イーゼンブルク公爵家の秘密
オイゲンの元乳母の名前はエラ・ノルデン。
情報屋はおまけだとばかりに、彼女のこれまでの人生について教えてくれた。
◇◇◇
エラはケルンブルンの街を拠点とする商人の娘だったが、母親が上流階級出身だったため、厳しい礼儀作法を叩き込まれる。
それが功を奏し、ソビドール家のご令嬢アネモネの侍女として抜擢された。
ただそれも、これまで雇っていた侍女が何人も退職に追い込まれたからだった。
通常、貴族の侍女は既婚者で、経験豊富な年上の女性が選ばれる。
同じ年のエラが侍女となるのは異例だった。
というのも理由があって、アネモネの苛烈な性格に付き合いきれず、皆、次々と侍女の役目を辞退していったのだ。エラもきっと長くは続かないだろう。そう思っていたが、奇跡が起きた。
エラはアネモネと意気投合し、友人関係となったのである。
苛烈なアネモネと同じくらい、エラの性格も強烈だったのだ。
似た者同士、気が合ったのである。
それからアネモネはどこに行くにしてもエラを連れて歩き、好き放題振る舞った。
社交界デビューのさいも夜な夜な遊び歩き、複数の男性との関係を結んだという。
イーゼンブルク公爵家の嫡男、ロイ・フォン・イーゼンブルクとの出会いはエラがきっかけとなった。
夜会でエラがロイにうっかりぶつかり、彼の礼装に赤ワインをこぼしてシャツを汚してしまったのである。
相手が次期イーゼンブルク公爵だと知らなかったアネモネは、エラを庇うように「そこにいるあなたが悪いのよ」と冷たく言い放った。
これまで周囲から丁寧に扱われ、病弱だからと気遣われてばかりだったロイは、正直に生きるアネモネに一目惚れしてしまったのだ。
ロイが次期公爵と知らなかったアネモネは相手にしていなかったものの、素性を調べ上げたエラより、あの男はイーゼンブルク公爵になる男だ、と情報を提供された。
アネモネが公爵夫人となれば、筆頭侍女になるエラの待遇もよくなると思い、画策したのである。
そんな情報をエラから聞いたアネモネは、手のひらを返す。ロイに甘い顔を見せ、未来の公爵夫人を手にするための努力を惜しまなかった。
その後も、エラはロイとアネモネが密会できるような場所を確保したり、アネモネからの手紙をイーゼンブルク公爵家にこっそり運んだり、とふたりの愛を深めるために奔走する。
ロイは悪女ふたりの手のひらで転がされていることも気付かず、日に日にアネモネへの愛を深めていった。
エラの暗躍が功を奏し、ついにロイはアネモネを妻にしたいと望んだ。だが、アネモネはイーゼンブルク公爵家にとって無名の男爵家の娘。
それに、いい噂を聞かなかったため、当時のイーゼンブルク公爵だったグレイは猛反対。絶対に認めなかったものの、エラが作戦を思いつく。
ロイは唯一の跡取りであるので、駆け落ちでもしたら認めてくれるだろう。
エラの悪知恵による作戦は大成功。グレイはしぶしぶとロイとアネモネの結婚を認める。
その後、エラはイーゼンブルク公爵家に嫁いだアネモネの侍女となった――。
◇◇◇
「あとの話は本人から聞いてくれ。口を割るかはわからないが」
「承知した。感謝する」
雑貨店を足早に出たあと、エルツ様が提案する。
「どこかで休むか?」
「いいえ、このまま行きましょう」
日帰りの予定なので、休んでいる暇などない。
伯母やエラがしてきたことを思い出すと、ゾッと悪寒が走る。
一刻も早くこの地を離れ、エルミタージュにある自宅に戻りたかったのだ。
「わかった。では行こうか」
「はい」
エラがイーゼンブルク公爵家で侍女を務めていたのは五年間。その後、伯母が離婚したあと、ケルンブルンの街に戻ってきた。
