第230話 笑いの絶えない時間
しばしの休憩を挟み、勉強会は再開した。
巧のアイシングのサポートをしていた流れでそのまま彼の隣で勉強していた香奈は、程なくして猛烈な眠気に襲われた。
その場にいる大半が先輩であり、巧との生活拠点にあかりがいるという緊張感もあって、彼女は自身が思っている以上に緊張の糸を張っていた。
それが、あかりが気持ちの整理をつけたこと、そして彼女の気持ちがすでに優に傾きつつあることを知って一気に緩み、精神疲労が表面化したのだ。
見られているだとか、そういうことに行き着くほどの思考力すら香奈には残っていなかった。
眠たい、寝たいという思いだけが彼女を支配していた。
(少しだけ……)
隣に座る巧の肩に頭を乗せ、目を閉じた。
すぐに眠りの世界へと引きずり込まれていった。
——当然、巧は香奈がもたれかかってきたことに気づいた。そして、おそらくは緊張が途切れて眠気に襲われたのだろうということも。
すぐにすぅすぅと寝息を立て始めた彼女を、目を細めて愛おしげに見つめる。
一瞬友人たちに見られることを意識したが、あどけない寝顔をさらして気持ちよさそうに眠る香奈を起こすのは申し訳ない。
それに、今日はあまり感じることのできていなかった鼻腔をくすぐる甘くもさっぱりとした匂い、そして半身に感じる柔らかくて温かい感触は、手放すにはあまりにも惜しい甘美なものだった。
自然と笑みがあふれてしまった。
(可愛いなぁ……お茶を入れてるときに七瀬さんと何か話していたし、そこで安心することでもあったのかな)
巧はチラッとあかりに目を向けた。ばっちりと目線があった。
彼女は「気にしないでください」とでも言うように笑みを浮かべて首を振り、教科書に視線を戻した。
優と指先が触れ合って赤面する彼女を見て安堵の息を吐き、巧も勉強を再開した。
——ピンポーン。
午後四時になろうかというころ、インターホンが鳴った。
「あっ、大介かな。さっきもうすぐ着くって連絡きてたし」
「俺行くわ」
一番扉に近かった優がスッと立ち上がった。
「ありがとう」
「おうよ」
優から状況を聞いたのだろう。
大介はリビングに入ってくるなり、巧と彼に寄り添って眠る香奈に視線を向けて、腕組みをしながらおごそかに「うむ」と唸った。
「「「「「お父さんかっ」」」」」
理解度に差はあれど、香奈が気を張っていた反動で眠ってしまったことには全員が気づいていたため、なるべく静かに過ごしていた。
しかし、このときばかりは異口同音にツッコミを入れてしまった。
「「ぷっ……あはははは!」」
まず最初に誠治と優が吹き出した。
あかりと冬美も釣られるようにして笑い出した。
「っ……!」
(ダメだ、笑っちゃ……!)
巧は自身にもたれかかっている香奈のために、歯を食いしばり、頑張って平静を保とうとした。
しかし、崩れ落ちる誠治と優、肩を震わせるあかりと冬美、そして何より笑いの渦を巻き起こした張本人である大介の不思議そうな表情を見てしまえば、込み上げてくる笑いを抑えることは不可能だった。
「ぷっ……くっ……!」
彼が肩を揺らしてしまえば、笑い声では微動だにしなかった香奈もさすがに振動で目を覚ました。
「ん……」
「あっ、香奈。起きた?」
「はい、ごめんなさい。寝ちゃってました——あっ……!」
みんなの前で巧にもたれて眠ってしまった事実を悟り、香奈は羞恥でソファーにダイブをした。本日二度目だった。
彼女は間接的とはいえ、たったの一言で六人全員を撃沈させた大介、恐るべしである。
ちなみに、この後に彼の「ガッハッハ!」という豪快な笑い声で、六人は再び崩れ落ちた。事情を知らなかった香奈も、他の五人の笑いに釣られてしまった。
箸が落ちても面白い領域に突入してしまった高校生の男女が勉強という現実に帰ってくるまでには、それなりの時間を要した。
◇ ◇ ◇
