人間のクズ。
俺は、エミルに過去を綺麗さっぱり払拭させる為に、エミルが格段に有利なこの世界での復讐を考えた。俺は義父だった末倉を転移で連れて来た。
ここから先は未依里には見せず聞かせずの方がいいだろう。そう思って見ると、チャビーとアイちゃんが未依里の目と耳を隠していた。
よしよし、二人ともナイスだ。そう思っていると末倉が喚き始めた。
「テメェッ、いい加減離せよッ!!クソッ、痛ェんだよッ!!」
必死に俺の腕を引き剥がそうとしているが、今の俺の力に普通の地球人が敵う訳ない。
「まぁ、そう喚くなよチンピラ。お前に用があるのは俺じゃなくてアイツだよ」
俺の言葉に末倉がエミルを見る。十七歳当時と変わっていたのか、それが誰なのかすぐには解らなかったようだ。
暫くして(ようやく、それが絵未である事に気付いた。
「…マジかよ?お前、絵未か?飛び降りて死んだもんだと思ってたが…」
「…そう、死んでなくて残念だったわね…。ところで母さんは元気?」
エミルの質問に、末倉はフンッと鼻を鳴らすと吐き捨てるように言い放った。
「働けなくて金の無くなったヤツに用なんか無ぇんだよ。お前の母親がどうしてるかなんざ知るかよ?」
「…そう、別れてるみたいで良かったわ…。アンタみたいな人間のクズは一人でいた方が世の中の迷惑にならなくて良いからね…」
前の三人の時と違って、エミルは随分落ち着いて冷静になっている。あの三人で吹っ切れたから逆に落ち着いたのかなw?
「…なんだよ?数年見ないうちに随分口が達者になったじゃねぇかよ?俺に殴られてめそめそしてた絵未ちゃんはもういないってか?」
「そうね。あの頃みたいにアンタに殴られて、怖がる必要もないし、黙って震えて泣く事ももうない…」
エミルの強い言葉と眼差しに、末倉は鼻を鳴らして笑う。
「…フンッ、小娘が…隠れて格闘の訓練でもしてたのか?でもなァ、お前と俺の体格差じゃどう頑張っても…」
能書きを垂れる末倉の前まで、ツカツカと歩いて行ったエミルが無言のまま問答無用で渾身のストレートを放った。
末倉の言葉は最後まで発せられる事はなく、その瞬間に途切れた。
「グハッ…」
錐揉みしながら倒れる末倉。エミルは追撃する事無く、無様を晒す末倉を余裕で見下ろしていた。
俺は、ボス(末倉)戦が始まってからすぐに、ティーちゃんに密談を飛ばした。今回は前の三人と違って暴力的なチンピラだ。不測の事態に備えて動けるようにロメリックに伝えて貰った。
一応、ロメリックにも活躍して貰って花を持たせないとだからねw
≪それは良いんじゃがアンソニーよ、ずっとお酒を呑んでおったじゃろ?≫
≪…えっ?なっ、何?良く聞こえない…≫
≪こらっ、なんで密談を切るんじゃっ…!!≫
(…あれっ?おかしいな?…何で酒吞んでるのがバレてるんだ…?)
呼気は風で上に逃がしてるし、そんなに顔も赤くなってないはず。呂律もちゃんと回ってるし、さっきまではバレてるような感じじゃなかったんだけど…。
そんな事を考えつつ、俺は改めてエミルと末倉を見た。
◇
闘いは予想外にも一方的だった。エミルの方がウェイトが軽い分、末倉を翻弄していた。しかし見ているロメリックの方はハラハラしているようだ。
いくら体格が良いと言っても、所詮チンピラでしかない。地球とこっちの世界では多少なりとも環境の差はある。重力、酸素濃度、それに加えてこっちの世界では魔素というものが存在する。妖精の森では弱い魔獣やモンスターは強い魔素に当てられて中毒症状を起こしたりもする。
妖精の森ほどではないにしろ、突然この世界に来た人間が魔素を吸ったらどうなるかくらいは目の前の末倉を見ていると分かる。
身体が重く、動きが鈍い。
末倉が一発、拳を繰り出す間に、エミルは軽く横に躱すと右ストレートからボディに左フックを叩き込む。今までの修練の成果もあるのだろう。かなり動きの良い攻撃だった。
「…クソッ、このメ〇ガキがッ…」
末倉は、苦し紛れに右脚からの蹴りを放つものの、軽くバックステップで避けられ、体勢を崩した所に思いっ切り顔面にエミルの右フックを喰らう。
