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エルミタージュ

 エルミタージュというのは、イーゼンブルク公爵家の始まりの土地だという。

 茅葺き屋根の家に、たくさんの薬草を育てている広大な庭が自慢らしい。

 その昔、イーゼンブルク公爵家の者達は森の奥地にひっそりと暮らす薬師だったようだ。

 流行病をきっかけに表舞台に引っ張り出され、功績が認められた結果、褒美として公爵の位と莫大な資産を得たのだという。

 拠点が王都に移っても、イーゼンブルク公爵家の者達はエルミタージュを愛し、大切にしていたらしい。

 誰も立ち入れないよう、土地に結界を展開させて鍵をかけ、イーゼンブルク公爵家の者達が管理していたようだ。

 主な管理者は歴代の当主だったようだが、お祖父様は私にエルミタージュの鍵を預けてくれた。

 なぜ当主であるオイゲンではなく、私なのか。

 お祖父様曰く、オイゲンにエルミタージュの管理は任せられない、とのこと。

 可能であるならば、エルミタージュの次なる管理者を探しておくように、とも書かれてあった。

 その対象はイーゼンブルク公爵家の者達に限らず、エルミタージュを大切にしてくれる者ならば誰でも構わない、とまで書かれていた。

 ただし、見つからない場合は、鍵を処分するように、とある。

 なんでもエルミタージュにはたくさんの薬獣がいて、屋敷や庭の手入れは欠かさないらしい。

 そのため無理に管理者を探さずとも、エルミタージュは荒廃せず、美しい姿を保つことを可能としているようだ。


 お祖父様はイーゼンブルク公爵の爵位と共に鍵を継承してからというもの、お祖母様と一緒にエルミタージュを訪れていたらしい。

 そこで庭の手入れを行い、お祖母様が焼いたケーキと薬草茶を飲むのが一番の楽しみだったようだ。

 お祖母様は出産後に産褥熱さんじょくねつで亡くなったという話をお祖父様から聞いていた。

 もともと体が弱かったらしく、子どもを産むのは難しいだろうと言われていた中での出産だったらしい。

 その体質は息子であるオイゲンの父親に引き継がれてしまったようで、の者も若くして亡くなってしまった。

 なんでもオイゲンの父親は魔法薬に対する才能は相当なもので、寝食を忘れて調合に打ち込むことも少なくなかったらしい。

 その情熱が体をむしばんでいったとは、なんとも皮肉な話である。

 息子であるオイゲンは健康体で、いつでも元気いっぱいだったのだが、イーゼンブルク公爵家に相応しい者として育たなかった。

 病弱であるものの、薬師として才気がある者と、健康であるものの、薬師としての才能がない者――お祖父様はそんなふたりに囲まれ、日々苦悩していたに違いない。

 話が大きく逸れてしまった。

 とにかく、お祖父様はエルミタージュを宝物のように大切にしていて、それを私に託してくれた。

 お祖父様の気持ちに応えるためにも、しっかり管理しなければならない。


 しばらく宿暮らしで、どこかに家を借りなければ、と考えていたものの、エルミタージュがあるので心配はなくなった。

 エルミタージュの場所はグリちゃんが知っていると、手紙に書かれてある。

 王都からグリちゃんに乗って一時間くらいの場所にあるようなので、静かに過ごせそうだ。

 きっと、私とオイゲンの離婚は社交界の中で醜聞スキャンダルとして囁かれるだろう。

 記者に追われるのはまっぴらなので、ありがたかった。


 お祖父様からの手紙を丁寧に封筒に入れ、胸に抱く。

 目を閉じ、しばし考えた。

 これからどういった方向に進もうか、ここに来るまではっきりとした道筋は見えていなかった。

 けれども今、やりたいことが思い浮かぶ。


 それはエルミタージュを拠点とし、魔法薬を作って販売すること。

 客層は魔法医のもとに通えないような平民である。

 通常、薬師は魔法医からの処方箋しょほうせんを見て、魔法薬を調合する。けれども魔法医の診断を受けられる者の多くは貴族なのだ。

 ひとりでも多くの命を救うため、私は下町に小さな薬局を作ることを目標に立てた。

 それまでは手売りで個人販売を行いたい。

 上手くいくかはわからない。けれども、これが私のやりたかったことだったのだ、と未来に光が差し込んだように思える。


 まずはエルミタージュに行こう。いったいどんな場所なのか、今からドキドキしてしまった。

 その前に、少しだけ食材を買ったほうがいいだろう。


 テーブルにあった呼び鈴を鳴らすと、すぐにベル銀行員がやってきた。


「手紙の内容に、間違いはありませんでした」

「それはそれはようございました」


 預金はすべて下ろし、お祖父様の遺言状の確認をしたのに、彼女の態度は変わらない。

 ほとんどの銀行員は損得勘定で動くという印象だったので、意外だった。


「あの、ベル銀行員、私は夫と離婚して、もう本家の者ではないんです」

「やはり、そうだったのですね」


 ぽややんとした印象がある彼女だったが、私が離婚したことについて察していたようだ。

 まあ、離婚した女性が預金を全額下ろしにくる、というのは珍しくないのかもしれないが。


「なぜ、ベル銀行員は私によくしてくださるのですか?」

「それはもう、イーゼンブルク様は才気に溢れる薬師様ですので、近い将来、当銀行に絶大な益をもたらしてくれると信じているからですよ!」


 なんというか、彼女も立派な銀行員だったわけだ。

 それにしても、まだ事業の見通しもできていないのに、私を信用するなんて、変わっている人だ。

 でも、悪い気はしない。


「でしたら、ベル銀行員が出世できるように、これから頑張りますね」

「はい! ぜひぜひ!」


 ベル銀行員はにっこり微笑み、私を見送ってくれた。


 それから雑貨店に立ち寄り、買い物用のかごと外套、魔宝石の粒をひと瓶ほど購入する。その足で市場に向かい、野菜と豚の塩漬け、小麦粉とバターとミルク、卵、必要最低限の調味料、それから焼きたてのバゲットを購入した。


 城下町を出て、少し開けた場所でグリちゃんを呼ぶ。

 すると、すぐに駆けつけてくれた。


 どこに行きたいのか、と聞いてくるように『ぴい!』と鳴いたグリちゃんに、お願いをしてみる。


「私達、エルミタージュに行きたいのですが、どこにあるかわかりますか?」


 すると、グリちゃんはもちろん! とばかりに『ぴ!』と短く鳴いた。

 

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