2.売れ残り
目が覚めるとワタクシはいつも通り、普段と変わらない姿で自室のベッドの中にいました。
「あぁ、夢でしたか……」
ペットショップの無機質なショーケースも、お兄ちゃんと名乗った犬の柔らかい毛の感触も夢とは思えないリアルさでしたが、ひとまずあれが夢であったことに安堵し、ワタクシはいつも通りの日常を過ごしました。
――しかし、奇妙な夢はそれだけでは終わらなかったのです。
一日が終わり、ベッドで眠りについたはずのワタクシが再び目を覚ますと、また昨日と同じペットショップのショーケースの中でした。
「これは夢の続き……?」
やはり目の前には昨日と同じハスキーの子犬がいて、ワタクシを見て「チビ、おはよう」と声をかけてきました。
今は店がオープンしているらしく、静かだったショーケースの前には人が休みなく訪れています。
ここは店内撮影が許可されているらしく、人々は口々に可愛いと言ってはスマホを取り出して写真や動画を撮り始めました。
ガラス越しとはいえ大勢の好奇の視線に晒されるのは落ち着かず、ワタクシは思わず顔をしかめ、背中を向けてなるべく顔を見せないようにしました。
お兄ちゃんの方はもう慣れたものでまったく気にしている様子もなく、マイペースに縄でできた玩具を噛んだり寝転がったりしています。
「よく平気ですねぇ……」
「何がだ?」
「いえ、言っても仕方ないことです。かつてはワタクシも見る側だったわけですから、見られる側がどうかなんて想像もしませんでしたし」
「チビの言うことは難しくてお兄ちゃんわかんねぇよ……チビも縄噛むか? 楽しいぞ」
「いえ、結構です」
お兄ちゃんが縄を噛んで遊んでいるのをぼんやり眺めていると、急に店内の子犬達の落ち着きがなくなり、キャンキャン鳴く声があちこちから聞こえてきました。
何事かとガラスの向こうを覗くと、店員さんが白い小さな器をショーケースの中に順番に置いていくのが見えます。どうやらご飯の時間になったようです。
「やったぁ、ご飯だ! ご飯だ!」
他の犬と同じく、お兄ちゃんも尻尾をピコピコと小刻みに振って、店員さんの方を見ながら狭いショーケースの中をうろうろし始めました。
「チビ、ご飯だぞ! ご飯! ご飯! ご飯だぞ!」
「わかりましたから落ち着いてください……」
その内に自分達の番がきてショーケースの蓋が開き、ワタクシとお兄ちゃんの目の前にも茶色いペースト状の物が入った器が置かれました。
ドッグフードを水でふやかしたものらしく、見た感じまったく美味しそうに見えません。
でもすぐ隣でお兄ちゃんは器に飛びつかんばかりに顔を突っ込んで、ガツガツとすごい速さで食べています。
その見事な食べっぷりに圧倒されていると、食べ終わった彼はワタクシとまだ手付かずのドッグフードを交互に見ました。
「……どうした? 食べないのか?」
「あ、はい……」
「チビ、ちゃんと食べないとダメだぞ……?」
「え、えぇ……」
人間が食べても問題ないとはいえ、ドッグフードを食べるのはどうにも抵抗があります。
しかし、お兄ちゃんが先ほどからワタクシをじっと見続けているので、まったく手を付けないわけにはいかない雰囲気です。
とうとう彼の心配する視線に耐え切れず、おそるおそる器に顔を寄せ茶色いペーストをほんの少し口に含んでみました。
――美味しい。
味らしいものはあんまりわからないのですが、何故か美味しく感じます。ワタクシはそんな部分まで犬になっているというのでしょうか。
意外とおなかが空いていたらしく、まるで最初から何も器に入っていなかったかのように綺麗にぺロリと平らげました。
「おぅ。全部食べたな、偉いぞ!」
お兄ちゃんはワタクシの頬をペロペロ舐めてほめてくれました。
その後、何日か経過してわかったことがひとつありました。
この店に来るお客さん達は、皆キラキラした目でショーケースを見ていくのですが、誰一人としてワタクシ達を飼いたいと申し出ないのです。
「どうしてでしょう……もしかしてもう売約済みとか?」
不思議に思っていると、目の前で小さな子どもがショーケースに付いていた札を触って床に落としてしまいました。
すぐ隣にいた母親が慌ててそれを拾って元に戻そうとしたその時、ワタクシの目にでかでかと書かれた赤い文字が飛び込んできたのです。
『大幅値下げ!シベリアンハスキーの男の子』
大幅値下げ……つまり我々は売れ残りということですか。
確かにお兄ちゃんの大きさを見ると『可愛い子犬』というには少し成長が進んでしまったようにも感じます。
ワタクシも客観的に見ると足が悪くて痩せていて、他のショーケースにいる可愛い子犬たちに比べるとかなり見劣りする姿ですから、売れないのは言うまでもありません。
「なるほど、だから誰も飼いたいと言わないんですね……」
だとすれば自分達がこのショーケースから出られるのはいつになるんでしょう。早くここから脱出しないと……と思いながら再び深い眠りに落ちていったのでした。