「…ブヘェッ…!!」
末倉は後退し、よろけたが倒れなかった。エミルの方は連続で攻撃していたもののウェイトが軽い分、決定打が無い。
しかも肩で大きく呼吸をしている。ここに来て、エミルの弱点が見え始めた。今まで動きの少ないスキルに頼り過ぎていたからだろう。余りにも持久力が低い。
対して末倉はエミルからの攻撃を何度も喰らっているものの、倒れる事はなくなり、エミルの攻撃に慣れてきているのか見るからにダメージが通っていないようだ。
そしてついに、エミルは末倉に髪を掴まれて捕らえられてしまった。
「…クッ…」
「…ヒヒッ、ついに捕まえたぜぇ、絵未ちゃんよォ…!!」
エミルは苦し紛れに右フックを放つものの、軽く拳を受け止められてしまった。その掴んだエミルの右腕を捻り上げる末倉。
「あぁぁぁっ…!!」
一瞬で、間に割って入ろうとしたロメリックの動きが止まる。
「そこのお前も動くなよ?コイツの細い右手首がポッキリ逝くぜェ?」
「…頼む、そこまでにして欲しい。それ以上、彼女を傷付けたら僕が許さない…」
ロメリックの願いを、鼻で笑い一蹴する末倉。
「…フッ、お前何言ってんだ?俺はコイツに散々殴られたんだぜ?殴り返したって正当防衛だろ?お前らはそこで黙って見てろ…」
その言葉にロメリックが強い視線で俺を見る。俺に何とかしろって事か…。俺は静かに軽く頷く。
「オイッ、チンピラ。そこまでだ。死にたくなかったらそれ以上なにもするなよ?」
「オイオイ、テメェまで何言ってんだ?俺はやられた側なんだぜ?お前ら自分で言ってる事がおかしいって気付けよ、バーカ!!」
「…ハァ、仕方ねぇな。これだからチンピラくんは…痛い目見ても後悔…」
そこまで俺が話した時だった。髪を掴まれたままの、エミルが静かに声を上げた。
「…わたしはまだ敗けたつもりはないけど?特にアンタみたいなクズには絶対に敗けない…!!」
「ハッ、何言ってんだこのメ〇ガキが!!昔みたいに大人しく殴られてりゃ良いものを…」
末倉が掴んだ髪を強く引いた瞬間、エミルが叫ぶ。
「わたしは敗けないッ!!覚悟は出来てるッ!!髪なんかくれてやるわッ!!」
エミルは懐に隠していたナイフを左手に持ち、掴まれた髪をズバッと切った。その瞬間、強く引いていた分、末倉のバランスが崩れた。
そして隙が出来たその一瞬でロメリックが割って入る。槍の柄でエミルの手を掴んでいた末倉の手首を打ち付けた。
バランスを崩して焦った末倉の背後で、いつの間にやら接近していたクレアが笑っていた。
「さっきから聞いているとどうしようもないクズだな。わらわにも一発殴らせろ!!」
指を鳴らしつつ、末倉を待ち受けるクレア。コイツ、フラムを預けたのに何で戦闘に参加しようとしてるんだよ…。
そう思いつつ、チラッとその向こう側を見ると、フラムはティーちゃんとシーちゃんの二人と一緒に戦闘を見ていた。
俺はエミルと末倉に視線を戻す。クレアとは別に、更に側面からもブラントがレイピアを抜いて接近していた。
「僕もクズが嫌いなんでね。一撃、痛い目見て貰おうかな!!」
バランスを崩した末倉を、ロメリック、クレア、ブラントが囲む。槍の柄が、レイピアの持ち手が、そしてクレアの拳が末倉を襲う中、エミルが叫んだ。
「誰も手を出さないでよッ!!末倉はわたしがやるッ!!」
その強い意志が、今までの思いが右腕を突き動かした。そしてエミル右腕が光る。
同時に槍よりも早く、レイピアよりも早く右腕が動いた。エミルの右腕は、まるで一本の短槍のように、末倉の顔面に突き刺さる。
「…ぐほォッ…!!」
今までの軽いパンチとは違う、まるで対象を刺し貫くかのような一撃。エミルの脳内でインフォメーションが流れた。
≪新たにスキル、『スティングビー』を習得しました≫
俺には、エミルのスキル習得の瞬間が、『スキル泥棒』によって視えていた。俺は鳥肌が立った。シャリノアでの戦闘から農場での再戦、そして過去との対峙という短期間でこれ程スキルを発現させるのは簡単ではないはずだ。
