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第五話 激情

 いつものように快く僕を向かい入れてくれた伯爵に対し、僕は笑みを浮かべて彼の首に剣を突き付ける。

「……えっ?」

「おっと、動かないでください、首が斬れてしまいますから。僕は貴方を殺すつもりはありませんので安心してくださいね、オルレアン伯爵」

 僕は彼に剣を突き付けたままゆっくりと場所を移動する。彼のすぐ傍まで寄って、剣を彼の首にそっと沿わせた。いつでも殺せるように。

 そして離縁届を彼の座る机の上にぱさりと乗せる。

 伯爵は汗をだらだらと流しながら蒼白になっていた。その様子が滑稽で、僕はにこりと彼に微笑みかけながら書類を軽く指で叩く。

「さて、伯爵。ここに署名をお願いします」

「こ、侯爵っ、こ、これは一体、何の真似ですか……?」

 首に当てられた剣が理解できないのか、伯爵は震える声でそんなことを尋ねてくる。僕はまた書類を指で叩いた。

「ここに、署名を、お願い、しますね?」

「ひっ」

 何故こんなに優しく説明しているというのに理解できないのだろう。未だに固まっている伯爵の手に無理矢理ペンを握らせてやれば、ようやく彼はがたがたと手を震わせながら、醜い文字で署名してくれた。

「ありがとうございます。これでもう貴方とステラは親子でも何でもありません。あぁ、良かった」

「まっ、一体、どういうことだ……っ」

 彼の署名を貰った時点で用はないからさっさと立ち去ろうとしたのだが、僕から解放された伯爵はそんなことを喚いてくる。無視してもいいのだが、とても気分が良かったから会話に付き合うことにした。

「どういう、と言われましても。ただ貴方とステラの親子の縁を切っただけです」

「なっ……! 何を言っているのだ、貴様!」

「オルレアン家もどうせ明日には潰されますからね。その前にステラをこの家から解放しなければならなかったのです」

「潰されるだと⁉ 貴様、何を言っている!」

「ここへ来る前、貴方の犯してきた罪を書類にまとめて陛下に提出してきましたから。勿論、この二年間で集めた証拠と共に」

「つっ、罪だと⁉ 私はそのようなことは一切していない! おかしなことを言うな!」

 僕が告げると彼は酷く狼狽し始める。僕はその様子に気分が悪くなった。

 何の罪も犯していない、だって? お前は僕の可愛い妹に何をした?

「殺戮侯爵の言うことなど、陛下が真に受けるものか! むしろ私が貴様を告発してやる!」

 巨体を揺らしながら伯爵は真っ赤になった。先程までは真っ青だったのに、驚くべき変化だ。しかしながら僕はきちんと証拠を提出したから、いくら僕の告発といえども陛下は取り合わざるを得ないだろう。

 そんなことも分からないだなんて、彼はなんて残念な人間なのだろう。

「はっはははっ、それに脅して書かせた書類など無効に決まっている! ステラは私のものだ! そうだ、そうに決まっている!」

「――――――はぁ」

「何せ、この私が育てたのだからな! ははっ、そうだ、貴様なんぞに渡すものか! あれは私の物だ! 殺戮侯爵のくせに、この私を馬鹿にするでないぞ!」

 真っ赤になって唾を飛ばしながら、彼は何かを喚き散らしている。『物』とは、何だろう。『あれ』とは、何だろう。彼女は人間だし、ステラという名前があるのだ。

「あれはな、あれはなぁ、初めは嫌がって逃げようとしたがなあ、殴れば従順になって」

 僕は手に握ったままの剣をきつく握りしめた。男はそれに気が付かずに、理性を失った獣のように興奮したままだ。

「そう、私好みになあ、私はあれを」

 正気を失ったのだろうか。伯爵は狂ったように歪な笑みを浮かべている。

「しつけ―――――」


 気がついたときには、僕は剣を伯爵の腹に突き刺していた。


「ぐおおおおおおああああああっ!」

 まるで獣のような声だ。でも先程からずっと獣のような態度だったから、彼にはとてもお似合いだろう。僕が剣を腹から引き抜けば、ずろりという音と共に血がびしゃっと吹き上がる。その返り血を思い切り浴びて、僕は血塗れになった。

