第52話 体調の良くなった後輩マネージャーは朝からフルスロットルです
翌日、いつものごとく部活前に巧の家にやってきた香奈は、いつも以上に荷物を抱えていた。
両手に花ならぬ、両肩両腕にカバンである。
対外試合のときは必然的にそうなるものだが、それにしても今日は格段に多い気がする。
「香奈、なんか荷物すごくない?」
「ふっふっふ。お願いマッスル、めっちゃモテたーい! の再来です」
「ちょっと持とうか」
「ダメですっ!」
巧が腕にかかっている荷物を持とうとすると、香奈が我が子を守る母親のようにそれを抱えた。
「もう完全復活しましたから、荷物には指一本触れさせませんよっ、たとえ骨が砕け散ろうと!」
「そしたら病院に放り込むよ」
「もちろんお姫様抱っこ——あっ」
香奈が小さな声をあげた。その頬がみるみる朱色に染まっていく。
冗談ではなくすでに一回されたことを思い出したのだろう。
「あれは不可抗力だったと思うよ」
「……そうですけど、男の人にお姫様抱っこしてもらうの、初めてでした」
「それはごめん」
「私のハジメテを無理やり奪ったんですから、責任取ってくださいね!」
「朝からフルスロットルだね」
巧は苦笑した。
昨日愛沢先輩にも同じようなボケされたな、と思いながら。
「もう体調は万全?」
「はい、色々ありがとうございました。もうすっかり良くなりました」
「それは良かった。一昨日も言ったけど、変だなって思ったら早めに休むようにね」
「そうします。巧先輩もですよ?」
香奈がビシッと指を突きつけてくる。
「わかってるよ」
「よろしい。まあ、先輩の体調は匂いを嗅いだだけでわかりますから、無理はしようとしてもさせませんけどね」
「絶妙に気持ち悪いね」
「でも便利なんですよ? おしっこパラメーターだって嗅覚情報を元に測定しているんですから」
「じゃあ、僕は今何パーセントでしょうか?」
「ふっふっふ。ズバリ、九十九パーセントです!」
「漏れそうじゃん。というか出発前にトイレ行ってるからね」
「なっ……⁉︎ 想定以上に先輩の膀胱は大きかったのか——いてっ」
巧は香奈にチョップをかました。
「はい、そこまでね」
「ふふ、巧先輩。女の子に暴行しちゃいけませんよ? ——ごめんなさい調子乗りすぎました」
巧が冷たい視線を向けると、香奈がぺこりと頭を下げた。
巧は相変わらずだなこの子は、と口元を緩めた。
「そういえば先輩、五輪の試合見ました? ドイツ対アルゼンチンの試合」
「今朝ハイライトは見たよ」
「ちょっとドイツ強すぎじゃないですか? どいつもこいつもテクニックありすぎって感じで」
「……」
巧は再び冷めた目を向けた。
「えっ、何ですか? ……い、いや、狙ってないですよ⁉︎ 今のはたまたまですっ、タマタマ!」
香奈が必死の形相で首を振った。
「二個目のたまたまの発音がおかしいのは放っておくとして、本当に?」
「本当です! 逆に、よく気づきましたね」
「いやぁ、頭の良さがじゃーまになっちゃったね」
ドイツは英語でジャーマニーだ。
「おおっ、それは上手い! 巧先輩っ」
香奈が手のひらを差し出してくる。
おそらくハイタッチをしたいのだろうが、バッグが重いためか、全然腕を持ち上げられていない。
巧のお腹のあたりの高さでプルプルと震えている香奈の手のひらと、歯を食いしばる彼女の顔を前に、巧は笑いを抑えられなかった。
「ぷっ……あははは!」
「わ、笑うなんてひどいですっ!」
「いやっ、だって……!」
不満げに頬を膨らませている香奈も、今の巧には笑いの燃料にしかならない。
悪いとは思いつつも、しばらく笑いを抑えられなかった。
「……もう、ひどい人です巧先輩は」
笑いが収まるころには、香奈はすっかり不貞腐れてしまっていた。
「ごめんごめん。ちょっとツボに入っちゃって」
「……これは、無限こちょこちょ地獄をバージョンアップさせる必要がありますね」
「落ち着こう香奈。一旦話し合おうよ」
巧は本気で焦った。無限こちょこちょだけでも危ないのに、さらに別の要素が加わりでもしたら、本気で色々とよろしくない。
しかし、香奈はどこ吹く風だった。
「ふっふっふ。レイターフェスティバルですよ、巧先輩」
「レイター、後の祭りか……じゃなくて香奈——」
「大丈夫ですよ。私も限度はわきまえてますから。それよりもドイツとアルゼンチンの試合ですけど——」
露骨な話題転換をする香奈は、巧の抗議を聞き入れる気はなさそうだった。
まあ、なんだかんだ常識はあるから大丈夫か、と巧は思い直した。
決して、サッカーの話をしたいからどうでも良くなったわけではない。
◇ ◇ ◇
「やっぱり二軍はレベル高えなぁ」
