骨の魔物、スケルトンその4
その日は特に忙しい日であった。
翌日にまで迫っていた研究会と、翌月に迫った学会。そのための資料集めがまず必要だったが、それは好き好んで出ているのだから苦ではない。問題はそこではなく、金が無いことだ。
研究をするためには当然金が必要だ。そして、金は無から降ってくるわけでも学問の神様が湯水のように出してくれるわけでもなく、己で勝ち取らなければならない。俺の所属する帝国では、熾烈な競争に勝ち抜き国から資金を得て研究を進めてる者がほとんどだ。
しかし、俺たちのような「魔物研究者」は、他の研究部門と比べても酷く軽んじられている。というのも、そもそも帝国は他の列強国が束になって掛かってきても軽くあしらえるほど武力が突出しており、なおかつ周辺の領土はほとんどが魔物の生息しない地域にあたる。魔物などもはや探求する必要もない、そう考える輩が多く、頭の痛い話だがこの国の中枢にまでいる。
その上に最近では魔物のためなどと語る非営利組織が設立され「魔物との融和」などという標語が掲げられ、魔物を「非道に」実験する我々への風当たりが強くなっているのだ。
その結果「魔物研究」への研究資金の出資はほとんど行われなくなり、挙げ句の果てに俺たちの研究所は「魔に堕ちた部門」などと呼ばれる始末。魔物対策を掲げる民間企業すら風評を気にして出し渋っているほどだ。残ったわずかな資金は、国に利用価値を見いだされた軍事利用のための魔物研究にばかり回され、残るものはほとんどない。
誰も金を出さないなら、自分の足で稼ぐしかない。
だからこそ、毎週遠出して他研究機関の補助員として働いたりフィールドワークに同行したり、帝国領内から外れた地での魔物退治なんかも請け負っている。
「これで7体目か? 1体1000として、最新機器の購入にはあと400体は燃やす必要があるな」
そして今、俺は魔物退治を行っている。ちょうど必要だった資料集めも兼ねて、広大な帝国領土の端の端、辺境の田舎メルツにある墓所で「スケルトン狩り」をしていた、というわけだ。
最新機材が欲しくて請け負った仕事とはいえ、正直研究資金が無い中で買い揃えるものでもなく、プロジェクト自体の見直しをした方がいいとも思うのだが……うちの研究主任は頭が硬いからな……などと、スケルトン討伐の証拠となる魔力塊を採取しつつ頭の中では愚痴を零し続ける。
……断言するが、俺は考え事のしすぎで墓所の外に出たわけでも、ましてやトラップなど踏んだ覚えもない。一に探求二に己の命、自己の安全を蔑ろにするほど周りが見えていないような輩ではない。
「ここは……どこだ?」
だが、瞬きを一度、たったそれだけだ。その次の瞬間には、真っ暗な墓所の姿形など消え失せていた。遠方には観測不能なサイズの、どこまでも伸びる構造物が林立し、その手前に見渡す限り緑の草原が広がっていた。
そして、目の前に恭しく頭を垂れる女が1人。
「……お前は誰だ?」
正直に言えば、今この瞬間には全く予想だにしていなかった。
この邂逅が、何てことのない出会いが、俺たちの運命を決定づけていたなどと。
***
「……!」
滴る水滴の落ちる音と、どこかから吹いてくる隙間風の音くらいしか聞こえない静寂に包まれた墓場。その中にあって、無表情に淡々と作業を続ける男がいた。
骸骨片手に墓石の前で結界魔法を行使していたレパルは、既に貼っていた結界の近辺に、不自然な魔力の流れが唐突に発生したことに気が付く。
「やはりここはあたりか」
ぼそりと呟いた言葉は誰が聞くでもなく、その直後に地下一帯に響く叫び声に掻き消された。
「……っち、忠告を無視したか」
そう口に出してから一呼吸おいて首をわずかに横に振る。苛立ちをほんのわずか表情に見せ、急ぎ地面に術式を書き込むと、その円陣の中央に手をやり魔法を行使する。
「転移術式・道標、起動」
次の瞬間には、床に手をついていた姿勢のままレパルの姿はかき消え、別の場所……羨道すぐ近くの結界の手前に姿を表していた。
道標、転移魔法の一種であり、あらかじめ印を刻印した領域間で転移を行うことができる魔法。レパルは、緊急避難と移動時間削減用、それから運搬用にこの墓所の102箇所に印を残していた。
「魔力の乱れがいくつも……スケルトンめ、やつら久々の餌の臭いを嗅ぎつけたな」
死霊が魔力を糧に死者の亡骸に取り憑いて生まれたのがスケルトンと呼ばれる魔物だ。そのため、自分たちを増やすために積極的に人を亡き者にしようとするのが彼らの本能だ。
レパルは暗がりの中辺りを見回し、魔力流が発生していると思しき開きかけの扉に目を向けて、そちらに向かって懐から取り出した何か小さな物体をいくつも投げつける。
次の瞬間、破片のようなそれは扉の前に散らばり膨張して、小さな灯火となって石畳の上に炎の道標を作り上げた。
