いつもと異なる朝
本日の正餐は塩豚のローストに決めた。
塩豚の塊に切り目を入れて、庭で摘んだバジル、ローズマリー、タイム、オレガノなどを細かくちぎって擦り付ける。薄切りにしたニンニクは肉の切り込みに差し、お祖父様のコレクションであるワインを振りかけたあと、オリーブオイルを塗って布に包んでしばし放置。
ジャガイモは皮のままぶつ切りにして、鋳鉄製の鍋に並べておく。ジャガイモにも、オリーブオイルを垂らしておいた。
一時間くらい経ったら、先ほどの塩豚の塊をジャガイモの上にどん! と置いて、キッチンストーブのオーブンを使って焼くだけ。
キッチンストーブは魔石を動力源とし、魔法で火力を調整できるようで、余熱も必要なく、一瞬で温まるようだ。
オーブンの扉を開くと、中は二段構造になっていた。
二段目に鍋を入れてしばし焼くのだ。
四十分ほどじっくり焼いたら、塩豚のローストの完成だ。
料理に使ったワインの残りと共にいただく。
お肉は表面がカリカリになっており、ナイフを入れると肉汁がジュワッと溢れる。
ぱくりと食べると、薬草の豊かな香りが口いっぱいに広がっていく。
ジャガイモはほくほくで、ほんのり甘い。おいしいジャガイモだった。
塩豚のローストが、白ワインとよく合う。少し渋みがあるが、芳醇な香りとコクのある味わいがすばらしい。
酒瓶をよくよく見たら、三百年前のワインだったことが明らかになる。
もしかしなくても、貴重なワインだったのか。
けれども今日は特別な日だ。自由と素敵なエルミタージュを手に入れたのだ。三百年前のワインと共にお祝いしてもいいだろう。
あまりお酒を飲めないと思っていたのだが、あっという間にひと瓶空けてしまった。
足元がふらつくので、お風呂は明日の朝に入ろう。
アライグマ妖精の姉妹がハラハラ見守る中、二階の寝室まで上がっていく。
そこにはふかふかの布団が敷かれていた。
『お布団、少しだけ外に干しておいたよ』
『お日様の匂いがするからね』
『ゆっくりおやすみー』
「ムク、モコ、モフ、ありがとうございます」
なんとなく、ひとりでは寂しい夜だった。
これまでずっと誰もいない部屋で眠っていたというのに、不思議な話である。
ダメ元で、アライグマ妖精の姉妹に提案してみた。
「あの、よろしかったら、一緒に眠りませんか?」
ムクとモコ、モフはまんまるの瞳で私を見つめる。
無理を言ってしまったようだ。
「あの、嫌だったら――」
『いいの!?』
『本当に!?』
『一緒に寝るー!!』
モフが大きく跳び上がって、布団の上にぼふん! と着地した。
続けて、ムクとモコが寝台の上によじ登ってくる。
どうやら一緒に眠ってくれるらしい。
私が布団に潜り込むと、隣にやってきて、ふわふわの体で温めてくれた。
冷たかった布団が、あっという間にぽかぽかになる。
これまでの人生の中で、もっとも幸せな夜を過ごしたのだった。
翌日、私は採れたて新鮮な薬草を浮かべたお風呂に入る。
血行をよくするローズマリーと、疲労回復効果のあるタイム、リラックス効果があるベルガモットの葉をブーケ状にし、温める前の浴槽に投げ込む。
お湯の温度が高すぎると、薬草の成分が上手くでなかったり、香りが飛んでしまったりする場合があるので、薬草茶を淹れるときのように、ゆっくりじわじわと有効成分を抽出させるのがポイントだ。
薬草のいい匂いが漂う浴槽に、じっくり浸かる。
「はーーーーー……」
人生の疲れが、すべて溶けてなくなるような、最高のお風呂である。
これまでは体の清潔感さえ保っておけたらいいと思い、泡風呂に全身浸かって、一日の汚れを落とすばかりだったのだ。
これからは毎日、薬草を使ったお風呂にゆっくり入りたい。
今日はお祖母様の衣装部屋にあった、マウスグレイの控え目なワンピースを着てみた。
