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第三話 記憶

 僕には弟と妹が一人ずついた。弟は僕の三つ下で、妹は僕の六つ下。僕はオスカー・シェーファーという名前があったけれど、弟と妹には名前が無かった。

 二人は母の命によって幼い頃から屋敷の屋根裏部屋に閉じ込められていて、虐待を受けていた。


 僕も幼かったものだから幼少期のことはあまり覚えていない。けれど、僕自身も放置されて育ったようなものだ。一応侯爵の嫡男であったことから死なない程度には面倒を見てもらっていたはずだけれど、誰かに愛された記憶も大切にされた覚えも全く無い。両親とはほぼ顔を合わせることなどなかったし、僕に食事を与えていた使用人も僕を随分嫌っていたようだった。

 それでも僕はまだましな方だった。いつの間にか、僕には弟が出来ていた。その数年後には妹も出来ていた。

 でも、気づかぬうちに二人は屋根裏部屋に閉じ込められていた。僕は嫡男であったからまだ人間としての生活を許されていたけれど、二人は人間として生活することさえも許して貰えなかったのだ。


 僕の両親は頭が狂っていた。少なくとも僕にはそのようにしか思えなかった。母は屋敷で僕と顔を合わせても視線を合わせようともせず完全に無視し続けたし、弟と妹を屋根裏部屋に閉じ込めて己の憂さ晴らしのため虐待し続けた。母は僕を無視して、僕の弟と妹を虐待していた。父は侯爵としては優秀だったそうだけれど、父親としては失格だとしか言えないような男だった。僕達の現状を知っていながら、元凶である母に何も言うことなく傍観に徹していたのだから。

 使用人達も頭が狂っていた。頭が狂っている両親に仕えるには、頭がおかしくなければならなかったのかもしれない。僕に用意される食事は生きていくのに必要最低限なものだったし、みすぼらしい僕を陰で見下していた。僕の弟と妹のことはごみだと言って嘲笑っていた。彼らはシェーファー家の使用人だというのに僕の両親に媚を売って、僕達を蔑むだけなのだ。


 我が屋敷にいた人間達は皆人としての心を持たない者ばかりだったため、僕が弟と妹の世話をした。でも、オスカー・シェーファーが二人の世話をしていることがばれてしまえば僕もどんな目に合わされるか分からない。母の気に入らないことをすれば、待っているのは気絶するまで与えられる折檻だ。だから僕は弟と妹が閉じ込められている屋根裏部屋に行くときは、いつも変装して使用人の格好をしていた。二人の世話をしているのが僕だとばれないように。

 二人はまともな食事を与えられていなかったから僕が二人の食事を用意した。けれど、僕自身もまともなものを貰えはていなかったため、必死に使用人達の目をかいくぐって食料を調達した。時折それがばれては惨い目にあわされたものだけれど、二人の受けている仕打ちに比べればどうってことないものだと己を奮起した。

 二人は母上に虐待されて鞭で打たれていたから僕が二人の治療をした。僕の弟は妹を庇っていたからいつも重傷で、僕は彼が死なないように必死に薬を手に入れて治療した。妹も幼くてしょっちゅう熱を出していたから、本を読み漁って必死を治療した。

 僕は二人を守るために努力した。僕の出来たことなんて、ただ二人を死なせないことだけだったけれど。二人に人間らしいまともな生活をさせてあげることもできなかったし、二人を屋根裏部屋から出してあげることもできなかった。それでも僕は二人を両親と使用人から守ろうと、全力を尽くしていたのだ。




「しようにんのおにいさんっ、おにいさまが、おにいさまがぁ!」

 僕のことを『使用人のお兄さん』と呼ぶ妹を、僕はなだめるように頭を撫でる。

「大丈夫ですよ、私が治して見せますから」

 今日も僕の弟は妹を庇って酷い仕打ちをされたようだ。母は今回のようにふらっと屋根裏部屋にやって来ては、気まぐれに僕の弟と妹を鞭で打つ。僕の弟は全身を血だらけにして力なく屋根裏部屋の床に倒れていた。

「おにいさま、なおる?」

「えぇ、治しますよ」

 僕は名前の無い妹にそう言うが、実際のところ僕だって本当は手当の方法なんて分からないのだ。周りに隠れて本を読んで、それっぽいことをしているだけ。ただそれでも、何もしないよりはましだろう。

