第4話 美少女後輩マネージャーを家に上げた
少しだけ、先輩のお家にお邪魔させてもらえませんか——。
突然の香奈からの申し出に、巧は困惑を覚えた。
しかし、すぐに彼女の狙いに思い当たる。
「あっ、さすがにちゃんと風呂は入るよ」
「いえ、そこまで監視したいわけではなくてですね……実は今日、寝坊して鍵を忘れちゃって、両親も夜まで帰ってこないっていう、なかなかに詰んでいる状態なんです」
香奈が照れたように頬をかいた。
「なるほど、そういうことか……僕は構わないけど、白雪さんはいいの? 僕、一人暮らしだけど」
「えっ、そうなんですか?」
香奈が驚いたところで、エレベーターが二階に到着した。彼女も一緒に降りる。
「うん、親は単身赴任なんだ。だから、彼氏でもない男の家に上がり込むのは——」
「私は気にしません。先輩はそんな不埒なことをする人じゃないですし」
「まあ、そうだけど……」
「……やっぱり、ご迷惑でしたか?」
香奈がシュンと表情を曇らせる。
巧が渋っているのを、遠回しの拒否と判断したらしい。
「わがままを言ってすみませんでした。やっぱりどこかで適当に——」
「いや、全然迷惑とかじゃないよ」
巧は慌てて遮った。
この土砂降りの中だ。家の前で待つにせよ、どこかお店で時間を潰すにせよ、香奈にとって楽な選択でないことは間違いない。
それに、香奈は巧ほどずぶ濡れではないとはいえ、髪の毛や服がどころどころ、肌に張り付いている。
彼女さえ構わないなら、巧が拒否する理由はなかった。
(むしろ、ここで入れてあげなきゃ不義理だよね)
巧はそう思い直した。
香奈が雨に濡れてしまっているのは、間違いなく巧が原因なのだから。
「ただ、確認しておきたかっただけ。白雪さんがいいなら、上がっちゃって」
「本当ですかっ? ありがとうございます!」
暗い表情から一転、香奈は花が咲いたように笑った。
巧の隣を歩く足取りも軽い。
「本当に、迷惑とかそういうんじゃないんだけどさ——」
巧はそう前置きをしてから、ふと疑問に思ったことを尋ねてみた。
「白雪さんは、なんでそんなに僕のことを信頼してくれてるの?」
「んー、入学当初、サッカー部まで案内してくれたときも優しかったですし、それ以降もずっと温かく接してくれてるじゃないですか。それに、ちゃんと私の話を聞いてくれてるんだなってわかるので」
「それは当たり前じゃない?」
香奈は少しだけ目線を下げ、困ったように苦笑してみせた。
「それが、当たり前でもないのですよ。みんな、私の内面よりも、見た目とかおっぱいにしか興味ないんですから」
口調こそ冗談めかしているが、かなり苦労している様子が表情から伝わってくる。
(モテるのも、それはそれで大変なんだな……)
巧はふっと息を吐いた。
香奈が巧に懐いてくれている理由も、もしかしたらその辺りにあるのかもしれない。
巧の部屋はエレベーターを降りてから四件目、二〇四号室だ。鍵を開けて扉を引く。
「どうぞ」
「お邪魔しまーす! ……えっ」
どこかワクワクした表情で足を踏み入れた香奈は、すぐに頬を引きつらせた。
「どうしたの——あっ」
後ろから覗き込んですぐ、巧はしまった、と顔をしかめた。
(そういえば僕の家、汚部屋だったな……)
色々なことで頭がいっぱいで、すっかり忘れていた。
「上がらせてもらう身なので、文句は言えませんけど……なかなか、ワイルドな感じですね」
「ごめんね。ちょっと待ってて」
巧はびしょ濡れの靴と靴下を脱ぎ、タオルと新聞紙を取り出して、玄関にとって返した。
「はい、これ。とりあえず頭とか拭いたほうがいいし、靴の中にもこれ詰めといて。中まで濡れてるだろうから」 「えっ……あ、ありがとうございます」
タオルと新聞紙を受け取った香奈は、少し驚いた顔を見せたあと、ふっと笑みをこぼした。
「先輩って、こういうところちゃんとしてますよねぇ」
「部屋は汚いけどね」
「ふふ、そうですね。でも、なんかちょっと先輩らしいかも」
「褒めてないよね?」
「いえいえ、最上級の褒め言葉ですよ」
香奈はタオルで赤髪をぽんぽんと軽く叩くように拭きながら、クスッと笑った。
濡れた靴を脱ぎ、玄関先に置かれた新聞紙の上に丁寧に並べている彼女に、巧は問いかけた。
「他に必要なものはある?」
「ありがとうございます! 私は大丈夫ですから、先輩はまずお風呂に入っちゃってください」
