十一話
海の家の後半戦、時刻は午後の二時を過ぎていた。昼過ぎ辺りから客足を遠退いてしまっているせいなのか、あまり客が来なくなってしまっていた。
「ここら辺が引き際だな...
すまないな、中学生なのに働かせて。しっかり、働いたんだ。ちゃんと、給料払わないとな」
ねずみ男と蔑称される彼の叔父は意外にもまともな人間だったようで、封筒を渡される。中身には一万円札が入っているのを確認する事が出来た。
まぁ、まともな大人は中学生を働かせたりはしないが。それでも、一応の筋は通しているようだった。
「叔父さん、何を言ってんだ。今日、連れてきたのは、ただ人手を補填する為の要員じゃないんだぜ?」
そう、ねずみ男君が言葉を口にする。その顔には企みの文字が浮かび上がりそうな、満面な笑みを浮かべているのを見て、大体の察しが付く。何せ、この場には沢山の人が集まっている訳だ。それが彼にとっての狙い目だったのだろう。
「鬼条がこの場にいるんだ。利用しない手がない。人助けは好きだよなぁ、鬼条?」
彼が薪君に絡む場合はそういう裏がある。そういうのは人としてどうなのかとは思ってしまうものの、彼の性格は矯正する事なんて無理だろう。
「...分かった。引き受けてやる。その代わり、その対価を示せ。ただ働かせるのは癪に障る。お前はいつも自分勝手過ぎるんだ」
そう彼は少し不機嫌そうにねずみ男に対して、口を開く。それもそうだろう。自分自身を商売道具として利用されているのだから、気分が良い訳がない。そもそも、彼自身、乗り気じゃない。
「対価って、具体的にどんなのだ?もしかして、半分寄越せとかか?それぐらいなら、くれてやっても構わないぞ(どうせ、ケチるからな)」
そうねずみ男は彼に対して、交渉へと入る。
「値段はどれくらいにするつもりだ?」
その交渉に対して、彼はそう尋ねると、ねずみ男は「大体、これぐらいが妥当だろ」と左手を指一本立てて、右手をパーにしてみせる。
「高過ぎる。お前は商売のつもりかもしれないけど、俺はそんなつもりじゃないぞ。それの八割引きだ」
「それじゃあ、商売にならない。せめて、四割引きで」
「分かった。この話はなかった事にしよう。したければ、自分でやれ」
「分かった...。半額で......、いや、お前の言う通りの八割引きでいい...。ったく、これじゃあ、商売上がったりだ」
彼はそうため息を吐く。自身の思い通りにしようとしていた訳で、それが上手くいかないとなれば、ため息を吐きたくはなるだろうが、それは自業自得だ。
「みっちゃん、悪いけど、それは叔父として承諾してやれないよ。中学生が商売なんかしたら、駄目だよ
叔父さんが言えた事じゃないけど、商売するのなら義務教育を終えた後にしなよ」
彼の叔父という事もあってその発言は意外だった。彼のイメージは金の亡者というのが俺の中では定着していた訳ではあるが、簡単に承諾するんじゃないかと内心では、そう思っていたのだがそうではなかった。
「いや、でも、鬼条がいれば、簡単に客引きも出きるし......」
「はぁ...。もしかして、みっちゃん、いつも鬼条の子にお世話になってるの?もしも、そうなら、もう手を引きなよ
多分だけど、彼はみっちゃんの事、友達だなんて思ってない筈だよ。もしも、友達だと思っているのなら、利用なんかしちゃ駄目だよ」
どういう訳か、彼の叔父は鬼条の力を安易に借りる事に対して、否定的だった。その否定的な姿勢にどういう意味を隠されているのか分からないが、これは彼にとっていい事だろう。今から商売の為に利用されるという事がなくなるのだから。
そんな訳で彼と俺の労働は終了し、海の家は未だに閉じてはいないものの、売っているのはジュースやかき氷程度と限られ、他のバイトで来ている人で回す形となっていた。
「ほんで、サマーチャレンジ......、から解放された訳じゃけど、どうする?
