一日を終えて
処方箋は大丈夫だったかと尋ねると、問題ないと言う。
ホッと胸をなで下ろした。
「ビーの処方箋は字が丁寧で、大変読みやすい。処理も速く、非常に助かっている」
「お役に立てているようで、何よりです」
その話を聞いていたクルツさんが、拗ねてしまった。
「どうせ俺の処方箋の処理は遅くて、字は汚いんだー」
「処方箋については私といい勝負だから、それについては気にするな」
「魔法医長、自覚があったんだ」
「それなりに、だがな」
気心が知れたふたりの会話に、思わず笑ってしまう。
エルツ様の専属魔法薬師に任命されて緊張していたものの、クルツさんのおかげで、そこまで気を張らずに済んだ。
「午前中、働いてみて、何か不便はなかったか?」
「いいえ、まったくありませんでした」
研究室の内部は寒くもなく、暑くもなく。腰かける椅子は座り心地がよい上に、テーブルの高さもちょうどいい。
それだけでなく、モモがお茶を淹れてくれたり、お菓子を差し入れてくれたりするので、ありがたかった。
ただひとつ、気になる点があったので、伝えてみよう。
「エルツ様、研究室までの処方箋を運ぶ行き来が大変かと思いますので、診察室で作業をしたいのですが」
診察室の内部は比較的広く、私が処方箋を書くちょっとしたスペースはありそうだった。
私ひとりがお邪魔するくらいであれば、提供してくれるだろう。
「別に問題ないが、処方箋の作成に魔法書は必要ないのか?」
「はい。魔法薬についての知識は、頭に叩き込んでおりますので」
「それはすばらしいな」
魔法薬師としては当たり前のことだと思っていたが、そうではないらしい。
「グレイですら、処方箋の確認に魔法書を参考にするときがあると言っていたぞ」
「お祖父様は魔法薬師として務めていた年月が違いますので」
私もこの先、魔法書に頼らないといけない瞬間が訪れるだろう。
「もしも必要なときは、モモに頼んで持ってきていただこうかな、と思っております」
「わかった。好きにするといい」
「ありがとうございます」
そんなわけで、午後からは診察室で処方箋を書き写す。
昼過ぎから夕方まで診察を行うようだ。
先ほど騒ぎを起こした男性の姿がないだけでなく、診察を辞退した患者もいたらしい。
そのため、想定していたよりも早く診察が終わった。
クルツさんは背伸びをしながら、私を労ってくれた。
「あーーーー! ブルームさんのおかげで、仕事が早く終わったーーーー! ありがとう」
「いえいえ。クルツさんもお疲れ様でした」
「その言葉、普段言われないから心に染みるよ」
私もそうだ。一日働いて、誰かから声をかけてもらうことなんてなかった。
逆に私のほうが、イーゼンブルク公爵家の魔法薬師達に声をかけて回るような立場だったのである。
「魔法医長から聞いたんだけれど、ブルームさんは毎日出勤するわけじゃないんだよね?」
「ええ、そうなんです。ここでやっていけるか不安で、月に数回程度であれば、何かできることがあるかな、と考えていたものですから」
「大丈夫! 即戦力だから! お願い、明日も出勤して~~~~!!」
クルツさんは神に祈るように、懇願してくる。
家でぼんやりしているよりは、ここで働いていたほうがいいのだが。
ひとつ、一日働いていて疑問が浮かんだので、クルツさんに質問してみた。
「あの、エルツ様の下について働いているのは、クルツさんの他に何人くらいいるのでしょうか?」
「俺ひとりだけだよ。魔法医長に憧れて、これまで何人もここで働きたいと希望してきた魔法医はいたけれど、みんなぜんぜん続かないんだ」
なんでもエルツ様の求める仕事のレベルが高く、ついてこられる者が少ないらしい。
「俺もしょっちゅう怒られているけれど、もう慣れというか、なんと言うか」
クルツさんでさえも、辞めようと決意したことは一度や二度ではないようだ。
「処方箋の字が汚い、間違っているって突き返してくるし、勤務中にあくびをするなとか、背筋は伸ばせとか、そういう部分にもうるさいし……。俺、よく頑張っているな」
クルツさんはしみじみするように言っていた。
