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第242話 俺が忘れさせてやる

 香奈(かな)が勉強の成果が出なくて落ち込んでいた頃、反対に誠治(せいじ)は得意げな笑みを浮かべていた。

 冬美(ふゆみ)の家のリビングで、午後の授業で返却されたばかりの数学のテストを誇らしげに彼女に渡す。


「どうだ! 八十一点だぜ! 他も全部赤点じゃねーし、これで条件クリアだろ?」


全て赤点ではなく、一教科が八十点を超えた場合に手作りクッキーを作ってもらう——そんな約束を冬美と交わしていた誠治は、自信満々だ。

 冬美は一瞬だけ頬を緩めたが、すぐに澄ました表情に戻った。


「……まあ、あなたにしては頑張ったんじゃないかしら。条件も確かにクリアしているわね」

「だろ? これでクッキーが食べられるってわけだな!」

「っ……」


 誠治がニカっと笑って期待に瞳を輝かせると、冬美はわずかに視線を揺らした。

 だが、その様子に誠治が気づくより早く、彼女は立ち上がり、台所へ向かいながら淡々と言った。


「仕方ないわね。約束だから。ちょっと待っていなさい」

「えっ?」


 驚いた誠治の声には振り向かず、冬美は足早に台所へ向かった。

 左右に揺れる髪の毛からのぞくその耳は、ほのかに赤く染まっているように見えた。




 数分と経たないうちに、冬美はタッパーを持って戻ってきた。

 中には、形の揃ったクッキーが整然と並んでいる。テーブルにそっと置くと、いつも通りの落ち着いた声で言った。


「これよ」

「うおっ! なんだこれ、すっげえ綺麗じゃん!」


 誠治が興奮気味に身を乗り出すと、冬美はわずかに視線を逸らしながら、そっと髪を耳にかけた。


「前回より少し練習しただけよ。それだけの話」

「さすがだな! つーか、もしかして作っといてくれてたのか?」


 タッパーを開ける冬美の手が一瞬だけピタリと止まった。

 すぐに動きを再開し、彼女は早口で言った。


「か、勘違いしないで! あなたがもし条件をクリアできなかったら家族と食べていただけの話よ」

「そっか。あぶねー! んじゃ、いただきまーす!」


 クッキーを一つ手に取るや否や、誠治は一口で頬張った。

 その瞬間、目を見開いて大きくうなずいた。


「……うめえ! なんだこれ、完璧じゃねえか!」


 子供のように感動の声を上げながら次のクッキーに手を伸ばす誠治の姿に、冬美の手がピクリと震えた。

 彼女はふぅ、と息を吐いた後、軽く肩をすくめて呆れたような口調で、


「少し大袈裟だと思うのだけれど」

「いや、マジでうめえんだって! お前も食ってみ?」


 誠治はまるで親からもらったおもちゃを自慢するように、冬美にクッキーを差し出した。

 冬美は躊躇いがちに受け取り、一口かじった。


「……まあ、美味しいけれど」

「だろ?」


 誠治はなぜか得意げにニカっと笑った。

 冬美はポロッとクッキーを取り落とした。床に衝突し、破片が飛び散る。


「おっ、珍しいな。大丈夫か?」

「ちょ、ちょっと手元が狂っただけよ」


 早口でそう言い、冬美はパタパタと掃除機を取りに駆けて行った。

 誠治は不自然な彼女の態度に首を捻ったが、すぐにクッキーに夢中になった。


 冬美が掃除機をかけ終わるころに、誠治もクッキーを食べ終えた。


「ふぅ、美味かった〜……な、なぁ、冬美」

「何?」


 冬美が流し目を向けてくる。

 誠治はグッと拳を握りしめて、ハッキリとした口調で言った。


「その、またいつか作ってくれねえか?」

「っ……」


 冬美がタッパーのフタを閉める手を止め、わずかに目を見開いた。

 タッパーを持って立ち上がり、誠治に背を向けて素っ気ない口調で言った。


「それはあなた次第よ」

「マジかっ、おっしゃ! 次も頑張るぞ!」


 誠治がグッと拳を握りしめた。


「……現金な人ね」


 誠治の様子を横目で観察していた冬美は、彼に聞こえないように小声でそっとつぶやいた。




 誠治は一度自宅に帰って夕食を摂った後、再び久東家を訪れていた。テストの復習のためだ。

 リビングはテレビが流れているため、冬美の部屋にお邪魔していた。


「理科の凡ミスが多いわね。その前の数学で手応えがあったら油断していたのでしょう」

「うっ……多分、そうっす」


 誠治は首をすくめた。最終日の一教科目が数学で、二教科目が理科だった。

 いつになく数学の手応えがあったことで舞い上がってしまっていた自覚はあった。


「まあ、それでも赤点ではなかったからいいのだけれど。一応やった成果は出ているようね」

「そうだな……ありがとな。冬美」

「な、何よ改まって」


 冬美が怪訝そうに眉をひそめて、誠治をちらりと見た。


「いや、いつも自分の勉強時間を削って教えてくれてんの、マジでありがてーなって思って。クッキーまで作ってくれたし」

「……別に、教えることも自分の理解を深めるために役立つし、クッキーもただの趣味の一環よ。あなたのためにわざわざしていることではないわ」

「それでも、俺がめちゃくちゃ助かっているのは事実だからさ。サンキューな」

「っ……!」


 誠治が少し照れたように笑みを向けると、冬美は小さく息を呑み、視線をテキストの方に逸らした。