折角、海に来たけぇ、遊んで帰っても良さそうじゃけど、俺はあんな風にはしゃぐ事は出来やせんど」
「まぁ......、同感だな。俺も、夏の海で何して遊べばいいのか分からない。とりあえず、砂山でも作るか?」
今までのツケというべきなのか、海の何を楽しめばいいのか、俺と薪君とでは分からなかった。そもそも、俺達はああいうタイプの人間ではない。だから、この夏にはそぐわないようにも感じてしまう。
「止しとく...、ガキでもあるまいし...。とりあえず、帰るか?どうせ、ここにおってもやる事はないじゃろうし」
「まぁ、それもそうだな...。俺達には海は似合わないって事か...。悲しいな」
未だに太陽は燦々と照り付け、まるで若者達を輝かせているように思わせるが、その反対に俺達を影へと追いやっているようにも感じさせた。この世には陰陽、つまりは光と闇が存在する訳で、きっと、俺達は日陰者なのだろう。何とも、世知辛いものを味わっているのやら...。
お金を貰えたのはいいけれど、無駄な時間が過ぎ去ってしまったような気がする。都合がいいように利用されてしまっただけの事ではあるが、一先ずは運が悪かったと片付けるしかない。
ザーと、屋根を水滴が打楽器の如く、されどドラムのように激しい雑音のようなビートを刻む。外を見ると豪雨が降り注ぎ、海の家へと駆け込む人までいるのが確認出来た。駆け込んできた人はびしょ濡れで「もう最悪」やら、「天気予報、外れか?」など不満を垂れていた。
しかしながら、この雨からは違和感、...妖怪の気配と呼ぶべき妖気を感じさせられていた。ただ、その妖気は非常に薄く、どこから流れているのかは分からない。俺の勘というより、俺の思い込みが正しいのなら、これは妖怪の仕業だ。自然に降っているのではなく、無理矢理、降らしている状況なら考えると、危害があるのかないのかも分からない上に対処し方も分からない。
大元の原因となる物を倒してしまえばいいのなら、簡単な話になってしまうが、そう簡単にいくとも限らない。相手がどういうタイプの妖怪なのか、実体があるタイプなのか、それとも幽霊なのか、そもそも、これはどういう能力なのか。姿を見せない相手に対して、推測も糞もない。
海の家へと雨宿りしに来る少数。少数とはいえ、その少数は結構な人数になる訳で席はほとんど埋まってしまっていた。
「鬼条さん、お仕事はもう終わりですか?」
そう天崎星野が彼に対して、尋ねる。どうやら、彼ら彼女達ご一行も雨宿りしに来たようだ。
「お邪魔します」と夏野柚希がか細いような声で恐る恐る、彼に対して言う。どうやら、彼に対して、苦手意識があるみたいだ。
「まぁ、そんなトコだけど...、もう一仕事しないといけなくなったかな
刄さん、行けるか?」
「俺はいつでも、オッケーじゃけど...。姿が見えんし、どこにおるんかねぇ?俺じゃ、大元を辿りゃせんよ。何か、策でもあるか?」
正直、戦える気がしない。相手を捕捉出来ない以上、自身の刀身を鞘から抜く事は出来ない。そもそも、周りには人がいるのだから、端から見れば銃刀法違反でしかない訳で、通報されても不思議じゃない。
「あの鬼条さん、こちらの方は...、彼女さんですか?」
そう彼女に尋ねられ、それに対して俺は「いんや、違うよ」と薪君が応える前に返答する。俺個人からしたら、そう思われるのは心外だ。肉体的には異性かもしれないが、精神的には同性のつもりでいる。こんな姿をしているのは俺自身がケダモノだからとしか言いようがないのだが...。
「刄さんとはただの仕事仲間だ。お互い見える者同士、祓える者同士って所だ。天崎さんが思っているような関係じゃないよ。まぁ、ここにいるのは厄介な知り合い巻き込まれただけだからな」
彼は彼女に対して、適当に説明する。彼が言っている事は一切、間違っていない。お互い見える訳だし、手法が違えど、対処する手段を持っている訳で、ただ違うというのであれば、種族が違う。彼は人間であり、俺は刀その物だ。
「そう...、何ですね」と彼女はどこか、安堵したようにも見えたが、彼女が彼をどう思おうと俺には関係のない事である。彼女は俺にとっては赤の他人でしかない。だからといって、彼女に対して一切の興味を示していない訳でもない。何せ、あの学校で俺の知る数少ない顔なのだから。
「成る程、下にはいないか......。天狗の仕業ではないだろうし、多分、雲の上にいるという事か
という事になると......、俺の炎じゃ届かないぞ。まぁ、手も足も出ない訳じゃないが...」
「雲の上、ねぇ。天狗じゃないとしたら、龍とかかねぇ?天候とか操ったりするイメージがあるし...