エミルの過去の心の挫折が、逆にこの世界に来て『二度と敗けない』と言う強い意志を創り出したのかもしれない。その執念にも近い凄まじい強い意志が、再びエミルにスキルを発現させたのだろう。
相変わらず激しく肩で息をしていたが、顔に安堵の表情を浮かべていた。その足元に、顔面の潰れた末倉が倒れたままピクリとも動かなかった。
そして人間のクズに一撃入れようとしていた、ロメリック、ブラントの二人は信じられないモノを見た、と言った感じで目を合わせて驚いていた。
その後ろで、嬉しそうに拍手をするクレア。
「よくやった!!エミルとやら、良い一撃だったぞ?これからは持久力も付けるように鍛えた方が良いだろう。素晴らしい拳闘士になれるぞ」
クレアの言葉に、エミルは自分の拳を見る。今まで発現させたスキルは、過去の暗い思いを体現したようなスキルばかりだった…。
しかし、今回は全く違う感覚を覚えていた。黒く歪なエネルギーではない。暗いモノを陰鬱なモノを吹き飛ばすかのような爽快な風の如き感覚。
エミルは腹の底から喜びが湧いてくるのを感じた。
「…未依里。わたし達、やって行けるよ!!もう少し鍛えて、闘えるようになったらハンターになって稼いでくるから!!」
その言葉に、未依里、チャビー、アイちゃんが集まる。
「…え、エミル、おで達が、ぱ、PT組めば、すぐに、さ、最強のPTになれるだど!!」
チャビーの言葉にエミルは笑みを浮かべて無言で頷く。未依里もアイちゃんも嬉しそうだ。しかし俺はここで、激しくツッコミを入れるべきかどうか悩んだ。
お前らのチームって…広範囲攻撃スキルを持ってるヤツが多過ぎるだろう?そんなのがPT組んでダンジョン潜った日には…カオスになるのが目に見えてる。
明るい未来への希望に湧いている今のコイツらに、それを言って水を差すのも…なんだかなぁw
俺がそんな事を考えていると、クレアも話に加わる。
「格闘ならばわらわがお前達の仲間に戦闘教練をする予定なのだ。お前達にもついでに戦闘の手解きをしてやっても良いぞ?」
その言葉に、アイちゃんがクレアを紹介する。
「クレアさんは、格闘系の人なのよ。一度、ホワイトさんと闘ってるのを見たことあるけどスピードとパワーは相当なモノよ」
アイちゃんからの説明を聞いたエミルは、暫く考えてから頷く。クレアに向き直ったエミルは頭を下げる。
「…是非、よろしくお願いします。出来ればダンジョンに潜れるくらいにはなりたいので…」
そんなエミルを見た俺は、『スキル付与』の事を思い出した。
「エミル、スキルの事なんだが今のお前にならスキルを返しても良いと思ってるんだが…どうする?」
俺の言葉に、エミルはあっさりとそれを断った。
「…前のスキルは…もう、いらないかな。あんな暗いスキルなくてもこれからどんどん鍛えて習得したいし…」
「…そうか。一部、スキルを削除してるんだが『真獄』と『炎刑十字葬』は残してあるんだ。もし必要になったらいつでも言ってくれ。融真にもスキルを返す予定だからな」
俺の言葉に頷きつつ、エミルは驚いていた。
「融真が敗けたのは報告で聞いてたけど…あの『メルトフィーバー』をよく抑え込めたわね…。しかも、クライまでそっちに付いたって事はクライにも勝ったのね…」
「…いや、クライを変えたのはクレアの方だよ。俺とはチョイと相性が悪かったんでね」
俺の言葉に、エミルは驚いてクレアを見た。そして改めて頭を下げる。
「先生!!これからご教授の程、よろしくお願いします!!」
元気の良いエミルのお願いに、クレアはうむうむと強く頷いていた。
「さて、エミル。今後の予定も大事なんだが…次が最後だ。どうする?」
俺の質問にエミルは、迷う事無く頷いた。
「…母さんの事ね?お願い、連れてきて…」
「解った。少し待っててくれ」
しかし、『神幻門』を発動しようとした俺に、ティーちゃんから注意が来た。
≪…アンソニーよ。もうそろそろヤバいからの。次元転移は次で終わりじゃ。すぐに戻ってくるんじゃ…≫
「…ヤバイ?…あぁ、解ったよ。すぐ戻ってくる」
ティーちゃんが言う『ヤバい』の意味が、俺にはいまいち良く解らなかったが、取り敢えず俺はすぐに神幻門を発動させた。




