第289話 今大会初めての
試合前の予想通り、桐海戦は開始直後から難しい試合展開になった。
巧は細かくポジションを変えつつ、味方とワンタッチのパス交換を繰り返しながら、隙を窺っていた。
咲麗は、この試合も四枚のディフェンスを並べていた。
配置はおおよそこれまで通りで、引き続き林ではなく大介が先発している。
左サイドバックの馬場がポジションを上げ、左サイドハーフの水田をサポートする動きを何度か見せた後、いきなり中のスペースに入り込んだ。
「中入ってきたぞ!」
桐海の選手の目が一瞬彼に釘付けになったところで、水田がその脇をすり抜けるように飛び出した。
(よしっ、これで馬場さんと水田さんに注目が集まったはずだから、西宮先輩がフリーで飛び出せる——)
「西宮が来るで!」
「——なっ⁉︎」
今泉の声が聞こえて、巧はパスを出すのをキャンセルした。
次の瞬間には、彼は自分の作戦が読まれていたことを悟り、仕切り直そうとしていた。
——しかし、そのコンマ数秒の硬直を見逃してくれるほど、巧のマークは甘くなかった。
「隙ありですごめんなさい!」
「あっ、やばっ!」
神楽が詰めてきている——。
そう巧が気づいたときには、すでにボールを奪取されていた。
「カウンターや!」
「「「おう!」」」
まるでその展開を予期していたかのように——実際、備えていたのだろう——、桐海の選手たちは一気に走り始めた。
しかし、咲麗の意表を突いたかに思われたそのカウンターは、武岡が素早く対応したため致命傷にはならなかった。
「ありがとうございます、武岡先輩!」
「切り替えろ」
プレーが途切れたところで巧がお礼を言うと、一言、鋭い答えが返ってきた。
「はいっ!」
巧はうなずいてみせた後、今泉に目を向けた。
彼は視線に気づくと、一瞬だけ表情を緩めた後、すぐに味方に指示を飛ばし始めた。
(……なるほど。本当に研究してきたんだな)
今の一連の流れだけで、それはわかった。
当てずっぽうではない。今泉は完璧に巧の思考をトレースしていた。
(作戦をここまで読まれたのは、今大会初めてかも。やっぱりすごいな、腹黒メガ——今泉さんは)
危機感を覚えると同時に、巧はなんだか嬉しくなった。
これまでのサッカー人生で、ここまで対策をされたことなどなかったからだ。
そして、同時に心に決める。
絶対に裏をかいてやる——と。
今泉は、巧のことをよく研究しているだけではなく、おそらく元の思考法そのものが似ている。
だからこそ、負けたくなかった。
しかし、巧の決意とは裏腹に、咲麗はその後も攻めきれない時間帯が続いた。
巧の撒いたタネを、ことごとく今泉が潰したためだ。
司令塔が機能しなければ、チームは波に乗れない。
ダブルエースと称される真も誠治も、二人に近い実力を持つ水田も、今のところは目立った活躍を見せていなかった。
青葉とは正反対の、巧封じを最優先にした桐海の戦術は、完璧にハマっていると言えた。
しかし、前半が二十分ほど経過したころ、今泉は違和感を覚えた。
(なんでや? 巧君を封じて咲麗の攻撃は停滞してるはずなのに、なんでウチも攻めれてないんや?)
