ヒール・ポーションの価値
そっと指先を重ねると、優しく握り返してくれた。
思いのほか、丁重に触れてきたので、なんだかどぎまぎしてしまう。
立ち上がらせてくれるために手を貸してくれたのかと思いきや、そのまま手を握って歩き始める。
「あの、手……! 繋がなくても、ついてまいりますので」
「しっかり捕まえていないと、逃げるだろうが」
どうやら信頼がないので、手を握っているだけらしい。
エルツ様から逃げられる者などいないような気もするのだが……。
異性と手を繋いだ覚えなどないので、照れてしまう。
「どうした?」
「え?」
「顔が赤いように思えるのだが」
異性と触れ合う耐性がないので、照れているのだろう。
夫とは白い結婚だったし、それ以前にも、言い寄られたことなど皆無だったから。
イーゼンブルク公爵家で働いていた魔法薬師は女性が大半、数少ない男性も父と同じくらいの年齢だった。
年若い男性と接する機会さえあれば、ここまで恥ずかしくなることもなかっただろうに。
まあ、エルツ様はクリスタル・エルフの始祖で、千年以上生きている。
年若いのは見た目だけなのだ。
エルフ族は魔力の全盛期に老化が止まる、なんて話を魔法書で読んだ覚えがあった。
エルツ様の見た目の年齢は、三十前後だろうか。
お肌もつやつやで、とても千年以上生きているようには見えない。
これから一緒に働くかもしれないお方だ。
いちいち照れていたら、気が持たないだろう。
エルツ様のことはお祖父様と同じように、ご老体だと思うようにしなければ。
「具合が悪いのであれば、またの機会にするが」
「いいえ。久しぶりに外出したので、肌が日に焼けているだけなのでしょう。平気です」
ひとまず、今日のところはそういうことにしておいた。
喫茶店の支払いを済ませて外に出ると、エルツ様の使い魔であるブランが飛んできて肩に止まる。
路地裏から大通りに出ると、エルツ様がぼそりと呟いた。
「薬局はどこだ?」
「こちらです」
千年もこの国で暮らしていても、どこにどのお店があるか把握していないようだ。
案内するのは、オイゲンと繋がりのある魔法薬師のいるお店だが、この辺りは他に薬局はないので仕方がない。
貴族街にあるもっとも立派な薬局――そこには千種類以上の魔法薬が常備されていて、貴族に仕える使用人達が毎日行き来しているという。
私も何度かオイゲンの命令で、魔法薬を納品するためにやってきたこともあった。
「いらっしゃいませ」
年若い店主はオイゲンの幼少期の級友であった。
オイゲンは魔法学校には通っていなかったものの、それ以前の中等教育機関には通っていたのだ。店主は中等教育機関時代のお友達というわけだ。
彼は私とも、魔法学校時代の同級生である。
魔法学校はすべて男女別のクラスだったため、言葉を交わすことはなかったものの、卒業後はこのお店で一言二言喋る機会があった。
店主は頭巾を深く被ったボロの外套を着込んだエルツ様に、不審者を見るような視線を送っていた。
ここのお店は身なりがいい客しかやってこないので、警戒しているのかもしれない。
店主は私に気付き、明らかに安堵したような表情を向けていた。
「ああ、イーゼンブルクさんのお連れの方でしたか」
「ええ」
店主は気まずげな様子だった。エルツ様がいるからだと思っていたが違った。
「その、離婚をされたとかで」
「あ……ええ、そうなんです」
「それはそれは、大変でしたね」
憐憫の眼差しが向けられ、なんとも居心地悪く思ってしまう。
「すみません、関係のない話をしてしまって。今日はなんのご用でしょうか?」
「この薬を査定していただけますか?」
魔法薬師の証である腕輪と共に、ヒール・ポーションを出す。
キラキラと発光するヒール・ポーションを目にした店主が、ハッとなる。
「こ、これは!!」
手に取って、ルーペで状態を確認していた。
通常のハイクラスのヒール・ポーションであれば、金貨一枚が妥当である。
きっとそれくらいだろう。そう思っていたが――。
「このヒール・ポーションの買い取り価格は、金貨六十枚ほどです。複数量を販売いただけるのであれば、もっと高く値を付けることもできるでしょう」
「え?」
思わず、エルツ様を見上げてしまう。すると、頭巾を僅かにあげ、「ほら見たことか」と言わんばかりの視線を向けていた。
「こちらを作ったのは、イーゼンブルクさんで間違いないですか?」
「え、ええ」
「これほどの魔法薬を作れるとは。さすが、魔法学校時代に首席だったお方です」
魔法学校で首席だった話など、過去の栄光である。
卒業して数年経った今は、誇れるものでもなんでもないと思っていた。
「こちらは、うちで買い取ってもいいお品でしょうか?」
「それは――」
「いや、これは持ち帰る」
エルツ様はそう言って、店主からヒール・ポーションを取り上げた。
「ただ単に、査定を頼みたかっただけだ」
「は、はあ」
なんだか申し訳なくなったので、魔法薬作りに必要な薬品をいくつか購入しよう。
商品を選ぶ間、エルツ様は腕組みし、店主を見張るような視線を送っているように見えた。
蛇に睨まれた蛙のような心地を、店主は味わっているのだろう。
手早く買い物を済ませ、薬局を出ることとなった。
再び人気のない路地に入り、言葉を交わす。
「そなたが作る薬の価値を、きちんと理解できたか?」
「はい」
「このヒール・ポーションを一本金貨二枚で売っていたなど、信じられない」
これまでハイクラスのヒール・ポーションなど依頼されなかったので、正確な価値を理解していなかったのだ。
「今後については、この手鏡を通じて連絡する」
そう言って、エルツ様は懐から鏡を取り出し、私へ手渡した。
「名前を呼びかけたら、いつでも連絡が取れるようにしてあるから、何か用事があれば使うといい」
「ありがとうございます」
エルツ様、と呼びかけただけで繋がるなんて、なんとも恐れ多い魔技巧品である。
エルミタージュの場所を教えるわけにはいかないので、こういう連絡手段があるのは大変ありがたい。
「それと、元夫のことで何か困ったことがあれば、ささいなことでもいいから報告するように」
「そ、それは……」
そこまで頼ってしまうのはどうなのか。
ただでさえ、雇ってもらって助かっているのに。
「元夫については、自分でなんとかしますので」
「今日も、ディンディル伯爵に助けてもらったのだろう? なんとかできていないではないか」
それを指摘されると、なんとも言えなくなる。
「そなたが元夫から損害を被り、私の業務に支障がでたら困る。だから、必ず報告するように」
「はい、承知しました」
エルツ様は別に私の私生活を気にかけてくれているわけではない。
夫の妨害があったら、業務に影響が出るからだ。
これも仕事の一環だと思い、オイゲンのことで何かあったら、エルツ様に頼らせていただこうと思った。