素材保管庫にて
エルツ様がこれまで集めた薬草や素材を保管しているのは、研究室の下にある地下だった。
本棚にスイッチがあり、特定の書籍を押したり引いたりすると、地下への出入り口が出現するようだ。
「あの、私が仕組みを見てもよかったのですか?」
「別に問題はない。必要な品があれば、好きなときに出入りするとよい」
エルツ様は本気か冗談かわからない言葉を返してくれた。
「足元に気をつけるように」
「はい、ありがとうございます」
エルツ様が魔法で光の球を作ってくれたので、十分なくらい明るかった。
ひんやりとした階段を下った先に扉を発見する。
鍵や魔法などはかけられていないようで、ドアノブを捻ると簡単に開いた。
床に書かれていた魔法陣を踏むと、天井につり下がっているランタンが光る。
棚がずらりと並んでいて、小さな瓶がぎっしり詰まっていた。
「これは……すばらしい品揃えです」
ワイバーンのウロコやセイレーンの涙、メルヴの葉っぱに宝石キノコなど、貴重な素材が揃っている。
「私が集めた品はほんの一部で、ほとんどは放浪癖のある親族が収集した物だ」
「そう、だったのですね。まるで品揃えのよい、雑貨店のようです」
なんて話をしている場合ではない。本題へ移ろう。
「解毒剤の材料は――」
「獰猛ヘビに噛まれた砂ネズミの血に、猛毒薔薇の種、シアン青銀、水晶灰だったな」
「はい、間違いありません」
エルツ様とモモが協力し、材料を集めてくれた。
私はどこに何があるのかわからないので、ただただ傍観するしかない。
「これでいいだろうか?」
「確認させていただきます」
素材が保管されている瓶には、劣化しないよう保管魔法がかけられている。
非常にいい状態で保存されていたようだ。
「使えるだろうか?」
「はい。解毒薬の作成は私が失敗しない限り可能です」
ただ、素材の状態が上位に達していないように思える。
「上位の素材はキラキラ輝いているのですが」
「ああ、そうだったな。珍しい材料があればいいという話ではなかったか。今から素材収集が趣味の親戚に頼んだ場合、すべてを集めるのにどれくらいかかるか」
「おそらく今のシーズンだと、猛毒ヘビは冬眠していると思われます。砂ネズミの生息地も雪が積もっていて、生活の拠点が穴の中になっているでしょうし」
エルツ様は深く長いため息を吐く。
「ただ魔法薬を調合するだけでなく、素材についても把握していなければならないなんて、魔法医の百倍、魔法薬師は大変なんだな」
「それぞれ大変な部分はあるかと思いますが」
上位に分類される素材はめったにない。
どうしたものか、と考えていると、エルミタージュにあった温室について思い出す。
ここでピンと閃いた。
「エルツ様、魔力の付与で、素材のランクを上げることができます」
「魔力の付与だと?」
エルツ様は途端に眉間に皺を寄せ、険しい表情を浮かべる。
「魔法を巻物に付与する技術はあれど、そのままの魔力を付与するのは極めて難しい」
「そうなのですか?」
エルミタージュにあった魔法を付与する仕組みについて、要点だけを取りまとめて説明すると、エルツ様は「冗談だろう?」と呟く。
そういえば、リス妖精が魔力の付与は誰にでもできるわけがない、と話していたような。
「魔力切れの魔法石はありますでしょうか?」
エルツ様はモモを振り返る。
彼女はすぐに、空の魔法石がはいった瓶を探して持ってきてくれる。
「魔法陣を記憶しているので、少し試してみますね」
モモが用意してくれた羊皮紙に、羽根ペンで呪文を描いていく。温室と同じように、魔法陣の中心に空の魔法石を設置した。
隣に立つエルツ様が「なんだ、この魔法式は」などと言っていた。
「こちらです」
「火に油を注ぐような、無茶苦茶な魔法。こんなもので、本当に魔力を付与できるのか?」
「可能です。昨日お見せしたハイクラスのヒール・ポーションは、魔力を付与させたヒール草から調合しました」
説明するよりも、実際に見せたほうがいいだろう。
「試してみますね」
「その前に――失礼、少し触れる」
「え? ええ、どうぞ」
なぜかエルツ様は私の左手を握り、腰に腕を回した。
「こ、これはいったいなんなのでしょうか?」
「そなたの魔力が暴走したときに、ねじ伏せられる体勢だ」
「そ、そういうわけだったのですね」
なんでもお祖母様が作った素材に魔力を付与させる魔法は、でたらめで成功するはずもないような魔法式が使われているらしい。
