第315話 それぞれの時間 —誠治と冬美①—
誠治が久東家の玄関前でチャイムを押すと、間もなくして扉が開き、冬美が姿を現した。
彼女は淡いベージュのコートを羽織り、インナーには上品な温かみのあるクリームがかった白のニットを合わせていた。
ボトムスは控えめなピンクのタイトスカート。落ち着いた配色ながらも、彼女らしい清楚な雰囲気が際立っている。
髪もいつもより少しだけ整えられていて、柔らかい毛先がゆるく揺れていた。
「っ——」
(か、可愛い……!)
おしゃれをしている冬美を目の前にして、誠治は思わず見惚れてしまった。
「な、なに固まってるのよ」
冬美の戸惑った声に、誠治の意識は現実に引き戻された。
「いや、なんつーかその……めっちゃ可愛いなって思って」
「っ……!」
冬美がピクリと肩を震わせる。
不意打ちを喰らったようにわずかに目を見開き、頬を染めた。
「べ、別にこれくらい普通よ。そ、そういうあなたも、意外とまともな格好をしているじゃない」
その唐突な話題転換が照れ隠しであることは、さすがの誠治にもわかった。
それでも、褒められているのならば、悪い気はしなかった。
「マジ? サンキュー!」
誠治が素直に喜ぶと、冬美は一瞬きょとんとし、それから呆れたようにため息をついた。
「……あんたって、本当に単純よね」
そう言いながらも、どこか微笑ましげに目を細める。
そんなやりとりをしながら、二人は肩を並べて歩き出した。
道中、誠治はそわそわと指先を動かしながら、ちらりと冬美の横顔を盗み見た。
付き合ってから初めてのデートだ。距離の詰め方などわからないが、それでも少しでも関係を進展させたかった。
「……あのさ、冬美」
意を決して口を開く。
「なに?」
「その……手、繋いでいいか?」
冬美の足が、ほんのわずかに止まりかけたのがわかった。
しかし、彼女は何も言わなかった。
その微妙な間に、誠治の心臓が跳ねる。
やっぱり、焦りすぎたか——。
誠治がそう反省しかけたとき、指先にかすかにぬくもりが伝わる。
「……えっ?」
「は、ハグはしないからっ」
冬美は言い訳めいた口調でそう口にしながら、そっと誠治の指先をつまんだ。
(……!)
その瞬間、誠治の心臓が跳ねた。
彼は少し躊躇った後、そっと指を絡め、しっかりと手を握り直した。
「っ……!」
冬美の体がぴくりと震えた。その頬は色づき、唇は何かに耐えるようにきゅっと引き結ばれている。
しかし、手を振り払われることはなかった。少し経つと、繋いでいる手にそっと力を込め、握り返してきた。
(っ冬美……!)
応えてくれたことが嬉しくて、誠治の胸がじんわりと温かくなった。
行き先は、スポーツやアミューズメントを楽しめる大型施設だった。
無難なのは映画館や水族館なのだろうが、幼馴染でどちらも体を動かすことが好きであるため、行き先はすぐに決定した。
最初に挑戦したのは、ボウリングだ。
「なぁ、どうせなら勝負しようぜ。負けたほうが一つ言うことを聞くっていうのでどうだ?」
「ふぅん……まあ、いいわよ」
誠治の提案に、冬美は好戦的に笑った。
男女の差が出にくいように、ボーリング、卓球、ダーツの三種目で、先に二勝したほうの勝ちというルールにした。
最初の競技はボーリング、二ゲーム先取だ。
一ゲーム目、先にストライクを決めたのは冬美だった。澄ましてみせながらも、わずかに得意げな表情で席に戻ってくる。
「ナイス、冬美!」
誠治は手を上げて迎えた。
「っ……あ、当たり前じゃない」
冬美は一瞬戸惑う素振りを見せた。視線を逸らしながら、誠治の手のひらにそっと自分の手を合わせた。
(今の表情、やべえ……!)
冬美の照れた表情を前にテンションが上がった誠治は、そのままの勢いで一ゲーム目を制した。
二ゲーム目は冬美が取り返し、迎えた三ゲーム目——。
拮抗した展開の中、誠治の最後のフレーム。
スペアを取り、最後にストライクを決めれば勝ちが決まる。
「よしっ……」
「——誠治」
誠治が集中していると、背後から声がかかった。
「その……頑張りなさいよ」
冬美がほんのり頬を染め、伏し目がちにそう言った。
「っ……!」
(か、可愛すぎるだろ……!)
いつもならクールな彼女が、どこか恥ずかしそうに応援してくれている姿に、誠治の心臓が跳ねた。
(そんな顔されたら、集中できねーっての……!)
