帰宅
買い物を終えたあと、エルツ様は街の外まで送ってくれた。
「本当にここまででいいのか?」
「はい。あとは、契約している薬獣が家まで連れていってくれますので」
「そうか」
グリちゃんを呼ぶと、空のお散歩から戻ってきてくれる。
警戒心が強い彼女は、エルツ様を見るなり翼を大きく広げ、『ぴい!』と威嚇するように鳴いた。
「グリちゃん、エルツ様は敵ではありませんよ」
『ぴいい?』
エルツ様は気を悪くするどころか、勇気のあるいい薬獣だ、とグリちゃんを褒めてくれた。
「とってもいい子なんです」
「そのようだな」
エルツ様が手を伸ばし、グリちゃんの嘴に触れる。
一瞬、突かれるのではないか、と思ったが、グリちゃんは目を細めるだけだった。
「驚きました。グリちゃんは私や祖父以外に、心を許さなかったので」
「そうか。昔から、獣受けはいいほうだったからな」
獣受けとは……? と思ったものの、聞き流しておいた。
何はともあれ、賢いグリちゃんはエルツ様が優しいお方だとわかってくれたようだ。
「ベアトリスよ、これを持っていくように」
そう言って手渡されたのは、詠唱なしに魔法が使える魔法巻物である。
見てみるとサイクロンやライトニングなどの、強力な魔法ばかりだ。
「空には魔物が少ないが、その分遭遇したときは凶悪な個体である可能性が高い」
一応、グリちゃんが装着している腕輪には魔物避けの魔法が付与されているものの、ワイバーンやハーピーなど、魔力が高く強い魔物には効果が薄いだろう。
念のため、私も魔法巻物を数枚所持しているのだが、ファイヤー・ボールやウインド・カッターなどの初級魔法のみ。
「代金は給料から天引きでお願いします」
「どうせ、そうでもしないと、受け取らないのだろう?」
「ええ、その、はい」
エルツ様は呆れた様子で、「そなたのことは、少しわかってきた」と口にしていた。
「まったく、大貴族に生まれた娘だというのに、他人の厚意を簡単に受け取らないとはな」
「申し訳ありません」
厚意を拒絶するというのは失礼に値する。わかっているものの、返せないほどの厚情は時として心の負担になってしまうのだ。
「まあ、いい。この魔法巻物は給料から天引きにしておくから、素直に受け取ってくれ」
「ありがとうございます」
エルツ様が差しだした魔法巻物を、恭しく受け取る。
「それと、これは出勤用の魔法巻物だ。私の研究室と繋がっている」
「転移魔法ですか?」
「ああ」
わざわざグリちゃんに乗って王都まで来ずとも、直接出勤できるらしい。
十枚ほどの束を手渡される。
魔法巻物の中で転移魔法はもっとも高価だと言われているのに、こんなに支給してくれるなんて。
「帰りの分も作れるが――」
「て、手作りなのですか?」
「そうだが」
魔法巻物作りは魔法に熟達した職人でないと作れない。ただ、その魔法が使えるだけではなく、付与魔法の扱いも必要になるから。
エルツ様は魔法医というだけでなく、優秀な魔法使いでもあるようだ。
「そなたは自分の住処を他人に知られたくないのだろう?」
申し訳ない気持ちで、こくりと頷く。
「まあ、帰りはその鷹獅子が無事に送り届けてくれるだろう」
グリちゃんはもちろんそのつもりだ、と言わんばかりに『ぴいっ!』と勇ましく鳴いた。
「気をつけて帰るように」
「はい、そのようにいたします」
胸に手を当てて、深々と会釈する。
グリちゃんに跨がり、エルツ様に見送られながらエルミタージュへ帰ったのだった。
◇◇◇
私の帰りを、リス妖精だけでなく、ムクとモコ、モフが出迎えてくれる。
『お帰り!』
『待ってた』
『寂しかったよ~』
健気なことを言ってくれるアライグマ妖精の姉妹を、まとめて抱きしめる。
すると、嬉しそうにきゃっきゃと笑ってくれた。
オイゲンに遭ってしまったからか、酷く疲れているような気がした。
こういうときは、薬草茶に限る。
庭で疲労回復効果があるマテの葉を採り、心を落ち着かせるラベンダーの茶葉にブレンドしてみた。
お買い物に付き合ってくれた綿埃妖精の分も入れる。
