第238話 俺たちは落ちこぼれなんだ
伊藤のプレーはどんどん荒々しさを増していった。
前半終了直前、再び大介にドリブルを奪われると、苛立ちを隠すことなく無謀なタックルを仕掛けた。
「うおっ……!」
大介はバランスを崩しながらもギリギリで踏みとどまった。
もしも彼が伊藤のラフプレーを予感していなければ、大怪我になっていてもおかしくはなかった。
主審はすかさず笛を吹き、伊藤にイエローカードを提示した。
「大介、大丈夫か⁉︎」
ベンチから監督の間宮の声が飛んでくる。
大介は腕で大きく丸を作った。
「今のはやべえだろ」
「あぁ。金剛が怪我してたら赤もあり得たぜ」
「伊藤陸……元から自己中な選手だとは思っていたが、あそこまで未熟だったとはな」
まばらな観客がざわつく中、プレーが再開した。
間もなくして、前半終了を告げるホイッスルが響いた。
「クソがっ——」
——バチン!
乱暴にベンチに腰を下ろした伊藤の頬を、鋭い痛みが襲った。
「何やってんだこの馬鹿野郎!」
「キャ、キャプテンっ……」
伊藤は自分の頬を打ったキャプテンの菅野を、呆然と見上げた。
これまでは自由にさせてくれていた彼に殴られたのは初めてのことだった。
「何相手の術中にハマって勝手にイラついてんだ! いいか、陸。相手は二軍とはいえあの咲麗なんだ。ミーティングでも言ったよな? 個々の力では勝てないかもしれないって」
「で、でも俺はあいつなんかより強い!」
「ならここまでのお前の散々なプレーはどう説明する?」
「そ、それはっ……でもっ!」
伊藤はなんとかして言い訳を探そうとした。
菅野はハァ、とため息を吐いた。
「陸。これまではお前のことを気遣って言ってこなかったが、もうそういう段階じゃねえから、この際はっきり言っといてやるぞ」
菅野の強い眼差しが伊藤を射抜く。
「——俺たちは、咲麗や桐海だったら一軍にも上がれない落ちこぼれなんだ」
「っ……!」
伊藤は目を見開いた。ぐっと歯を食いしばった。
反論しようとした。でも、言葉は出てこなかった。
彼もわかっていたのだ。自分がトップレベルではないことを。
菅野が例に挙げたようなプレミアリーグで凌ぎを削る全国常連の高校ではなく、一軍がプリンスリーグの二部に所属している準強豪の海里高校を選んだ時点でそういうことなのだ。
菅野は語気を和らげた。
「俺ら以上のやつらが全国にはゴロゴロいるっつーのに、ちょっと負けたくらいで何自暴自棄になってんだ? 自分が金剛より強いっていうなら、まずは冷静さを取り戻せ。周りを見ろ。これは一対一のトーナメントじゃねえ。十一人対十一人のサッカーの試合なんだ。どれだけドリブルを成功させようが負けたら何の意味もねえし、逆に無理に一対一で勝たなくても、チームが勝てばそれは俺たちの勝利だ。違うか?」
「……そうっす」
伊藤は静かに頷き、拳を握りしめた。
自分だけが咲麗や桐海レベルではないと言われていれば、きっと彼は反発しただろう。
しかし、菅野は「俺たち」と言った。
自分だけではなくチーム全員がそうであるという安心感が、伊藤の弱さを覆い隠していた無駄なプライドを溶かしたのだ。
「わかったならいい」
菅野は頬を緩めて伊藤の頭を叩いた。
「うちのエースはお前だ。後半逆襲するぞ。相手も余裕がなくなれば必ず一対一で仕掛ける場面は出てくる。借りはそこで返せばいい」
「わかったっす」
伊藤は覚悟を決めた表情で立ち上がった。
彼はハーフタイムで、花梨を含めて一度もマネージャー陣に話しかけなかった。監督がマグネットを動かす戦術ボードをジッと見つめていた。
「……ほう」
菅野が伊藤の頬を叩いたときはどうなるかと思っていたが、ハーフタイムが終了して自分のところへ向かってくる伊藤の表情を見て、大介は気を引きしめた。
今までの彼とは明らかに違う。これは少しでも油断をすれば負けてしまうだろう。
予想通り、後半の伊藤は前半の、いや、これまでの彼とは全く別人だった。
無理に仕掛けることはせず、冷静に味方を使う戦い方を徹底していた。球離れが格段によくなっていた。
彼の成長に合わせて、海里高校も尻上がりに調子を上げていた。
テンポの良いパス回しと時々挟まれる巧みな個人技に、咲麗Bは対応できていなかった。
——後半十分。
セットプレーの流れからとうとう失点をしてしまい、試合は振り出しに戻った。
「ここは耐え時やで! 集中切らすな!」
「「「おう!」」」
二瓶の声掛けで、咲麗Bはわずかに冷静さを取り戻した。
だが、流れは変わらなかった。勝たなければならない彼らと引き分けでも構わない海里高校では、精神的な余裕が違った。
そして決定的な場面が訪れた。
海里高校の攻撃陣が数的有利な状況での、伊藤と大介の一対一。
観客も盛り上がった。
「伊藤と金剛の一対一だ!」
「伊藤はどうする? パスか? ここにきて自分か?」
これまでの自己中心的なものとは違う柔軟さを見せる伊藤が、次はどんなプレーを選択するのか——。
咲麗Bの応援を除き、観客の瞳は期待に溢れていた。
「待ってたぜ、このときを……!」
伊藤はまっすぐ大介に仕掛けた。
だが、彼の目線は前半のようにただ一点を見つめていない。常にパスコースを探しながら駆け引きを仕掛けてきていた。
選択肢が絞りきれない状況では、ディフェンスは後手に回らざるを得ない。
(彼ならやはりドリブルが第一だろうが、今ならパスをしてもおかしくない……はっ!)
