エルミタージュにて
エルツ様は私が泣き止むまで傍にいて、落ち着いたあともエルミタージュまで送り届けてくれた。
そのまま帰すのも悪いと思い、薬草茶をふるまう。
リラックス効果のある、オレンジブロッサムのお茶を淹れてみた。
「この茶は、柑橘か?」
「ええ。オレンジの花を乾燥させて作ったお茶なんです」
香りは実物のオレンジよりも濃く、味わいはすっきり爽やか。
鎮静効果もあり、偏頭痛を緩和してくれる。
「庭に柑橘専用温室がありまして、今のシーズンは花が満開なんです」
春から夏にかけて、さまざまな柑橘が実るのだろう。
「花もこのように豊かに香るのだな」
「そうなんです。オレンジの皮から作るお茶よりも、私はこちらが好みで」
エルツ様と過ごすうちに、気持ちが穏やかになっていく。
他人の前で涙を流したのは、もしかしたら初めてかもしれない。
お祖父様が亡くなったときでさえ、部屋で一人泣いていたのだ。
弱みも見せられるくらい、私の中でエルツ様の存在が大きくなっているのだろう。
「先ほどは見苦しいところを見せてしまい、本当に申し訳ありませんでした」
「見苦しくなんてない。むしろ、そなたはいつも不安や嘆きを抱え込み、誰もいないところで一人涙しているのではないか、と心配だったのだ」
エルツ様は私のことなど、お見通しだったわけである。
「祖父が抱えていた秘密について、聞いたときは動揺しましたし、信じられないような気持ちにもなりました」
ただ、伯父が亡くなってからのお祖父様の行動を考えたら、間違いようのない事実なのだろう。
「グレイがそなたと私を結婚させようとしていたのに、突然反故にした理由についても納得できた」
私に姉妹はおらず、また、オイゲンも同じ。
他に従妹もいなかったため、イーゼンブルク公爵家直系の血を引き継ぐ者は私以外にいなかったのである。
「グレイはそなたとオイゲンを結婚させて、イーゼンブルク公爵家の血筋を次代へ残そうとしていたようだ」
「ええ……」
ただそれも、お祖父様は後ろめたいと思っていたのか。私に遺した手紙には、オイゲンと別れてもいい、と書かれていた。
お祖父様は私との関係が良好なものではない上に、オイゲンに愛人がいたことを把握していたのかもしれない。
「もしもオイゲンがこのことを知ったら――」
「再び、そなたを捜し回り、再婚するよう乞うてくるに違いない」
ゾッとするような話である。絶対に知られてはならないだろう。
「ただ、あの男がイーゼンブルク公爵と名乗り続けるのは、気に食わないな」
「それはそうですが、彼が伯父の子でない証拠はどこにもありませんから」
それに彼を当主の座から引きずり下ろしたとしても、公爵家を継げる者はいない。
傍系であれば数名いるものの、イーゼンブルク公爵を継承できるのは、直系男系男子のみとされているのだ。
「ビー、この件については、もう考えなくてもいい。あまりにも不毛だ」
「そう、ですね」
お祖父様が罪とまで言っていた謎が解明したものの、なんとも空しい気持ちになる。
もしも私とオイゲンの関係が良好だったら、お祖父様の苦しみも和らいだのだろうか。
何もかも、すべて終わったことである。
あとは、イーゼンブルク公爵家の血が途絶え、衰退していく様子を外から見ているしかないのだ。
エルツ様の言うとおり、この問題についてこれ以上考えるのは不毛だ。
今日のところは温かいお風呂に入って、ゆっくり休もう。
もう時間も遅いので、エルツ様に泊まっていったらどうか、と提案してみた。
すると、エルツ様の眉間に皺が寄る。
「独身女性の家に、男を泊まらせるのはいかがなものか」
「エルツ様は別です。他の男性ならば、絶対に泊めません」
「なるほど。ここに滞在し、宿泊していいのは、世界でただひとり、私だけだと解釈してもいいのか?」
「もちろんです」
そう答えると、エルツ様はそれはそれは美しい微笑みを浮かべる。
「ビーよ、その言葉、一生忘れぬからな」
「は、はあ」
エルツ様は上機嫌な様子で、今日のところは帰ると言い、転移魔法を使って帰宅したようだ。
エルツ様がいなくなると、なんだか寂しい気持ちになる。
そんな私の気持ちを察してくれたのか、アライグマ妖精の姉妹がやってきてくれた。
『お風呂を沸かす?』
『それとも眠る?』
『食事にしようか?』
「ありがとうございます」
もう大丈夫だ、なんて思っていたものの、どうやら強がりだったらしい。
アライグマ妖精の姉妹のおかげで、私はなんとか一日を終えることができたのだった。
予約投稿をミスしていたようで、7日に2話更新していたようです。
申し訳ありません。