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骨の魔物、スケルトンその3

 目覚めると、そこは墓地だった。


「って、なんじゃそりゃっすよ!」


 何もない虚空に、流れるようなノリツッコミが響いた。


 すえた腐臭が漂う、月明かりもなく仄暗い墓所。おそらくは屋内なのだろう。規則正しく並ぶ墓石は随分古いものらしく、手近にあったそれを確認してみても、刻印された文字はかすれて読めない。


 多少暗闇に慣れた目であたりを見回せば、石畳はそこかしこが割れ、隙間からはぐねぐねとねじ曲がった不思議な形状の植物らしき何かが生えてきている。見るからに数年単位で手入れのなされていない状況だとわかった。


「うひぃ、なんかベトベトしてる……」


 こんな場所で目覚めてしまった少女テラが倒れていた冷たい床には、白い苔のような何かがまるで絨毯のように一面を覆っていた。これが、おそらくはねばねばとした粘液物を分泌しているのであろう。


「皮膚にまでくっついてるっすね……かぶれるタイプのじゃないといいっすけど」


 身体に張り付いた粘液と苔を払い落とし、落ちたその一部を摘まみ取ってまじまじと観察する。


 世界のすべての知識を包括する書庫、その管理者。彼女の手にかかれば、それがどんなものであろうとも、無数の知のふるいにかけて存在を同定することができる。


 しつこくこびりつく苔類の種別、植生、生態その他を書庫に照らし合わせ、かぶれるものかどうかを調べ尽くす。少女の書庫へのアクセス能力をフル活用し、お肌に悪いものかどうかをジャッジする。


「おい、何をしている」


 が、思考をすべてそれに注力していたため、背後から近寄ってきていたものの存在には気がついていなかった。


「ぎ、ぎょえええぇぇえなななな何、誰!?」


 暗がりから唐突に現れた火の玉と男の顔に、驚愕から腰を抜かしてその場にへたりこんでしまう。そのまますごいスピードで後退りするも、林立していた墓石の一つに阻まれた。


「お前に蹴り落とされた男だ、と言えば早いか?」

「あっ」


 暗闇でも良くわかる、人を射殺す様な鋭い目つきの男。つい先ほどまでスケルトンがどうとか魔物がどうとか語っていた人間。


 それが、行灯とドクロを手に少女の背後に佇んでいた。


「……墓荒らし?」

「失礼な。俺の本職は研究者だ」


 片手に持った頭骨の表面をマジマジと観察しながら、少し語気を強めてそう返す。

 ついで何かを小声で唱え、観察し終えた頭骨を暗闇に放り投げた。放物線を描くそれは暗がりの中目視できないが、地面にぶつかった音はいつまでも帰ってこない。


「それよりも、お前には色々聞かせてもらわないといけない事があると思うが。とりあえず、お前は何をしてるんだ?」

「え、あ、あたしは……これ、このよくわからん苔を調べてたんすよ」


 何か言いたげな顔をしつつも、とりあえず話を合わせるためにひとつまみの白苔を男の目に見えるように突き出す。


「これは……喰魔衣(マナイータ)だな。死骸に残るマナを分解する植物の一種だ」


 そう言って、突き出された苔と同種のものを石畳の隙間から剥ぎ取り指の腹で擦る。すると、ベタベタとした粘着質な液体が苔から漏れ出してきた。


「すり潰すことでこのようなマナ濃度の高い粘液が発生するが、身体への毒性はほとんど無い。ごく稀に呪いを呼び込むことはあるが、まず起こることはない」

「は、はあ……」


 男は盛大なドヤ顔と共に、饒舌に早口に語った。いや、実際のところ男は表情筋をまったく動かしていたわけではないが、少なくともテラにとってはそう思えた。


(……マナ? ……呪い?)