内心で呻きつつも、気を取り直してボールを投げたが、乱れた精神状態で正確な投球などできるはずもなかった。
左に逸れたボールは三本しか倒せず、冬美の勝利が決定した。
「ふふ、私の勝ちね」
どことなく得意げに、冬美が笑う。
「お、お前……まさか今の、わざとじゃねーだろうな?」
そんな誠治の抗議を聞き流しながら、冬美はイタズラっぽく微笑んだ。
「さぁ、どうかしらね?」
「っ……」
その普段はあまり見せることのない機嫌が良さそうな表情は、誠治の勢いを削ぐには十分すぎるものだった。
好きな人の笑顔を前に抗議を続けられる男など、いるはずもないのだ。
二戦目は卓球だ。
序盤、アタックと見せかけてのバックスピンなど、冬美のトリッキーな闘い方に、誠治は翻弄された。
「くっ……!」
「ふふん、甘いわね」
得意げな顔を見せる冬美だったが、誠治も徐々に盛り返し、最後は豪快にスマッシュを決めて、卓球対決を制した。
「よしっ、リベンジ成功!」
「ちっ……」
「おい。今、舌打ちしなかったか?」
「気のせいよ」
そんな言葉を交わしつつ、最終決戦の舞台であるダーツへ向かう。
三〇一でアップをした後、クリケットで決着をつけることになった。
最初は正確性に定評のある冬美が優勢だったが、途中から誠治がトリプルやダブルを的確に沈めて盛り返した。
拮抗したまま試合は進み、最後の一投、誠治がブルを決めれば勝利という状況で、冬美がその背中にそっと手を置いた。
「さ、最後は落ち着きなさいよ」
「っ……!」
肩口から上目遣いで見上げられ、誠治は動揺した。
しかし、彼は勝てば言うことを一つ聞いてもらえるということを思い出した。その表情に、再び自信がみなぎる。
「二度も同じ手は食わねえよ——最後に決めんのがエースだからな!」
誠治はニヤリと笑い、腕を振り抜いた。
放物線を描いた矢は、見事にブルを射抜いた。
「冬美、見たか!」
ドヤ顔で胸を張る誠治に、冬美は腕を組んでおどけたように肩をすくめる。
「ふぅん。やるじゃない」
「だろ?」
満足げに笑う誠治を見て、冬美はため息を吐きながらも、くすっと笑う。
「認めるわ。私の負けね」
「っしゃあ!」
誠治が無邪気にガッツポーズを決めた。
冬美は呆れたように笑いながら、「まったく、単純なんだから」と小さくつぶやいた。
「それで、あなたは何を要求するの? お金はあまり持ってないわよ」
「いや、んなもんじゃねーって! じゃなくて、その……」
誠治が少し照れた様子で口を開く。
「……プリクラ、一緒に撮ってくれねーか?」
「……えっ?」
冬美が目を見張った。
「そ、そんなに意外だったか?」
「い、いえ、意外というか……」
誠治が苦笑すると、冬美はわずかに頬を染めながら、小さく息を吐いた。
「……私も、勝ったらそうしようと思っていたから」
「えっ?」
誠治が目を瞬かせると、冬美は慌てたように付け足した。
「そ、その、どういうものか気になっていただけだからっ!」
「お、おう……」
誠治は曖昧に答えた。
冬美の誤魔化しようのないほどに赤くなった頬を前にして、気の利いた返事などできるようはずもなかった。
「じゃ、じゃあ、行くか」
「そ、そうね。さっさと済ませましょう」
二人は互いに頬を染めたまま、ややぎこちない雰囲気で、プリクラ機へと歩き出した。
無事に(?)プリクラを撮り終えた後、二人は施設を後にした。
最寄駅の改札を抜けると、夕焼けが街を包み、徐々に夜の気配が近づいている。
誠治は「今日はなんか、あっという間だったな」と思いながら、隣を歩く冬美の様子をちらりと盗み見た。
(……ん?)
なんとなく、冬美の歩く速度が遅くなっていることに気づく。
普段ならスタスタと先を歩く彼女が、今は少しだけペースを落としていた。
「冬美。疲れたのか?」
「えっ? ……えぇ、そうかもしれないわね」
冬美は一瞬だけ驚くように目を見開いた後、視線を逸らして曖昧に肯定した。
選手権開幕からここまでの三週間ほどは、本当に激動だった。
(そりゃ、疲れてても仕方ねーよな……)
手も繋げたし、プリクラも撮れたし、ここら辺で引いておくべきかもしれない——。
誠治はそんなことを考えていると、不意に、冬美が繋いでいる手に少しだけ力を込めた。
「……えっ?」
誠治が思わず冬美に視線を向けると、彼女はふいっと視線を逸らした。
——ふわりと舞う髪の間から見えた耳は、うっすらと赤みを帯びていた。
(ま、まさか……⁉︎)
誠治の中に、一つの可能性が浮かんだ。
それに背中を押されるように、彼は勇気を出して言葉を紡いだ。
「あ、あのさ、冬美。今日はもうちょい一緒にいたいんだけど……ダメか?」
「……えっ?」
冬美がぴたりと足を止めた。
しかし、彼女は誠治を見ようとはしなかった。
「い、いや、なんかその、ほら! せっかくのデートだし、もうちょい……」
誠治の言葉は尻すぼみに小さくなった。
無言の空気に耐えられず、誠治が発言を撤回しようとした、そのとき。
「……ゆ、夕飯までなら、付き合ってあげてもいいわよ」
冬美が、囁くように呟いた。
「っ……!」
誠治はその言葉に、一瞬だけ思考が止まる。
じわじわと喜びが広がり、気づけば笑みがこぼれていた。
「マジで⁉︎ いいのか⁉︎」
「しょ、勝利報酬もかぶっていたし、特別よ」
冬美は言い訳がましく早口で言うと、誠治の手を引き、さっきまでとは対照的にスタスタと歩き出した。
「お、おい冬美っ」
誠治が慌てて横に並ぶと、冬美はサッと顔を背けた。
それが顔を見られたくなかったからなのか、はたまた別の理由があるのかはわからないが、ネガティヴなものでないことは誠治にもわかった。
冬美も、自分と同じ気持ちでいてくれた——。
そのことが、誠治にはたまらなく嬉しかった。
「冬美っ、さっさと行こうぜ!」
「ちょ、ちょっと、そんなに急いだら危ないわよっ」
そんなやり取りを交わしつつ、二人は久東家を素通りして縢家に足を踏み入れ、誠治の部屋を目指した。
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