第48話 美少女後輩マネージャーの涙
「香奈⁉︎」
巧は玄関でうずくまる香奈に駆け寄った。
慌てて抱き起こそうとして、
「あっつ……!」
相当な熱があるようだ。
「す、すみません……大丈夫ですっ……」
「大丈夫なわけないでしょ。ちょっと失礼」
「えっ……」
巧は香奈を横抱きにした。
冗談ではよく言っていたが、まさか本当にお姫様抱っこをする日が来るとは思わなかった。
「緊急事態だ。申し訳ないけど入るよ」
香奈の部屋がどれかは、以前寝落ちした彼女を蘭が自室に放り込んでいたためわかっている。
なるべくジロジロと目線を向けないようにしながら、熱を持った華奢な体をベッドにそっと横たわらせた。
「す、すみません巧先輩……」
「香奈が謝ることは何もないよ。待ってて、薬とか持ってくるから」
いくら不測の事態とはいえ、他人の家を勝手に漁るわけにはいかない。
巧は練習で疲れた足をフル回転させ、自宅に戻って冷えピタやら薬やらゼリーやらを持ち出した。一人暮らしなので、一式揃っていた。
冷えピタをおでこに貼り、背中を支えて上半身を起こさせる。
「ゼリー食べられる? 空腹に薬は良くないから」
「はい……」
香奈はスプーンを一口すくったが、口元に持っていく前に顔をしかめて手を止めた。
「香奈? 大丈夫?」
「肩が痛い……です」
「関節痛か」
巧の判断は早かった。
ゼリーとスプーンを取り上げ、スプーンを彼女の口元に持っていく。いわゆるアーンだ。
「はい、食べて」
「あ、あの、巧先輩っ……⁉︎」
「食べないと薬飲めないし、早いほうがいいからね」
「は、はい……」
気恥ずかしげにしつつも、香奈は無事にゼリーを完食した。
少し経ってから薬を飲ませ、巧は一息吐いた。
「よし……これで、あとは寝れば良くなると思うよ」
「はい、ありがとうございます……」
間もなくして、香奈は寝息を立て始めた。
(眠れたのならよかった)
巧は彼女から目を離し、蘭にメッセージを送った。
一度単語帳やら本やらを家に取りに戻って、巧はマスクを着用した状態で香奈の部屋に戻った。
崩れ落ちてしまうほどの病状だ。さすがにあの程度の処置ではいさよなら、とするわけにはいかないし、巧は白雪家の鍵を持っていないため、彼が室内にいなければ鍵をかけられなかった。
二時間ほど経った頃、香奈がうなされ始めた。
「う、ううっ……!」
「香奈、大丈夫? 香奈?」
巧が話しかけると、彼女はうっすらと目を開けた。雫が溜まっていた。
「たくみ、せんぱい……」
いつもより舌足らずだ。
「おはよう。うなされてたけど、大丈夫だった?」
「はい……」
香奈はこくりとうなずいたが、その瞳には怯えの色があった。
「大丈夫だよ、香奈」
巧は片方の手で彼女の手を握り、もう片方の手で髪を撫でながら、大丈夫、大丈夫、と繰り返した。
——大丈夫だよ、巧。大丈夫、大丈夫。
小さいころ、怖い夢を見たときはいつもそうやって母親が安心させてくれたのを思い出したからだ。
(……とっさの判断とはいえ、仲が良いだけの後輩女子の手を握るのはさすがにまずかったかな)
少し冷静になり、巧は手を離そうとしたが、
——ぎゅっ。
香奈が、絶対に離さないとばかりに力を込めた。
巧はすぐに力強く握り返した。
香奈の不安を少しでも和らげる手助けになっているのなら、止める必要はない。
彼女はグスっと鼻をすすり上げた。
巧の手をつかんだまま、彼とは反対方向に顔を向け、つぶやいた。
「なんでですか……」
「えっ?」
「なんで、頑張ってるだけなのにあんなことを言われなきゃいけないんですかっ……!」
香奈の声は震えていた。
口惜しさ、怒り、悲しみ、やるせなさ……。様々な感情がないまぜになった魂の叫びのようだった。
「あの人たちが初めてじゃないんですっ……中学のころから女の子にはぶりっ子とか媚び売ってるとか言われて、男の子には好きじゃないなら思わせぶりな態度をとるなとか言われてっ……マネージャーとして選手のモチベーションを高めるのは当たり前の仕事なのに、なんでそんな酷いことを言われなきゃいけないんですか……⁉︎」
以前にも、彼女は冗談に紛らわして同じような趣旨の発言をしていた。
だからこそ巧も、アイドル級の美少女ではなく優秀な後輩マネージャーとして接するようにしているわけだが、
(うーん……)
巧はどうすれば励ますことができるのか悩んだ。
しかし、彼もまた高校生。香奈より少しだけ早く生まれただけの少年だ。
落ち込んでいる女の子を一発で立ち直らせる言葉など、持ち合わせているはずもなかった。
だから、彼は正直な思いを口にすることにした。
自分が退部しようとしていたときに、香奈がそうしてくれたように。
「そんなやつらの言うことは気にするなって言っても難しいんだろうけど、僕も含めて香奈の優秀さ、頑張りをわかっている人は、悪口を言ってくるやつらなんかよりもたくさんいるよ」