「いや、タオルである程度拭いたし、白雪さんが先に入ってよ。女の子のほうが、体冷やすと良くないっていうし」
「私は大丈夫ですよ。先輩のほうがずぶ濡れでしたし、それに——」
香奈が一瞬視線をそらして、ぽつりとつぶやいた。
「その、私が入っちゃったら、なんだか先輩が入りにくくなりそうなので」
「……そんなの気にしなくていいのに」
「私が気にするんです!」
香奈の頬が、わずかに赤く染まった。
「……じゃあ、そうさせてもらおうかな」
巧は少しだけ躊躇ったが、彼女の厚意に素直に甘えることにした。
「エアコンちょっと高めにしておくから、暑くなったら下げてね」
「あ……ありがとうございます。あと一応、貴重品とかはお風呂場まで持っていってくださいね」
「うん、わかった」
香奈の人間性は信頼しているので、巧としてはそこまで警戒する必要はないと思っている。
だが、警戒しすぎるくらいのほうが、彼女も気を遣わなくて済むだろう。
「ソファーでも椅子でも好きに座ってね。飲み物とかお菓子とかは自由に飲み食いしちゃっていいし、ゲームとか本も好きに漁っていいから」
「あっ、はい。ありがとうございます」
どこか緊張した面持ちの香奈に、クスッと笑いが漏れる。
香奈がムッと頬を膨らませた。
「先輩、今バカにしませんでしたか?」
「まさか」
馬鹿にはしていないが、微笑ましく思ったのは事実だった。
「……怪しいですね」
「本当だって」
ジト目を向けてくる香奈に曖昧な笑みを向けて誤魔化しつつ、巧は着替えを準備した。
「あっ、そうだ。トイレの位置は……って、同じ部屋の造りだからわかるか」
「はい。あそこですよね?」
香奈がリビングの扉を開けて、玄関のすぐ近くの扉を指差した。
「そう。あと、聞いておきたいことある?」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」
「うん。それじゃ、入ってくるね」
「はーい。ごゆっくり」
お風呂場に向かおうとして、巧は思い直したように振り返った。
「あっ、そうだ。白雪さん」
「はい?」
「ありがとね。色々と」
「っ……!」
香奈に微笑みかけてから、巧はそそくさとお風呂場に消えた。
改めてお礼を言うのが恥ずかしかったからだ。
だから、彼は気づかなかった。
一人リビングに残された香奈の頬が、たとえ夕陽に照らされていたとしてもごまかせないくらいには、朱に染まっていたことに。
◇ ◇ ◇
「不意打ちはダメですって……!」
巧のいなくなったリビングで、香奈はソファーに顔を埋めて一人悶えていた。
しばらくして、まだ手洗いうがいをしていなかったことを思い出し、洗面所に向かう。
風呂とつながっているため、一応ノックをしてみるが、反応はない。
かすかにシャワーの音が漏れているため、聞こえていないのだろう。
「先輩、少しだけ洗面所お借りしまーす」
「はーい」
手を洗っている最中に、視界の端にコップが映る。
「っ……」
香奈は慌てて視線を逸らし、手のひらに水を溜めてうがいを済ませた。
シャワーの音が止んだ。香奈はふと、イタズラを思いついた。
「先輩、ちょっと入りますねー」
「えっ、な、なんでっ?」
「ふふ、冗談です。失礼しました!」
巧の動揺している様子に満足感を覚えつつ、香奈は洗面所を後にした。
(なにやってんの、私……⁉︎)
少し時間が経って冷静になると、色々な意味で羞恥心が込み上げてきた。
香奈は頬と頭を冷やすため、手近に積み上げられていた漫画を手に取った。『アカアシ』という人気のサッカー漫画だった。
好きだったが、なんだか読むのは気が引けた。
(先輩の目に入ったら、いやでも思い出しちゃうよね……)
できることなら、今だけはサッカーから離してあげたかった。
香奈は何冊かあった『アカアシ』のシリーズをそっと本の山の下に隠し、代わりに別の漫画を手に取った。『鬼殺の剣』という、最近アニメ化された人気のバトル漫画だった。
初めて読む作品だったが、人気なだけのことはあり、テンポよく展開する物語に自然と引き込まれ、ページをめくる手が止まらなくなった。
没頭するほどではないが、少なくとも「ここが巧の部屋である」という事実から気を紛らわせる役目は果たしてくれた。
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