業務開始!
ザルムホーファー家の当主であるジル様とは、オイゲンとの結婚式で一度顔を合わせた覚えがある。
年頃は祖父より少し若い、六十代半ばから後半くらいだったか。
結婚式の日はお祖父様やオイゲンとばかり言葉を交わしていて、直接話すことはなかった。
なんでもオイゲンの名付け親はジル様だったらしい。そのため、オイゲンのことを自分の孫のようにかわいく思っていたのだとか。
ジル様は厳格で、近寄りがたい空気を発しているものの、誰よりも信頼できる魔法薬師だ、と生前のお祖父様は自慢するように話していた。
そんなジル様が、私まで気にかけてくれていたなんて。
「なんでも、ザルムホーファー魔法薬師長はそなたの後見人になりたいらしい」
「私にはもったいない申し出です」
いくらお祖父様の弟子とはいえ、そこまでお世話にはなれない。
なんでもジル様は、さまざまな貴族の伝手を使い、私を探していたらしい。
どうやら世間的に、私は行方不明者となっているようだ。
「面会だけ、申し出てみようと思います」
エルツ様と私が繋がっていると思われたら、迷惑をかけてしまうだろう。
そのため、直接ザルムホーファー家に手紙を送ることにした。
「別に私は繋がりがあると思われても構わないのだが」
「そこまでしていただくわけにはまいりませんので」
この件に関しては、頭の片隅に追いやっておく。
それより今は、一刻も早く診察を開始したほうがいいのだろう。
「エルツ様、私は何をすればいいのでしょうか?」
「そうだな……。では、記録簿から処方箋を記入してもらえるか?」
「処方箋は魔法医だけしか書けないのではないでしょうか?」
「何、そなたは記録簿に指定してある魔法薬を書き移すだけでいい。書けたあとは、私に提出しろ。間違っていないか、確認してから魔法薬師へ渡すから」
最終的にエルツ様が確認するのであれば、問題はないだろう。
「わかりました。場所は――」
「ここを使え。もしもわからない単語などがあれば、本棚にある魔法書を読んでもいいから」
なんでもここにある魔法書には、特殊な魔法がかけられているらしい。
「わからない単語を読み上げると、自動で関連する本が手元に届く」
「それはすばらしい仕組みですね」
クルツさんがエルツ様に怒られても、この部屋を使いたがるわけだ。
「何かわからないことがあれば、モモになんでも聞くといい」
「承知しました」
モモによろしくお願いします、と声をかけると、丁寧な会釈を返してくれた。
「では、昼食時にでも会おう」
エルツ様はそんな言葉を残し、研究室を去って行く。
残された私は、気合いを入れて処方箋を作成する作業へと取りかかった。
記録簿に書かれていたのは、常連さんとの手紙でお馴染みの、個性的な文字だ。
クルツさん的に言うと、〝くそ汚い〟である。
たしかに読みにくい文字ではあるが、他の魔法医も悪筆の持ち主であった。
長年、処方箋を読み解いて魔法薬を用意していた私からしたら、難しい仕事ではない。
素早く丁寧に処方箋を書いて、モモに託す。
すると、戻ってきたモモの手には新しい記録簿が運ばれてくる。
山のように積み上がった記録簿は、なかなか減らない。
想像していた以上に、エルツ様は大勢の患者を診察しているようだ。
お昼を知らせる時計塔の鐘の音でハッとなる。
『専属魔法薬師様、お昼の時間でちゅう』
「ええ、そうみたいですね」
集中していたので、あっという間に時間が過ぎていたようだ。
昼食は魔法医長室に用意されているという。
今日は私の分も作ってくれたようだ。
『エルツせんせのお部屋まで、案内しまちゅね』
「モモ、ありがとうございます」
『おやすいご用でちゅう』
彼女のあとに続くように歩くと、細長い尻尾がゆらゆら揺れていた。
なんともかわいらしい医獣である。
