隣国へ
隣国アサルド――代々女王が玉座に就く歴史のある国で、広大な土地を持ち、畜産と農業、観光業が盛んだと聞いたことがある。
思いのほかあっさり入国できてしまったため、いささか拍子抜けだった。
その前に、猛烈に気になることがあったので、エルツ様に質問した。
「あの、検査中に気づいたのですが、エルツ様、イーゼンブルク公爵家に婿入りされていたのですか?」
「そうだが」
エルツ様は悪びれしない様子で言葉を返す。
「その場合、ヴィンダールスト大公家の爵位はどうなるのですか?」
「我が国の法ではどうもこうもしない。爵位は私の所有するものであることには変わらないのだ」
「はあ、そうなのですね」
国の法についてそこまで詳しく把握していないものの、婿入りした途端に爵位を所有する権利が消滅するなどという決まりでなくてよかった。
「もしもビーがヴィンダールスト大公家に嫁入りするという形であったのならば、貴賓扱いで入国することとなっていたであろう。それだと、自由に動き回れないだろうな」
「た、たしかに」
ヴィンダールスト大公家は王族に準ずる高貴な家系だ。もしも他国へ行くとなれば、それは外交となってしまうのだろう。
「そこまでお考えだったなんて、さすが、エルツ様です」
「まあ、後付けの理由に過ぎないがな」
「え? 今、何かおっしゃいましたか?」
早口でまくし立てるように言ったので、上手く聞き取れなかったのだ。
「なんでもない。先へ進もう」
エルツ様は私のトランクまで持ち上げると、スタスタと歩いて馬車乗り場を目指す。
まず、行き先を王都へ定めるらしい。情報集めをしたのちに、家畜が飼育されているような地方を目指すようだ。
馬車乗り場に馬車がいたものの、今日の便は終わったと言われてしまう。
夜も遅いので無理はないだろう。
「クワルツに乗っていってもよいのだが、夜間は魔物が多いゆえ、悩みどころだな」
「ええ……」
なるべく安全な方法で行きたいのだが、いかんせん時間もない。
「今日は宿を取りますか?」
「それもあるかどうか、だな」
たしかに宿のほうを見ると、灯りが消され真っ暗になっていた。
「さすが、我が国側にある町と言うべきか。信じがたいほど栄えていないな」
「人の行き来も少ない場所でしょうから、無理がないのかもしれませんね」
しばし立ち尽くしていたら、カラカラと鳴る馬車の車輪の音が聞こえてきた。
やってきたのは、お爺さんが操縦する荷馬車である。
荷台には大量の牧草を積んでいた。
「おんや、あんたら、見ない顔だねえ。こんな時期に、旅行かい?」
声をかけられるとは思っていなかったので驚いたが、瞬時に言葉を返した。
「ええ、新婚旅行なんです」
「それはいいねえ。でも、どうしてうちの国へ?」
「それは――」
理由についても考えていた。にっこりと微笑みかけながら答える。
「謝肉祭で食べたお肉がとてもおいしくって、本場で食べてみたくなったんです」
「そうかい、そうかい。それは嬉しいねえ。行き先は王都かい?」
「いえ、できれば生産地でいただきたいな、と考えているのですが、馬車がないようで」
「だったら、このボロの荷馬車でいいのならば、乗っていくかい?」
なんでもこのお爺さんは畜産を営んでおり、肉を納品しにきた帰りらしい。
「馬車で五時間くらいかかるが、それでもよければ」
牧草が積まれているので大丈夫かと聞くと、潰して寄せたら人が座れるスペースができるらしい。
エルツ様を見てどうするか目で確認すると、お爺さんに問いかける。
「夜間は魔物の活動が活発になるというが、大丈夫なのか?」
「ああ、心配いらないよ。うちの国の街道には魔物避けの結界が張られているからね! 魔物なんて出やしないよ」
つまり、空を飛んで王都に行くより安全なルートのようだ。
ちなみに王都までは馬車を使っても、ここからだと三日間かかるという。
たった五時間で肉の産地に行けるのならば、そちらのほうがいいだろう。
「わかった。では、頼む」
「ああ、任せてくれ」
お爺さんは快く応じてくれた。
「ご老人、これを」
エルツ様は金貨を差しだしていたが、お爺さんは首を横に振る。
「いやいや、いいよ。正直乗り心地なんてよくないし、ついでに乗せるだけだから」
「ならば、これで新しい荷馬車でも買えばいい。拾った物だと思って、受け取ってほしい」
ここまで言われてしまったら断れなかったのだろう。お爺さんも素直に金貨を受け取っていた。
「すまないねえ。ありがたくいただくよ」
お爺さんは操縦席から降りて、牧草を潰してぐいぐいと寄せていく。そして空いた隙間にエルツ様と乗り込む。
荷台には牧草のいい香りが漂っていた。
トランクを椅子代わりにして、そこに座る。
「じゃあ、出発するよ」
「頼む」
馬車はゆっくりと進み始める。馬車には魔石を光源としたランタンがぶら下がっており、辺りを十分な明るさで照らしてくれる。
アサルドは魔法文化が発展していると耳にしたことがあるが、こういう魔技巧品一つで保有している技術の高さが伺い知れるものだ。
荷馬車なので揺れると思っていたが、街道が整備されているからか、乗り心地は悪くなかった。
ただ、アサルドは北のほうにあるので寒い。
分厚い外套を着てきたつもりだったのに、ガタガタと震えてしまう。
「ビー、私のほうにもっと近づけ。温かいだろうから」
「あ、ありがとうございます」
エルツ様は私を抱き寄せて温めてくれるだけでなく、火の魔石も握らせてくれた。
「寒くないか?」
「はい、温かいです」
馬が鳴らすパカパカという蹄鉄の音と、車輪が回る音が聞こえるばかりの静かな夜だった。
そんな中、お爺さんが話しかけてくる。
「あんた達はどこからやってきたんだい?」
「王都だ」
「ああ、じゃあ、名の知れた貴族様か」
「想像に任せよう」
エルツ様は顔を隠す頭巾を深く被っているものの、高貴な雰囲気などは隠しきれないのだろう。
「それにしても、肉を食べにきてくれるなんて、嬉しいねえ」
「ああ、とてもおいしかった」
たしかに隣国産の肉はとてもおいしい。少々高価なので普段は手が出せないのだが。
「うちも、謝肉祭のおかげでこのシーズンは大忙しなんだよ」
「そうか」
「買い取ってくれる商人さんが、牧草をおまけでつけてくれるようになって、こっちも助かっているんだよ」
なんでも村まで運んでくれるようだ。
今日、積んでいる牧草は帰りに積む荷物がないと言ったら、おまけでくれたものらしい。
買い取ってくれる商人というのは、ココロト商会のことだろう。
目的地に到着するまで起きていようと思っていたのに、いつの間にか眠ってしまった。馬車が止まったタイミングで、エルツ様が優しく声をかけてくれる。
「ヴィー、起きろ。もうついた」
「ううん」
ハッと我に返ると、エルツ様に全体重を預けて眠っていたようだ。
どうやら私はこれまで爆睡していたらしい。申し訳ない気分でエルツ様に謝罪したのだった。
「気にするな。眠れるときに寝ておいたほうがよい」
寛大なエルツ様に感謝したのは言うまでもない。




