魔法薬をオルコット卿へ
出勤、退勤用の転移の魔法巻物があるため、グリちゃんはお留守番である。
アライグマ妖精の姉妹やリス妖精達に見送られながら王宮にある、エルツ様の研究室に下りたった。
今日は誰もいなかったようで、無人である。
ただ、部屋の外が騒がしい。
いったい何事か。ドアノブを捻ろうとした瞬間、背後から声がかかった。
「ビー、部屋の外に出るな。ここにいたほうがよい」
驚いて振り返った先にいたのは、エルツ様だった。
「い、いらっしゃったのですか?」
「いいや、今、診察室から転移魔法で移動してきた」
モモも一緒にいたようで、深々と会釈してくれる。
「何かあったのですか?」
「第一病棟で火事が起きた」
「第一病棟というのは――」
「オルコット卿がいた場所だ」
なんでもオルコット卿は特に主治医などいなかったため、誰にも何も言わずに病室を移動したらしい。
そこに、エルツ様が幻術でオルコット卿がさもそこで眠っているかのような細工を施していたのだとか。
「オルコット卿に悪意を向ける者がいる。それをあぶり出せたらと思って、幻術を仕込んだ」
その結果、何者かが深夜に忍び込み、オルコット卿が眠っていた場所に火を放ったという。
「犯行はすべて記録用の水晶に残っていた」
深夜に第一病棟へ忍び込み、寝台に火を放ったのは、騎士隊の人間だったようだ。
騎士隊内に事件に関与した者が複数いたようで、騎士達が血眼になって探しているのだとか。
それで騒がしかったというわけである。
「寝台に火を放った犯人は没落した貴族――シュテリュン伯爵家出身の男だった」
かの一族は十五年前、戦争をしていたときに、敵国と武器の取り引きを秘密裏にしていたらしい。それにオルコット卿が気付き、糾弾した。その結果、一族は没落。
二度と王都に近付かないよう、国王陛下から厳命されていたようだが……。
「犯行に及んだシュテリュン伯爵家出身の男は養子縁組を結んだあと、別の貴族に婿入りし、名前が変わっていたようだ」
「オルコット卿を恨み、弱っているタイミングで火を放った、というわけだったのですか」
「そうみたいだ」
犯人とされる男性は、次期シュテリュン伯爵になる予定だったらしい。
約束された輝かしい未来をオルコット卿に潰され、恨んでいたのだろう。
「オルコット卿はご無事ですか?」
「もちろん」
昨日の夕方、オルコット卿はエルツ様が管理する病室に移された。そこは結界が幾重にも展開されているため、安易に近寄れないようになっている。
オルコット卿に被害は及んでいないと聞き、心から安堵した。
「エルツ様、解毒薬を作ってまいりました」
鞄から取り出したものを、エルツ様へと差しだす。
「これは、ハイクラスの解毒薬か。よく完成させたな」
「薬獣達のおかげなんです」
「そうか」
すぐにオルコット卿は服用したほうがいい。
「もうひとつ、リザレクション・ポーションも調合してまいりました」
ヒール・ポーション、キュア・ポーションと、ポーション系魔法薬の中で最大の回復力があるリザレクション・ポーションを用意してみた。
毒が抜けた状態であればエリクシールでなく、リザレクション・ポーションだけで十分な回復効果をもたらすだろう。
「これもハイクラスか」
「昨日いただいた素材や薬草に魔力を付与しまして、今朝方調合しました」
「魔力の付与を、二日連続でしただと?」
「え、ええ。それが何か?」
「体は辛くないのか?」
「いいえ。それどころか、体が軽いくらいで」
リス妖精曰く、私は他の人よりも魔力が多いらしい。
少し過剰気味に持っているので、付与によって体内にある魔力が減り、体が楽になっているのだろう。
「なるほど。そういうことだったのか」
「ええ。ですので、心配なく」
「承知した」
エルツ様は魔力の使い過ぎには注意するように、と言ってくれた。
「では、オルコット卿のもとへ行くか」
