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契約を

「あら、セイブルではありませんか」


 彼はイーゼンブルク公爵家を守護する家猫妖精で、長年にわたってありとあらゆる災難から守ってくれる。

 長い歴史の中で、何度も流行病が蔓延まんえんした。そんな中でイーゼンブルク公爵家の者達が感染せずに調薬し続けられたのは、セイブルが守ってくれたおかげである。

 彼はイーゼンブルク公爵家の者ではなく、家と契約しているため、当主が代替わりしても居続けてくれるのだ。


 セイブルは私の足元へ下り立ち、撫でてくれと言わんばかりに額をすり寄せてくる。

 これまでお世話になった感謝も込めて、よしよしと撫でてあげた。


『ベアトリス、お前、このボロっちい鞄、いつも旅に持っていっているやつとは違うじゃないか。どうしたんだ? あのケチな当主に取り上げられたのか?』

「いいえ、違います。あの旅行鞄はここに置いていくんです」


 そう答えると、セイブルは何かを察したのか、ハッと顔を上げて私を見つめる。


『お前、もしかして、ついに当主に愛想を尽かして、家出でもするのかよ』

「いいえ、家出ではありません。追い出されてしまったんです」

『は!?』


 セイブルは目を見開き、信じがたいと訴えるような視線を向けてきた。


『待て。もう一度確認させてくれ。お前が当主を見捨てたんじゃなくて、当主がお前を切って離したと言うのか?』

「ええ、そうです」

『ば……バカだ! あの男、正真正銘のバカだ!』


 それについては残念ながら否定できない。

 せめて、私の代わりに選んだ女性が敏腕薬師だったら、なんて思っていたが、相手は魔法学校で成績最下位だったヒーディである。

 公爵夫人としてのこれからの切り盛りは、まったく期待できないだろう。


『イーゼンブルク公爵家の長い伝統と歴史は、ついに終わったか』

「それに関しての発言は控えさせていただきます」


 心配でしかないが、私はもう本家の彼らとは無関係となった。

 私の両親は私が十二歳のときに亡くなり、そこからお祖父様が身柄引受人となって育ててもらった。そのため、帰る家というのもない。

 これからどうしようか、考えなければならないだろう。


『お前、これからどうするんだ?』

「ひとまず、離婚承諾書を役所に持っていって、受理してもらおうかと」

『そうか』


 立ち上がってセイブルに頭を下げる。


「これまで、お世話になりました」

『気にするなよ。俺様とお前の仲じゃないか』


 もう一度、セイブルの頭を撫でてから踵を返す。

 幼少期からの付き合いだったセイブルとの別れは、辛いものだった。

 もう会えないのかと思うと、胸が締めつけられる。

 今になって、ここを離れるのが寂しくなってきた。

 瞼が熱くなっているのを感じたが、ぐっと堪える。

 泣いてイーゼンブルク公爵家の屋敷を飛び出したなんて、みっともない姿は誰にも見せたくないから。


 一歩、足を踏み出すと、再度背後から声が聞こえた。


『待ってー』

『一緒にいくー』

『置いていかないでー』


 振り返った先にいたのは、イーゼンブルク公爵家で働く薬獣やくじゅう、アライグマ妖精のムク、モコ、モフの三姉妹だ。


 薬獣というのは、薬草採取や調合など、薬作りを手伝ってくれる賢い使い魔のことである。薬師の手足となってくれる存在のため、薬師達は古くから敬意を込めて薬獣と呼んでいるのだ。 