私もこれから、何かしらの注意を受けるのかもしれない。
役に立っていないのに、働きたいと言われても困るばかりだろう。出勤日数の希望についての判断は、エルツ様に任せることにした。
クルツさんはこれから、魔法医の研究グループの研修に行くらしい。
「まだ勉強されるのですね」
「いやーまあ、なんというか、実を言えば、研修という名の飲み会なんだ」
たまには息抜きが必要らしい。それを聞いて、働き詰めでないとわかって安心した。
「ブルームさんも一緒にどう? たまに魔法薬師もやってくる飲み会なんだ」
「いえ、その……」
「ブルームさんって、独身?」
「え、ええ、まあ」
「だったら、新しい出会いとかあるかも!」
「そ、そうですね……」
今日一日、クルツさんと挨拶するとき以外は頭巾を深く被り、他人に顔を見せないでいた。
けれども親睦を目的とする場では、それは許されないだろう。
どうしようか迷っていたら、エルツ様がやってくる。
「クルツ、そのような出会い目的の不埒な場に、ビーを誘うでない」
「うっ!」
「仕事がないから、さっさと帰るように」
「はいはい、わかったよ」
クルツさんはのろのろ立ち上がると、小さな声で「飲み会、参加する?」と聞いてくる。
けれどもエルツ様にじろりと睨まれ、ぺこぺこ会釈して帰っていった。
静かになった診察室で、エルツ様が呆れたように言う。
「クルツがすまなかった。悪気はないから、許してくれ」
「いえ、平気です」
「次に誘われたさい、もしも参加したくないときははっきり断ってくれ。クルツは鈍感ゆえ、曖昧な態度でいると、遠慮していると解釈するだろうから」
「わかりました」
今後についても、エルツ様に相談してみる。
「その、昨日、お話ししたときは最低でも月に一度、とおっしゃっていましたが――」
もしも魔法薬師として手伝えることがあれば、出勤日数を増やしたい。
そう申し出ると、エルツ様は目を見開く。
「図々しいことを申してしまいました」
「いいや、そんなことはない。今日一日の勤務で、そなたがここで働くのを嫌になっているだろう、と思っていたものだから驚いただけだ。見てのとおり、弟子はクルツひとりしかおらず、診察室の内勤は人が続かないから、出勤日数を増やしてくれると、非常に助かる」
問題ないようなので、ホッと胸をなで下ろした。
「でしたら、これからよろしくお願いします」
「ああ」
頼りにしていると言われ、胸がじーんと感激を覚える。
エルツ様のために、これから頑張ろうと改めて思った。
「今日はもう、帰るといい」
「はい、ありがとうございます」
会釈しようとしたそのとき、モモが『エルツせんせ、こちらを』と言って記録簿を差しだしてくる。
エルツ様は受け取って目を通すなり、険しい表情を浮かべた。
「これは――」
そう呟き、エルツ様は記録簿をなぜか私に差しだす。
「あの、見てもよいのですか?」
「ああ」
いったい誰の記録簿なのか。よくわからないまま受け取った。
患者は先王と公妾の間に生まれた嫡庶である騎士、オルコット卿だ。
彼は国の最北端にある国境の領地を与えられ、妻子と共に暮らしていたようだが、魔物との戦闘で負った傷がよくならずに、王都での治療を受けることとなったらしい。
「エリクシールの投与を半年間行ったにもかかわらず、快方に向かわず……ですか」
エルツ様が険しい表情をした理由を正しく理解した。
最高峰の魔法薬であるエリクシールの効果がない傷というのは、かなり厄介な部類だろう。
「不治のケガ、ということなのでしょうか」
「ひとまず、傷の具合を見てみないとわからない」
命を貪る攻撃を繰りだす邪竜から受けた傷は、死ぬまで治すことはできない、なんて話を耳にした覚えがある。
オルコット卿が受けた攻撃は、それに近いものなのだろう。
「エルツ様、私にも同行させてください」
「いいのか? 帰りが遅くなるかもしれないのだが」
「かまいませんので」
オルコット卿といえば、十五年前の戦争で活躍した英雄だ。
何か役に立てることがあれば力を貸したい。
「では、ゆくぞ」
「はい」
エルツ様のあとを、モモと共に続くこととなった。




