【短編】義妹に婚約者を奪われた姉は「計画通り」とほくそ笑む
「フィオーナ。すまないが、私との婚約を解消してくれないだろうか」
デーヴィッド子爵令息は思い詰めた様子で切り出した。
「理由は?」
淡々と問うフィオーナには、なんの表情も見えない。
「私はエラを愛してしまった。エラと結婚したい」
デーヴィッドは辛そうな目でフィオーナを見つめる。
「そう……。エラにはもう言ったの?」
フィオーナは感情の読めない声で聞く。
「いや、まず君に謝って、君の了承を得てからと思ったのだ。なんといっても、君は侯爵家の当主だからね」
フィオーナは黙ってうなずくと、引き出しの中から書類を出した。スッとその書類をデーヴィッドに差し出す。
「婚約の際に取り決めた内容よ。婚約を解消する際にはこちらの書類に署名を……。それで、あなたは私とは無関係になるわ」
フィオーナはもう一枚の書類を机の上で滑らせる。
「読んで、異論がなければ下に署名を……」
デーヴィッドはじっくりと書類を読むと、胸ポケットから万年筆を出してゆっくりと署名した。
「デーヴィッド……幸せになってね……」
人形のようだったフィオーナの目に、初めて感情の揺らぎが見える。強く誇り高い女性が、今は年相応のかよわい存在に見えた。
デーヴィッドは自分の仕打ちがひどいものであったと、今さらながら思い至った。
フィオーナは幼いときに母を失い、その後すぐに侯爵が愛人を後妻にすえたのだ。侯爵と愛人の娘がエラである。平民上がりのエラは感情が豊かだ。仮面のように表情の変わらぬ貴族女性しか知らなかったデーヴィッドは、気づけばエラに夢中になった。
侯爵と後妻が馬車の事故で亡くなり、エラは身も世もなく泣き崩れた。デーヴィッドはエラを慰めるのに必死だった。ひとり葬儀の手配をし、突如担がされた侯爵家当主の重荷に耐えているフィオーナの孤独を、デーヴィッドは見て見ぬふりをしたのだ。
「フィオーナ、今まで、その……すまなかった」
「いいのよ」
フィオーナは聖母のように慈悲深く、かつての婚約者を妹のところに送り出した。
罪の意識にさいなまれ、それでもエラとの未来に喜びを隠しきれないデーヴィッドは、自分を見送るフィオーナの表情に気づくことはなかった。
フィオーナは扉をしめると、先程デーヴィッドが署名した契約書をじっと眺め、丁寧に金庫の中にしまった。
「計画通り」
フィオーナはほくそ笑んだ。
「バカな坊や」
デーヴィッドはたった今、子爵家の鉱山の権利をフィオーナに譲ったのだ。婚約を決めたとき、この鉱山は紙屑同然の価値しかなかった。だからこそ、子爵は婚約解消時の慰謝料に鉱山の権利を入れたのである。
その鉱山ではたまに黒い石が採掘される。何の価値も見出されず積み上げられている。フィオーナは外国の書物で薪の代わりになり得る石炭の存在を知っていた。子爵の鉱山から密かに取り寄せ、研究も進めている。これは金になる。それがフィオーナの結論だった。
「相変わらず役に立つわ」
エラは、とフィオーナは心の中で続けた。
エラは平民上がりで、貴族の姉フィオーナに複雑な感情を抱いている。
「嫉妬と憧れ、そして依存。哀れだこと」
エラはフィオーナのすることをなんでも真似したがった。エラはフィオーナの物を密かに欲しがる。口には出さないが、羨ましそうに見つめるエラに、フィオーナは戯れにお古を与えた。エラは喜び、一方でお下がりしかもらえぬ自分の立場に歯がみしていた。
「次は何をあげようかしら」
エラがデーヴィッドを欲しがるのは、フィオーナにはよく分かっていた。そして、エラがすぐに飽きることも。
フィオーナが持つからこそ輝くのだ、エラの手に入ってしまったら、それはただの使い古しでしかない。
幸い、侯爵家当主であるフィオーナには、婿入りを希望する令息はいくらでもみつかる。
「私の武器は、侯爵家当主の権力と、己の才覚、そしてなんでも欲しがるかわいい異母妹」
代々受け継いだ領地をフィオーナの代で潰すわけにはいかない。領民の生活と未来はフィオーナの双肩にかかっている。取って代わろうと虎視眈々と狙う狼ども。フィオーナは使えるものはなんでも使う。
フィオーナは窓から外を眺める。庭の木陰で抱き合うふたり。
つとエラは上を見上げた。
窓越しにフィオーナとエラの視線が交わる。
その目に映るは達観、あるいは諦念。
フィオーナとエラ、ふたりでひとつ。
秋を告げる風が、窓のガラスを揺らした。
◆◆◆◆
わたしはお姉さまが大好き。でもそれは内緒だ。
「フィオーナお嬢さまは愛情を受け止めることに慣れてないのさ」
料理人のハンナはこっそり教えてくれた。
「不器用な方だからね」
だからわたしのお姉さまへの愛は隠さなければならない。もし受け取ってもらえなかったら、悲しくて立ち直れないに違いない。屋敷の者は皆、お姉さまへの敬愛をひた隠す。
お姉さまのお母様が亡くなったのは、お姉さまが八歳、わたしが七歳のときだ。母さんは父様の愛人だった。父様はすぐに母さんとわたしを侯爵家に連れて行った。今思うとひどいと思う。お姉さまはどれほど辛かったかしら。
初めて連れられて行った侯爵家はびっくりするぐらい大きかった。母さんと住んでた街の家は、侯爵家の馬小屋ぐらいだ。わたしは有頂天で、お姉さまの気持ちなんてちっとも考えなかった。
「フィオーナ、新しい家族だよ。イリヤとエラだ。さあ、挨拶しなさい」
「フィオーナです。よろしく」