 押し黙ったままの少女の返答を待つつもりもない男は、腰をかがめてテラと同じ目線に落とし、その鋭い目つきで睨みながらやや詰問口調で言葉を紡ぐ。


「お前のおかげで天空から叩き落とされ、その衝撃緩和のため召喚魔法を駆使し、貯蓄していた魔石をすべて砕くハメになった。だがそれはどうだっていい。探究に金などいくらでも犠牲にしていいからな。俺が知りたいのは、お前が何者で、あの場所がなんだったのかだ。答えろ」


 矢継ぎ早にそう詰め寄り、行灯をわずかに揺らして応答を暗に急かす。テラは腰を抜かしていたが、この恫喝ともとれる高圧的な態度をぶつけられたせいか平静を取り戻し、やや困り気味に小さくこぼした。


「いっちばん最初に言った通りっすよ。あそこはすべての知識が集う書庫で、あたしはその管理人。それだけっす。ちなみに蹴り落としたのは面白そうだったからであって、まあ、その、……悪かったっす」


 最後の方は気恥ずかしそうな謝罪文になっていた。


「答えになっていないな」

「そう思うんなら、これ以上あたしが何言っても無駄っすね」

「種族、国籍、性別、信仰。あの場所で言えば施設名や座標などあるだろう」


 男の声音や身振り自体は先ほどと変わっていないが、言外に早くしろという苛立ちが感じられた。


「……なんでそれを知りたがるんすか?」

「あの地は魔力濃度が異様に薄かった。本来あの程度の濃度では数分も経たぬうちに魔力欠乏症が起きてもおかしくはない。だが、お前も俺もそんなことは起きなかった。まあ俺は単に内蔵魔石を砕いていただけだが……付け加えるなら、単純な言葉で言い表せないが、違和感だ」


 へたり込んだテラとその背後の巨大な墓跡の周りをぐるぐると歩き回りながら、ぶつ切りの情報を何度も口にしては反芻し、そして考え込むという行為を男は繰り返していた。


「魔力濃度の低下、魔力はそもそも大地から上空に行くほど指数的減衰する傾向があるが、あの場所の濃度は想定されうるそれを遥かに下回っていた。そうだ、あの地と空との間には魔力の濃度の()が、断絶があったんだ。魔力海(デプス)の反対側、最果ての地であれば、低魔力濃度の砂漠地帯のような特異領域だと納得できたが、実際はそうではなかった。いや、特異領域という定義には当てはまるか? ……あるいは空間転移の最高位魔術式(エルダースペル)?」


 早口にそんなことを喋りながら厚ぼったい白のローブを大仰に翻し、掌をかざして今度は何やら聞き取れない言葉を紡ぐ。特段何かが起きるわけでもないが、本人は何か満足したような納得したような表情を顔に浮かべた。


「では、お前は何者だ?」

「ひぃ!」


 病的なほど白い顔面を突然暗がりから近づけてきたため、その恐怖からテラは一瞬身体を硬らせた。だが、そんな彼女などお構いなしに男は辺りを再びぐるぐる歩き回りながら続けて口を開く。


「低濃度魔力に適応した種である砂蛇族(パーファダー)……ではないな。身長的に言っても小人族(ヌゥメ)でもない。魔力の質が測定できないせいで外見的特徴からでしか判断のしようがないが、お前のその見た目に近しい生物は吸血族(ヴァープル)一目族(キュロプル)、あるいは影族(ドーゲンプル)か?」


 男の口をついて出てきた単語はどれも、テラにとって聞き覚えのないものであった。いや、隅々まで書庫内部を検索すれば、あの書庫に封じられた無数の堆積知を持ってすればさすがに1,2件はそれっぽいのがヒットするだろうが、少なくとも少女の脳内の記憶領域にはそれらは存在しない。


 やはり、この男は空想癖が酷い。そうテラは確信し心の中で面倒くさそうに毒づく。


(妄想の類、何かの御伽噺から取っているんだとは思うっすけど、まあ一応試してみるっすか……)