 僕なりに手を尽くして弟の手当てを終えれば、弟は虚ろな目で僕を見上げながら弱弱しく礼を言った。

「いつも……ありがとう、ございます」

「これが使用人である私の仕事ですから」

 掠れた声でそう言う弟に、僕はゆっくりと首を振る。そして僕は弟と妹の二人に今日の分の食事を手渡した。

「今日は立派な食事が用意できましたよ」

「わぁっ、本当だ……」

 妹は僕の持ってきた新鮮な林檎に顔を輝かせ、弟も嬉しそうな表情を浮かべる。僕もそんな二人に嬉しくなって頬を緩めた。

 これは今日、屋敷のごみ箱から見つけ出したものだ。確か、使用人の昼食に林檎が出されていたはず。今日は本当にいい物を見つけることができた。

「しっかり食べて、怪我を治してくださいね」

 僕はそう言いながら弟の口にすりつぶした林檎を流し込む。妹はその横で小さな口を大きく開けて、しゃくしゃく美味しそうに食べていた。

 こうして食事と治療を終えた後、いつも僕は二人の頭を撫でるのだ。

「また明日来ますね」

「うん、またね、しようにんのおにいさん」

「今日もご飯をありがとうございました、使用人さん」

「明日も頑張ってくださいね。必ず私が守りますから」

 別れるときにいつも言っている台詞を言えば、二人はこくんと頷いてくれる。

 僕は妹には『使用人のお兄さん』と、弟には『使用人さん』と呼ばれている。二人は僕が兄であることを知らないのだ。それどころか、物心つく前からこの屋根裏部屋に閉じ込められている二人は、自身がシェーファー侯爵の子供であることも知らないだろう。二人は何も知らない。

 でも、それでいいのだ。二人は何も知らなくていい。何か知ったところで、きっとそれは二人を傷つけることにしかならないだろうから。それに僕が兄だからってなんだ。いつも二人には自分が守るからと言っているけれど、僕はちっとも兄らしいことなんてできていないのだ。

 いつも二人にちゃんとした食事は用意してあげれないし、手当もうまくできないし、母上の虐待を止めることだって出来ないし、屋根裏部屋から逃がしてあげることも出来ない。僕はちっとも二人を守れていないのだ。守る、なんて口先だけ。僕は二人に何もしてあげられない。僕はなんて不出来な兄なんだろう。

 だから僕は二人に兄と呼んでもらえなくてもいいのだ。けれども、僕にとって二人はかけがえのない弟と妹だった。誰からも愛してもらえない僕の生きる支えなのだ。

 大丈夫、二人は必ず僕が守るから。僕はそのためだけに、生きている。




 僕が十五になったある日のこと、廊下を歩いている時、両親の話声が聞こえてきた。

「あと一年であれも成人か」

 そんな父の台詞が聞こえてくる。

 この国では女性も男性も、十六歳で成人する。そして、その年から貴族の大人として社交界に参加するようになるのだ。

「あれ……あぁ、オスカーのことですか。そういえばそんな者もおりましたね」

「家庭教師は付けていたはずだから、特に問題はないだろう」

 両親のいる部屋の扉が少し開いていたことから声が漏れ出ていたらしかった。いつもなら両親の姿を見ればすぐに立ち去るのだが、なんだか僕の話をしているようなのでこっそりと廊下から聞き耳を立てる。

「そういえば、残りの子供達はまだ生きているのか?」

「子供? あぁ、あれのことですか。最後に見た時にはまだ息をしていた気がしますわ」

「オスカーが社交界に出てあれらについて話されたら面倒だ。どうせもう死にかけだろう?」

「ええ」

「面倒なことになる前に処分しておきなさい。気晴らをしたいのならばどこからか子供を適当に仕入れてくればいい」

「確かにそろそろ飽きてきましたわ。あれらはもう捨てましょう」

 そして母は部屋に控えていた使用人の一人に僕の弟と妹を始末するように指示を出した。

 僕は蒼白になってその場から音をたてないように移動する。どこかの空き部屋に飛び込めば、廊下を数人の使用人達が会話をしながら歩いていった。

「ようやくあいつらを殺してもいいらしいぞ」

「あぁ、やっとですか。早く死んで欲しいと思っていたので嬉しいです」

「将来あんなごみどもに仕えることになるのかと、もうひやひやしていたものね」

「あんなのが同じ屋敷にいると思うと、気持ち悪くて仕方なかったからな」

「良かったですね」

 そんな会話が、僕の耳に届いてきて。

 僕の中で何かが壊れた。


 ――――そして気が付いたら、僕は屋敷にいた全員を殺していた。





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