プロローグ
……はるか昔より、とある世界にはこんな伝説が残されていた。
ー深淵より遥か奥地、全能の神が座する書庫あり。其処は、招かれし者のみが地を踏みしめる事を許された場所。そして、世界に遍く知識の全てを有せし禁断の場所ー
古来、神に近づきたい、あるいは神そのものになりたいという傲慢な人間たちはこぞってその書庫を目指し、そしてどこへともつかぬ闇へと消えていった。それは数百万年前から何一つ変わらず、未だに世界の深淵を覗こうとし、そして謎の失踪を繰り返す者が後を絶たないという。
その大半は行き過ぎたオカルトに手を出して身を滅ぼした、あるいは己がためだけに生き続け遂には自滅した愚か者たちの末路なのだが、姿を晦ました者たちの中には本物も存在していた。
書庫の番人……彼女が認めるのは、知識に溺れる人間のみ。ただひたすらに知識を求め、それ以外は不要とする。知を求める愚か者を選定し、終わりなき求道を示す代わりに、その身を供物として要求する。そうして供物から吸収された知を新たに蓄積させ、書庫の世界とその番人は昇華していく。
そんな、あらゆる事象の真理を集積された知の集合体の番人である彼女は、神とも仏とも形容される威光を放ち、人類の尽くが頭を垂れるほどの威風堂々たる豪傑とも評される。その実態は不明なれど、偉大なる存在であることを仄めかす話には枚挙にいとまがない。
そう彼女こそが、この書庫で構成された世界の歪みの管理者、知を統べる神なのである。
「あー、しゅわしゅわ美味いっす。これ作ったやつ天才っすね、書庫に呼ばなかったのが悔やまれるっす」
……間違いではない。ソファの上でだらけきってしゅわしゅわ、おそらく炭酸飲料のことであろうが、それを仰いでるこの少女こそが、あらゆる知の集う書庫の管理人である。
「じゃがいもを薄くスライスして揚げたこのチップスもいい味だしてるっす」
お次は、どこから取り出したのか薄切りのチップスなる菓子をバリバリと食う。食ってまた炭酸を飲む、飲んで食う、飲む、食う、飲む、食う。
「あははー、この漫画おもしれーっすね。いやーライブラリの項目に無理して追加して正解だったっす」
絵と僅かな文字で構成された書物を、楽しそうに少女は読みふける。書物は空中で固定され彼女の眼の動きに合わせてページが捲れていくため、読みつつ飲み食いするという自堕落な動きもできてしまう。
……断りを入れておくと、人類からは崇拝の対象として認識される、彼女はそれほどのれっきとした神性である。
だが、まあ、あまりに永い時を、終わりのない孤独を、愚か者を待つ待機時間を何度も経るうちに、飽きが来てしまったのだろう。
これまでは数百年周期で『愚か者』の客人はやってきていた。しかし、ここしばらく、数万年単位で来客は姿を表さなくなっていた。
書庫は常に稼働し続ける。そこに意思はなく、ただ世界のシステムとして。しかしその管理人である彼女には、明確な自我が存在していた。
それ故に、待ち続けることにある程度慣れていたとしても、『神様』らしい尊大な姿勢を作り続けるのをやめてしまっていたのだ。
その結果がこの自堕落な女神様、というわけなのだろう。神様らしい態度を取ってもらうには、客人が必要なのだ。
「きゃはー、こいつ異世界とかなんとか言ってるっすよ、あるわけないじゃないっすかーぷふー。……あれ?」
そして、この日数万年もの気の遠くなる年月ひたすら暇をしていた自堕落な神の世界に、彼女のお眼鏡に叶う「客人」が現れる。
ありがたい。彼女は元々真面目でしっかりものなのだ。こんなアホ面をいつまでも見ていたくはない。
錆びついた、数万年微動だにしなかった扉。書庫に生えた無数の木々、その根や枝は剪定など行われず伸びっぱなしで扉に絡まりそもそも開くのかすら怪しい。だが、主人の命なくともそれは、主人の寂しさを紛らわす客人を連れてくることになる。扉の開く音を聞いた少女は起立し姿勢を正して客人を招く構えだ。
……ゆっくりと重々しく、絡みついたモノを引きちぎってそれは開いていく。
波乱の種を芽吹かせながら。
「なんだここは? ……お前は……誰だ?」