 渋々といった態度を心の中にしまいこむ。男がまだ何かを喋っている最中に彼女は自分にとっての十八番、書庫の管理人としての権能を発揮する。上から目線の嫌味なこの男の鼻を明かす……いや、会話をうまく成立させるために書庫へのアクセスを行なった。


 自身の額に人差し指を重ね、端から見れば考える人のようなポーズでアクセスを開始する。別にわざわざポーズを取る必要は全く全然これっぽっちも無いのだが、アクセス最中に集中を途切れさせる横槍を防ぐための防衛策だ。かっこつけたい……というのも多少はあるかもしれない。


(まずはゲートウェイにアクセスして、次に単語の音声情報を入れて……)


 書庫の情報は膨大、けれどもその関連情報へのアクセスは容易であり、出力された情報が数億程度であればテラの脳みそだけで事足りる(・・・・・・・・・・)。その数億の情報も、数秒で相互通信が可能だ。


(……マスター権限認証、キー指定、完了……キー認証、完了……パスフレーズ、****************、送信完了、応答待ち、応答待ち、応答待ち……タイムアウト、再度送信、応答待ち、応答待ち、応答待ち……)


「……?」


 だが、数秒は愚か1分が経とうとしても、一向に書庫へのアクセスができない。テラの頭の中にはこれまでに感じたことのない異様なノイズ(・・・)が走り、まるで海で波にさらわれたような、どれだけ足掻いても目的地に手が届かない感覚に陥る。


(書庫が……遠い(・・)? いや……アクセス経路が薄れている(・・・・・)?)


 テラが幾度となく頭の中でコールしても、書庫のシステムからの応答はない。これまで常に使えたまさに神の如き膨大な叡智は、書庫への無制限な閲覧権限があってのものであり、それが何故かわからないがまったくに機能しない。


「……で、結局お前は何者だ?」

「どひぃ!」


 脳内で書庫とのコネクションを開いてる最中もずっと喋り続けていた男は、話が一区切りしたのか再び少女の顔を覗き込むように近づいて先ほどと同じようなフレーズで尋ねてきた。


 緩急つけた何とも薄気味悪い男の動きにビビりつつも、すぐに平静を装いどうにか身体を起こして男から少し距離を取る。


「れ、レディに自己紹介を求めるならまず自分から。それが筋ってもんじゃないっすか?」


 彼女としては、目の前の男にかまけてるよりもはるかに重要な問題が発生していた。傲岸不遜で薄気味悪い男の言葉にはその場しのぎな返しをしつつ、再び書庫へのアクセスの再試行を行う。


(エラー、エラー、エラー……応答、応答求む、応答……っく、ダメっすか!)


「おい、話を聞いてるのか」


 思考の海で何度試行しても、書庫へは繋がらない。不測の事態に焦りを募らせつつある少女は、横合からの男の言葉に意識を引き戻される。


「俺の自己紹介とやらのターンは終わったぞ。次はお前の番だろう」

「いやいつ自己紹介してたっすか!?」


 流れるようなツッコミとともに、集中は一瞬で途切れてしまった。書庫へのか細い接続経路は、集中力の損失によりさらに希薄になる。


 いくら意識を書庫への通信に注いでいたとしても、せいぜい10秒くらいだ。その間にこの男は、こんなコミュニケーション能力が不足していそうな男が、自己紹介していたと言うのだろうか。


名刺(ステータスカード)を渡したはずだが……? それが渡された以上、自分のを返すのが礼儀では無いのか?」

「ステータスカード……なんてもの貰ってないですし、それがなんなのかもわかんないっす……」


(ぐあーーー! やっぱこいつ何言ってるか全然わかんねーっす! なんでよりにもよってこういう時に書庫に繋がらないんすか!)