「はい」
廊下はいまだ混乱しているので、転移魔法で病室まで行くらしい。
エルツ様はダンスに誘うように、恭しく手を差し伸べてくれる。
誰かと一緒に転移魔法を展開する場合は、術者の傍にいなければならないようだ。
エルツ様の手にそっと指先を重ねると、優しく引き寄せられる。
腕の中にすっぽり身を委ねる形となった。
こういう密着にまったく慣れていないので、ついつい恥ずかしくなってしまう。
早く終わってくれ、と心の中で願った。
足元に魔法陣が浮かび上がると、一瞬で景色が変わる。
四方八方、本がズラリと並んだ研究室から、白い壁に囲まれた病室に下り立った。
私達がやってくることを、それとなく察していたのか。オルコット卿は背筋をピンと伸ばし、突然の登場にも驚いた様子など見せていなかった。
「ヴァンダールスト大魔法医長、それから専属魔法薬師殿、ようこそおいでくださった」
第一病棟での騒ぎはすでにオルコット卿の耳に入っているようで、迷惑をかけたと謝罪してくる。
「そなたは無関係で、まったく悪くないではないか」
「しかしながら、私を狙っていたと聞いたものですから」
オルコット卿は本当に優しいお方である。
願わくば、毒がきれいに抜けて傷も完治し、家族のもとで平和に暮らしてほしい。
「オルコット卿よ、ビーの活躍あって、無事、解毒薬が完成した」
「ほ、本当ですか!?」
「ああ、嘘は言わない。早く服用するように」
「はい!」
まず、オルコット卿はキラキラ輝く解毒薬を手に取る。
「このように美しい魔法薬など初めてです」
手のひらに一粒出し、そのまま飲み込む。
すると、オルコット卿の足に魔法陣が浮かんで、眩い光を放った。
光が治まったあと、オルコット卿は信じがたい、という表情でいた。
「なんと……! 頭が割れるような痛みや、吐き気、胃のむかつき、腹部の鈍痛などが一気になくなりました」
「続けてこれを飲むように」
「こちらは?」
「ビーが作った、傷を治すリザレクション・ポーションだ」
勧められるがまま、オルコット卿はリザレクション・ポーションを飲み干す。
すると、劇的な変化があったようだ。
「傷口が、まったく痛くない!!」
従者と共に包帯を外すと、傷口がきれいさっぱりなくなっていた。
「いくらエリクシールを飲んでも、ぜんぜん治らなかったのに……!」
解毒薬とリザレクション・ポーションは効果を発揮し、オルコット卿から痛みや苦しみを取り除いてくれた。
「専属魔法薬師殿、心から感謝する!」
「お礼はエルツ様に。魔法医の的確な診察がなければ、私達魔法薬師は無力ですので」
「私達魔法医も、魔法薬を作る魔法薬師がいなければ、完治に導くことなどできないのだがな」
「お二方とも、すばらしいということですね」
オルコット卿はやわらかく微笑み、何度も感謝してくれた。
◇◇◇
それから騎士隊は内部調査が入り、オルコット卿の暗殺に関わった者達が数名拘束されたようだ。
その中でも主犯となるシュテリュン伯爵家出身の騎士は、重禁錮五百年が命じられたらしい。つまり、一生牢屋から出られないという、死刑の次に重たい刑罰だった。
犯人が捕まり、命の危機に晒される心配がなくなったオルコット卿は――領地には帰らなかった。
荒れた病棟の状況を嘆き、王宮に留まって、整理すると決意したようだ。
それにより、病棟の廊下で眠るような騎士は排除され、重症患者以外のエルツ様の診察にかかろうとする貴族もいなくなった。
オルコット卿のおかげで、エルツ様の仕事がしやすい環境が整ったようである。
もうしばらく、オルコット卿は王都に留まるらしい。
領地にいる家族も呼び寄せるようで、今度紹介してくれるようだ。
問題が解決すると、私はザルムホーファー魔法薬師長に手紙を書いた。
かつてお祖父様の弟子だった彼は、私のことを酷く心配しているらしい。
後見人にもなりたい、などと言ってくれていたようだ。