『ここが、エルツせんせの、魔法長室でちゅ』
モモは背伸びをして、扉を開く。
中には執務用のデスクと、来客を迎えるためのテーブルとソファが置かれていた。
昼食はテーブルに並べられていて、食べやすいサンドイッチや温かいスープなどが用意されていた。
料理は冷めないよう、保温魔法がかけられている。
サンドイッチにも乾燥しないような結界は施してあった。
さすが、王宮の料理である。時間が経ってもおいしく食べられるような工夫が施されていた。
料理はきちんと用意されているものの、肝心のエルツ様の姿はない。
「モモ、エルツ様はどちらにいらっしゃるのでしょうか?」
『うーん。もしかしたら、診察室にいるかもしれないでちゅねえ』
診察時間は午前と午後で区切られているようだが、鐘が鳴るのと同時に終わることは稀らしい。
「今日も忙しいのでしょうか?」
『そうだと思いまちゅう』
しばらく待っていたものの、やってくる気配はない。
モモは先に食べてもいいと言うが、なんとなく気が引ける。
「来ない、ですね」
『ちゅう……』
もしかしたら何か手伝うことがあるかもしれないので、モモに頼んで診察室まで案内してもらった。
診察室の前にはたくさんのソファが置かれ、そこには貴族の患者が大勢待っている状態だった。
想定以上の人数に驚きつつ、窓口を覗き込む。
するとゲッソリし、憔悴しているようなクルツさんの姿を発見した。
「あ、あの、大丈夫ですか?」
「わあ、ブルームさんの幻が見えるう」
「幻ではなく、本物です!」
なぜ、診察を中断しないのかと尋ねると、患者は聞く耳など持たないと言う。
「朝からずーーっと待っていて、俺達の休憩を許してくれないんだよお」
「そ、それは大変でしたね」
クルツさんが待機室の様子を伺おうものならば、ものすごい形相で睨んでくるようだ。
「もしかして、いつもお昼休みは取れていないのですか?」
「俺はお昼を少し過ぎたら、魔法医長が逃がしてくれるから。魔法医長のほうは、よくわからないけれど」
きっと休まずに診察をしているに違いない。
「きちんと休憩を取らないと、体を壊してしまいますよ」
「でも、患者さん、怖いもん!」
たしかに、待機室の様子は少し異様だ。皆、エルツ様の診察を一刻も早く受けてやる、みたいな迫力を感じていた。
「緊急の患者さんは、別の部署ですよね?」
「そう。ここにやってくる患者の多くは、慢性的な症状に悩まされる、自称重症患者の方々のみ」
「でしたら、いったんここを閉めて、皆でお昼休憩を取ってしまいましょう」
「え、そんなのできないよ!」
「できないのではありません。やるんです」
エルツ様に診てもらった患者が出てきたタイミングで、診察室の扉を閉める。
すると、次に待っていた患者が立ち上がり、怒りの形相で詰め寄ってきた。
「おい、どうして閉めるんだ! 次は俺の番だろうが!」
「午前の診察時間は終了しました。再開は一時間半後です」
「何をバカげたことを言っているんだ! 俺は朝から待っていたんだぞ!」
「しかしながら、診察は午前の部と午後の部と決まっておりまして、間に休憩を挟んでおります」
「魔法医がとろとろ診察しているから、患者の待機時間が長くなっているんだ! 休憩する暇なんぞ、あるわけがないだろう!」
何やらギャアギャアと騒いでいるようだが、決まりはきっちり守っていただかなくては。
にっこり微笑みながら、こちらの言い分をお伝えする。
「休憩せずに診察を続けて、先生が倒れてしまっては、元も子もありませんので、どうかお昼休み明けに、またいらしてくださいませ。再開時は、あなた様を一番に先生が診断いたしますので」
「こいつ、生意気を言いやがって――!」
そう言って、拳を振り上げてくる。
暴言を吐くだけでなく、暴力でも解決しようとするようなお方だったようだ。