 テラは苛立ちからか頭を掻き毟ってジト目で男の方を見やる。男はそんな憎々しげな視線など意にも介さず、少女に話しかけつつも何か部屋の隅っこでぶつぶつ呟いては歩き、また呟いては歩きを繰り返している。


「お前、魔力が薄いと思っていたが、よもや魔視眼(マナアイズ)すらないというのか……?」


 ひとしきり部屋の隅を歩き回った後、再び少女の目の前まで戻ってきて、鉄面皮を少し崩して心底呆れたような表情でそう溢す。


「……あー、じゃあそういうことで」

「魔力のない旧世代の自動人形と同じということか。ならば口頭で済ますしかないな」


 いや始めからそうしろやい、とテラは心の中で愚痴りつつも、表情には極力出さないように作り笑いをしておく。


 今はできるだけ情報が必要だ。書庫の情報が使えない以上、少女テラはただのか弱い薄幸な天才美少女であり、早急に書庫と繋がる必要がある。


「お前の名は天才美少女というのか?」

「え、何心読まれた怖い」

「お前が今、明後日の方向を見ながらニヤケ面でそう喋っていたぞ」


 どうやら彼女の思考は口に出ていたらしい。


「……いや、あたしの名前はテラ、て言うっすよ。まあこれで二度目ですけど」

「名前は知っている」

「あ、そうっすか……って、じゃあさっきのはなんだったんすか!?」

「天才美少女は名前ではなくお前の我褒めだろう。単なる冗談だ」


 こともなげにそう話し、冗談を言いそうにない男は行灯を自分の顔の真横にまで持ってくる。照らし出される顔は、やはりというか冗談を言ったにしては眉一つ動かない仏頂面のままだ。


「レパル。俺のことはそう呼べ。お前からは情報さえ聞き出せれば用済みだから、まあどうせ短い付き合いだろうがな」

「は、はぁ」


(うわ……めっちゃイラつかせんの得意っすねこいつ)


 いくら何でも面と向かって用済みだなんて、あまりにも不遜が過ぎる。というより、単純に性格が悪い。

 レパル……書庫に再び繋げられるようになった暁には、もう一回蹴り落としてやる。テラはそう心に念じて名前を脳に刻み込んだ。


「名前以外はないのか?」

「神、性別上は女、神だから信仰も何も無し。あたしが所属するのは国ではなく星……いや、世界そのものなので、国籍とかねーっす」


 先ほどレパルが聞き出そうとしていた『種族、国籍、性別、信仰』についてテラはそう返すが、その情報量の少なさに男の顔は無表情ながらわずかに眉をひそめていた。


「なるほど、随分と興味深い妄想癖があるのだな」

「いやあんたに言われたくはねぇっすよ」


 書庫での意趣返しか、わざわざ強調してレパルはそう当て擦りする。

 お互いより一層険悪なムードになりつつあったが、テラにはそんな目の前の男よりもさっさと済ませなければいけない優先事項があったため、一呼吸置いてへたり込んだままだった身体をゆるゆると引き起こした。


「あんたに聞きたいことはあたしも山ほどある、けど今はそれよりも書庫に戻ることが先決。だから、あたしはとっととこの薄暗くてヌラヌラして気持ち悪い空間からは退散させてもらうっすよ」


 そう一方的に言い放ち、早足にその場を去ろうとする。そうだ、神としての能力を扱うには、書庫へのアクセスは絶対だ。それをまずは行うべきなのだ。


「おい、そっちは行き止まりだぞ」

「……」


 知ってたっす。

 などとテラは小さくこぼし、くるりと回れ右して立ち並ぶ墓石を横目に早足で出口に向かう。


「まあ考えてみれば俺も仕事の最中だったな……ああ、言い忘れていたがこの墓所内を歩き回るのであれば、『赤い線』より外には出るなよ。結界の外には魔物が出現して危険だからな」

「はいはい」


 仕事の最中と言いつつやっていることはさっきからどこともわからない虚空に向かってぶつぶつ独り言喋ってるだけなのだが、テラは突っ込まないでおいた。


(……まあ、野生生物の熊とか猪とか出て来たら確かに危険ではあるっすね。あたしは神だから死なないけど)