探るように慎重にドリブルをしていた伊藤が急加速した。
迷いが生じていた大介は、緩急についていくことができなかった。
「しまった……!」
他の選手も数的不利な状況だったため、大介のカバーに入れていなかった。
センターバックの彼が抜かれたということは、その後ろにはキーパーしかいない。
「キーパーとの一対一だ!」
「海里高校、逆転か⁉︎」
観客がわっと声を上げた。
(やり返してやったぜ……!)
伊藤は大介をかわした喜びに震えていた。
一方で、冷静に状況を見ていた。
(ここだ!)
飛び出してきたキーパーに一つシュートフェイントを入れて体勢を崩させ、その頭上を越すようなループシュートを放った。懸命に伸ばしたキーパーの手を嘲笑うかのように、ボールは綺麗な放物線を描いた。
コースも高さも完璧だった。
入った——。
誰もが海里高校の逆転を確信したその瞬間、
「オラァ!」
まさにゴールラインを越えようかというところで、ボールは空高く舞い上がった。
「——武岡さん!」
武岡がスライディングをしながらクリアをしたのだ。
ボールはバーをかすめてコート外に飛んでいった。
「「「うおおおお!」」」
観客がこの日一番の盛り上がりを見せた。
「ギリギリでクリアしやがった!」
「すげえっ」
「よくオウンゴールにならなかったな!」
「長谷部かよ!」
ゴールギリギリでの神クリアを幾度となく見せてきた元日本代表の長谷部誠になぞらえる声すらも上がった。
「武岡!」
「よくやった!」
味方に叩かれるのも構わず、武岡は大介に近づいてきた。
「お前が迷って勝てる相手じゃねーよ」
それだけを言い残して去っていった。
(うむ……パスを出されても仕方ない。抜かれないことだけに集中しろ。そういうことだろう)
悔しいが、そうするしかないことは大介が一番わかっていた。
それから試合は一進一退の攻防を繰り返した。
点差が動かないまま、時計の針だけが無情にも海里高校の優勝へと進んでいった。
ラスト五分。勝たなければならない咲麗Bは大介を前線にあげた。いわゆるパワープレーだ。
空中戦に定評のある大介を前線に配置して彼にロングボールを蹴り、そこから攻撃を展開していこうというその狙いはピッタリとハマり、咲麗Bは攻勢を強めた。
ロスタイムだけで三本目のコーナーキック。時間的にはおそらくラストワンプレー。
キッカーの蹴ったボールは狙いよりも大きくなった。
「くっ……!」
大介は重い足を懸命に動かしてボールを追いかけた。
ジャンプをすれば何とか頭で触ることはできるだろう。
(だが、どうする⁉︎ 体勢は厳しいが、一か八かシュートするしか——)
「——金剛!」
その声が聞こえた瞬間、大介はそちらを見ないまま感覚だけでヘディングをした。
ゴールとは反対方向に転がったボールの先にいたのは武岡だった。
「まずいっ!」
「ブロック!」
体を投げ出した海里高校の選手たちの間をまるでカーチェイスのようにすり抜けたそのボレーシュートは、アウト回転しながらゴールネットに突き刺さった。
一瞬の静寂の後、歓声が沸いた。
「「「うわあああああ!」」」
「武岡が、武岡が決めた!」
「勝ち越しだぁ!」
「マジか⁉︎」
「とんでもねえ弾丸シュートだっ」
「長谷部かと思ったらジェラードかよ!」
「ラストにこんなドラマが待っていたとはっ……!」
「もうロスタイムは過ぎたよな? ということは——」
「そういうことだろ!」
観客のボルテージも最高潮になる中、審判が笛を口に持っていった。
——ピッピッ、ピー!
「「「よっしゃああああ!」」」
試合終了を告げるその勝利のクラッカーが鳴らされた途端、咲麗Bの選手たちは得点者の武岡とアシストをした大介に、我先にと飛びついた。
この瞬間、咲麗Bのプリンスリーグ二部の優勝、そして一部昇格が決定した。
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