第250話 逃げてんじゃねえぞ
「見たことねえ名前とアイコンだが……知り合いか?」
武岡が訝しげに眉をひそめて問いかけると、真は無表情のまま首を横に振った。
「いや、勝手に友達追加されていた」
「……それで来てみたら取り巻きどもがこいつらを襲っていて、お前はただそれを見てたってわけか——ハッ」
乾いた笑いとは裏腹に、武岡の目には怒りが宿っている。彼は一歩、真に詰め寄った。
「何がしてえんだよ、お前は。いいか? この場にいた時点でお前にだって飛び火するんだ。退部、いや、下手すりゃ退学だってありえるぞ」
真は頬をぴくりとも動かさない。
武岡がスッと瞳を細めた。信じられないといった表情で続けた。
「お前、まさか……もうサッカーができなくなってもいいってのか? ——たった一回、完璧に抑え込まれただけで」
「っ……」
一瞬、真の口元が引き攣った。すぐに無表情を取りつくろったが、わずかでも反応したこと自体が彼の内心を表していた。
「……ふざけんじゃねーぞ」
武岡が絞り出すように言った。その声は胸の内で渦巻く激情を抑えるように、わずかに震えていた。
「負けたなら、次は勝てばいいだろうが。事実、これまでそうしてきたんじゃねえのか? 一年のころ、三年のエースに負けたときだって、しつこく仕掛けてやり返してたじゃねえか」
武岡の声が徐々に熱を帯びていく。
「如月にポジション奪われた後も、ベンチに降格したって文句も言わずにプレーし続けてたじゃねえか。先発で出せって直訴しなかったのも、取り巻き二人みてえに不貞腐れずにいつも通りに練習していたのも、お前がサッカーに対する絶対的な自信とプライドを持ってたからだろうが!」
武岡は指先で真の胸を押しながら、打って変わって静かな口調で、一言一言噛み砕くように言った。
「——そこは、何が何でも貫き通せよ」
真は何も言わないが、その拳は硬く握りしめられ、小刻みに震えていた。
風が茂みを揺らし、乾いた葉音が響いた。
やがて、武岡は呆れたようにため息を吐いた。
「……いい加減、少しは大人になれよ西宮。そもそもお前はあの留学生にやられるより先に、如月に負けてんじゃねーか。白雪も親衛隊の一部もこいつが取ったし、何よりポジション争いに関してはお前の完敗だろ」
「っ——」
真の視線が一瞬だけ鋭くなった。
武岡は意に介した様子もなく言葉を紡ぐ。
「選手としてのタイプが全く違うとか、如月のプレーは特殊すぎるとか、監督に気に入られているだとか、そんな言い訳を心の支えにしてたのかもしれねえが、普通に如月が出てるときのほうがチームとして強かっただろ。お前だってわかってたはずだ。一度試合を見ただけの俺にも一目瞭然だったからな」
真が思わずと言った様子で視線を逸らし、唇を噛みしめた。
——それが答えだった。
武岡がその胸ぐらを掴み、語気を強めて訴えかけた。
「あの留学生や如月だけじゃねえ。お前より強え選手なんて全国、ましてや世界にはゴロゴロいるんだよ。くだらねえちっぽけなプライドにすがってねえで、いい加減現実と向き合えよ——いつまでも逃げてんじゃねえぞ」
「っ……!」
真が目を見開いた。無表情の仮面はすっかり取り払われていた。
武岡の熱い言葉が、真の凍ってしまった心を溶かしているようだった。
僕が話してもいいですか——。
巧は控えめに手を上げて、武岡の視線を引きつけた。
武岡は一つ息を吐いて、真から手を離した。
一歩退いた彼の代わりに、巧は真の前に立った。
「如月……」
真の声はかすれていた。これほどまで弱々しい彼を見るのは初めてだった。女子が「王子様〜!」と熱狂する面影はどこにもない。
巧は言葉を選ぶように一度視線を彷徨わせてから、再度真を見た。
