お買い物へ
「このあとはもう帰るのか?」
「いえ、少しお買い物をしていこうかな、と思っています」
なんせ、一ヶ月もの間エルミタージュに引きこもっていたので、家にある食材が尽き欠けているのだ。
薬獣達にあげる魔宝石も購入しておきたい。
「ならば、買い物に付き合おう」
「いいえ! そこまでしていただくわけにはまいりません」
「しかし、荷物を持つ者が必要だろう?」
「それは、この子がいるので平気です」
綿埃妖精を見せると、少し驚いた表情を浮かべる。
「かごの中から喋っていたのは、そいつだったのか」
「はい。綿埃妖精なんです」
「なんとも珍妙な生き物だ」
なんと、千年も生きているエルツ様でも初めて目にするような、珍しい妖精らしい。
どんな重たい物でも口の中に含んだら、軽いまま運べると説明すると、さらに目を見開いていた。
「えーっと、そんなわけですので、大丈夫なんです」
「そうか。ならば、気晴らしをしたいから、そなたの買い物に付き合おう」
「……」
そんなふうに言われてしまったら、断る理由はなくなってしまう。
「迷惑だろうか?」
「いいえ。実を言えば、ひとりで歩くのが少し怖いな、と思っておりまして」
どこにいても、鳥マスクの人物が私の魔力を辿って探し当て、夫のもとへ連れていくかもしれない。
そんな事情を考えたら、のんびりお買い物をしよう、だなんて思えなかったのだ。
「元夫は取るに足らない相手なのですが、彼と契約していた魔法使いは警戒が必要で」
「とてつもなく、怖い思いをしたのだな」
「ええ……」
なぜかエルツ様がしゅんとしているように見える。
いったいどうしたのか。
「そなたのことは、一ヶ月も前から探していたのに、見つけることができなくて……。もしも早く会っていたら、元夫に出くわすようなこともなかっただろう。悪かった」
「エルツ様が謝るようなことではありません。どうかお気になさらず」
「しかし、恩師の孫娘であったそなたを守れなかったことは、私にも責任がある。何か、詫びでもできたらよいのだが」
「いえいえ! 専属魔法薬師に任命していただけただけでも、ありがたいことですので」
そう訴えても、エルツ様はしょんぼりしていた。
なんとか元気づける方法はないのか、と考えたところで、ピンと閃く。
「でしたら、今度、自動洗濯機の修理をしていただけませんか?」
「私を、そなたの住居へ招待してくれる、ということなのか?」
「すぐにではなく、しばらく経ってからになりそうですが」
とりあえず今は、誰かにエルミタージュについて教えるつもりはない。
けれどもオイゲンとの間にある問題が解決したら、他人を警戒する必要もなくなるだろう。
「わかった。では、そなたが望むときに、いつでも赴いて、修理してみせよう」
「ありがとうございます」
エルツ様は「新しい洗濯機を贈ってもいいのだが」とボソリと言ったものの、それに関しては丁重にお断りさせてもらった。
それからエルツ様と共に、市場へ買い物に向かった。
エルツ様は市場にやってきたのも初めてだったようで、どこに行っても物珍しそうにキョロキョロと辺りを見回している。
人込みも歩き慣れていないのか、何度も人とぶつかりそうになっていた。
そのたびに、腕を引いて回避させていたのである。
「ここにいる者達はなぜ、避けて歩かない!?」
「市場とはこういう場所なんです」
普段、エルツ様の歩く道は下々の者達が空けてくれるのだろう。
だから、ぶつかるように歩いてくる人々に戸惑っているのかもしれない。
「ベアトリス、そなたはなぜ、このような場所に慣れているのだ? 貴族の娘が出入りするようなところではないだろう?」
「普通の貴族の娘であれば、たしかに市場には立ち寄らないでしょう」
けれども私は、趣味で作る薬草茶やお菓子の材料を市場に買いにきていた。
「自由にできるお金があまりなかったので、少しでも安く買おう、と思っていたので」
「そなたは本当に、イーゼンブルク公爵家の妻だったのか?」
「名前だけは、公爵夫人だったかと思います」
「名前だけ、というのは?」
込み入った話をしてしまった、と思わず口に手を当てる。
エルツ様は聞かなかった振りをしてくれなかった。
「詳しく話してみろ」
「聞いていて楽しい話でもないのですが」
「それでもいいから」
適当にはぐらかすべきなのだろうが、その術を私は知らない。
エルツ様がじっと見つめてくるのに耐えきれなくて、話し始めてしまう。
「その、大変お恥ずかしい話なのですが、夫には結婚以前より恋人がおりまして、私は名前だけの妻だったのです」
イーゼンブルク公爵の妻である重要な役割――跡取りを産まないまま、公爵夫人の座に収まり続けていたのだ。
「白い結婚か」
「はい。幸い……と言っていいのかわかりませんが、元夫の愛人だった女性が妊娠したようで」
「それをきっかけに、離婚するように言われた、というわけか?」
言葉にならず、こくりと頷く。
「苦労ばかりの結婚生活だったようだな」
「そう、言ってもいいのでしょうか?」
「夫に愛人がいて、辛くはなかったのか?」
「それは……」
そうではなかった、と今ならはっきり言えるだろう。
オイゲンの愛情が私に向いていたら、と思うと、申し訳ないことにゾッとしてしまう。
彼の気持ちが私になかったからこそ、三年もの間、公爵夫人で居続けられたのだろう。
「元夫との結婚を決めたのは、祖父のためでした。彼への愛情はこれっぽっちもなく、義務としてしたまでで、愛されない日々が続いても、なんとも思わなかったのが正直な気持ちです」
イーゼンブルク公爵家の魔法薬師達と協力しながら、魔法薬を作る日々は、幸せだったと言えるのかもしれない。
お祖父様から習った技術が、すべて活かされるような毎日だったから。
「ですので、自分自身を不幸だとは思っておりません」
「そうか」
話し終えてから、ハッとなる。
ここまで打ち明けるつもりなどなかったのに。
「す、すみません、このようなつまらない話をしてしまって」
「つまらなくはない。グレイの教えのもと、そなたが努力を続けていた話を知ることができてよかった。この三年間、よく頑張ったな」
その言葉を聞いて、とても勇気づけられる。
先ほど薬局の店主から、まるで可哀想な生き物を見るような眼差しを向けられた。
オイゲンから離縁状を叩きつけられた私は、価値のない者として見られているように思えて、居心地悪く感じたのだろう。
エルツ様が認めてくれたので、公爵夫人であった三年間を否定せず、誇りに思うようにしよう。
そう、心に強く誓ったのだった。