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常連さんの正体について

 フロアを突っ切り、お店の奥にある扉の向こうへといざなわれる。

 そこは個室で、吹き抜けの天井に星空が浮かんでいるような幻想的な内装だった。

 ここでやっと、手を離してもらえた。

 相手が座ったので、私も腰かける。

 なんとも気まずい空気が流れる中、猫耳の男性給仕係が、珈琲と型押しのジンジャーブレッドを運んできた。


「当店のメニューは珈琲とジンジャーブレッドだけなんです」


 まだ何も頼んでいないのに、というのが顔に出ていたのか。それともすべての客に伝えていることなのか。

 わからなかったものの、珈琲とジンジャーブレッドが運ばれてきた理由を理解することができた。


 ぱたん、と扉が閉められると、彼は突然立ち上がり、ボロボロの外套を脱ぐ。

 下にまとっていたのは金の飾緒しょくしょとボタンが縫われた、王室典医貴族の証であるジャケットにズボンを合わせた姿だった。

 王室典薬貴族には特別製の外套だが、王室典医貴族のほうは軍服に似た制服が贈られるようだ。


「改めて名乗ろう。私は王室典医貴族である、エルツ・フォン・ヴィンダールストという」


 王宮で働く魔法医達は〝魔法医長〟、それ以外の貴族は〝ヴィンダールスト大公〟や、〝閣下〟などと呼んでいる。

 身分が高いお方に対して呼びかける名は、慎重に選ばないといけない。

 わからないときは、素直に聞いたほうがいいのだ。


「初めてお目にかかります。その、なんとお呼びすればよいでしょうか?」

「エルツでいい」


 聞いてしまった以上、相手が望む呼び方をしなければならない。

 ただ、名前で呼ぶように言ってくるなど、想定外であった。

 無難に閣下辺りにしておけばよかった、と心の奥底から後悔する。


「どうした?」

「いえ、その、私なんぞがお名前を呼ぶなど、おこがましいと思いまして」

「なぜ、そのように自らを卑下ひげする?」


 この世界は身分社会だからです、なんて言う勇気など持ち合わせていなかった。

 おそらく彼を名前で呼ぶのは、亡くなったであろう奥方や友人のみだろう。

 そんな特別な輪の中に、私なんかが加わっていいものなのか。

 戸惑っていたら、追い打ちをかけられてしまう。


「呼び慣れないのであれば、何度か口にしてみるといい」


 それは単なる提案だが、私にとっては厳命にも聞こえてしまう。それくらい、貫禄があるのだ。

 さすが、千年以上生きているクリスタル・エルフの始祖と言うべきなのか。


「さあ、早く」

「……エルツ様」


 恐る恐る口にすると、エルツ様は満足げな様子で頷いていた。

 誰かの名前を口にし、冷や汗を掻いてしまうというのは、初めての経験であった。

 どうしてこういう事態になってしまったのか。

 時間を巻き戻したい、と叶わない願いを心に抱いてしまった。

 もうこうなったら自棄やけである。エルツ様が提案したとおり、名前を呼んで慣れるしかない。


「エルツ様、私は魔法薬師のベアトリス・フォン・イーゼンブルクと申します」

「知っている」


 エルツ様は腕組みし、尊大な様子で言葉を返した。


「私はそなたと三年もの間、手紙を交わしていた者だ」


 私もうっかり「知っている」と返しそうになったものの、喉から出る寸前でごくんと呑み込んだ。


「一ヶ月ほど前、そなたの作った薬草茶が切れたゆえに、この使い魔を通じて手紙を送ったところ、本人不在で戻ってきてな」


 白カラスの名前は、ブランというらしい。エルツ様が促すと、自己紹介してくれた。


「それから毎日手紙を送っても、本人不在が続き、おかしいと思って調べたら、離婚したというではないか」


 その日から、エルツ様は私の所在を探っていたようだ。