というより、龍の類いとかおるんかねぇ?」
「妖怪というよりかは、神や精霊に近い。東西関係無く、存在していて、種類もピンからキリまでいる
確かにこういう自然現象を簡単に引き起こせる存在だとしたら、該当するだろうな」
マジか、龍も実在すんのか。マジ、ファンタジーじゃが...。まさか、実はここは異世界だったとかじゃないだろうな...。現実世界に似た異世界とか......ないな。ありゃせんわ。
ゴロゴロ、ドカーン───。
不意を突くようにして、雷が鳴る。それはまるで、空の上の神様が怒っているようでもあり、先程よりも一層に雨が強まっているようにも感じてしまう。
「こりゃ、龍神様が怒ってるな。豪雨の次は雷鳴と来たら、今度は突風だな
まさか、どこかの馬鹿がお社を触ったんじゃないだろうな?」
ねずみ男君の叔父がそう口を開く。
「お社?」と薪君は尋ねるように言葉を口にする。
「ああ、この海辺に住まう龍神様さ。その龍神様はここの主でね、今も昔も、漁師の間じゃ、拝み奉っている神様みたいな存在さ。一年に数回、漁師の仲間内で拝みに行くのが恒例になってるだそうだ。おかげで漁へ行く時は海は大荒れなんて事はないだとさ
だけど、この海の主というのは怖い逸話があるんだよ。かつて、この海に勝手に足を踏み入れた者は骨だけを残して姿を消したり、丸焦げになった死体が見付かったり、今じゃ、社が建っているおかげでそんな事は治まったていう、ただの伝承でもあるんだけどね
まぁ、たかが伝承だよ。天気予報が外れただけだ」
どうやら、この人はあまり伝承を信じてないようではあったものの、何となく、それが有力なんじゃないかと思ってしまう。
いつの時も、悪ふざけをする奴は存在する。それが罰当たりな事であろうと、平然とやってのける。
もしも、話が本当ならと、そう思ってしまうのは見えざる者が見えてしまうからなのだろう。オカルトの世界に踏み込んでしまっている以上、存在しないという否定が出来ない立場にいる。
その相手がドラゴン、龍の類いならば、相手をするよりかは素直に謝罪をした方がいいんじゃないだろうか...。それに相手は天候を変える事が出来る神様のような存在なのだから、戦ってはいけない。こちらが敵う筈もないだろう。
「そのお社はどこにあるんですか?」
そう彼は尋ねる。社の状況を一先ずは確認しなくてならない。状況によっては何らかの手立てしなければならない。
「確か、あっちの海岸に建てられていたな。まさか...、この豪雨の中、社に向かおうと思ってないだろうな」
ねずみ男君の叔父はそう言う。まぁ、その通りなのだろう。社で何かが起きてしまってこんな天候になってしまっている。下手すれば何人かの被害者が出るかもしれない。それなら、早く対処しておいて損はない筈だ。彼自身がこんな状況を放っておくなんて、まず、あり得ないだろう。
「刄さん」と名前を呼ばれ、「あいよ」と返事をする。
「俺は鬼条家の一員ですから。俺は俺なりに動かせてもらいますよ。こう見えて、こういう厄介事に挟まれるのは得意なんで」
そう言い残し、海の家を出る。それを追い掛けるようにして、俺自身も海の家を出た。
向かう先は社のある海岸、雨が激しく怒号のような雷が鳴っている。一応、まだ妖気は薄いものの、それでも段々と濃くなっていっているのが分かる。
たどり着いたのはゴツゴツとした岩場に一つの小さな社が建っており、そこには見知った子供の姿があった。そこにいたのは彼の弟である鬼条灯と彼の友人達二名だった。
「兄貴......」と不安そうに弟である灯は薪君を見る。
「何があったんだよ...」
と薪君は尋ね、社を見ると社である小さな扉が壊れてしまっており、湯飲みが落ちてしまっており、割れて破片が下に散りばめられてしまっていた。
それを見て、俺は大方、ここで何があったのかある程度、推測できてしまった。おそらく、彼らは罰当たりな事をしてしまったのだろう。というか、普通に祟られても不思議じゃないだろ...。
「俺は悪くない。悪いのはこいつだ。俺は止めとけって言ったのに」
「ふざけるなよ、灯。お前が神様なんか怖くななんて言うから、社を触ったんだろ」
「元はと言えば、灯がここに龍神様を奉っている社があるって言うから、見に来ただけだろ。壊したのは社を壊して、湯飲みを割ったお前が悪い」
