第247話 王子様が練習に来ません
冬美が誠治に対して言ったように、プレミアファイナルでは敗れたとはいえ、まだ選手権が残っている。
咲麗高校サッカー部に立ち止まっている暇はなかった。
しかし、一つの緊急事態が発生していた。真が練習に姿を現さないのだ。
「真君、どうしたんだろう……」
「学校にも来てないんだよ……」
プレミアファイナルが行われた土曜日以降、真親衛隊はすっかり意気消沈していた。
志保などはリーダーとしての責任からか「信じて待とうよ」などとポジティヴな声掛けをしているが、士気を取り戻すには至っていない。
ジョージに負けてショックで寝込んでいるのだろう、という説が一般的だった。
だが、真のまるで死人のような虚ろな表情を見ていた巧と香奈には、ある種そんな可愛らしい理由だとは思えなかった。
「もっと寄せろ広川!」
「内村、さっきから球離れ悪いぞ!」
真の取り巻きである広川と内村は練習に参加していたが、気もそぞろで低調なプレーに終始していた。
チームとしては危機的状況であるが、ボランチを主戦場とする控えの蒼太や優にとってはチャンスとも言えた。特に優は人一倍気迫のこもったプレーを見せていた。
練習の合間、あかりが柔らかな微笑みを浮かべつつ、ボトルを手に軽やかな足取りで優に近づいた。
「お疲れ様です、優君」
優は少し汗ばんだ手でそれを受け取り、「あぁ、サンキュー」と短く返した。
彼がボトルを口元から離すと、あかりが話しかけた。
「すごく気持ちが入ってますね、優君」
「まあ、チームとしてはやべえけど、俺個人としてはチャンスだからな。それに、なんつーか、その……」
少し言い淀んでから、優は視線をあかりに向けた。
「改めてあかりが気持ちを伝えてくれたあの日から、無限に力が湧いてくるっつーか」
「っ……!」
あかりの瞳が一瞬驚きで見開かれた。頬もみるみる赤色に染まっていく。
一度瞳を伏せてから、また優を見上げた。落ち着かない様子で髪の毛先をいじりながら、照れくさそうにはにかんで、言った。
「その、優君の力になれているなら嬉しいです。一生懸命頑張る優君のこと……応援してますから」
「っ——」
上目遣いで微笑みかけられ、優は息を呑んだ。
照れたように後頭部を掻いて明後日の方向を見やり、それでも頬を緩めて「おう」とうなずいた。
ふいに、あかりが手を差し出した。その手は握りしめられている。
「どうした?」
「そ、その、グータッチしませんか? 如月先輩と香奈がやっているのを見て、ちょっといいなって思ってたので……」
「っ……! あ、あぁ、もちろん」
優は恥ずかしそうに頬を掻くあかりに「可愛すぎかよ」と心の中で一人ごちりながら、自らも拳を差し出した。
「頑張ってくださいねっ」
「おう!」
コツンという軽やかな音が響いた。
あかりは合わせた拳をじっと見て、嬉しそうに目を細めた。そのいじらしい様子に、優は自然と口元を綻ばせた。
——笑顔になっていたのは彼らだけではなかった。
「なんか、ああいうの見てるとすごいムズムズしますね」
巧が何の気なしにつぶやくと、近くにいた三年生の林が恨めしそうに、
「やっとわかったか俺たちの気持ちが」
「でも悪い気はしませんね。微笑ましい気分になります」
「彼女持ちは余裕あんなぁクソが」
林が本当に悔しそうにこぼした。笑いが起きた。
それにしても、とキャプテンの飛鳥が切り出した。
「優は順調に巧の後を追ってるな。ポジションもサイドから中央にコンバートされたし、一個下の彼女作ってイチャついてるし」
「僕らはあそこまでじゃないと思いますけど」
「「「あれ以上だよ」」」
林や飛鳥のみならず、二人の会話を耳に入れていた者たちから一斉にツッコミが入った。
巧が「そうなんですか?」と首をひねると、あちこちで呆れたようなため息が漏れた。
「香奈ちゃんも大変だね」
マネージャー長の愛美に微笑ましい笑顔を向けられ、香奈は「あはは……」とほんのり気まずそうに笑った。
腕時計に目を落とす。
「あっ、巧先輩。そろそろ病院の時間です」
「わかった」
巧が松葉杖を使って立ち上がった。「早く治せよ!」「焦りは禁物だけどなー」というチームメイトの声を背中に受け、彼と香奈は並んで歩き出した。
グラウンドではシュート練習が始まった。
広川と内村が連続して宇宙開発——ミートし損ねてクロスバーのはるか上に外れること——をしているのを横目に、芝生を踏みしめる。
当初は巧が歩けるようになったら一人で向かう予定だったが、香奈は京極に掛け合って送り迎えをする許可をもらった。
(単純に怪我人を一人で歩かせるのは心配だし、西宮先輩だってどうしているのかわかんないんだから、なるべく巧先輩に付いていないと……ん?)
ふと、志保が視界に入った。
こちらに視線を向けていたようだが、すぐにサッと視線を逸らした。
「どうしたの?」
「青山先輩がいたので……ここ数日くらい、あんまり話しかけてきませんね」
「そうだね。僕たちにも良くしてくれているとはいえ、西宮先輩推しだからやっぱりショックなんじゃないかな」
「ですね。それか、前の陰口が聞こえてたのかも」
「確かにその可能性もあるね」
以前、ある女子の集団が「巧と志保がデキているのではないか」と噂をしていた。
志保は真推しであるのみならず彼の親衛隊のリーダーであるため、そんな噂がこれ以上広まらないように距離を置いているのかもしれない。
「そういえば巧先輩、昨日の夜にやっていたアーセナルの試合なんですけど——」
何気ない雑談を交わしながら、二人はゆっくりと歩を進めた。
学校から病院までの最短ルートには、周囲が木々に覆われた公園がある。
そこを突っ切っている途中に、巧が突然足を止めた。
「巧先輩? どうし——」
「香奈、後ろっ!」
巧が叫んだ瞬間、背後からガサガサと茂みをかき分けるような音が聞こえた。
(何っ……⁉︎)
香奈が振り返ろうとした瞬間、鋭い動きで伸びた手が彼女の息を止めた。
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