「ここ数日、ついに薬草茶が切れて、おかしくなるかと思った。眠れないのに眠いし、頭は痛いし、疲れは取れないし、体は冷えるし、胃はもたれるし……」

「あ、あの、何回もお手紙で伝えたかと思いますが、魔法医の診察を受けて、しばし療養したほうがよろしいのでは?」


 薬草茶や薬草を使った料理の効果は、長期に亘って続く症状を治す効果などない。

 強く言うのであれば、気休めでしかないのだ。

 きちんと診察して、症状を回復させる魔法薬を飲んだほうがいいだろう。

 エルツ様は魔法医であるはずなのに、どうしてその判断ができないのか、謎でしかなかった。

 それについて、ご本人の口から説明をいただく。


「魔法医の診察など信用ならんし、そなた以外の魔法薬師が作る魔法薬なんぞ、口に合わない!」


 はっきり、きっぱりと言い切ってくれた。

 まさかの、診療及び魔法薬嫌いだったわけである。


「あの、ずっと気になっていたのですが、どうして私に魔法薬を求めてお手紙をくださったのですか?」

「それは――グレイがあまりにも、孫娘であるそなたの自慢をするから」

「お祖父様が!?」


 なんでもエルツ様とお祖父様は付き合いがあったらしい。

 お祖父様が私を自慢していた、なんて話を聞くのも初めてである。


「お幾つの頃から、祖父と付き合いがあったのですか?」

「七つくらいだろうか?」

「え!?」


 千年以上生きているのに、七歳の頃からお祖父様と付き合いがあるというのはどういうことなのか。詳しく聞こうとしたら、焦ってしまったのか、珈琲をドレスに零してしまった。


「あ、きゃあ!」


 珈琲は保温魔法がかかっていたようで、あつあつだった。

 スカートの裾に珈琲が染み込んでいく。


 慌てて立ち上がったら、動くな! と注意されてしまった。

 エルツ様は私の前に片膝を突き、何やら魔法を発動させる。

 水球を作りだし、風魔法を付与させ、スカートの染みとなっていた珈琲を浮かせていた。

 あっという間に、スカートに染み付いた珈琲がきれいに取れる。

 それだけでなく、風魔法で濡れたスカートを乾かしてくれた。


「こんなものか」

「あ、ありがとうございます」


 跪いてまでしてくれるなんて、なんだか申し訳なくなってしまう。


「も、もう、大丈夫ですので、どうかお立ちになってくださいませ」


 エルツ様は他に珈琲が飛び散っていないか、スカートをじっと観察しているようだった。


「洗濯は帰ってからやりますので」

「まるで自分でするような口ぶりだな」

「えっと、その、自分で洗濯しております」

「なんだと!?」


 エルツ様はすっと立ち上がり、眉間に皺を寄せた顔でじっと見下ろす。


「メイドは? 誰もいないのか?」

「薬獣や妖精達はおりますが、家事は基本的に私一人でやっております」

「なぜ!?」


 聞かれても、離婚したから、としか答えられない。


「自動洗濯機はあるのですが、どうやら故障しているようで」

「ならば見せてみろ。修理してやる」


 そういえば、魔法使いであれば直せるとセイブルが話していたようだ。

 ただ、修理してもらうとなれば、エルツ様をエルミタージュまで連れていかないといけない。


「住居には、他人を入れないと決めておりまして」

「他人だと?」

 

 エルツ様の双眸そうぼうがカッと見開かれ、迫力が増す。

 圧倒されながらも、なんとか言葉を返す。


「え、ええ、他人です」

「他人というのは、言い過ぎではないのか?」


 たしかに、三年もの間、付き合いがある。他人という言葉で片付けていい関係ではないのはたしかだ。

 ただ、私達の関係をなんと示したらいいものか、わからなかった。

 眼力に負けそうになっていたが、綿埃妖精が『他人で間違いない~』と助け船を出してくれた。 

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