エルツの証言
「祖父は伯父に王室典薬貴族の当主を務めさせる未来でなく、その先の世代であるオイゲンに継がせるよう、考えていたのですね」
「みたいだな」
十五年前といえば、オイゲンはまだ八歳。お祖父様も彼に期待を寄せていたのだろう。
「それから五年経った十年前――十三歳となったオイゲンは王室典薬貴族に相応しくない、と判断したのでしょうか?」
伯父が亡くなった当時、オイゲンは中等教育機関に通っていた。
魔法薬師の教育課程は初歩中の初歩。本格的に習うのは十五歳からだ。
成績だってそこまで悪いものではなく、その当時はオイゲンも熱心に勉強していた、なんて話も聞いていた。
そのタイミングで、お祖父様はオイゲンに見切りを付けてしまったのだろうか。
現在のオイゲンを見ていたら、お祖父様の判断は正しかったと言える。
ただ、時期尚早でないのか、と思ってしまった。
彼が魔法学校に通うことを拒否し、屋敷で家庭教師をつけていた時代に判断するのならばまだわかるのだが……。
「それについては、私も引っかかる部分があった」
エルツ様は腕組みし、険しい表情を浮かべる。
「この話は他言するつもりはなく、墓場まで持っていくつもりだったのだが……仕方がない」
いったいどんな秘密を抱えていたのか。エルツ様はこのように、困惑と苦悩の狭間にいるような表情を見せるのは初めてだった。
「私が聞いてもよろしいのでしょうか?」
「いや、まあ、ふむ。そうだな」
エルツ様は珍しく、歯切れの悪い物言いをする。
「直接的に関係ないことであれば、無理をして言わなくても」
「いいや、聞いてくれ。この件については、私もずいぶんわだかまりとして胸に残り、スッキリしていなかったものだから」
エルツ様は盛大なため息を吐いたあと、長年、心に秘めていたことを打ち明けてくれた。
「実を言えば、グレイはそなたと私を結婚させるつもりだったらしい」
「なっ!?」
そんな話など、一度も聞いていない。
「やはり、そなたは聞いていなかったのか」
「はい」
なんでもお祖父様は、十五年ほど前に私とエルツ様を結婚させようと画策していたという。
「グレイは勉強の時間以外は、ほぼほぼそなたの話をしていた。それで私がそなたに興味を示すようになった時点で、婚約をしてみないか、と持ちかけてきたのだ」
お祖父様は私の両親にはすでに許可を得ていて、知らないのは私だけだったようだ。
おそらくだが、私が結婚適齢期になったら話すつもりだったのだろう。
貴族女性の結婚なんて、そんなものなのだ。
「そういえば、社交界デビューのさいに、祖父と一緒に、エルツ様の肖像画を見に行ったんです。あれは意味があることだったのですね」
「私の肖像画だと?」
「はい、とても大きいものが、王宮に飾られていまして――」
エルツ様は王宮に自身の肖像画があることを把握していないようだった。
そんなことはひとまず置いておいて。
お祖父様がエルツ様の肖像画を見せたのは、お見合い的な意味があるものだったのだろう。
「私は一人前の魔法薬師となったあとのそなたと婚約を結ぶのを、心待ちにしていた。それなのに、突然、グレイからベアトリスはオイゲンと結婚させることにした、と告げられて――」
お祖父様がエルツ様と私を結婚させたいと望んでいたことに関して、書類のひとつも交わしていなかったようだ。
それは私が傍系の娘で、結婚したいと名乗り出てくる者などいないと判断していたからに違いない。
「あれは十年前の話だったか。私はすっかりそなたと結婚するものだと思っていたから、とてつもなく驚いて」
なんでもそれまで数回、結婚話が浮上していたようだが、すべて断っていたらしい。
婚約者でもなんでもなかったのに、そこまでしてくれていたとは……。
「そのときの私は、そなたと結婚すること以外、考えていなかった。だから考え直すように言っても、頑固なグレイは決して頷かなかった」
突然の裏切りに、エルツ様はたいそうお怒りだった。
絶対に許さない、地の果てまで追いかけてでも抗議するつもりだったようだ。
けれどもその後、お祖父様が王室典薬貴族の座を明け渡し、王宮を去った。
何度手紙を送っても無視され、面会は一度も叶わなかったという。
その話を耳にしたエルツ様は、もう何を言っても無駄なのだ、と気付いたらしい。
「結婚の話を反故にされ、オイゲンとそなたが結婚したあとも、私は誰かを妻に迎えようとは考えられなかった」
まさか、お祖父様のせいでエルツ様が今でも独身だったなんて、申し訳なくなってしまう。
「なんとお言葉をかけていいものなのか」
「私が少しでも哀れで気の毒な男だと思うのならば、ベアトリス、そなたが責任を取ってくれ」
「せ、責任ですか?」
賠償金でも払わなければいけないのだろうか。
生涯かけて稼ぎきるか不安になる。
それでエルツ様の傷ついた心が癒やされるのならば、私はお祖父様の代わりに責任を取るべきなのだろう。
「そう、ですよね。本来であれば、エルツ様は後妻をお迎えになっていてもおかしくなかったのに」
「ん、後妻だと?」
「はい。クリスタル・エルフの始祖たるエルツ様と結婚したいという女性は、大勢いらっしゃると思います」
エルツ様はポカンとした表情で私を見つめている。
別におかしなことは一言も言っていないのだが。
「私ができることであれば、魔法薬でも、賠償金でも、ご用意いたします」
「待て待て待て待て! 何やらそなたは大きな誤解をしているようだ」
「誤解、ですか?」
「ああ、何から追及すればよいのやら」
手鏡越しに話すような内容ではないのかもしれない。
「あの、今日でなくてもいいのですが、直接会ってお話しできますでしょうか?」
「ああ、そのほうがいいかもしれん。場所は――」
「私の家にいらっしゃってください」
「そなたの、家だと?」
「はい。私以外の耳目などありませんので」
「しかし、そなたは家に誰も入れたくないのだろう?」
「エルツ様であれば、いつでも歓迎いたします」
「そうか……」
これまで眉間に皺が寄っていたエルツ様だったが、表情が和らぐ。
「日を改めたほうがいいだろうか?」
「いいえ、都合がよろしければ、今日にでもお越しください」
「では、お邪魔させていただこう。して、そなたの家のある場所は――」
「グリちゃんを迎えに行かせます」
「わかった」
「今、どちらにいらっしゃいますか?」
「王宮だ」
なんでもエルツ様は、王宮に私生活を送れるような部屋が用意されているらしい。
さすが、王室典医貴族である。
「バルコニーがあるから、そこにいれば気付くだろうか?」
「ええ。そのように、グリちゃんに伝えておきます」
「では、またのちほど」
「はい」
ここで通信が途切れる。
そんなわけで、エルミタージュに初めてのお客様を招き入れることとなる。その相手がまさかエルツ様になるなんて。
動揺している場合ではない。エルツ様をお迎えする支度をしなければならないだろう。
急いで一階に下りて、アライグマ妖精の姉妹にエルツ様がやってくることを伝えた。
「お料理、エルツ様にもふるまいたいので、私も作ります」
そう訴えたのに、ムクとモコ、モフは揃って首を横に振る。
『それよりも、着替えなきゃ』
『寝間着だよ』
『ドレスを着て~~』
そうだった。今現在の私は人に会える恰好ではなかった。
アライグマ妖精の姉妹のお言葉に甘え、身なりを整えさせていただこう。