩好みに完璧に味付けしてみせます!」と夕食前に宣言し、一人で味付けをした。
——宣言通り、巧の好きな少し薄めの味に仕上がっていた。
「じゃあじゃあ、これからもウチで作るときは、味付けは私に任せてください。巧先輩が泣いて喜ぶ味にしますから!」
「それはすごいありがたいけど、全然適当でいいよ。いちいち測ったりするの面倒臭いって言ってたじゃん」
「いえ、まったく面倒なんてことはありませんよ。だって、好きな人のためですから」
「っ……!」
不意打ち攻撃に、巧は平常心を保てなかった。
口元を手の甲で覆う。
「ふふ、先輩。お顔真っ赤ですよ?」
「そ、そういう香奈だって赤いじゃん」
「そりゃ、好きな人に想いを伝えたんです。赤くもなりますよ」
「っ……」
はにかむ香奈の表情からは、好きの感情が溢れ出していた。
(こ、こんなの耐えれるわけないっ……!)
巧はすでにいっぱいいっぱいだったが、香奈の言葉は止まらない。
「味付けだけじゃありません。ヘアケアも、お肌の手入れも、メイクも、それに勉強だって、全部巧先輩のことを考えると頑張れるんです。先輩は私のことを努力ができるって褒めてくれますけど、それは先輩が好きだからです。巧先輩にもっと褒めて欲しいから、先輩の前で少しでも可愛くありたいからなんですよ……って、すみません。重いですよね、私」
「い、いや、そんなことないよっ……」
巧は食事中に失礼だとは思いつつ、机に突っ伏した。
努力は全部自分のため——。
健気すぎる想いを告げられて、とうとう彼はキャパオーバーを起こしてしまっていた。
(……でも、今その想いに応えられないとしても、ちゃんと感謝は伝えないと)
巧は体を起こし、気恥ずかしさを押し殺して香奈の目を見ながら、
「香奈が謝ることなんて何一つないよ。そう言ってくれてすごく嬉しい。ありがとね」
「っその表情はずるいです……!」
今度は香奈が机に突っ伏した。
「えっ、別にそんなキメ顔もしてないと思うんだけど……」
「た、巧先輩ははにかんだときの破壊力が半端ないんですよっ」
「そ、そうなんだ」
香奈もそうだろう、と巧は思ったが、恥ずかしくて口には出せなかった。
その後、夕食を終えてからも、香奈の攻勢は続いた。
二人でゆったりとソファーで座ってると、不意に温もりが巧の手を包んだ。
「えっ?」
香奈が、巧の手を握っていた。
彼女は上目遣いでおずおずと、
「ダメ……ですか?」
「う、ううん。いいよ」
「良かった……じゃ、じゃあ……これはどうですか?」
「っ……!」
香奈が巧にピッタリと体を寄せ、肩に頭を預けた。
肩口から不安と期待の入り混じった眼差しで見上げられて、断るという選択肢は存在しなかった。
「……いいよ」
「っありがとうございます!」
香奈が頬を染めてはにかんだ。目元をへにゃりと緩ませ、顔全体から幸せオーラをかもし出した。
モゾモゾと動いて、巧にさらに体を密着させ、
「巧先輩、あったかいです……」
「っ——!」
(そ、それは良くないって……!)
恍惚とした表情でそんなことを言われれば、いやでもそういうふうな捉え方をしてしまう。
甘い匂いに鼻腔をくすぐられ、左半身全体に香奈の温もりと柔らかさを感じていたなら、なおさら。
「ま、まあ男のほうが体温高いらしいしね」
適当に返事をしつつ、巧は自分を抑えるために全神経を集中させた。
彼のモノはゆっくりと、しかし着実に出陣の準備を始めていた。
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