「んだとぉ、全部、俺が悪いって言いたいのかよ!!」
見苦しくも、仲間割れしている。そんな様子を見て、ため息を吐いてしまう、薪君。それもそうか...、こういうのを見せられたら、ため息でも吐きたくもなるだろう。
この海で奉っている神様である龍が怒っていると考えた方が良さそうだ。彼らが無闇にこの社に触れてしまい、扉を壊し、湯飲みさえも壊してしまった訳なのだから、そう考えるのが妥当だ。
「今は喧嘩をしょうる時じゃなかろうよ。これがどういう状況なんか、薪君の弟ならよぉ分かっとる筈じゃろ?それとも、何も感じない?それじゃったら、仕方がないけど」
「分かってる。...だけど、俺じゃ無理だよ。相手は龍で俺は人間、敵いっこないだろ」
彼はそう拗ねたように言う。どうやら、倒す前提で見ているようだ。
「今回ばかりは倒すんじゃなくて、どうやったら、鎮められるかだな」
薪君は落ち着いたようにそう言う。薪君の場合は自身の弟とは違い、倒す事よりも鎮める事を考えているようだ。別に相手は危害を与えようとしているつもりはなく、ただ単に怒って荒ぶっているだけなのだろう。
それに今回の相手はここらの一体の守り神のような存在でもある訳で無闇に倒すなんて事は考えるべきではない。寧ろ、今まで恩恵を受けていたのだから、俺達人間は感謝するべきなのだ。
「何でだよ!!危険な相手なんだし、倒せばいい話だろ!!ばあちゃんを呼んでさっさと始末してもらったらいい筈だろ!!」
「そんなんじゃ、先が思いやられるぞ、時期当主。相手は神様に近い存在だ。そんな事してみろ。二度と恩恵を受ける事が出来なくなるだろ...。理由もなく、始末するのは安易過ぎだ。よく考えろ」
薪君の方がどうしても、正論に聞こえてしまう。そして、弟である灯からは自身の身勝手な意見のようにも感じる。考えの違いはあるだろうし、兄と弟の差というのもあるのだろう。
「.........うるさい」と灯は言われた指摘に小さく呟くように、そう言った。
「一先ず、降りてきてもらうしかないな」
薪君はそう言うと手から炎を灯し、その炎の形状は蜻蛉の形状へと変わってしまった。その炎で出来た赤い蜻蛉を自身の手から生み出し、この雨の中、雨に打たれながらも、宙に羽ばたいていた。
その幾つかの赤い火の蜻蛉は上へと向かって飛んでいき、いつの間にか姿を消してしまった。
「あれは......、式神とかそういう類い?」
俺は彼に対して、そう尋ねる。あれは彼の妖力によって、作られていた。
「それに近いが、式神じゃない。あれには意思とかそういうのはないからな。あるのは俺の組み込んだプログラムでしかないし」
「へぇー......、そういう事まで出来るんか...。何て言うか、すげぇな」
「出来るようになったのはつい最近だ。基本、火葬士ていうのも火を操って燃やしたり、破壊したりする事に特化してるからな
ああいう技っていうのは、教えてもらってないし、俺のオリジナルだ
それより、上にいる龍神様にコンタクト取らないと話が始まらないからな。辿り着ければいいが」
確かにそうだ。こちらの声が届かないと意味がない。謝罪するにしろ、怒りを納めてほしいとお願いするにしろ、とにかく、顔を合わせなければならない。
相変わらず、この豪雨は弱まる事はなく、空の上で雷が鳴いている。そして、今度は強い風が吹き始めており、まるで怒りのボルテージがどんどんと上がってきているといった感じに妖気は先程よりも大きくなってきているようにも感じた。
「灯、とりあえず、海の家に行って、店長、呼んでこい。工具とか、そういうのぐらいはちゃんと置いてあるだろうから、そういうのを踏まえて」
「何で、俺が...、呼ばないといけないんだよ」
「いいから、呼んでこい。このままだと、大きな被害が出るかもしれないだろ」
「チッ、分かったよ」
「ついでに、そこにいるお前らも、一緒に行け。海の家にでも避難しといてくれ」
そう指示を出し、彼らはその場から去り、海の家へと向かった。
その後の事だった。ドガーーーンという聞いた事もない雷鳴が轟き、あまりの音のデカさに耳を塞いでしまったのは...。いよいよ、本格的にヤバいじゃないのだろうかと思った時だった。
「何者だ、私の顔を見たいと抜かす奴は」