 殺戮侯爵。成程、僕にぴったりだ。

「ぐおおっ、ぐあああっ、貴様っ、貴様ああああああああっ!」

 口から血を垂らしながら倒れ込む伯爵に、僕はもう一度剣を振り上げる。

「あぁ――――」

 僕は足元で芋虫のように悶え苦しむ男をぼんやりと見下ろしながら、ぽつりと呟いた。

「………………どうせ殺すのなら、もっと早く殺せばよかった」

 シェーファー家の人間達を皆殺しにしたとき、僕は何を学んだというのだろう。だがまぁ、どうしようもないことだ。さっさとこの男を殺してしまおう。

 そう思って剣を振り下ろそうとした、その時だった。


「オスカー兄上!」

 誰かの手が振り上げられた僕の腕を強く握り絞めた。


「…………あに、うえ?」

「オスカー様は、俺達の兄上だ! そうでしょう⁉」

 信じられない言葉を聞いて、僕は伯爵のことを忘れて横を向いた。そこには、我がシェーファー家の屋敷に置いてきたはずのルークがいた。彼は真っ青になりながら、必死に剣が握られた僕の手を掴んでいる。剣からつたっていく伯爵の血液がルークの手を汚すのが見えて、僕は慌てて剣から手を離した。

 そして、その剣を拾い上げたのはステラだった。

「お兄様、オスカーお兄様!」

 彼女は剣を握り絞めながら、泣きそうな顔で僕を覗き込んできた。

 僕と伯爵の二人しかいなかった部屋に、何故か我が屋敷に置いてきた弟と妹がいる。何故、どうして。伯爵の苦悶の声も耳に届かずに、僕は唖然と立ち竦んだ。

 あぁ、どうして僕の弟と妹がこんなところにいるのだ。それに、どうして、僕のことを。

「どうして、兄だと、知って」

 ――――僕は、自分が兄だと伝えていないのに。

 僕がそう問えば、ルークが口を開いた。

「昨日、部屋に戻ったとき、貴方の呟きが聞こえてきてしまったのです。部屋の扉が、少しだけ開いていて」

「呟き……僕、の?」

「一言一句覚えています。『大丈夫、必ず僕が守ってみせる。僕はルークとステラの兄なのだから』。貴方は間違いなくそう仰っていました」

「それに、使用人のお兄さんがいつもそう言っていたのを思い出したんです!」

 今度はステラが泣きそうな顔で言う。

「毎日来てくれた使用人のお兄さんが、いつも必ず守るから、と言っていたことを! いつも、いつもそう言って……ねぇ、オスカーお兄様はあの使用人のお兄さんなのですよね⁉」

 そんなことまでステラに言われて、僕は今度こそ言葉を失ってしまった。

「オスカー兄上……」

 固まって動かなくなった僕の手を握って、ルークは泣きそうな顔で僕を覗き込んだ。

「兄上、なんですよね……? 貴方が昨日自分でそう言っていたんですよ。だからそれを確かめようと、俺達はオスカー様の後を付けて来て……兄上、なんですよね? オスカー様は、本当は俺達の兄上なんですよね……?」

「ぼく、は」

 僕の声は無様にも震えていた。脳が状況に追いつかない。

「兄上、貴方は僕達が監禁されていた時にずっと助けてくれていたあの『使用人さん』だった。そして、貴方は僕の兄上だった……そう、ですよね?」

 同じく震える声でルークに言われて。


「僕は、君達の兄だなんて、名乗れない」


 僕の瞳から、涙が一つ零れ落ちた。

「――――――兄上!」

「お兄様!」

「だって、僕は」

 ルークに握られたままだった手を振りほどいて、僕は手のひらを広げる。そこは先程刺した伯爵の血でべったりと赤く染まっていた。

「僕は、『殺戮侯爵』だから」

 殺してしまったのだ。本当に大勢の人間を。理性を失って、僕は沢山の人間を殺した。

 僕はただの人殺しだ。優しい弟と妹と違って、僕は残忍な殺人鬼なんだ。だから僕は、二人の兄になる資格なんてないのだ。

「そんなの関係ないです、お兄様!」

「それに、僕は、君達をずっと、守れなかった。救えなかった」

「貴方は何を言っているのですか、兄上!」

 遠くで、誰かが叫んでいる気がする。けれど僕には何も届かない。

「僕は、何も守れなかった」

 何一つとして。

 ――――適切な治療も出来なかった。碌な食事も用意できなかった。折檻を恐れて母上を止めることすら出来なかった。僕は何もできなかったのだ。屋根裏部屋に閉じ込められていた二人に、人間らしい生活をさせてやることはできなかった。

 二人を逃がした先の孤児院も碌な場所ではなかった。ステラを伯爵に売り飛ばし、ルークは治療を受けさせてももらえなかった。幸運にもルークは僕が引き取ることが出来たけれど、ステラは伯爵の元でまた『物』として扱われ人間らしい生活を送ることは叶わなかった。僕は間違えてばかりだ。僕はちっとも二人を守れていない。

 こんな僕は二人の兄を名乗る資格はない。

 だからずっと黙っていたのに、また失敗した。

「俺達はずっと貴方に守られていた!」

「そうですお兄様! お兄様がいてくださったから私もここまで頑張ることができたのです!」

 そんなことを言ってくれる二人に、僕は涙を零しながら微笑みかける。

「でも僕はまた、一人殺そうとしている」

 僕はただの人殺しだ。





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