 念には念を。それに、テラは神格の中では知名度がそこまで高く無いとはいえ、書庫に選定された『賢者』を除き下手に現地民に自分の存在を晒すべきではない。


「……とはいえ、あたしの熱源探知眼(サーモ)にはそれらしき獣の姿も、人影も見当たらないっすね」


 どこを見回してもあたりに何かの生物らしき熱は見つからない。不気味なほど静まり返っているが、ここが寂れているのもあって、捨て置かれて随分と経っているのかも知れない。


「あれ、ていうか……あいつ体温低すぎないっすか?」


 熱源探知眼(サーモ)、これは眼球の網膜上の細胞内に取り付けられた特殊な超極小の装置群 (長辺 20 nm、短辺 5 nm、厚さ 1 nm)であり、この装置が観測範囲内の赤外線の放射輝度から換算した温度をパスウェイシグナルに変換し、温度を視覚的に判別できるように視神経へダイレクトに情報を伝える。

 通常時はスリープ状態であるが、起動時には広範囲の熱源の探知が可能である。


 既に早足に先ほどの墓所の広間を離れていたためやや遠くにいて解像度が悪いが、レパルと名乗っていたあの男の体温は、34℃程度と人の体温としては非常に低い。


「もしかして、お化け……?」


 などと考えてから、書庫から落下している最中に謎の骨の怪物を見たような記憶が蘇りかけ、途中でぶんぶんと首を振り自身の考えを速攻で否定する。


(神が幽霊をビビってどうするんすか。どうせ外気の寒さと不健康で低体温症になってるだけっすよ)


 自分自身に言い聞かせ、未だあの広間をぐるぐる回っておそらくまだぶつぶつ喋っているであろう男のことは一端忘れ、外界への仄暗い一本道をずかずか進んでいく。


 途中いくつか分かれ道になっている場所があったが、道に沿って赤い線が引かれており、それが目印となっているのか今のところ袋小路には出会していない。


「確かあの男……レパルは『結界』とか言ってたっすね……」


 ばかばかしい、とまでは言えない。魔物がどうとかは置いておくとして、道順を示すものとしての機能を果たしているからだ。


 ありがたいことに墓所は壁面に燭台が並んでおり、足元もおぼつかないくらいの暗闇の中にあって壁に沿って引かれている赤い線は目視で確認できた。すえた腐臭も、外に近付いたからか先ほどよりもだいぶ薄くなって来ている。


「お、ようやくっすか」


 数分程度道なりに進んでいると、ついに外界からの明かりが見えてくるようになった。


「……外に近づいても未だに書庫には繋がらず。無いとは思ってたけど、やっぱりさすがに地下だから電波が届かないなんて旧時代の不具合のせんは無いっすよね」


 歩きながらも片腕の指を額につけて書庫との接続の試みは欠かさない。側からみれば、念動力を働かせようかとしてる呪い師のようにも見える。


「それにしても、やけに古ぼけてるというか……久々の地上世界だっていうのに、もうちょいハイテクにできなかったんすかね」


 壁面に立て付けられた寂れた鉄製の扉に手をかざして独りごちる。予想していた地上の風景は、もう少し煌びやかで人が瞬間移動し建物が空に浮かぶとか、そんなものだった。


 と、赤錆だらけの扉に手をかざしているとやや力が入ってしまっていたのか、ゆっくり扉が開いてしまった。扉の先にはまた部屋があるのだが、その先は赤い線から外の領域だ。あの男(レパル)が危険だとか言っていた。


「んん?」


 よくよく部屋を見渡してみると、そこは本棚が僅か2個だけポツンと置かれた、とても狭い部屋だ。他に扉はなく、出入口はテラが立ってる場所しかない。そしてその狭さゆえ肉眼でも全容が見え、熱源探知眼(サーモ)も相まってそこには何もいないことが確約されていた。


