久しぶりのイーゼンブルク公爵家
庭の草花はそれぞれ高価で稀少な物もあった。
けれどもオイゲンは価値を把握していなかったようで、放置していたみたいだ。
正直ありがたい。
お祖父様の書斎の鍵が隠されたワイルドストロベリーの鉢もそのまま置かれてあったので、無事回収できた。
裏庭でエルツ様と一時的に合流し、鍵を手渡す。
「祖父の書斎は二階の西側にある、獅子のノッカーがある部屋です」
「わかった」
「屋敷に入ったら、一階の窓を開けておきますので、そこから侵入してください」
もしも調査が終わったら、使い魔であるブランを寄越してくれるらしい。
窓を三回、嘴で鳴らす音が撤退の合図だとか。
別れ際に、オイゲンとの面会は無理しないように、とエルツ様は言ってくれた。
「手を、いいだろうか?」
「は、はい」
手を出しかけたものの、薬草を摘んで緑色に染まった指先が目に付く。
オイゲンは私の手を見て、気持ち悪いと言われたことを思いだしてしまったのだ。
「どうした?」
「いえ、手が、緑色に染まっているな、と思いまして」
「別になんともない。毎日薬草を扱う魔法薬師ならば、そうなるのは不思議ではないだろうが」
エルツ様はあまり気にするなと言って、優しく握る。
緑色に染まった手を、働き者の手だとも、気持ち悪いだとも言わずに、ごくごく当たり前のものとして受け取ってくれた。
それがどれだけ嬉しかったか。言葉にできない。
私が心の奥底で求めていたのは、この言葉だったのだ、と確認する。
エルツ様は私の手を握ったまま、何やら呪文を唱える。手のひらに魔法陣が浮かび上がった。
「あの、エルツ様、こちらはなんなのですか?」
「お守りだ。私の名を呼んでくれたら、すぐに駆けつけるから」
「ありがとうございます。とても心強いです」
オイゲンと会わなければならない私に、祝福を施してくれたらしい。
温かな心遣いであった。
ひとまずエルツ様はここで待機。私はオイゲンと面会の約束を果たすため、玄関のあるほうへ向かう。
それにしても、屋敷の外観は酷いありさまだ。
窓には蜘蛛の巣が張られていて、ガラスも曇っている。
レンガには苔が張り付き、劣化も激しい。
どこもかしこも美しかった屋敷は、見るも無惨な状況と化していた。
屋敷の様子に戦々恐々としつつ、扉をコツコツ鳴らした。
いつもならば、使用人が出てくるのに、その気配はまったくない。
「ごめんください」
声をかけても反応はなかった。仕方がないと思い、勝手に中へと入らせていただく。
毎日手入れされていた絨毯は汚れ、一歩進んだだけで埃が舞う。
庭同様、人がいるような気配はまったく感じられなかった。
魔法薬師達同様に、庭師や使用人達もこの家を離れたのかもしれない。
使用人の代わりに、どぶネズミがタッタカ走っているのを目撃する。
クモやムカデなども、我が家のような顔で床を這いずり回っていた。
これが家猫妖精であるセイブルの守護がなくなった屋敷なのだ。
途中、ケホケホと咳き込み、窓を広げる。
外から流れてくるのは、食材が腐ったような臭い。
まったく空気の入れ換えにはならなかった。
ここからエルツ様が入ってくることを考えると、心から申し訳なくなる。
はあ、とため息をひとつ零し、先へと進んだ。
それにしても、オイゲンはいったいどこにいるのか。
一階にある客間にはいなかった。
今日、訪問することは手紙で伝えていた。懐中時計で確認したが、すでに約束の時間は過ぎている。
もしや、二階にある私室にいるのか。
盛大なため息と共に、階段を上っていった。
オイゲンの私室なんて、夫婦であったときですら近付かなかったというのに。
二階の廊下を歩いていると、声が聞こえた。
何やら大変盛り上がっているように聞こえる。
声のもとを辿っていくと、寝室に行き着いた。
「やだー、公爵様ったら」
「いや、本当だ。いずれここは元通りになる。あの女、ベアトリスさえ戻ってくればな!」
寝室の扉は僅かに開いていて、会話は筒抜けだった。
男性の声はオイゲンだろうが、もう片方はヒーディではなく、聞き覚えがない。
何やらキャッキャと楽しそうだが、ここに彼らがいたら、エルツ様が調査する妨げとなるだろう。
心を悪魔にして、扉を叩いて中へと入った。
「オイゲン、そこにいらっしゃるの?」
カーテンが閉ざされ、薄暗い寝室に侵入する。
そこには着衣が乱れた男女が横たわっていた。
「きゃあ!」
「な、なんだ、お前は!」
「なんだって、今日、面会の約束をしていた者ですけれど」
「べ、ベアトリスか!!」
女性はメイドだったらしい。私を見た途端に毛布に包まってしまったが、エプロンドレスが寝室に脱ぎ捨てられていた。
「オイゲン、これはいったい――?」
「ち、違うんだ!」
「違う?」
「あ、ああ、そうだ。この女が、僕が昼寝をしていたところに潜り込んできただけなんだ」
あろうことか、オイゲンは毛布に包まっていメイドに今すぐ出て行くよう命じる。
「こ、公爵、さっきまでとっても優しかったのに、どうして突然、酷いことを言うのですか?」
「うるさい!! いいから僕の前から消えていなくなれ!!」
メイドは眦に涙を浮かべながら、部屋から去っていく。
その様子を見たオイゲンは、勝ち誇ったようだった。
「ベアトリス、すまない。狼藉者が潜り込んでいたようで」
「あら、そうだったのですね」
いくら私でも、ここで何があったかわからないほど鈍感ではない。
来客があるとわかっていながら、どうしてこのような行為を働けるのか。
信じられない気持ちになる。
オイゲンは服の乱れを直したが、ボタンすら自分で留められないようで、ちぐはぐだった。
きっとこれまで、自分の身の回りのことはすべて従僕にやらせていたのだろう。
服すらまともに着ていないのに、オイゲンはキリリとした表情で言った。
「ベアトリス、これからは僕達の時間だ」
全身に鳥肌が立って、ここから逃げ出したくなった。