フリルのついたエプロンもかけてみる。少し恥ずかしいが、アライグマ妖精の姉妹はよく似合っていると言ってくれた。
朝食は昨日作った塩豚のローストをスープに仕立ててみた。
マジョラムにパセリ、チャイブ、スープセロリをたっぷり入れて、コトコト煮込むだけの簡単アレンジスープだ。
塩豚の旨みがスープに溶け込んでいて、とってもおいしかった。
食事を済ませたあとは洗濯だ。
たしか、魔技巧品の自動洗濯機があるとセイブルが話していた。
洗濯機の蓋を開くと、中は金属でできたタライが入っている。
ここに洗濯物を入れ、魔法陣に触れて起動させるようだが……。
「あら?」
『どうした?』
どこからともなく、セイブルが現れる。
「洗濯機に描かれた魔法陣が反応しなくて」
『なんだとー!?』
セイブルはひと息で洗濯機の上に飛びあがり、魔法陣を覗き込む。
『んー?』
魔法陣に肉球でぺたぺた触れていたが、同じように何も反応しない。
『こういうのはな、強く叩いたら直るんだよ!』
そう言って、激しい猫パンチを繰りだしていたものの、いっこうに動く様子はない。
セイブルはさまざまな箇所を見て回ったが、最終的にわかったことを教えてくれた。
『あー、こりゃ壊れているな』
「やはり、そうでしたか」
自動で洗濯ができるなんて夢のようだ、と思っていたものの、夢で終わってしまったようだ。
『ベアトリス、知り合いに修理ができそうな魔法使いはいないのか?』
「魔法使いの知り合い、ですか」
そう聞いて思い出すのは、これまで付き合いがあった魔法使いの常連さんである。
直接会ったことはないのだが、送られてきていた手紙に、さまざまな魔法に触れる研究職みたいなものに就いている、と書かれてあった。
ただ、手紙を交わすばかりで、本名どころか、どこの誰かすらわからない。
頼ることができる相手ではなかった。
「どうやら自分で洗うしかないようですね」
『だな』
この寒空の下、洗濯をしなければならないのか……なんて考えていたところに、セイブルが耳よりな情報を教えてくれる。
『そういや、この自動洗濯機が届く前は、ソープワートを入れた洗濯釜で洗っていたな。まだ、物置にあるはずだぜ』
その昔、洗濯物は鍋でぐつぐつ煮ながら洗っていたらしい。
ソープワートというのは薬用植物で、その昔は石鹸代わりに使われていたようだ。
「だったら、その方法で洗濯してみます」
『ああ、頑張れよ』
猫の手もここまでと言うわけだ。
セイブルが言っていたとおり、物置には大きな洗濯釜が置かれていた。
どうやって運ぼうか悩んでいたら、リス妖精達が集まってきて、井戸の近くまで運んでくれた。
『おい、これに水を入れたらいいのか?』
「え? あ、はい、そうなのですが」
『だったら任せろ!』
リス妖精達は連携して井戸から水をくみ上げ、洗濯釜の中に水を満たしてくれる。
『これくらいでいいだろうか』
「はい! ありがとうございます」
魔石で火を熾し、中の水を沸騰させるまでの間、私は庭で摘んだソープワートで石鹸を作ろう。
ソープワートの根には毒があるので、注意が必要である。
部屋に持ち込んで、作業開始だ。
ソープワートの葉と茎を切り刻んで、鍋でぐつぐつ煮たあと、清潔な布で漉す。
少し冷ましたあと、泡立て器を使ってくるくる混ぜると、石鹸のようにぶくぶく泡立った。天然石鹸の完成である。
これを、洗濯物と一緒に釜の中に入れて煮込み、井戸の水で泡を濯ぐ。
絞り機を使って水を絞ったあと、皺伸ばし機にかける。
最後に、物干し用の芝生の上に広げて干すのだ。
これまでランドリー・メイドがせっせとしてくれた洗濯を、初めてひとりで行った。
思っていた以上に大変だったが、達成感を得ることができた。