巧は香奈の手を強く握り、語りかけた。
自分の気持ちが少しでも伝わるように、ゆっくりと。
「誰よりも選手のちょっとした変化に気づいて励ますことができるし、明るい性格と笑顔で選手を鼓舞できるし、サッカーに詳しいから戦術や知識の面でもサポートできる。ちょっとおっちょこちょいなところはあるけど、選手にも負けないくらい部活に一生懸命取り組んでいるのも、情熱が部員じゃなくてサッカーに向いてることも、見る人が見ればわかる。香奈ほどマネージャーに向いている人は他にいないと思うし、香奈がマネージャーをしてくれて本当に良かったと思ってるよ」
「っ……!」
繋いでいる手から、彼女の動揺が伝わってきた。
「ぶりっ子だとか思わせぶりがなんだとか言ってくるやつらは、表面的なところしか見てないんだよ。香奈のことをただのスタイルの良い可愛い女の子としか思ってないから、そういう発想になる。大丈夫。見てる人はちゃんと君の中身を見てるから」
「……んぱいも?」
「ん? 何?」
「巧先輩も、ちゃんと見てくれてますか……?」
「もちろん」
視線を向けてきた香奈に対して、巧は大きくうなずいた。
「だらしなく見えても実は真面目で、おちゃらけているように見せて礼儀正しさも持ち合わせていて、何よりも優しくてサッカーが大好きな女の子だっていうのはわかってるよ。あっ、あとついでに意外と甘えん坊で下ネタ好きっていうのもね」
「つ、ついでは余計ですっ!」
香奈が頬を染めて叫んだ。
「結構恥ずかしがり屋で、すぐ顔が赤くなるっていうのも追加しとく?」
「っ……し、知りません! 巧先輩のバカっ!」
限界が来てしまったのだろう。
彼女は布団を頭から被さった。
(……調子乗りすぎたな)
元気づけるためとはいえやり過ぎだったか、と巧は反省した。
「ご、ごめん香奈。ちょっと調子乗っちゃった」
少し経ってから、香奈が目元だけ布団から出した。
潤んでいるその瞳は、巧に厳しい視線を向けていた。
「今回ばかりはそう簡単には許してあげませんっ……私が治ったら無限こちょこちょ編の幕開けです……!」
「うっ……わかった。甘んじて受け入れるよ」
巧は頬を引きつらせつつ、うなずいた。
「と、というか香奈。体調は大丈夫?」
「はい、だいぶ良くなりました……熱はさっきに比べて多分上がってますけど」
「ご、ごめん。本当に」
巧が頭を下げると、彼にジト目を向けていた香奈がクスッと笑った。
「巧先輩、まさか私が本気で怒ってると思いました?」
「えっ……怒ってないの?」
「まさか。なんでそう思ったんですか」
香奈がクスクス笑った。
「だ、だって、揶揄いすぎたし……」
「まあ、恥ずかしかったですけど……でも、看病してくれて励ましてくれた巧先輩に怒ったりしませんよ。むしろ感謝感激雨霰ですから」
香奈が、いつの間にか離れていた巧の手をぎゅっと握った。
「巧先輩。さっきの言葉、本当に救われました。ありがとうございます」
「っ——」
巧は息を呑んだ。
お礼を言って笑う香奈の笑顔が、あまりにも綺麗だったから。
「……巧先輩?」
「えっ? あっ、ご、ごめん。どういたしまして」
「なんか魂抜けた顔してましたけど、大丈夫ですか?」
「大丈夫大丈夫」
(やばい、見惚れてた……)
巧が自省する中、香奈がハッとした表情になった。
「ま、まさか、私の風邪感染ったりは——」
「してないしてない。今からフルマラソンを楽チン完走できるくらいには元気だし、香奈が調子良くなったみたいで安心しただけだよ」
「フルマラチンってなんですか?」
「熱で浮ついてることにしといてあげるよ」
「えっ、じゃあ今下ネタスター状態……⁉︎」
「気をつけてね。レインボーロードだから」
マルイージカートというゲームで、レインボーロードはスター状態などの加速がついている状態だと、逆に操作が難しくてよくコースアウトしてしまう。
「それはつまり、下ネタには虹色の可能性があるということでよろしいですか?」
「うん、まあそれでいいんじゃない」
「あっ、でも下ネタと言えばピンクですよねやっぱり。いやでも、紫も妖艶さがあって捨てがたい……!」
「……」
「ねえ巧先輩、私の目の色ってアニメのサキュバスに似てません? もしかして、これで見つめたら先輩も魅了できちゃったり……⁉︎」
「めげないね」
「ついさっき、立ち直らせてもらったばかりですから」
当分の間はそう簡単にはくじけませんよ——。
そう言って、香奈は笑みを見せた。
しかし、ここ最近は特に毎日彼女の笑みを見ている巧にはわかった。
怒涛のボケラッシュをかませるほどには回復していても、まだ少し彼女が無理をしていることに。
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