「うむ。一人一人の技術がしっかりしているな」
アップ中の選手を見て、優と大介が感心したような唸り声を上げた。
「お前らもいずれはあいつらを越えなきゃいけないんだぞ」
「おっ、しっかりとキャプテンしているな」
玲子は三葉を揶揄った。
彼は当たり前だ、とそっぽを向いた。
現在、四人は咲麗高校サッカー部の二軍の試合を見に来ていた。
ちょうど三軍のオフと重なったし、彼らは特に巧と仲が良かったため、彼の様子を見に来たのだ。
(やっぱり、サッカーをしているときの彼は格好いいな……)
玲子は自然と巧を目で追っていた。
普段は穏やかな笑みを浮かべていて可愛いなと感じるときが多いが、集中モードに入ると一気に凛々しい顔立ちになる。
好きだからそう見えるのか、他の人から見てもそうなのかは玲子にはわからないが、そんなものどちらでもいい。
(二回目、しかも三日後にまたデートできるとは……勇気を出して良かったな。よく誘ったぞ、私)
玲子は昨日の自分を褒め称えた。
一人では映画館に行けないというのも、友達が全員見てしまったというのも嘘だ。
そもそも玲子は、巧と見にいく予定の映画について、興味があるとは友達には一言も言っていない。
彼も興味を持っていると知り、いつか一緒に見にいけないものかと漠然と思っていたのだ。
結局誘えずじまいで一人寂しく見に行くのか、と思っていたが、巧が奢ってもらうことに罪悪感を覚えている様子だったので、咄嗟に誘ってしまった。
少し卑怯だったかなとは思うが、彼はそんなことを気にする人間ではないだろう。
「……ざわ、愛沢」
「……えっ? あ、すまない。なんだ?」
「いや、ぼーっとしているようだったから声をかけただけだ」
三葉が顔を寄せてきて、優と大介に聞こえないくらいの小声で、
「あんまり見惚れていると周りにバレるぞ」
「っ……そ、そんなにわかりやすかったか?」
「わかりにくくはなかっただろうな。俺は元々知っているから余計にそう見えた、というのはあるだろうが。次が決まって嬉しいのはわかるが、一回落ち着いてみるのも大事だと聞くぞ」
「あ、あぁ。そうするよ」
そうだ、落ち着け——。
玲子は自分に言い聞かせた。
巧はしばしば、玲子をクールと表現する。こんなに浮ついていては、彼を幻滅させてしまうだろう。
(昨日もクールな美人と言ってくれたし……って、落ち着けと言いながらすでに彼のことを考えているとは、私もなかなか重症だな)
玲子は自分の意外な一面に気づいて、一人苦笑した。
審判の笛がハーフタイムの到来を告げる。
ボランチでスタメン起用された巧は、特に前半終盤に躍動し、そのうちの一つのチャンスが得点につながり、咲麗が一対〇でリードしていた。
「結構大人しめかと思ってたけど、やっぱりすごいっすね、巧は」
「途中までは相手の観察に努めていたのだろう。わざと色々なパターンでパスを散らして、相手の弱点を見つけて最後にそこを徹底的についた。さすがの観察眼だな、ガハハハハ!」
「そう言うお前の観察眼もなかなかだがな」
三葉が称賛半分、呆れ半分の目を大介に向けた。
玲子も同じ気持ちだった。大介は一見ふざけているように見えるが、特にサッカーに関しては巧に負けず劣らず真摯に取り組んでいるし、今のように分析力もある。
そういえば、マネージャーの中に大介が気になっているという子もいたな、と玲子は口元を緩めた。
周囲からは変わってるね、と揶揄われていたが、なかなかいいセンスをしていると思う。
ふと咲麗ベンチに目を向けてみる。
ちょうど、香奈が巧に話しかけていた。お互いにいい笑顔を浮かべているし、とても仲良さげだった。
(やっぱり男の子はああいう明るい子が……いや、もし如月君が香奈ちゃんのことを異性として好きなら、私の映画の誘いも断ったはず。まだチャンスはあるだろう)
玲子が自分を鼓舞していると、優がえっ、と声を上げた。
その表情は、楽しそうに前半のプレーを振り返っていた先程までとは一転して強張っていた。
「どうした?」
「あそこにいる大柄の男の人……武岡先輩じゃないっすか?」
「えっ——」
優の示す先には、マスクと帽子を着用した男がいた。まるで人目をはばかるように、他の観客の一列後ろに立っている。
玲子は目を凝らした。
「本当だ……」
個人的な交流はほとんどなかったとはいえ、二年以上も部活仲間としてやってきたのだ。間違いなく武岡だと断言できる。
なぜ、香奈とのいざこざが理由で現在は謹慎中である元三軍キャプテンの彼が、二軍の練習試合を見にきているのだ——。
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