時々誰かが思い出したように笑い、何人かが釣られるという現象がしばらく定期的に起こったが、やがて各々が集中力を取り戻した。
そうして無事に夕方まで勉強をして全員が設定した課題をクリアし、夕食時に改めて巧の誕生日を祝った後、ゲーム大会が開催されることになった。
七人で対戦できて全員がやったことのあるゲームは、マルイージカートのみだった。
架空のキャラクターを操作し、コースごとの障害などを避けながらランダムに獲得できるアイテムを駆使して一位を目指すカーレースゲームである。
八人制のゲームであるため、一体はコンピューターだ。
人間が七人もいれば当然というべきか、あちこちで競い合い、もとい足の引っ張り合いが勃発した。
「おわっ⁉︎ 冬美てめえっ」
「ふっ、猪突猛進しているからそうなのよ——あっ」
「ふゆみん先輩こそ、縢先輩のケツばっか追いかけてちゃダメですよ!」
一位を突っ走っていた誠治にアイテムをぶつけた冬美に、香奈がアイテムをぶつけて得意げに笑った。
「……香奈、覚えてなさい」
瞳をギラつかせつつもほんのりと頬を染める冬美に微笑ましさを覚えながら、巧は無言で優にアイテムを当てた。
「おいこら巧! 無言でぶつけるなっ……おわっ、おおっ⁉︎」
「優君、お先です」
「ガッハッハ! 悪いな!」
あかり、そして大介にもアイテム攻撃をされ、四位を走っていた優はコンピューターにも抜かれて一気に最下位に転落した。
「んにゃろ……! おっ、来たぜ! 雷だぁ!」
「「おい!」」
巧と誠治は揃って抗議の声を上げた。
雷は使用者より前の順位のキャラ——この場合は全員だ——が一時的に小さくなり、スピードや耐久力が下がってしまうという、自分へのバフではなく敵にデバフをかけるタイプのアイテムだ。
耐久力が下がるとコースのお邪魔キャラなどに接触した場合に潰れて一定時間動けなくなるが、抗議をした二人はちょうど運悪く潰されてしまったのだ。
そして、キャラがやっと立ち直ったと思ったところで——、
「猪突猛進するなと忠告したはずだけど?」
「巧先輩っ、バイバイです!」
「「おおい!」」
それぞれ冬美と香奈に攻撃をされ、自他ともに認める親友コンビは仲良く池に落下した。
「お先に失礼しますー」
「ガッハッハ! まさに泣きっ面に蜂だな!」
復帰している間にあかりと大介にも抜かされた。
巧と誠治は顔を見合わせ、うなずき合った。
「誠治」
「おう、潰すぞあいつ」
「ま、待て! 下三人で足を引っ張ってたらあいつらの思うツボだぞ!」
「「問答無用!」」
——優の忠告通り、彼と巧と誠治はトップから半周ほど遅れてボトム三でゴールをした。
「くそぉ、悔しい〜……!」
「最後の最後でやられたわ」
「戦略勝ちでしたね」
「ガッハッハ! アイテム運が良かったな!」
香奈、冬美、あかりという女子三人組に揃って賞賛されて高笑いをしているのは、最後の最後で逆転優勝をした大介だ。
ゴール間際で香奈に次いで二位だった彼は、わざと一度順位を落として強いアイテムが出る確率を上げた。
その狙いが功を奏して見事攻撃系のアイテムを入手し、前を走る三人を一掃して一位を獲得したのだ。
「金剛先輩は確かに強かったですけど、それよりも——」
香奈がじっとりした目線を巧と誠治、優に向けた。
「他の男性陣は何をやっているんですか」
「いや、こいつらが——」
「優のせいだよ」
「優のせいだろ」
「んだとぉ?」
巧と誠治は優の言葉に被せるようにして、彼に責任転嫁をした。
「巧先輩と縢先輩、ゲーム中からハモリすぎっ……!」
香奈が腹を抱えて笑い出した。
各々がやるべきことを終わらせた後の、深夜テンションも調子を上げ始める夜の時間帯だ。一人がツボに入ってしまえば、他の者たちも当然のように釣られてしまった。
——こうして、笑いが絶えることなく時間は過ぎていった。
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