魔力の付与が失敗したときのために、私を守るよう警戒してくれたようだ。
これまでにない密着具合に、激しく動揺してしまう。
心臓もバクバクと早鐘を打つように音を鳴らしていた。
おそらく顔も真っ赤だろう。
エルツ様に背を向けた状態でよかった、と心から思った。
照れている場合ではない。オルコット卿のためにも、一刻も早く魔力の付与を試さなければ。
魔法陣の上に素材を乗せ、手をかざす。すると、魔法陣から眩い光が発せられた。
私の腰に回されたエルツ様の腕が、ぎゅっと引き寄せられる。
まるで抱きしめられているかのような状態になってしまった。
光が治まると、素材はキラキラと輝く。
「信じられない。本当に上位ランクの素材になった」
「せ、成功したようです」
エルツ様はあまりにも驚いたのか、私を抱きしめたまま、硬直しているようだった。
「あ、あの、もう、大丈夫ですので」
「何がだ?」
なんと説明していいのかわからず、左手にそっと触れる。
するとエルツ様はビクッと反応し、素早く離れた。
「すまなかった」
「いえ、おかげさまで、安心して魔力の付与ができました」
顔が燃えるように熱い。
顔を合わせると恥ずかしくなってしまいそうなので、一刻も早く帰宅し、調合に取りかかったほうがいいだろう。
「早ければ明日の朝には解毒薬は完成すると思います」
「夜通し作るつもりではないだろうな?」
「ひとりであればそうなりますが、自宅には優秀な薬獣がおりますので」
「そうか」
ひとまず、私が調合している間はアライグマ妖精の姉妹に睡眠を取ってもらい、夜中の作業は任せたい。
家に帰る前に、少し引っかかっていることをエルツ様に報告した。
先ほど、毒の種類を聞いたときに気付いていたものの、オルコット卿の前で言うべきでないと判断したことである。
「あの、オルコット卿に盛られた毒ですが、これまで例にない、混合毒でして」
「ああ、そうだな。確かに聞いたことがない」
ひとつひとつが猛毒で、少量口にしただけでもすぐに息絶えてしまうような危険なものだ。
「ただ、三つの毒物を混ぜることによって、互いの毒を弱め合う拮抗作用があるように思えて……」
三つの毒を混ぜた影響で即死作用はないものの、解毒しなければ命を落としかねない、危険な猛毒であることは変わりない。
「どうしてそのような毒でオルコット卿を殺そうとしたのか、よくわからなくて」
エルツ様はしばし考える素振りを見せ、「うーむ」と唸る。
「もしかしたら、オルコット卿を殺すことが目的ではないのかもしれない」
それが何かまでは、さすがのエルツ様もわからないと言う。
「こちらで少し調べておこう」
「ありがとうございます」
地下から出て、研究室に戻ると、すっかり太陽は沈んでいた。
魔物は夜になると活発になる。グリちゃんと共に空を飛んで帰ることを考えると、いささか不安になる。
なんて考え事をしている私に、エルツ様が魔法巻物を差しだしてきた。
「帰りはこれを使うように」
「こちらはなんですか?」
「使用者が念じた場所に転移できる、特殊な転移魔法が付与された物だ」
通常の魔法巻物は、場所を指定した状態で作成される。
自分自身で好きな場所を指定する転移魔法は、通常であれば術者しか使えない代物なのだ。それを魔法巻物に付与するというのは、極めて高い技術がないとできない。
「とても貴重なお品なのでは?」
「いや、目的もなく、暇つぶしに作成しただけだ。気にせず持ち帰れ」
遠慮したほうがいいのだろうが、今は緊急事態である。
今日のところはありがたく受け取らせていただいた。
「何もかも、お世話になってしまい」
「これも持っていくように」
そう言って、エルツ様は貴重な薬草や素材が入った瓶を次から次にかごにいれ、私に手渡してくる。
「あの、かごの中の品は、とてつもなく高価な物ばかりなんですけれど」
「どうせ、ここにあっても一生使わないから、引き取るように」
返品は不可とばかりに、エルツ様は背後で手を組む。返しても受け取ってもらえないのだろう。
なぜ、無償でくれるのか、よくわからない。
地方に薬草採取にいったときに、宿のおかみさんがサンドイッチや水筒を持たせてくれるのと同じようなものなのだろうか。謎は深まる。
おかみさんのときも、お金を渡そうとしても受け取ってもらえなかった。
きっと、年長者が年下の者に見せる、定番の行動なのかもしれない。
「それでは、ひとまず預かっておきます」
そんな言葉を返すと、エルツ様は満足げに頷いたのだった。