そう声が聞こえ、空から降りるように姿を現したのは、まさに東洋の龍といった感じのドラゴンだった。蛇のような長い体躯に頭からは二本の角を生やし、薄緑の鬣、白い鱗に覆われた姿はどこか神秘的だった。
そして、後から強風と共に空へと送り出した蜻蛉達が落ちてきて、彼の目の前で散り散りとなって消滅してしまった。
「龍神様、お初にかかり、光栄です」
「お前か、私に虫を送りつけた上に、話をしたいと文を送ったのは」
龍神様はそう彼の事を睨み付けるも、彼は動じていない...。いや、力の循環に多少の乱れがあるのを見る限りでは、動じてない訳でもないようだ。
「読んでもらえたんですね。この度は、謝罪するべくお呼び立てさせていただきました
ご足労、ありがとうございます」
そう、彼は相手に対して、頭を下げる。
「私の社に手を出したのはお前か?にしては、お前とは違う気配を感じるみたいだが...」
「えぇ、この社に手を出したのは自分ではありませんよ。どうやら、自分の弟が関わっているみたいで...、ですが、あなたに俺がこうして謝っても意味がないのは重々承知なのは分かっています
ですが、こうして荒ぶっておられると、無関係な人達まで危害が出てしまいます。どうか、その矛をお納めいただけないでしょうか?」
「お前が謝る必要はないだろう。寧ろ、当事者が謝罪すべき事じゃないのか?」
「それはそうなのですが、アイツは何て言うか無礼ていうか、...龍神様に会わすのも失礼かと思いまして......。というより、おそらく、余計に怒りを買うような事を仕出かしそうなので...」
龍神様に指摘され、それに対して応える薪君はどことなく、影を感じてしまうのはきっと、自身の弟のせいなのだろう。
「分かった、許してやろう。だが、その代わり、条件がある
見た感じ、お前は人でありながら、他の人間にはない力を持っているようだな
それとそこの人の形を模した妖よ。お前の本体はお前が背負っている袋の中にあるそれだな?
まぁ、応えなくとも、私には分かる
何、条件というのは、退屈しのぎに遊んでほしい。要は腕試しだ」
そう言った後の事、突風が吹き荒れたと思った次の瞬間、俺達の目の前に竜巻が出来上がったと思うと、一瞬にして止んでしまい、突如としてそこに姿を現したのは翁の仮面を被り色艶やかな着物を着た女性で両手には何やら刀を持っており、小太刀と言うべきだろうか、それは普通の刀より刀身が短い刀だった。
「こいつは昔に貰った人形でな、人形ではあるが魂は宿ってはおらぬ。何せ、欠陥品だからな
さて、欠陥品の人形とはいえ、人の形をして、ちゃんと動く、お前達にはこの人形を倒してもらう。そうすれば、この天候を元通りにしてやろう」
そう言った後の事、目の前に立っている翁の仮面を被った女性、人形は俺達へと襲いかってきた。
俺は一先ず、刀を抜いて対応し、刃と刃がぶつかり合い、金属音か聞こえてくる。
「龍神様、その人形、壊してしまっても問題ないんですよね」
彼は龍神様にそう尋ねる。倒すという事は無傷という訳にもいかない。戦闘というのは生易しい物ではない訳だし、最悪の場合は丸焦げになるか、真っ二つに切られるか、はたまた両方という可能性だってある訳なのだ。
「良い、良い。たかが、人形、中身など宿っておらぬ」
そう言う訳なので、俺達は遠慮なく戦わせてもらう事にしたのだが、その人形の動きは思った以上に素早く、俺の太刀筋を読んでいるのか上手いように刀身をいなし、薪君が操る炎、放った火球すら回避してしまう。
たかが、人形相手なんて言っていられる状況でもなく、天狗の秘技である『駆』の技を発動させ、相手へと容赦なく、突きを繰り出すも、スラリと横へと回避され、俺の腹へと蹴りを入れられる。
「くっ、強い......」
思わず、そう言ってしまった。相手は俺の動きを呼んでいるようで、雨が降っているせいか、薪君の炎の技も切れをあまり感じさせないのだが、にしても派手な技を使えば、割りとこんな豪雨の中だろうとどうにかなりそうな気がする。
俺自身、力の循環は不完全であるが故に動きを読まれてしまっているのだろう。
このまま長期戦にもつれ込むのよろしくない。決め手になる一撃がなければ、相手に勝つ事が出来ないだろう。俺はそう思い、覚悟を決めて、自身の呼吸を整える。力の循環を均等になるように意識を向ける。