深皿に注いであげると、ダイブする勢いで突っ込んでいた。
相変わらず、飲んでいるというよりは吸収している、と言っても過言ではない様子に、思わず笑ってしまう。
『おいしいねえ』
「ええ、おいしいです」
誰かとお茶を飲むのはいいものだ、というのを綿埃妖精が教えてくれた気がした。
お茶を飲んでホッとひと息吐いているところに、セイブルがやってくる。
『よお、遅かったじゃないか』
「いろいろありまして」
オイゲンについては、考えただけで頭が痛くなる。
『なんだ、疫病神にでも出会ったのか?』
「そうかもしれません」
『どうせ、オイゲンがお前のところにやってきて、あることないこと文句を言ってきたんだろうが』
「まあ、よくわかりましたね」
『当たり前だ。あいつも生まれたときから見ていたからな』
魔法薬師達がこぞっていなくなったことや、屋敷に害虫や害獣などが押しかけた話をすると、セイブルは『やっぱりそうなったか』と呆れたように呟いた。
『イーゼンブルク公爵家で働いていた魔法薬師達は、お前がいたから、屋敷に残っているようなもんだったんだよ。そんな魔法薬師達が、魔法薬作りに関わっていなかったオイゲンの下になんてつくわけがない』
オイゲンに関しては同情の余地など欠片もなかったが、我が家を頼っていた魔法医や患者に対して申し訳なく思ってしまう。
『まあ、あまり気負うなよ。魔法薬師は他にもいるだろうから』
「ええ、そうですね」
『それにしても、災難だったな』
「本当に」
ただ、想定していなかった出会いもあった。
「今日、王室典医貴族である、エルツ様と出会ったんです」
『あー、そういや、なんか普通じゃない奴と手紙を交わしていたな』
「ご存じだったのですか?」
『少しな。屋敷に届く手紙の魔力が善良かそうでないか、見分ける程度だったが』
私のもとに届いていたエルツ様の手紙は、ただ者でない空気をびしばしと発していたらしい。
「今日、手紙の主がエルツ様だと知ったのですが」
『お前、誰だかわからない相手の依頼を受けていたのか? ってことは、処方箋すらなかったってことだな』
「ええ。手紙から困っている様子を読み取ったので。処方箋もなしに魔法薬を渡すのは違法なので、薬草茶やお菓子を用意していました」
『お人好しにもほどがある』
「いえいえ。報酬はきっちりいただいておりました」
『魔法薬師に魔法薬ではなく、薬草茶を売ってくれとせがむ奴なんて、不審でしかないだろうが』
セイブルから呆れた視線を向けられてしまった。
「そのご縁で、エルツ様のもとで専属魔法薬師として働くことになりました」
『いや、王室典医貴族の専属魔法薬師って、王室典薬貴族のことじゃないか』
「そのようなたいそうな存在ではなく、エルツ様の助手のような業務だと聞いております」
『そうだとしても、王室典薬貴族であるザルムホーファー家の当主が聞いたらなんと思うか』
「その辺も質問しましたが、問題ないとエルツ様はおっしゃってくれたので」
きっと大丈夫、というのは言葉にできなかった。
たしかに、セイブルが指摘するとおり、王室典薬貴族でもない私がエルツ様のお傍にいることを知ったら、ザルムホーファー家の人々は面白くないと思うに違いない。
『面倒なことに巻き込まれたくなかったら、今からでも遅くないから、断ってこいよ』
「えーっと、それについてなのですが」
『どうした?』
「実は、すでにエルツ様と専属魔法薬師として働くと契約を交わしておりまして」
『お前……なんて迂闊なんだ』
「返すお言葉が見つかりません」
今日一日、いろいろあったので、冷静に物事を考えられなかったのかもしれない。
契約はいつでも破棄できる、と書いてあったものの、やると言った以上、すぐになかったものにするわけにもいかないだろう。
『こうなったら、職場では偽名でもなんでもいいから、イーゼンブルク公爵家の者だと名乗らないほうがいいかもしれないな』
「え、ええ。のちほど、エルツ様に聞いてみます」
仕事が見つかって喜んでいたものの、前途多難のようだった。
 