それから一年と経たずに伯母はソビドール家の財産を盗み、男と駆け落ちしたという。
口留め料を受け取ったであろうエラは、ケルンブルンの中心街に家を買い、贅沢ざんまいな暮らしをしていたらしい。
けれどもギャンブルに手を染め、財産を失ってしまった。
それからというもの、彼女は家を売って、下町で慎ましい暮らしを続けているようだ。
教えてもらったエラの家は、下町の路地裏にあった。
扉を叩くと、「押し売りはごめんだよ!」だなんて声が返ってくる。
「押し売りではない。エラ・ノルデン、そなたが知りうる情報を金貨で買い取りたい」
「金貨だと?」
扉が開かれ、四十代後半から五十代前半くらいの、ブラウンの髪に白髪交じりの女性が顔を覗かせる。
「なんだい、あんたらは?」
「人を捜している」
「ああ、アネモネ・フォン・ソビドールについてだったら、情報屋に行ってくれ。契約で、あたしから話せないようになっているんだよ」
「わかっている。情報屋に話した以外について知りたい」
「そんなの、何もない――」
エルツ様が手にしている香炉から、煙が漂う。それを吸い込んだら最後。
嘘が吐けなくなるのだ。
以前、鳥マスクの人物に扮する彼が、私に対して居場所を聞き出すために使った自白魔法である。
勝手に闇魔法だと思っていたものの違ったようで、騎士隊の調査に使うために開発した魔法だったらしい。
エルツ様が前金だと言って金貨を差しだすと、エラは部屋に入るように招いてくれた。
彼女の家は至る所に酒瓶が散乱し、ネズミが我が物顔で闊歩するような、信じがたい環境であった。
しばしの我慢が必要となる。
エラはもてなしとばかりに、お酒を注いでくれる。
これは先ほど、酒場で提供された混ざり物だろう。これを毎日飲んでいるとしたら、エラの体調が心配になる。
エルツ様は当然ながらお酒には手を付けずに、本題へと移っていた。
「情報屋にも話していなかったことを、教えてくれるか?」
「ああ、誰にも秘密だよ。でないと、イーゼンブルク公爵から、金が貰えないんだ」
「オイゲン・フォン・イーゼンブルクが口止めをしていたのか?」
「いいや、違うよ。口止め料を払っていたのは、グレイ・フォン・イーゼンブルクだ」
「――っ!?」
まさかお祖父様がエラと繋がっていたなんて。
お金を払ってまで、いったい何を口止めしていたのだろうか。
彼女は詳しい話を打ち明ける。
「イーゼンブルク公爵家というのはそれはもう、酷い家で、嫁いできたアネモネを酷くいじめていたのさ」
いじめに加担していたのは主に親族で、それを見た他の侍女も真似ていたらしい。
ただ、アネモネとエラは結託し、いじめた者に仕返しをしていたようだ。
卑劣な手を嫌うお祖父様にも報告し、たった一年でいじめは撲滅できていたという。
ただ、いじめはなくなったものの、蔑むような親族の目はなくなることはなかった。
「アネモネが許せなかったのは、子どもを産めないくせに、と陰で罵られることだった。でも、それは仕方がないんだ」
伯父は病弱で、病に伏せっていた。
子どもを作る余裕などなく、あっという間に数年経ってしまった。
「結婚から四年目に、アネモネは運命の相手と出会ったんだ。真実の愛に目覚めたわけだ!」
それを聞いてまさか! と思う。
拳をぎゅっと握り、彼女の話に耳を傾ける。
「アネモネはその人を愛し――その結果、子どもができた。はは! それが今のイーゼンブルク公爵である、オイゲン・フォン・イーゼンブルクってわけさ!」
脳天に雷が落ちてきたような衝撃を受ける。
お祖父様が王室典薬貴族の座を返上し、王宮を去った理由は、後継者であるオイゲンがイーゼンブルク公爵家の血を引き継いでいないからだったのだ。




