第5話 美少女後輩マネージャーに髪を乾かしてもらった
巧が風呂から上がると、香奈はソファに座って漫画を読んでいた。
「お待たせ」
「いえ! こちらこそ、長居しちゃってすみません」
香奈は慌てたように漫画をローテーブルに置いて立ち上がり、少しお辞儀するように頭を下げた。
髪の毛は乾いたようだが、
「白雪さんは、お風呂どうする?」
「あっ、いえ、私は大丈夫です! お邪魔しているのに、さらにお風呂まで借りるのは申し訳ないですし……その、ちょっと落ち着かないっていうか……」
香奈は少しうつむき、バツの悪そうな顔で言葉を濁した。
そして、一拍おいてから、ぎこちない笑みを浮かべる。
「それに……着替えとか、ないですから」
「っ……」
巧はハッとした。
そうだ。パーカーくらいなら貸せると思っていたが、替えの下着はない。
香奈が言いづらそうにしていたのも当然だ。
一人暮らしの男の家にいるという、彼女の立場をまるで考えていなかった。
「……ごめん。僕、気が利かなかった」
「い、いえっ! 気を遣ってくれたのはわかってますから」
香奈は慌てて手を振り、責めるつもりなんてないというように微笑んだ。
しかし、その表情の端に、ほんのりと赤みが差していた。
「そ、それより先輩。髪の毛まだ濡れてません?」
「あっ、うん。水飲んだ後にちゃんと乾かすよ」
「良かった。意外とズボラさんなのかと心配しましたよ」
「あれ、僕たちの間に鏡ある?」
「ちょ、それどういう意味ですかぁ⁉︎」
頬を膨らませて憤慨する香奈に、思わず笑いが漏れる。
彼女の明るさに引っ張られて、巧の精神状態も、公園で雨に打たれているときよりはだいぶ回復した。
香奈を揶揄い、その反応に笑みを浮かべられるくらいには。
怒りを見せていたはずの香奈が、安心したように笑った。
「……ドライヤーしてくるね」
羞恥と気まずさを感じた巧は、そそくさとその場を立ち去ろうとするが、
「先輩。もし良かったら、ドライヤーしましょうか? 家にあげてもらったささやかなお礼です」
「えっ、いいよいいよ。悪いし」
「まあまあ、そう遠慮なさらずに」
香奈が新聞勧誘業者のような悪い笑みを浮かべてにじり寄ってくる。
「実は前から先輩の髪を触ってみたかったんですよ。なんだかふわふわサラサラしてそうで。先輩さえよければ、むしろやらせて欲しいというか」
「……ならお願いしようかな」
香奈の言葉は巧に気を遣わせないためのものだろうが、ここまで言ってくれているのなら、特に拒む理由はなかった。
「お任せください!」
香奈がウキウキとした足取りでドライヤーを手に取り、巧の背後に回った。
「わー、本当にふわふわですね!」
巧の髪を毛流れに沿って乾かしつつ、香奈が歓声にも似た声をあげた。
髪を触りたかったというのは、あながち本音だったのかもしれない。
ドライヤーの風に煽られるように、シャンプーやリンスのものとは違う、ほのかに甘い匂いが巧の鼻先をくすぐった。
(あっ、これ、白雪さんの……って、ダメだダメだ)
巧は慌てて首を振った。
「おぉ、先輩。どうしました?」
香奈が手を止め、驚いたような声を上げた。
「いや……ちょっと、なんでもない」
言い訳にもなっていない言い訳をしながら、巧は視線を逸らした。
バツが悪そうに小さく咳払いを一つ挟む。
「……ごめん。お願い、続けて」
「はーい」
巧はそれ以降、必死に香奈の手つきに意識を集中させた。
幸い、それからほんの数分でドライヤーは終了した。
香奈はいわゆるセンターパートに整えてくれていた。分け目もしっかりと立ち上がっている。
「わあ、格好いい! やっぱり、センターパート似合うと思ってたんですよ」
「ありがとう。いいね、これ」