憎悪か嘲りに染まっていない西宮先輩の眼を見るのは初めてだな——。
そんなことを思いながら、静かに口を開いた。
「僕も、西宮先輩はしっかり向き合うべきだと思います。現実もそうですし、何より——サッカーを好きなご自身と」
「っ……!」
真の表情が一瞬止まり、かすれた声が漏れた。
「サッカーが好き……俺が?」
「はい。僕はそう確信しています。西宮先輩には香奈をめぐってちょっかいを出されることも多々ありましたが、サッカーで私情をぶつけてくることはありませんでしたから」
巧は今なお体を震わせている広川と内村に目を向けた。
「ただただ僕のことが憎かったなら、彼らのように練習中に嫌がらせをする手だってありましたし、削ってもよかったはずです。でも、先輩はサッカーで仕返しをしようとはしなかった。それどころか僕を削った相手に報復をした。あれは味方が怪我させられたからではなく、サッカーを冒涜されたから怒ったのでしょう?」
「っ……!」
真の瞳が落ち着きなく左右に揺れた。その唇はギュッと引き結ばれていた。
武岡が巧の横に並び、言葉を引き継いだ。
「西宮、お前は根本的にサッカーが好きなんだよ。そうじゃなきゃ抑え込まれて自暴自棄になるはずもねえし、そもそも好きでもねえやつが、サブに降格してからも毎回の練習に真面目に取り組めるはずねえだろうが。お前のようなプライドの高えやつならなおさらだ」
一度道を踏み外してから再びサッカーへの情熱を取り戻した武岡だからこそ、その言葉には説得力があった。
「今年の夏のインターハイで二対三で負けたときだってそうだ。お前はチームの全得点を挙げていたし、勝っていれば間違いなくMVP級のプレーだった。自分が気持ち良くなりたいだけなら満足のいく試合だったはずだ。それなのに試合後、全然楽しそうじゃなかった。むしろ悔しそうだった——そういうことだろ」
武岡の口調は、小さな子供を諭す大人のそれだった。
「西宮、お前は王子様じゃねえよ。お坊っちゃまだ。みみっちいプライドを優先して、本来なら掴めたはずの楽しいサッカーを捨ててるんだからな」
真は瞬きすらするのを忘れているようだった。一気に情報を流し込まれてショートしてしまった電子機器のように、微動だにせず呆然としていた。
武岡が腰に手を当てたまま、もう片方の手で後頭部を掻いて軽く息を吐いた。
「……まあ、これでお前が『はい、そうでした』って素直に認めても気持ち悪いからな。せいぜい自分の内側と対話しとけ。それよりも——」
武岡が表情を引きしめ、広川と内村に鋭い目を向けた。
彼らはライオンに睨まれたチワワのようにビクッと身を震わせた。どちらも泣き止んでいた。
「まずはお前らだ。裏に黒幕がいるのはわかってんだよ。吐け」
「っ……」
二人は武岡の圧に怯えたように体を震わせたたが、なんとか言い逃れをしようとする小学生のように、頼りなさげに顔を見合わせるのみだった。
武岡が腹立たしげに舌打ちをして、詰め寄ろうとした。その前に巧が静かな声を上げた。
「広川先輩、内村先輩」
彼らはノロノロと顔をあげた。
武岡のプレッシャーから逃れられたからか、巧の穏やかな表情にほんの少しだけ安堵する様子が見られた。
(……よし)
——巧の作戦通りだった。彼はあえて柔らかい雰囲気を出していたのだ。広川と内村に油断をさせるために。
心の準備をする余裕など与えず、巧はその名前を告げた。
「青山志保先輩、ですよね?」
「「っ……!」」
広川と内村が息を詰まらせて目を見張った。
彼らは口をぽかんと開けたまま石像のように凍りついていたが、その驚愕に染まった表情こそが雄弁に真実を物語っていた。
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