リラックスタイムを堪能しよう
下町で魔法薬を受け入れてもらうのは荊の道のようだ。
唯一よかったと言えるのは、魔法薬と下町の薬店が競合しない点だろうか。
下町にある唯一薬を販売するリーフ薬店は情報屋だというので、仮に魔法薬を販売しても抗議されることはないだろう。
トリスにしたように、試作品と称して風邪ポーションを配るのも一つの手だ。
けれども彼女のように素直に飲んでくれるか、と聞かれたら微妙なところである。
下町の人々は暮らしに忙しく、新しいものを受け入れる余裕などないように思えた。
現に、トリスが洗濯場の女性陣に風邪ポーションの効果を訴えても、話半分にしか聞いてもらえなかったのだ。
おそらく本当に危機的状況にならないと風邪ポーションも飲んでもらえず、家の中で放置されたのちに、行方不明になることは間違いないだろう。
考えているうちに頭が痛くなってきた。
少し早い時間だが、お風呂にでも入ろう。庭で摘んだフレッシュな薬草を入れたら、気分転換にもなるだろう。
かごを持って庭に出ると、リス妖精がやってくる。
『おう! 何を探しているんだ?』
「そうですね、ラベンダーは咲いていますか?」
『あるぜ! 摘んでくるから待ってな』
ラベンダーには心をホッとさせる鎮静作用がある。香りもよく、私のお気に入りの薬草でもあるのだ。
他に安眠効果のあるレモンバームや、肉体疲労を緩和させるローズマリー、気持ちがすっきりするレモングラスなどを摘んで集める。
すっかり春の盛りとなっており、庭には豊富な薬草が生えているのだ。
家の壁を這うように生えているハニーサックルも、そろそろ美しい黄色の花を咲かせることだろう。
『おーい、ラベンダーはこれくらいでいいか?』
「はい、ありがとうございます」
採れたて新鮮な薬草を持ち帰り、お風呂の準備をした。
ラベンダーは茎を紐で縛り、他の薬草はガーゼに包んで浴槽に入れる。
熱いお湯だと有効成分が抽出されにくくなるため、低い温度の中にしばらく浸けておくのがポイントだ。
じわじわと薬草の成分が出ているのを確認すると、お湯を温めて、じっくり浸かることにする。
「ふーーーーー」
ここ数日、慣れないことをしていたからか、体が悲鳴を上げていたようだ。
薬草たっぷりの湯に浸かると、足先から体全体がじんわり癒やされていくのがわかる。
どうしても自分のことは後回しになってしまうのだが、面倒くさがらずに、定期的に薬草湯に入らなければならないなと思った。
今日は自分を労ってあげようと思い立ち、肌のお手入れも頑張ってみる。
まずパスカライトと呼ばれる粉末の白粘土を精製水で溶き、乾燥から守ってくれるカモミールやローズヒップの精油を数滴垂らした。
あっという間に薬草パックの完成である。
顔にまんべんなく塗り、しばらく放置するのだ。
数十分後――パックを洗い落とした肌はもちもちつやつやになっていた。
他にも、髪の艶やコシを出してくれるオイルを塗り込んだり、丁寧に櫛を入れたり、頭皮をマッサージしたりしてみる。
なんだか髪がやわらかくなったような気がして、大成功だと思った。
これまでは忙しすぎて、自分に使える時間がまったくなかったのだ。今後はこういうお手入れも定期的に必要だな、と感じてしまう。
あとは爪でも磨こうか、と考えているところに、エルツ様から通信用の鏡を通じた連絡が入った。
『ベアトリスよ、今、大丈夫か?』
「はい!」
連絡がきたのが薬草パック中ではなくてよかった、と心から思った。
寝間着姿なのでガウンを着込み、エルツ様の前に出る。
『ビー、今日は毛艶がいいな』
「お手入れをしたんです」
『そうだったのか』
「エルツ様の御髪はいつでもピカピカですね。何かなさっているのですか?」
『いや、私は別に何もしていない。髪は石けんで洗うばかりだ』
「せ、石けんで、その艶なんですか!?」
『そうだが』
なんとも羨ましい。私が毎日石けんで洗ったら、髪がキシキシになって大変なことになるだろう。
「ということは、お手入れをしたらもっと御髪が美しくなるのですね」
『特に必要は感じないのだが』
「一度、やってみてもいいですか?」
『ビーが私の毛繕いをするというのか?』
「はい!」
何もしないでこれだけ美しいので、少し手を加えたらプラチナのような輝きを発するかもしれない。
『まあ、ビーがしたいと望むのであれば、好きにするとよい』
「ありがとうございます!」
どうやら盛大に話を逸らしてしまったらしい。本題に移ってもらおう。
「今日はどうなさったのですか?」
『ビーの声を聞きたくって』
「え!?」
みるみるうちに顔が熱くなっていく。そんな私の反応を見たからか、エルツ様は淡く微笑んだ。不意打ちの笑みは反則だろう。余計に照れてしまう。
「ほ、他にご用があったんですよね?」
『ああ、ビーの顔が見たかった』
「――っ!」
追い打ちをかけられてしまう。その場に突っ伏さなかった私を褒めてほしい。
『逆にもどかしいな。ビーが目の前にいるのに、触れることができないから』
それに関しては距離があってよかったと思う。
今の状況でエルツ様が私に触れてしまったら、失神していただろう。
「その、弄ばれている感じがします」
『私はいつだって真剣なのだが』
会いにいけばよかったと言われたのが止めで、私はエルツ様が映る鏡から顔を背けてしまった。
『ビー、すまない。本題へ移るから、こっちを見てくれ』
「はい」
やはり話の本筋があったようだ。
『明日、休日なのだが、イーゼンブルク公爵家の屋敷を見に行かないか?』
「よろしいのですか?」
『ああ。なるべく早いほうがいいだろう』
「そう、ですね」
貴重なお休みだろうに、私の個人的な調査に付き合ってくれるらしい。
申し訳ない気持ちになったものの、どうかお願いしますと頭を下げたのだった。