「結界内部にはいない。ということは、やはりあの扉の奥からか」
目の前に半開きとなった鉄の扉があり、その奥から異様な魔力がどんどん膨れ上がっている。それに、炎の弾ける音とはまた別の、何かがぶつかる音が先ほどから何度も響いてきている。
行灯を片手に燃える小片を踏みつぶし、ゆっくりと扉へと近づく。そして、扉の境界線に差し掛かかる。
「かかきかかかきかかききか」
「っち!」
境界線を越えた瞬間、横合からレパルの鼻先をかすめる形で頭骨が口を開けて噛み付いてきた。掠ったと同時に後方に飛び、手にした行灯を骸骨に向かって投げつける。
「ききかかきかかき」
行灯の炎が骸骨の頭部にぶつかり、漏れ出した火が骸骨の頭部にうつっていく。そして、断末魔のような金切り声が響いた後、炎は異様に眩い光を放ちながらスケルトンの全身を包み、真っ黒な燃えカスへと変えていた。
「今度は団体か……それに、あれは……」
1匹のスケルトンがバラバラの炭になるころには、扉の先から死角にいたであろう魔力の歪みの主のスケルトンたちが姿を表してきていた。全部で12体で、しかもそのうち1体は他のものよりも二回りは大きい。
「こんな辺境で上位種とは、俺も運が悪いな」
他のスケルトンたちは結界が踏み越えられない中、一際大きな体躯の上位種スケルトンは、結界とされた『赤い線』を軽々と踏み潰して破壊し男の方へと近づいてきていた。
身体の、骨だけとなった巨躯の至る所に、角のような構造物が飛び出している。その眼窩は他のスケルトンと比べてもより赤々とギラついた輝きをしており、渦巻く魔力の流れも相まって恐ろしい存在感を示す。
「本当についていない。お前を狩ったところで、契約に無いからタダ働きだというのに」
が、この男レパルにとってみれば、そんな恐ろしい上位種など金にならないという一点を除き、何の障害にもならない。
「炎・光・魔力・拡張」
片腕でスケルトンの集団を指差し、そう魔法を詠唱する。魔力の流れに反応してか彼らは持っていた槍などの武器を投げつけてくるが、それはレパルの胴を貫く前に何かに阻まれ、ついで光り輝く炎に包み込まれた。
そしてそれは、武器だけでなく骸骨たちも例外ではない。
「ききかかきかかき」
「燃えつきろ」
レパルが掌をかざすと、その先にいたスケルトンたちの身体にも先ほどの1匹と同じように炎が燃え広がり始めた。
いや、燃え広がるという言葉は正しくない。目の前のそれは、燃えるというより炭化だった。上位種もろともほんの一瞬の強烈な光を放ち、それこそ瞬きする間も無く、次の瞬間には骨だった黒こげのものが転がっていた。
「……しまった、焼きすぎたか」
加減せず燃やし尽くしたため、そこに転がっている骨は原型を留めずボロボロと崩れていた。レパルとしては資料のためできるだけ状態を保持していたかったが、骨炭になっては致し方ない。
「巨人族の骨から生まれた上位種は何とか保っているか。ゲルトの土産にでもするか?」
まだまだスケルトンは他にもいるだろうが、上位種ともなるとそうそう出会えるものでもない。
手早くボロボロになった黒炭から、表面だけわずかに炭化した程度の大きい骨を分け、保護魔法と転移魔法で拠点に送る。
「さて……」
レパルは、今し方スケルトンたちが徒党を組んで現れた扉の方を見やる。その先は棚が二つあるだけの簡素な部屋であり、出入口は一箇所のみ。
この狭い空洞の部屋に、上位種含め複数体のスケルトンがすし詰めになっていた、というのは考えづらい。おそらくはそれほどに濃厚な餌の香りに誘われた、そう考えた方が自然だ。
そしてその『餌』というのはおそらく……
「……間に合わなかったか」
手前に半開きとなっている赤錆の扉を横方向へ思い切り蹴り倒し、部屋の中を見渡す。
床一面には、棚から落ちたであろう書物の残骸が散乱している。そして、書物から脱落して散らばる黄ばんだ紙には、点々と赤い血が飛び散っていた。
部屋の中に足を踏み入れ、ちょうど棚で死角になっているところまで進んでみれば、そこには無残な刺殺体が転がっていた。
先ほどの女だ。
「……我らが同胞の御霊よ、願わくば安らぎの地へと向かいたまへ」
身体中に鋭利な刃物で突き刺されたと思しき痕がいくつもあり、そこから赤黒い血液が流れている。息はなく、拍動臓(心臓)の鼓動もない。なにより、生命維持や再生、蘇生術が一切かからない。あの空中降下の時にかけられた魔法すらかからないということは、そういうことだ。
指で簡易的な死者への安寧を願うサインを作ると、レパルはこの狭い部屋のどこから彼らが這い出てきたのかを調べはじめた。
「棚の裏側、ここは木製の床なのか。腐食してるせいで一部がむき出しだった、といったところか」