本来なら、咲麗のような攻撃型のチームは、攻撃が機能しなければ守備にもほころびが生じるはずだ。
しかし、咲麗の守備は前回対戦時と比べて、いや、つい二日前の青葉戦とも比べ物にならないほど強固になっていた。
結果として、咲麗の攻撃をシャットアウトしているにも関わらず、桐海もチャンスらしいチャンスを作ることができていなかった。
(どうなってるんや……)
今泉は咲麗の選手たちの動きを観察した。
そして、一つの変化に気づいた。
(武岡と西宮の巧君をカバーする動きが、一昨日よりも格段に洗練されとる……! まさか、この短期間で修正してきたっちゅーのか⁉︎)
——今泉の読みは当たっていた。
真と武岡の部屋に巧も交えた三人で集まったとき、彼らは徹底的に守備の連携について話し合っていたのだ。
まさかこの三人でサッカーの話をする日が来るとは思わなかったと、巧が密かに感動していたのは余談である。
そして、今泉は同時に気づいた。
ほとんど攻めれていないにも関わらず、咲麗の選手たちにそこまで焦りが見えないことに。
(そういえば、最初のカウンターでも、武岡の対応は準備してたんかってくらい素早かったし、巧君も動揺はしていたけど、ショックを受けている様子はなかった。その後もすぐに立ち直っとったし……)
そこまで考えて、今泉は目を見張った。
「まさか、読まれていることすら読んでたって言うんか……⁉︎」
今泉は先の先まで読まれていた事実に、驚愕を通り越して寒気すら覚えた。
しかし、やることは変わらない。咲麗の攻撃を封じることができているのならば、自分たちは攻めるのみだ。
変わらないのは狙いも同じだ。いくら武岡と真がフォローしているとはいえ、守備において巧が弱点であることは変えようのない事実なのだから。
そのことは今泉だけではなく、桐海の選手たちも承知していた。
「抜きますごめんなさい——あっ!」
巧を交わした直後の神楽に、真がスライディングを仕掛けた。
神楽は転倒したが、真の足はしっかりとボールを捉えていたため、笛は吹かれなかった。
その後も桐海は、神楽と巧のマッチアップを軸に攻め立てたが、真と武岡を中心にまるで巧を守るように連動している咲麗守備陣を崩すことはできなかった。
「落ち着け! 咲麗の攻撃は封じてるんや! 無理する必要はないぞ!」
今泉のその指示は的確だったが、裏を返せば、彼がそんな指示を出さなければならないほど、桐海の選手たちは焦りを覚えていた。
守れてはいるが、攻めれない。
どちらのチームも同じような状況だが、咲麗は最初からこの展開を予想していた分、余裕があった。
——その精神的なゆとりの違いは、間もなく表面化した。
(くそっ、ウチのほうが押してるはずなのに……!)
桐海の右サイドバックの江東は、歯痒さを覚えていた。
今泉からのパスを引き取り、前を見る。
——その瞬間、これまでは距離を保ちながらパスコースをふさぐことを優先していたはずの水田が、猛然と距離を詰めてきていた。
(なっ、こいついきなり……!)
江東は必死にパスコースを探した。
真も連動して前に出てきていたため、一番近くのボランチへの道は消されていた。
(やべえっ……! あっ)
焦る江東の視界に映ったのは、近寄ってくる神楽の姿だ。
「あかん、江東!」
「——えっ?」
今泉の声が届くころには、江東の足からボールは離れていた。
そしてそれは、神楽に届く直前にカットされた——どこからともなく現れた、巧によって。
「しまっ——」
「カウンター!」
巧の声で、咲麗の選手たちは一斉に走り始めた。
(ウチの最初のカウンターと似たような状況っ……! くそっ、どうくるんや!)
咲麗が突然守備のギアを上げたのは、完全に予想外だった。
守備陣形も整っていない中では、今泉も巧の狙いを絞りきれなかった。
——それこそが、巧の狙いだった。
もちろんこれまで通りのスタイルで今泉の裏をかければそれでよかったが、それが無理なら攻撃ではなく守備で仕掛けることを考えていた。
巧は自分を中心としたワンツーで桐海守備陣を切り裂くと、キックフェイントから周りを使うそぶりを見せた。
「縢、ちゃんと見とけよ!」
「水田もあるぞ!」
「西宮の飛び出しにも注意しろ!」
さすがは桐海というべきか、予想外のカウンターを食らっても、各々が自分の役割を理解して、しっかりと巧のパスコースをふさいだ。
神楽も背後から迫ってきていた。
(なら、こうしてみよう)
巧は腕で神楽をブロックしながら、ドリブル時にボールを押し出すようなフォームで、トーキックのシュートを放った。
「えっ……なっ⁉︎」
シュートとは本来、しっかりと振りかぶって打つものだ。
ドリブルの体勢のまま放たれたそのシュートに、桐海のキーパーの反応が遅れた。
勢いこそなかったものの、意表をついたトーキックのシュートは、キーパーの指先をかすめてそのままゴール左隅に吸い込まれた。
「「「おおおおおー!」」」
「すげえ!」
「咲麗、如月の今大会初ゴールで先制だ!」
「ドリブル姿勢のまま⁉︎」
「W杯のオスカルじゃねーか!」
「クロアチア戦を思い出したぜ!」
会場が熱狂に包まれる中、咲麗の選手たちは一斉に巧のもとへと駆け寄った。
「ナイッシュー、巧!」
「詰まったと思ったら自分でいくかよ!」
「おしゃれに決めやがって!」
味方からの手荒い祝福を受けて、巧は満面の笑みを見せた。
「キャー、巧先輩! かっこかわいい!」
——ベンチの香奈は、完全にファンと化していた。しかし、それは仕方のないことだろう。
何せ、アシストはしても滅多に自分で決めることはない恋人の、嬉しい大会初ゴールなのだから。
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