 そのまま、彼女はポツリと言った。


「……その、私のほうこそありがとう」

「ん? 何がだ?」

「クッキーよ。あれだけ美味しいと言ってくれて……その、嬉しかったわ」

「っ……!」


 今度は誠治が息を呑む番だった。

 冬美の頬はほのかにピンク色に染まっており、逸らした瞳はわずかに潤んでいた。滅多に見せることのない女の子らしい表情に、誠治の心は容易く撃ち抜かれた。


 口元を覆い、視線を逸らす。


「ちょ、それはヤペえって……!」

「な、何がよっ?」


 冬美が動揺したように声を上げる。

 誠治は額に手を当てて、ぼそりと呟いた。


「か、可愛すぎるっつーの……!」

「なっ……⁉︎ ば、バカなこと言わないで!」

「バカなことじゃねーよ!」


 慌てて立ち上がり、部屋を出て行こうとする冬美の腕を、誠治は勢いよく掴んで引き留めた。


「ちょ、離しなさい!」

「離さねーよ!」


 誠治は彼女の腕を軽く掴んだまま、目を真っ直ぐ向けて言う。


「冬美、俺は決めたからな」

「な、何をよ?」

「お前への気持ちは、ちゃんと言葉にして伝えるって」

「っ……!」


 冬美が瞳を真ん丸に見開いた。

 呆然としている彼女は、誠治が手を離しても退出しようとはしなかった。


 誠治は高熱を出しているように顔が火照っているのを自覚しつつも、真っ直ぐ冬美を見つめたまま言葉を続けた。


「よく考えたら、俺がお前のことを好きなのはもう知られてんだから、恥ずかしがっても意味ねーよなって思ったんだよ。俺はお前のことが好きだし、お前に振り向いてほしいからな」

「っ……!」


 冬美の頬がみるみるうちに真っ赤に染まっていく。

 しかし、彼女はふとその表情に影を落とした。罪悪感を浮かべてうつむいた。


「……そうよね。誠治からしたら焦れったいわよね、今の状況は。ごめんなさい」

「お前が謝ることねーって。ずっと俺がウジウジしてんのが原因なんだからよ」


 誠治は笑い飛ばすように言い放った。

 顔を上げた冬美に、彼は真剣な表情に戻って続けた。


「でも、もうお前が(たくみ)のことを忘れるまで待たねーからな」

「えっ?」


 冬美の驚いた瞳を真っ直ぐ見据えて、誠治は続けた。


「俺が、巧のこと忘れさせてやる」

「っ……!」


 冬美の頬が急激に赤く染まった。

 彼女の唇が小刻みに震えるのを目にしながら、誠治は自らも頬が火照っているのを自覚しつつ微笑んだ。


「その表情、すげえ可愛いな」

「なっ、なっ……!」


 冬美は魚のように口をパクパクと開閉させた。顔を両手で覆い、声にならない呻き声を漏らした。

 普段は冷静な彼女の慌てた様子を見て、誠治は満足げに笑った。


「そんじゃ、とりま明日は洛王(らくおう)ぶっ倒してプレミア優勝すっから、ちゃんと見ててくれよ」


 冬美にビシッと指を突きつけ、誠治は部屋を出た。

 冬美の両親に挨拶をして久東家を出た瞬間、彼はその場にしゃがみ込んで頭を抱えた。


「なんだよ今のっ、恥ずかしすぎんだけど……!」


 積極的に行こうと決めたとはいえ、羞恥心が消えるわけではない。

 なんとかして自室に戻った誠治は、数分前に自分が放ったクサいセリフの数々が脳裏を反芻して、しばらくベッドの上をゴロゴロと転げ回っていた。


 ——頬を染めていたのは冬美も同じだった。

 しかし、彼女は誠治のように暴れ回ってはおらず、勉強机に突っ伏していた。


「はぁ……」


 思わずため息が漏れ出る。

 誠治からの二度目の告白と言ってもいい言葉を受けて、彼女は気づいたのだ。

 結局のところ、一度目の告白を受けても、自分がどこか誠治のことを幼馴染として見ていたことに。


(誠治は自分がウジウジしていたのが原因と言っていたけど、違うわ。今の中途半端な状況は、私が彼をちゃんと恋愛対象として見ていなかったからこそだもの)


 罪悪感と後悔が込み上げてくる。

 未だに答えが出せずに誠治を待たせていることも、そもそも彼のことをちゃんと考えていなかったことも、どちらも申し訳なく感じられた。


「……でも、いつまでも逃げているのではなく、しっかり向き合わなきゃダメよね。あいつのことを幼馴染ではなく、ちゃんと恋愛対象として」


 自分でつぶやいておきながら、冬美は恥ずかしさに頬を染めた。

 気持ちを切り替えるためにお風呂に入ろうと立ち上がった。

 湯船に浸かっていると、ふと誠治の言葉が蘇ってきた。


 俺が、巧のこと忘れさせてやる——。


「っ……!」


 入ったばかりだというのに、冬美の頬はのぼせたように真っ赤になった。


「どこで覚えたのよあんな言葉っ、バ(かがり)のくせに……!」


 冬美はザブンと湯船に潜った。

 結局その日は、普段の半分の時間も経たないうちに湯船から上がる羽目になった。


「冬美、のぼせたのか? 顔赤いぞ」

「だ、大丈夫よっ」


 事情を知らぬ父親に心配され、ますます頬を火照らせながら自室へと駆け込み、布団に飛び込んだ。

 ゴロリと仰向けになる。

 額に手の甲を当て、冬美は体に溜まった熱を逃すようにふぅー、と息を吐き出した。

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