第70話 美少女後輩マネージャーはクールな先輩マネージャーにしょっぴかれる
香奈が自分のことを考えながら自慰行為をしていることなどもちろん知らない巧は、ソファーに座って、彼女から送られてきたツーショットを順番にスクロールしていた。
そして最後まで見終わると、つぶやいた。
「脳天に顎チョップされたのは、気のせいだったのかな……それか偶然当たっただけなのかも」
香奈の性格ならそういう写真は真っ先に送ってきそうなものだけど、と彼は考えていた。
実際には気のせいでも偶然でもないわけだが、それを指摘する者は当然いない。
(にしても、柔らかいのにあの弾力って、まさに神秘だな……)
昨日の今日どころではなくさっきの今なので、どうしても胸の感触を思い出してしまう。
膝枕もされていたので、そういう欲が高まっていた。
変に我慢すると翌日にそういうことばかり考えてしまったり、目が行きやすくなってしまうので、巧は素直に欲求に従うことにした。
パソコンを開いてイヤホンをつけ、キーボードを叩く。
クラスの女子からは密かに「性欲のない聖人」扱いされていたりもする巧だが、健全な男子高校生に性欲がないわけがない。
普通に二、三日に一度はしていたし、その周期で言えばこのタイミングですることは、特別なものでもなんでもなかった。
◇ ◇ ◇
翌日からも、巧は香奈に普通に接した。
彼女との接触がトリガーになったとはいえ、彼女自身をオカズにしたわけではないため、特に気まずさや後ろめたさを覚えることはなかった。
しかし、香奈に対してはそうであるだけで、玲子に対しては絶賛気まずさと後ろめたさを覚えていた。
オカズにしたわけではない。彼女からの告白を断ったばかりからだ。
同じ二軍である以上、どうしてもコミュニケーションの機会は訪れる。
彼女から頼まれていたのもあり、意識して普通に接してはいるが、意識している時点で不自然さは出てしまう。
それに、なまじ玲子とも接してきた分、彼女が精神的に落ちているのはわかってしまった。
その原因が自分であり、唯一の解決策を選べない以上、巧にできることはない。
ただ、時間が解決してくれるのを願うしかなかった。
そして、咲麗高校サッカー部の二軍には、ちょうど巧と同じような思いをしている人物がいた。香奈だ。
自分が悪いわけではないことは、彼女もわかっていた。
しかし、一見互いに普通に接しているように見せて、よく見ればどちらも気まずそうな巧と玲子を見ていると、後ろめたさを覚えずにはいられなかった。
自分が手をこまねているうちに告白までこぎつけた玲子に対する劣等感も含まれていた。
玲子のことは、今も昔も変わらず大好きだ。
彼女が二軍に昇格したときだって、恋敵として認識はしつつも、また彼女と一緒にマネージャーができることは素直に喜ばしかった。
しかし、玲子を見ると避けてしまっているのが現状だ。
彼女に対しても失礼だし、マネージャー長の篠塚楓にも心配されているのはわかっているため、何とかしなければという思いはある。
それでも、玲子と対面しているとどうしても巧がチラついてしまい、これまでのように自然に話せないのだ。
——部活とまったく関係ない場面であっても、それは同様だった。
「「あっ」」
巧が誠治と遊びに出かけたため、練習後に特に目的も決めずにショッピングモールをぶらついていると、偶然玲子と鉢合わせをした。
「やあ、香奈ちゃん」
「お、お疲れ様です」
ぺこりと頭を下げ、香奈はその場を立ち去ろうとした。
それより先に玲子の腕が伸びてきて、香奈の手首をつかんだ。
「れ、玲子先輩?」
「香奈ちゃん。この後時間があるなら、少しお茶でもしないかい?」
玲子の口調は丁寧だったし、表情も決して険しくはなかったが、香奈は言いようのない圧力を感じた。
「ぜ、ぜひ」
脳が判断を下す前にうなずいていた。
もしたとえこの後予定が入っていたとしても、大抵の用事なら断っただろうな——。
現実逃避をしつつ、香奈は玲子の後に従った。
「さて——」
飲み物の注文を終えた後、玲子が鋭い視線を香奈に向けた。
「——香奈ちゃん。君は彼から直接聞いたのかい?」
彼が誰を指すのかも、何の話をしているのかも、尋ねる必要はなかった。
「いえ、玲子先輩の話をしているときの表情で、私が察しただけです」
玲子の視線は鋭いままだったが、香奈は目を逸さなかった。
事実だったし、ここで疑われてしまえば彼——巧の評判に関わる。
数秒の後、玲子は視線をふっと和らげた。
