これからについて
のんきに世間話をしている場合ではなかった。エルツ様は王室典医貴族というご多忙の身。本題へ移らなければならないだろう。
「あの、話があるとおっしゃっていましたが」
「ああ、そうだったな」
エルツ様はまっすぐ私を見つめながら、話し始める。
「以前のように、そなたが煎じる薬草茶を購入したい」
薬草茶よりもまず診断を――と思ったものの、言って聞き入れてくれるようなお方ではないだろう。
「もちろん喜んで、と言いたいところですが、これまでと同じように、使い魔を自宅へ送ることはできないでしょう」
「なぜ?」
「えー、その、防犯上な理由、と言いますか」
「この私は不審者と化す可能性がある、と言いたいのか?」
「いえいえいえ、とんでもない!」
この世のどこに、クリスタル・エルフの始祖たるエルツ様を不審者扱いする者がいるというのか。
大公家であるヴィンダールスト家は国王がもっとも信頼する家門で、魔法医としてもたくさんの人々から尊敬を集めている。
そんなエルツ様と、深い関係になりたいと望む者ばかりだろう。
けれども私は、他人との接触は最低限にしたい。
その事情について、エルツ様に告げた。
「実は、別れた元夫に恨まれておりまして……」
オイゲンは関係ない人達に迷惑をかけてでも、私と接触しようとしていた。
彼の周囲で起こっている悪いことのすべてを、私のせいだと決めつけていたのだ。
今日は運よくディンディル伯爵が私を助け、オイゲンは騎士に捕まった。
だが、騎士隊に拘束されるのも、長くて十日ほどだろう。
出所した彼は、騎士に捕まったのは私が罪をなすりつけたからだ、と主張するに違いない。
「元夫は魔法使いを雇い、自白させる魔法で情報を引き出そうとしました」
もしも、私と親しくしていたら、その人にも迷惑をかけてしまう。
空気が読めないオイゲンは、たとえエルツ様相手でも、暴挙に出るに違いない。
「そういう事情がありまして、個人的なお付き合いはできない状況なのです」
エルツ様は私の話を聞いているうちに、眉間に皺を寄せ、眉をつり上げていた。
明らかに怒っているようだ。
「そなたの元夫のせいで、私は付き合いを制限されないといけないわけか」
「はい……申し訳ありません」
エルツ様はオイゲンの愚かな行動について呆れているのだろう。この世の深淵に届くのか、と思うくらいの深く長いため息を吐いていた。
「では、離婚してからというもの、隠れるように暮らしていたわけだな」
「ええ、まあ、そうですね」
「収入はどうしている? まさか、持参金を切り崩しているのではないな?」
「持参金――いいえ。貰っておりません」
「バカな!」
持参金というのは、結婚時に両親が用意し、嫁ぎ先に収めるものである。
夫が亡くなったり、離婚したりした場合は持参金は返され、それでしばし暮らしていくことになるのだ。
私の場合の持参金は、他とは事情が少し異なる。
「その、私の持参金は両親が用意したものではなく、祖父が用意したものでして」
「グレイの財だったのか?」
「はい。両親は亡くなっていて、持参金になるような財産もなかったものですから」
父は次男で、当然ながらイーゼンブルク公爵家から引き継げる財産などない。
外交官として、各地を忙しく行き来する日々を過ごしていた。
途中、屋敷を購入したため、借金があった。
両親が事故で亡くなったさいも借金は残っていて、お祖父様が代わりに返済してくれたのだ。
その屋敷は私が管理し、他の貴族へ貸し出していたのだが、ある日オイゲンがヒーディが暮らす拠点として使いたいからと言って、取り上げられてしまった。
「今は、エルツ様からいただいた金貨と、魔法薬を売ったお金で暮らしています」
これからもきっと、そうなるだろう。なんて話をし終えると、腕組みしたエルツ様は悪魔のような形相でいた。
「話を聞けば聞くほど、そなたの元夫は酷い男だ」
そうなんです、と言いたかったが、ぐっと飲み込む。
オイゲンは最低最悪の男だとわかっているものの、彼の悪口を言ったらお祖父様に対する侮辱に繋がる気がして、とてもではないが口にできないのだ。
「私はこれからもずっと、薬獣や妖精達とひっそり暮らして、魔法薬を作って、売る暮らしを続けると思います」
それはとても平和で、幸せな人生だと思っている。
「なぜ、そなたが隠れるように暮らさなければいけない? 本来ならば、恥ずかしい行いを繰り返す元夫とやらが、隠居する必要があるというのに」