放つは突き。何の変哲もない、ただの突きである。それは自分にとって、最速で繰り出せる技でもない。妖力を纏った所で鋭さを増させるような技など持っていない。それでも、確実に相手の動きを捕捉し、相手の頭を貫くように駆けて、撃ち放つ。
その突きを目の前の人形は自身の手にしている二つの刀をクロスさせるようにして防御され、突きが止められ崩される。しかしながら、そこで止まる訳にもいかず、動きを崩された状態から思いっきり、刀を振るう。横へと一閃、それも防がれてしまうも、
バキン───、
という音と共に小太刀の刀身を通過し、折れた刀身が下へと落下し、相手の仮面を真っ二つへと切り裂いてしまった。
現れたのはよく出来た翡翠のような色の瞳をした女性の顔であり、確かにこれは人形だというのがよく分かる。
「死にたくない。私はまだ、瑠璃様の側に」
顔が露になった突如、中身がないと言って筈の人形が喋りだしてしまい、呆気に取られてしまった。
「龍神様、これはどういう事でしょうか。これじゃあ、戦う事なんて俺には出来ませんよ」
そう、彼女に瑠璃様と呼ばれているだろう龍神様に薪君が尋ねる。
「すまない、人間よ。これはお前の力試しなどではない。こいつの本性を炙り出す為にお前を利用させてもらった。それより、最初から気が付いていたのなら、何故、それを言わなかった」
「何か訳ありなのかと思いまして、それにあなたのような強力な力を持っているのなら、刄さんぐらい簡単に止められるでしょ?」
「えっと、...何、この状況......。というより、妖怪?付喪神?」
この状況を飲み込めず、俺自身、困惑させられる。意味が分からないんたけど...。気が付けば、目の前の人形からは霊力らしき物を感じさせられてしまっていた。どうやら、この人形には魂が宿っているようだ。ほんの僅かではあるが、妖力も感じる...。
全然、気付かなかった。というより、龍神様が操ってた訳じゃないのか?
「元々は魂なんて宿っていなかったんだろうけど、見た感じだと作られてそんなには時間は経ってない。おそらく、龍神様の強い力でも受け続けて、次第に魂が宿ったんだろうけど」
薪君からそう説明を受ける。それに対して、「へぇー」としか言いようがない。
「さてと、ようやく、私の目の前で喋ってくれたね、翠。何故、隠していた?私がそんなに怖いのか?」
そう龍神様は彼女に対して、尋ねる。それに対して、彼女は首を振る。
「いいえ、私は瑠璃様をお慕いしております。人形である私は大切して下さって、感謝するばかりです
そうですね、怖いという感情は確かにありました」
「そうか...」
「ですが、あなた様が怖いというのではなく、人ではない私などに魂が宿っている事が知られるのが怖かったのです
私は人ではない。人の形を模した人形である私など、知られてしまえば嫌われるのではないのかと...」
「馬鹿者、そんな事がありはしない
私は最初からお前にちゃんと、言っているのではないか。愛していると、それ以上を求めるというのなら」
「止して下さい...。瑠璃様、恥ずかしいです」
人形である彼女は顔を赤らめるなんて事は出来ない。だが、その声色は本当に恥ずかしそうに感情が出ているように感じさせられてしまう。それはまるで人間のようでもあった。
あの雷鳴と雨、吹き始めていた突風は止み、空はあの時のような快晴となり、太陽が燦々と照らしていた。
「やれ、たいぎーのぅ...」
そういつも通りの口癖を、口挟む。
「いつも、思うんだけど、その『たいぎー』って何なんだ」
そう、薪君から尋ねられる。
「しんどいとか、面倒臭いとかの意味じゃけど、ニュアンス的には面倒臭いっていう意味が強いかねぇ」
「まぁ...、確かに...たいぎかったな」
彼はそう俺の言葉を利用して、自身の心情を吐露する。
あの社の事はねずみ男君こと、根津光孝の叔父さんに任せる事にした。何やら、嬉しそうに引き受けてくれたが、何かいい事でもあったのだろう。大方、客が集まってくれたおかげで繁盛でもしたのだろう。
天候が回復したおかげか、海に繰り出す者までいる事が見受けられた。
「ちぃと、休憩してから帰ろうかねぇ」
「そうだな...」
そんな訳で俺達は海の家にて、ゆっくりして帰路へと着いた。