さらに、イーゼンブルク公爵家から逃げ出した魔法薬師達も、ザルムホーファー魔法薬師長のもとで働くようになっていた。それについての感謝の気持ちも、直接伝える必要があるだろう。
手紙を送ったあと、郵便省に借りている私書箱に返事があった。
私書箱は離婚後に開設したもので、手紙が届くと魔法の水晶が光って知らせてくれるのだ。
それから手紙のやりとりを続け、三日後に会うことになったのである。
ザルムホーファー侯爵家は王都の中心街に立派な屋敷を所有していた。
もともと薬草や素材を販売する商売をしていた一族で、国内でも三本指に入るほどの裕福な一族である。
王都まではグリちゃんに乗って移動し、途中から乗り合いの馬車に乗って、ザルムホーファー侯爵邸を目指した。
屋敷に到着すると、執事やメイド達が丁寧に出迎えてくれる。
客室で待つこと五分、ザルムホーファー魔法薬師長がやってきた。
「ああ、久しいですね、ベアトリスさん」
「お久しぶりでございます、ザルムホーファー魔法薬師長」
ザルムホーファー魔法薬師長は長い白髭に丸い眼鏡をかけ、全身を覆うローブに、手にはロッドを握っているという、絵に描いたような魔法使いみたいな姿でやってくる。
「一か月前から行方不明だと聞いて、ずっと探していたのですよ」
「ご心配をおかけしました」
「ベアトリスさんは今現在、どちらにいらっしゃるのですか?」
この質問はすでに予想できていた。申し訳ないが、エルミタージュにいるとは言えない。
適当にはぐらかしておく。
「宿を転々としております」
「それはそれは、落ち着かない日々を送っているのですね」
「ええ、まあ」
それから近況を聞かれ、エルミタージュで過ごしている部分はぼかしながら話す。
「財を切り崩しながら生活されているのですね」
「ええ。ですが、魔法薬を売って暮らす予定ですので」
ここで、ザルムホーファー魔法薬師長が提案してくる。
「我が家で作ってください。私があなたの後見人となりましょう」
「いえ、そんな……」
「それだけでなく魔法薬師として、私のもとで働いてくれたら、嬉しく思います」
エルミタージュがなければ、ザルムホーファー魔法薬師長を頼っていたかもしれない。
けれども今は、住む場所はあるし、仕事だってある。
これから先、何も心配はないとは言えないものの、ささやかな暮らしであれば続けることができるだろう。
「なんとかやっておりますので、ご心配なく」
「決意は固いようですね」
「はい」
「そうですか。残念です」
強く引き留められたらどうしよう、と思ったが、ザルムホーファー魔法薬師長は私がやりたいことを理解してくれたようだ。
それからしばし、お祖父様の話に花を咲かせる。
ザルムホーファー魔法薬師長がお祖父様に師事する時代、今よりもずっと厳しかったらしい。
「私は祖父に甘やかされていたのですね」
「いいえ、そんなことはありませんよ。十分、厳しく接していたでしょう」
もしかしたらお祖父様は、オイゲンではなく、ザルムホーファー魔法薬師長を王室典薬貴族の後継者として育てていたのかもしれない。
お祖父様についての話は尽きないが、これ以上長く滞在したら迷惑になるだろう。
この辺りでお暇を――と思っていたら、引き留められる。
「実は、あなたに会いたい、と訴える者がおりまして」
「どなたですか?」
ザルムホーファー魔法薬師長は返事をする代わりに、呼び鈴をちりんちりんと鳴らす。
私と会いたい人なんて、まったく想像できないのだが。
なんて考えていたら、客室の扉が開かれた。
その人物を前に、思わず「え……?」と言葉を漏らしてしまう。
全身鳥肌が立ち、弾かれたように立ち上がってしまう。
どうして〝彼ら〟がここにいるのか?
「やあ、ベアトリス、元気かい?」
遠慮がちに発せられたその問いかけに、返す言葉は見当たらない。
客室に現れたのはオイゲンだった。