「ちょっと罰当たりだけど……まあ、神様の書庫に蓄えられるんだからいいっすよね?」


 一応、念のために音を立てない忍足で部屋の中に侵入する。『赤い線』を越えたところで何か起きるでもなく、結界だなんだと言っていたがやはりこれに道案内以上の意味はなかったようだ。


「毒性のガスとかが出てるわけでもなし。うーん、それにしてもやっぱり経年劣化がひどいっすね」


 木製の棚はボロボロに腐食しており、先ほども見かけた白い粘液を出す苔類がそこら中に生えている。書物の重みで所々崩れてしまっており、いくつかはそのまま床に散らばってしまっている。


「うーん? なんて書いてあるか読めないっすね……」


 古ぼけた表紙は埃がかぶってるだけでなく、おそらく虫によるものか、食害の跡がいくつも見受けられる。中にはポッカリ大きな虫孔が開いてしまってるものすらある。


 放置されてからほとんど手付かずで、資料保存も満足にされていなかったのだろう。

 しかし、こんな墓所のすぐそばという環境劣悪な場所に書庫があるなんて、多目的な施設だったのだろうか。


「うーん、下手に動かしてバラバラになりそうで怖いっすね。あ、これは大丈夫そうかな」


 テラが目につけた書物は、他のものに比べかなり状態が安定しており、せいぜい表紙が色褪せているくらいだ。明らかに他の書物より最近に置かれた代物だとわかる。


 ありがたくその書物だけ抜き取って懐にしまうと、テラはもう一方の書庫も物色をし始める。足取りが忍足なのもあってか、完全に盗人である。


「うむむ……さっきの以外はどれもボロッボロっすね……現世の人間どもはどうしてこう知識を大切にできないんすかね」


 背表紙もろともなんの保存処理もされてこなかったであろう、ボロ切れのようになってしまった書物を見て思わずテラは嘆く。書庫の世界にサルベージできればそれが一番良いのだが、失われた知を修復する手立てはない。


 おんおんと嘆きつつテラは目当ての書物一つを引っ提げて部屋を後にしようとする。あまり成果としては芳しくないが、彼女としては0よりも1歩知識を拡張することに意義があるので、現世で新しい書物を一つゲットできたのはそれだけで喜ばしい成果だ。


「ふんふんふーん。なんか気分がいいっすね。これは例えるなら……そう、新刊が出たときにピカピカの新品を買った直後の気分っすね! これで手近にコンビニでもあればしゅわしゅわドリンクとチップス片手に楽しめたんすけど……」


 狭い部屋ながらなぜかスキップをして壁面に激突する。側からみれば馬鹿らしいが、彼女としてはそもそも数万年ぶりの地上だ。目新しい知識の蓄積されない書庫にあって、ようやく新入生ならぬ新入書がやってきて、少し小躍りしたくなったのだろう。


「ふふーん、ふんふーん。って、おわ!」


 などとはしゃいでると、何か小さなものに足を取られその場でずっこけてしまう。幸い、書物は懐深くにしまっていたので被害はないが、テラは足を擦りむいてしまった。


「な、なんすかもー。やっぱこの部屋が散らかりすぎなんすよ。そもそも書物はもっと大切にしなさいと教わらなかったんすかね!? まったく……仕方ないからあたしが片付けてや……る……?」


 書庫に散らかる既に読むことのできない書物の残骸に足を取られたと思ったテラは、身体を起こしてそうボヤき振り向いた。振り向いて、そこで急速に次に出てくる言葉を失っていた。




 いた、いたのだ。そこに。


 さっきまで何もなかったはずの空間に。


 怪しげに光る空洞の眼窩をこちらに向けて。


 ……動く骨、スケルトンが。


「あ、え……?」


 そして次の瞬間には、鈍い衝撃とともに、テラの腹部に深々と刃が突き刺さっていた。

 滴る血が、足元の残骸とテラの視界を真っ赤に染めていた。

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