なんてキレイな女の子。わたしはうっとりした。わたしのお姉さまはお姫様だわ。そう思った。嬉しかった。
わたしはお姉さまに夢中になった。見つめすぎるとお姉さまが少しイヤな顔をするので、気づかれないようにこっそり見るようにした。
お姉さまはいつもキレイでちゃんとしてる。わたしは朝起きたとき、髪の毛があっちこっちにはねて、ベッドもむちゃくちゃなんだけど、お姉さまは寝てるときでもピシッとしてる。こっそり覗いてるから知ってるのだ。
お姉さまはめったに笑わない。いつも難しい本を読んでる。わたしも試しに読んだけど、三ページで諦めた。お姉さまはキレイなだけでなく、かしこいのだ。
たまにお姉さまがかすかに笑うときがある。キラキラしたペンダントや、ふんわりしたリボンだ。お姉さまが笑うとわたしも嬉しい。お姉さまが好きなものは、特別に素敵に見える。お姉さまのお気に入りをこっそり眺めていると、お姉さまがわたしに譲ってくれる。
いりません。そう言おうとマゴマゴしてるうちに、お姉さまのお気に入りはわたしの手に押し付けられる。
違うのに。お姉さまのお気に入りは、お姉さまが持ってるから素敵なのに。わたしには似合わないのに。でもせっかくお姉さまにもらったのだから、大切に宝箱にしまっている。
お姉さまは十五歳のとき、デーヴィッド様と婚約した。わたしはちょっとがっかりした。なんというか、似合わないのだ。近衛騎士の白馬と、農家の馬が並んでるみたいだった。
お姉さまは将来侯爵家を継ぎ、デーヴィッド様と一緒に領地を治めるんですって。執事のゴードンが教えてくれた。
「わたしにも何かできることがあるかしら? わたしもお姉さまのお手伝いをしたいわ。バカだけど……」
ゴードンは少し考えて言った。
「大丈夫です。エラ様はそのままで、無理をなさる必要はありません。フィオーナお嬢様が、よきように取り計らってくださいますよ。私ももちろんご助力いたします」
わたしは安心した。ゴードンが教えてくれるなら大丈夫だ。ゴードンはお姉さまを裏切らないもの。
お姉さまが十七歳のとき、馬車の事故で父様と母さんが死んじゃった。わたしは悲しくて泣いてばかりだった。わたしはバカだから、お姉さまがどれだけ大変だったか分かっていなかった。お姉さまはたった十七歳で侯爵家の当主になったのだ。
ゴードンという頼もしい執事がいたって、お姉さまが当主としてしなければいけないことは山ほどあったと思う。わたしは泣いてるうちに、気づけばお葬式も終わっていた。
わたしは恥ずかしかった。何の役にも立たない、ただ泣いてるだけの子供だ。
お姉さまは、たったひとりで凛として立っている。
わたしが落ち込んでいると、デーヴィッド様が慰めてくれる。正直言って迷惑だった。どうしてあなたはお姉さまを助けないのよ、そのための婚約者でしょう。そんなことを思った。役に立たない妹に、役に立たない婚約者、お姉さまがかわいそう。
ゴードンに相談したら、これは内緒ですが、と秘密を打ち明けてくれた。
「フィオーナ様は、デーヴィッド様と円満に婚約を解消する道を探っておられます」
わたしはびっくりした。
「ですから、デーヴィッド様がフィオーナ様に振られて落ち込んでいるときに、エラ様がデーヴィッド様を慰めてあげてください。なに、短い期間で構いません。そう、ひと月ほどで……」
わたしはもっとびっくりした。でもお姉さまはデーヴィッド様にはもったいないと、こっそり思っていたのもホントだ。
「それがお姉さまのためになるなら、わたしがんばってデーヴィッド様を慰めるわ。そうね、お姉さまほど素晴らしい女性はいないのだもの、振られるなんて気の毒だわよね」
ゴードンは満足気にうなずいて、時がくるまで秘密ですよ、と言って屋敷に戻っていった。
その時がきたらしい。デーヴィッド様が難しい顔をして、お姉さまのお部屋に入っていく。大丈夫だよ、そう言ってデーヴィッド様は私の頭をポンポンっと叩いた。
この人は何を言ってるのだろう。わたしが首をかしげていると、ゴードンがそっと後ろから言った。
「エラ様、いよいよです。デーヴィッド様をお慰めする時がきました」
わたしはハッとしてゴードンを見上げた。決意を固めてうなずく。
「大丈夫です。私が近くから見ております。抱擁以上のことに及ぼうとしたら、すぐに止めますので」
わたしが思わずイヤな顔をすると、ゴードンは苦笑した。
「ひと月の辛抱です。どうぞ、フィオーナ様にはエラ様のお力が必要です」
世界が明るくなった気がした。やる気がみなぎった。
ゴードンはそんなわたしを見て安心させるように何度もうなずく。
そのあと、ゴードンがデーヴィッド様を連れて来た。さりげなく庭の木の陰に誘導される。ゴードンと目を合わせる。大丈夫、わたしにもできる。
デーヴィッド様が何かを長々と話しているけど、ちっとも分からない。お姉さまの孤独を支えてあげられなくてどうのこうのとか、わたしの笑顔に癒されるとか。遠い目をして聞き流す。ついにデーヴィッド様がわたしを抱きしめた。ゾクゾクとイヤな寒気が全身を巡った。
思わず涙目で離れたところで隠れているゴードンを見ると、ゴードンが上を眺める。視線を辿ると……お姉さま。
大好きなお姉さま。わたし、お姉さまのお役に立ててるかしら?
<完>
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