「……そうだろうとは思っていたよ。彼がこんなことを人に言うはずがないし、香奈ちゃんの観察眼は折り紙付きだからな」
香奈は、何と答えていいのかわからなかった。
「気まずいかい?」
「い、いえ、そんなことは——」
「だったら、どうして以前のように甘えてきてくれないんだい? 避けられていて寂しいのだが」
「うっ……」
香奈は言葉を詰まらせた。下を向いてしまう。
「ふふ」
笑い声が聞こえた。玲子が口元に手を当てて、イタズラっぽい笑みを浮かべている。
「すまない。今のは意地悪すぎたな。だが、香奈ちゃん。君が私に後ろめたさを感じる必要なんてないよ。私は勝手に告白して勝手にフラれただけだ。そこに君は関与していないし、だからこそ君は何も気にせずに彼にアタックをすればいい——と言うのはわかっているか。その上で、気持ちの整理がつかないんだろう?」
「まあ、はい……玲子先輩と違って私はヘタレですし」
「どうだろう? 私のほうがヘタレなのかもしれないぞ? 君がもっと積極的になったら勝ち目はないと思って、まだ彼に意識されてすらいないと知りつつも告白したわけだからな」
「えっ……そうだったんですか?」
香奈は目を瞬かせた。
たしかに冷静沈着な玲子にしては積極的だとは思っていたが、そんなことを考えていたのか。
「あぁ。だから、フラれるだろうなとは思っていたし、今もまったく吹っ切れたと言えば嘘になるが、もともと覚悟していたからそこまでショックは大きくないさ。だから香奈ちゃんが気に病むようなことは何もないし、それに、私は君を応援しているんだよ」
玲子がウインクをした。
「お、応援……ですか?」
「あぁ。他の女の子に取られたら悔しい気持ちも生まれるが、君が彼を射止めるなら心の底から納得できるよ。女の私から見ても、君ほど可愛い子はいないからな」
「そ、そんなことはありませんよ」
香奈は頬を染めてうつむいた。
玲子の手が伸びてきて、頬をムニっとつかむ。
「そういうところが可愛いんだよ」
「……揶揄ってます?」
「二対八で本心だ」
「ほとんど揶揄いじゃないですかっ」
香奈は憤慨した。玲子がくつくつと笑った。
「そう、その感じだよ」
「っ……」
香奈は再び頬を染めた。単純に恥ずかしかった。
先程と同じように伸びてきた玲子の手は、今度はルビー色の髪の毛を優しく撫でた。
「恋はスポーツと同じだよ。勝者は一人しかいない。逆を言えば他の全員が敗者なわけだが、負けたからと言って終わりじゃないし、それまでの努力や時間が無駄だったわけじゃない。私は告白したことをこれっぽっちも後悔していないし、彼と親しくしている君を見て負の感情を覚えることはない。もう心の整理も付きかけているしな。もう少ししたら、新たな恋を探し始めるつもりさ」
玲子がニヤリと笑った。
香奈には、どこまでが本心でどこまでが虚勢なのかわからなかった。
「……そうですか」
「あぁ。だから君はまっすぐ彼にアタックすればいい。そうだ。なんなら勝負するかい? どちらが先に彼氏を作れるか。負けたほうがアイス奢りだ」
香奈は、巧と優が同じような勝負をしていたのを思い出した。
まず間違いなく、玲子なりの気遣いだろう。ならば、選択肢は一つだ。
「わかりました。その勝負、受けて立ちましょう」
「その意気だ」
玲子が差し出した手を、香奈はがっしりと握った。
目を合わせ、二人はクスッと笑い合った。
「現状は香奈ちゃんのほうが有利かもしれないが、恋とスポーツの決定的な違いは、試合時間が決まっていないことだ。うかうかしていたら追い抜いてしまうぞ。覚悟しておくといい」
「負けませんよ。ただでさえ、相談した友達にいちごてんこ盛りの特大パフェ奢る約束しているんですから」
香奈があかりとの約束を引き合いに出すと、
「愉快な友達を持っているみたいだな」
と、玲子が穏やかに微笑んだ。
◇ ◇ ◇
「ごちそうさまでしたー。また、明日からよろしくお願いします!」
「あぁ、また明日な」
「はいっ!」
敬礼をした香奈に手を振り、玲子は歩き出した。
曲がり角を曲がったところで立ち止まり、息を吐く。
(とりあえずはしこりも取れたみたいでよかった)
玲子がそうであるように、香奈の元気も気遣いの類ではあるのだろうが、それでも彼女は素直な性格だ。
二人の間に生じていた溝は消えつつあると思っていいだろう。
「……頼むよ、香奈ちゃん」
玲子は小さく、しかし強い想いを乗せて呟いた。
君でなければ、私は彼を諦め切れないだろうから——。
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