 ムクとモコ、モフは百年ほど前からイーゼンブルク公爵家にいる、食客しょっかく薬獣だ。

 誰とも契約せず、食料である魔宝石と引き換えに、調合を手伝ってくれるありがたい存在だった。


 アライグマ妖精は中位妖精だが、彼女達は百年もの間、魔法薬作りに関わっている熟達した薬師のような存在だ。

 イーゼンブルク公爵家内でも、なくてはならない存在である。


「ムク、モコ、モフ……私と一緒に行くって、本気なのですか?」

『もちろん』

『ずっと決めていたの』

『ベアトリスとはずっと一緒だって』

「みんな、ありがとう」


 鞄を地面に置き、しゃがみ込んで腕を広げると、ムクとモコ、モフが飛び込んできた。

 もふもふ、ふわふわの体を抱きしめていると、ここを離れる寂しさも消えてなくなったような気がした。


「本当に嬉しい……!」


 喜びで胸がいっぱいになっていたものの、ひとつ問題があることに気付いた。

 それは、ムクとモコ、モフが食べる魔宝石の調達について。

 魔力が込められた魔宝石はかなり高価で、一回の食事につき一万ゲルトもするのだ。

 私の個人財産はそこまで多くないので、彼女達を十分に賄えるかどうか不安になる。


『どうかしたー?』

『何か心配?』

『話してみて!』

「あの、少し言いにくいことなんだけれど、私はあなた達をお腹いっぱいにさせられるくらいの収入が今のところ見込めなくって」


 アライグマ妖精の姉妹は同じ方向に首を傾げたあと、各々の頭上に三つの魔法陣を浮かべる。

 それは、私個人の薬獣になるという契約だった。


「あなた達、そんなもの、簡単に出してはいけません!」


 早くしまいなさい、と言っても、アライグマ妖精の姉妹は首を横に振る。


『契約したら、魔宝石はいらないよ』

『ベアトリスの魔力を、少しもらうから』

『安心してー』


 個人の契約は薬獣にとって不利なものである。

 少量の魔力と引き換えに、生涯使役できるものだから。

 そういった事情があるため、彼女達は誰とも契約しない、食客薬獣だったのである。


「でも、一緒にいてくれるだけでもありがたいのに、契約までしていただけるなんて」


 私の十分な収入が見込めるようであれば、迎えに行けばいい、だなんて考えていたのに。

 まさか、契約を持ちかけてくるなんて。


『ベアトリスと契約したいの』

『一緒に連れていってー』

『お願い!』


 アライグマ妖精の姉妹は手と手を合わせ、必死な様子で懇願してくる。

 どうしようか、と迷っていたら、セイブルが後押しした。


『おい、ベアトリス。そいつらを連れて行ってやれよ。どうせこの家に残していても、バカな当主がいじめるかもしれないだろう?』


 そのような事態など、絶対に許せない。

 オイゲンが勝手気ままにムクとモコ、モフを使うなんて想像すらしたくなかった。


「ムク、モコ、モフ、本当にいいのですか?」


 そう問いかけると、アライグマ妖精の姉妹は同時に頷いた。


「だったら、よろしくお願いします」


 そう言って、彼女達の魔法陣に触れる。するとパチン、と音を立てて消えた。

 契約は見事、成立となる。


『わーい!』

『やったー!』

『うれしー!』


 ムクとモコ、モフは二足で立ち上がり、小躍りを始める。

 なんともかわいらしい姿であった。


『ベアトリス、お前と契約したいのは、そいつらだけじゃないようだぜ』

「え?」


 頭上を大きな影が走りぬけていく。

 純白の美しい幻獣、鷹獅子グリフォン――。

 彼女もイーゼンブルク公爵家の食客薬獣で、名前はグリちゃんだ。


「グリちゃん!?」


 いつもは呼ばないとやってこないのに。こうやって自分から姿を見せるのは初めてである。

 それだけではなく、目の前に下り立ち、契約の魔法陣を示してきた。


『ぴい!』


 キリッとした顔で、契約するように、と鳴いているような気がした。


「あなたも、いいのですか?」

『ぴいいいっ!』


 いいから早くするように、と言われた気がして、魔法陣に触れた。

 グリちゃんとの契約が無事、結ばれた瞬間である。


「グリちゃん、ありがとうございます」

『ぴいいっ!』


 突然離婚を言い渡され、イーゼンブルク公爵家の屋敷から追い出されてしまったものの、私はひとりではなかった。

 ムクとモコ、モフだけでなく、グリちゃんも一緒にいてくれると言う。


「私、みなさんが楽しく暮らせるように、頑張って働きますので」


 そんな言葉を誓うと、彼女達は優しく私に寄り添ってくれたのだった。

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