第244話 あかりの伝えたいこと
もちろん誠治だけではない。特に試合に出場した者たちにとって、洛王戦の敗北は精神的ショックが大きかった。
実際に対戦して実力差を肌で感じ取っていたからだ。
優は会場の近くの公園のベンチに座って、頼りなさげに背中を丸めていた。
とても真っ直ぐ帰路に着く気にならなかった。隣にはあかりが座っていた。
「俺、全然何もできなかったっ……」
優が絞り出すように言った。涙こそしていないが、唇を噛みしめた表情には悔しさがにじんでいた。
あかりはその横顔に向けて口を開きかけたが、何も言わなかった。
でも、アシストしたじゃないですか——。
慰めるのは簡単だったが、そうはしなかった。重要なのはおそらくそこではないからだ。
代わりに、ポツリと言った。
「私、未完成交響曲好きなんですよね」
「……えっ?」
突然ワンオクの曲が好きだと語り出したあかりに、優は目を瞬かせた。
あかりは前方を見たまま、穏やかな口調で続けた。
「特に一番のサビにかけての歌詞が本当に好きで。『百点じゃないこの僕に百点をつけるのは他でもない僕自身だ』って部分に何度も励まされてきました。でも、それが難しいことだってあると思うんです。だから——」
あかりが言葉を切り、優に視線を向けて頬を染めつつ微笑んだ。
「もし優君が今そうなっているのなら、私が代わりに百点をつけてあげます」
「あかりっ……」
優の声はかすれていた。
あかりは照れくさそうにはにかみつつ、おずおずとその頭に手を伸ばした。
「今日の優君は満点です。自分のできることを精一杯やっていた。格好良かったですし、何より素敵でしたよ」
あかりは子供を褒めるようにヨシヨシと優の頭を撫でながら、穏やかな笑みを浮かべて、
「——よくがんばりましたね」
「っ……!」
優の瞳に雫が盛り上がった。
そっぽを向こうとする彼を、あかりはそっと胸元に抱き寄せた。
「あ、あかりっ?」
「大丈夫ですよ。これで見えませんから」
「っ——」
——優は息を呑んだ。頭上で響いた優しい言葉は、彼女の前だからという彼のプライドを容易く溶かした。
肩の力を抜いてあかりに体を預け、悔しさを絞り出すように静かに嗚咽を漏らした。
——あかりは柔らかい眼差しで、優の後頭部を見つめた。
少しでも、この人の力になりたい。そんな思いを胸に、震える彼の体を包み込むように抱きしめた。
彼女が香奈を好きなことが判明して以降、優はキスどころかハグもしてこなかった。
久しぶりの彼の体温を全身に感じつつ、そっとその背中を撫でた。
泣き止んだ優は、顔を上げてバツが悪そうに謝罪の言葉を口にした。
「悪い。服汚しちゃって」
「気にしないでください。私が自分で選んだことですから」
あかりはシャツの胸元をチラリと見やってから、ひまわりのようにふんわりと優しく微笑んだ。
優は頬を染めたが、すぐに気まずそうな表情を浮かべてうつむいた。
「……俺、あかりに格好悪いところを見せてばっかだな」
「格好悪くなんかありません!」
あかりは鋭くピシャリと言い放った。
その声にハッとして顔を上げる優に、熱い口調で言葉を重ねた。
「悔し泣きをするくらい真剣に何かに打ち込めるっていうのは素晴らしいことですし、なかなかできることじゃないです。むしろ私は……優君のそういうところ、すごく格好いいと思います」
「っ……! そ、そうか」
優の頬がさらに赤くなった。
(優君っ……)
あかりの心臓がトクンと高鳴った。胸の内がポカポカと暖かくなる。それ以上に頬は熱くなっていた。
意を決したように、彼女は一気に優との距離を詰めた。ベンチに置かれていた彼の手を上から包み込むように握り、そっと体を寄せた。
「あ、あかり?」
優は肩をぴくっと震わせ、戸惑いの声を上げた。
あかりは一度瞳を伏せた後、決意のこもった眼差しで彼の瞳を射抜いた。
「優君。こんなタイミングで申し訳ないんですけど、伝えたいことがあります……聞いてもらえますか?」
「……あぁ、聞くよ」
優はたじろぎつつもうなずいた。
「ありがとうございます」
あかりは前方に視線を向け、ゆっくりと深呼吸をした。
(優君、温かい……)
右半身に感じる彼の体温は、あかりの胸を切なく締め付けるのと同時に安心感を与えてくれた。
自分を落ち着かせるようにもう一度深呼吸をしてから、静かな口調で語り出した。
「ご存知の通り、私は香奈のことが好きでしたし、その想いも苦しみも本物でした。でも、同性の親友を好きだっていう特殊な環境ゆえに、どこか自分を悲劇のヒロインのように捉えて勝手に拗らせちゃってた部分があったんです。今思うと自分でも馬鹿だなって思います」
あかりは苦笑した。
言葉こそ自嘲気味だが、表情はどこか晴れやかだった。
「その証拠に、香奈に伝えて受け止めてもらったあの日から、自分でもびっくりするくらい心に余裕ができたんです。あれ以降、自分は特殊なんじゃなくてただ失恋しただけなんだって思えるようになって、より優君のことも見れるようになりました。そしてようやく、本当に私のことを好きでいてくれてることに気づけたんです」
「……まあな」
照れくさそうに頬を掻く優を目を細めて愛おしげに見つめてから、あかりは続けた。
「最近は香奈とも普通に友達感覚でお話しできてますし、如月先輩とイチャイチャしているのを見てもあんまり何も思わなくなりました。その代わりに、その……」
あかりはうつむいた。耳まで真っ赤になっていた。
何かを決心したように顔を上げ、照れたようにはにかんで言葉を続けた。
「ま、優君と何を話そうとか、そういうのばっかり考えちゃってるんです」
「えっ——」
優は驚きで瞳を見開いた。
あかりの頬は高熱を出しているかのように上気していた。目元を赤らめ、潤んだ瞳で真っ直ぐ彼を見つめる。
緊張をほぐすように息を吐いてから、一番伝えたい言葉を口にした。
「酷いことをしたのに、ずっと好きでいてくれてありがとうございます。今なら自信を持って言えます。優君、好きです。誰よりも大好きです」
「っ……あかり!」
優は感極まってあかりを抱きしめた。
(やっと、やっとこのときが来たんだ……!)
彼の胸は喜びに打ち震えていた。
あかりが香奈のことを忘れるまで、手を繋ぐ以上のことはしないと決めていた。
それが今、何の気後れもなく彼女を腕の中に閉じ込めることができている。まさに天にも昇る思いだった。
思わず叫び出したくなるような充足感が溢れてくる。これまで感じてきた寂しさも試合に負けた悔しさも、全てがポジティヴなエネルギーに変換されたようだった。
あかりも優の背中に腕を回し、しっかりと抱きしめ返した。目元を細め、優の胸に頬を寄せる。
(優君の、匂い……)
制汗剤の爽やかな香りの中にもほのかに汗の匂いが混じっていたが、そんなものは全く気にならなかった。むしろ、それさえも愛おしく感じられて胸が震えた。
「言葉にしてくれてありがとな、あかり」
「私のほうこそ、待っててくれてありがとうございますっ……!」
それぞれを包む腕にさらに力がこもる。
二人はしばらくの間、無言のままお互いの体温を感じていた。
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