巧はいつも寝癖を治す程度のことしかしていないため、普段よりはいくらか垢抜けた雰囲気だ。
「普段もこれやったらどうです?」
「えー、いいよ。面倒だし」
「勿体ないなー。先輩、ちゃんとオシャレしたら絶対もっとモテるのに」
「白雪さんにそう言ってもらえて光栄だよ」
ただのリップサービスだとはわかっているため、巧はさらっと受け流した。
香奈は一瞬不満げな表情を覗かせた……ような気がしたが、すぐに笑みを浮かべた。巧の気のせいだったのかもしれない。
「先輩って一人暮らしなんですよね? 夕飯はどうしているんですか?」
「基本的には自炊だよ」
「えー、すごっ! 一人暮らしなのによく手が回りますね。私なんて宿題すらも終わらせられないのに」
香奈が胸を張った。より大きさが強調される。
巧は視線をあえて少し上に逸らし、香奈の眉間の辺りを見た。
「自慢しない。僕が風呂入ってるときにやれば良かったのに」
「それ、先に言ってくださいよー」
「やる子は言わなくてもやるし、やらない子は言ってもやらないんだよ」
「先輩って意外に毒舌ですよね」
香奈が苦笑した。
「ギャップ萌えした?」
「はいっ、バチバチに」
「それはどうも。白雪さんは、夕飯はご両親が帰宅後に作ってくれるの?」
「いえ、今日みたいに両親の帰りが遅い日は各自です。みんな揃って食べようとすると、さすがに遅くなっちゃいますから」
香奈が少し寂しそうな笑みを見せた。
「じゃあ、白雪さんも自炊?」
「自炊か、外食ですね」
「今日は外食?」
「そうですね。雨も降っていますし、コンビニ弁当でも買います」
これは、ささやかな恩返しのチャンスではないかと巧は思った。
「ならさ、良かったらウチで食べてく?」
「へっ? い、いえいえ、さすがにそれは迷惑ですよ。本当に、気持ちだけで——」
香奈が遠慮しようとした、その瞬間。
——ぐぅ。
部屋に響いたのは、間の抜けた音だった。
「っ……!」
香奈が一瞬で真っ赤になった。耳まで赤く染まっていくのがわかる。
「な、な、なかったことにしてください……!」
「ふふっ、ごめん、それはちょっと難しいかも」
「っ……!」
思わず吹き出した巧に、香奈の顔がさらに赤くなる。
彼女は両手で顔を覆ってうずくまり、「うぅ、恥ずかしい……!」とうめいた。
「白雪さん」
巧はふっと優しく笑って、手を差し伸べるような声で言った。
「食べていきなよ。僕も白雪さんに助けてもらったし……そのお礼も兼ねてってことで、よかったらどうかな?」
「うっ……」
香奈は一瞬、まだ迷っているような顔をしたが、すぐに諦めたように小さく肩をすくめた。
「じゃあ……すみません。お言葉に甘えさせてもらいます」
香奈は恥ずかしそうに笑いながらも、そっと手を膝の上に揃え、ぺこりと頭を下げた。
巧はふっと微笑み、うなずいた。
「うん。それじゃあ、ちょっと待ってて。今から作るから」
「いえ、私も手伝います! さすがに待ってるだけなのは心苦しいので」
「そう? じゃあお願いしようかな」
こういうときは変に断らないほうがお互い気持ちいいだろうと思い、巧は素直に申し出を受けた。
「はい! この敏腕美少女マネージャー・白雪香奈にお任せあれ!」
香奈が得意げに口角を上げ、ガッツポーズをした。
(自分で言っちゃうんだよね、この子……まあ、大層な二つ名に恥じないだけの能力と容姿だけど)
巧は苦笑しながら、力こぶはほとんどできていない彼女の白い二の腕を指差した。
「少なくとも、筋肉に関しては完璧じゃないね」
「うるさいです」
香奈が唇を尖らせる。
一拍置いてから、二人は顔を見合わせて笑い出した。
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