「それは――」
たしかに、この先一生、オイゲンから逃げ、隠れるように暮らさないといけないことに関しては腹立たしいような気がする。
けれども私が表に出ることによって、たくさんの人達に迷惑をかけてしまうかもしれない。
それを思えば、彼に立ち向かおう、だなんて選択など欠片も浮かんでこなかった。
「ベアトリス・フォン・イーゼンブルク、王宮で働かないか?」
「え?」
「そなたほどの実力があれば、王室典薬貴族に返り咲くのも夢ではないだろう」
「い、いえ、そのようなことは、考えたこともありません」
「グレイが手放したそれを、取り返したいとは思わないのか?」
「まったく、これっぽっちも欲しておりません」
お祖父様は十年前、息子であるオイゲンの父親が亡くなったときに、王室典薬貴族の位を返上した。
そのあとは、魔法薬師として歴史あるザルムホーファー家の当主が任命され、今も王室典薬貴族として在り続けている。
「ザルムホーファー家のジルは、グレイと親しき仲だったな」
「ええ。祖父の一番弟子だった、と聞いております」
お祖父様の意思を引き継ぐ者が王室典薬貴族に任命されたので、私は今も誇らしい気持ちでいる。
イーゼンブルク公爵家が再び王室典薬貴族に、なんて考えているのはオイゲンくらいだろう。
「王宮で働こうだなんて、とても考えられません。ザルムホーファー家のご当主様にも、気を遣われそうで、申し訳ないです」
「そうか」
貴族街においしい薬草茶を販売している店がある。そこを紹介しようとしていたのに、まさかの提案を受けてしまった。
「ならば、私の専属魔法薬師になる気はないか?」
「専属魔法薬師、ですか?」
「ああ、そうだ。そなたの薬草茶や菓子、料理などを買い取るだけでなく、魔法薬の取り引きも行おう」
魔法薬の販売先について、友人や知人を頼るのはよくない、と考えているところだった。
ただ、気になるのは王室典医貴族であるエルツ様との専属契約である。
貴族と魔法薬師が直接契約を結ぶというのは珍しくもないが、王室典医貴族と直接繋がりを持つという話は初めて聞いた。
「具体的に、専属魔法薬師というのはどのようなお仕事をするのでしょうか?」
王族の診察、治療に当たる王室典医貴族たる者は、王室典薬貴族に魔法薬を依頼する。
本来であれば、王室典医貴族に専属魔法薬師など必要ないのだ。
「王室典医貴族の主たる仕事は調薬だ。治療のさいに急遽魔法薬が必要となった場合、当主の手が空いていなければ、他の魔法薬師が派遣される」
そのさい、エルツ様の要望に即座に対応できる魔法薬師がいないらしい。
魔法医のもとに魔法薬師がつく場合、能力云々というよりは、相性の問題が大きいのかもしれない。
相手に萎縮し、焦っている状態では、普段の実力も出せないのだろう。
「その辺に関しては、私も役立たずである可能性が否めないのですが」
「そんなことはない。そなたはこれまで、私の不調に対し、的確な対応をしてくれたではないか」
エルツ様と手紙を交わした、三年間の実績を認められていたようである。
心配事はそれだけではなかった。
「私と関係を持つことによって、エルツ様にご迷惑をかけてしまうのではないか、とも思っているのですが」
「誰が私に迷惑をかけるというのだ?」
「その、元夫とか」
「あんなの、地を這う虫けらのような存在だ。迷惑にもならない」
たしかに、エルツ様はオイゲンがキャンキャンケンカをふっかけられる相手ではないだろう。
きっと傍にさえ近付くことなどできないはずだ。
「契約を結ぼうか」
エルツ様はそう言って、指揮者のように指先を揮う。
すると、空中に文字が浮かんだ。
そこには契約の条件と、私――ベアトリス・フォン・イーゼンブルクが、彼――エルツ・フォン・ヴィンダールストのみと専属契約を交わす、という一文が書かれていた。
「専属料は、月に金貨百枚!? お、多過ぎます!!」
「そうなのか?」
「専属料は高くても金貨一枚ほどが妥当かと」
「金貨一枚など、子どもの小遣い程度ではないのか?」
「金貨一枚は一般的な庶民が一ヶ月汗水たらして働いて得るような金額です」
「ふーむ」
どうやら私とエルツ様は、金銭感覚が天と地ほども離れているようだ。
なんとなくわかっていたが、こうして面と向かって話すと、住む世界が違うお方なのだな、としみじみ感じてしまった。