スケルトンは地中から這い出してはくるが、本来は地中を移動することはできない。だが、この部屋の地面の下にあれだけの骨が埋まっていたとも考えづらい。
考えられることとしては、上位種のスケルトンが掘削していたという可能性。
「とりあえずは、ここも結界を張っておこう」
正直いらぬ作業であるものの、死体となった女の骨がスケルトン化して土中に身を隠さぬとも限らない。スケルトンの元となる死霊の侵入も防げるので、スケルトン化を防ぐことにも繋がる。埋葬してもいいが、こんな場所ではどこに埋めてもやはりスケルトン化してしまう。
「かと言って俺が運べるほど軽い、なんてことも無い」
死者をそのままにしておくべきではない。それは当然だ。だから、後で死体処理係を呼んで対処を行う。
「……あのよくわからん場所……書庫だったか、あれの貴重な情報源だったが、まあ死体になったとしても記憶の読み取りができる奴にはアテがあるから問題はないか」
早々に地面が剥き出しとなった箇所を『赤い線』で囲み、ついで一応念のため女の死体を防腐処理しておこうと考え振り返る。
「……?」
だが、振り返ったままの姿勢で彼の思考は一瞬停止した。
姿勢を正して立ち上がり、辺りに他の気配が無いことを確認しつつ、その部屋の中に立てつけられた燭台に魔法で火を灯していく。
そして、すべての燭台に火が灯ったところで、部屋の中が明るみになったことで、結界を張っている僅かな間に起きた異常に気がついた。
「死体が……消えた?」
そこにあったはずの、血溜まりに沈んだ女の死体は、忽然と姿を消してしまっていたのだ。代わりにそこには、一冊の血で真っ赤に染め抜かれた書物が落ちていた。
「これは……ただの初級魔導書か」
一般にも流通しているごく初歩の教導書。初等学院でも扱われほとんどの魔術師がお世話になる書物だ。血で汚れているとは言え、とりたてておかしな点はない。
「どういうことだ……?」
誰かが死体を持ち去った? だとしたら魔力の流れや血の跡が無いのはおかしいし、ほんのわずかな間に物音一つたてずこちらに気づかないで行動できるなど到底思えない。
あるいは、気配遮断の生来の異能かその手の魔法か……いや、魔法ならいくら隠蔽しても魔力使用の痕跡が残る。だとすれば生来の異能……仮にそれほどの気配遮断能力者がすぐ近くにいるのであれば、非常に危険だ。早急な対策が必要になる。そうレパルは心の中で結論づけた。
「ただのスケルトン退治の依頼と聞いていたのだがな……」
魔力の警戒網をより広範囲に広げ、それが魔物であれ人間であれ、敵性存在がいないかどうかをくまなく探索する。
魔力探知に引っかからないのであれば目視で確認するしかない。警戒は常にしつつ、ゆっくりと部屋内を巡回し異常がないかを確認する。
だがやはり異常は見当たらず、魔力の警戒網にかかるものもいない。
「……いや、待てよ……」
ふと、彼の視線は手元に抱えていた書物に向かう。それは先ほども確認した通り取り立てておかしな点のないただの書物だ。表紙の両面に血がべったりと付着した、ごく一般的な本だ。
……両面?
「……元々落ちていたものではない?」
てっきり既に床に落ちていた書物にあの女の死体が被さったと思っていたが、だとすればこうも両面とも均等に血塗れにはならない。つまりあの女が懐に持っていた、ということだろう。だがなぜ、それだけが床に落ちているのだろうか?
おかしな点は他にもある。スケルトンは死者と生者の匂いの嗅ぎ分けをする能力を保有している。動く死体であるゾンビと人間、新鮮な死体、骨、仮死状態の人間、眠らせた人間、これらをしっかり嗅ぎ分けた挙動をするという実験結果は有名で、要するにスケルトンはそれだけ生者を選択的に殺しにかかる能力に長けているということ。
つまりは、生者が死体になれば興味を失うはずなのだ。
「まさか……」
レパルは死亡判定についてはあまり詳しいわけではないが、あの女の刺殺体は誰の目にも死体だとわかるし、出血量から死んで少し経ってることも予想できた。それなのに、なぜスケルトンたちは、何より結界を踏みつぶせるほどの大物は、結界の外に出なかったのだろうか?
なぜ執拗に、スケルトンたちはあの女の死体に固執していたのか?
「……! 誰だ!」
異様な状況ゆえに一瞬レパルの反応が遅れた。部屋の外側、すなわち羨道のほうから足音が聞こえてきたのだ。
ついで、人影がゆらりと先ほど撒いておいた破片を踏みつけながら現れ、ゆっくりと部屋のこちら側へと近づいてきた。
「お、お前は」
彼には一眼で分かった。その姿、その顔、その歩きづらい長い丈の服、種族判定不能の正体不明だった人間。
「あれ、何すかその鳩が豆鉄砲食らって顔面崩壊したみたいな顔は」
……血塗れに死んだはずの女は、何事もなかったように、気軽な口調で笑いかけてきたのだ。