第十二話:十年前のこと
マリノアの回想。ティルと名付ける前に出会った最初の出会いです。
ーー十年前
それは、家に帰る道の途中のことの出来事だった。十年前は二人の生活が始まったばかりで、この家に暮らしてそう日にちは経っていない頃のことである。
「これは……」
辺りは夕暮れ時に染まりつつ、町の中ではないため、自然の恵みが無ければ闇の世界となる。
普段は口数が少なく、マリノアから話すことが多いのでエルヴィスの異変に彼女はいち早く気づいた。
「どうしたの? エル君」
「風の向きが変わった…」
「風上のほうから……血のにおいがかすかにする……数百メートル先に何かが倒れているかもしれない」
「え!?」
最初に見つけたのは鼻が利き、夜でも視覚することができる獣人族の夫のエルヴィスだった。その後にマリノアもようやく肉眼で気づいた。
「エル君! あれっ」
「ああ」
馬車から降りたエルヴィスは警戒したが、殺気などがないことを確認しながら近寄った。無害なことを確認した彼はマリノアに近づいても大丈夫だという示した。
「マリノア 治療を頼む」
「治療って……それは何なの?」
道端に血を出して倒れているのが何なのか正直怖いが、ヒーラーとして黙って見過ごすわけにはいかない矜持がある。マリノアはへっぴりごしになりながらも近寄った。
そっと窺い見ると倒れていたのはなんとまだあどけない一人の幼子で彼女は目を見開く。
「こ……こ子供?!!」
その子供は綺麗とはいいがたい薄汚い布を羽織っているだけの状態で思わず硬直したが、気を奮い立たせてマリノアはすぐに駆け寄った。
弱々しく呼吸をする子供に触ったら冷たいことに気づき自分の温かさを分けようと自分の羽織っているローブを子供に被せそっと抱き寄せた。
「よかった、生きていてくれて」
治癒師は傷などを治すのが専門だが、生命活動を終えていればどんな魔法でも直すことができない。マリノアは集中し治癒の魔法をかけると子供の全体を優しい光が包みこむ。
傷が見る見ると治っていく様子にマリノアは少し考える猶予ができた。
「…それにしても一体どこの子かな? ここら辺は人家なんて無いし、それにこの子あちこち傷だらけだったし」
マリノアは傷を治しながら、かつて傍らにいるエルヴィスと会った過去を思い出した。
「こんなこと前にも会ったよね……何だか懐かしいね エル君」
「私たちが出会った時のこと覚えている? エル君もこんな感じだったね」
「そういえば そうだったな……」
エルヴィスも懐かしそうに目を細め彼女と出会ったときのことを思い出した。マリノアは彼に真剣な眼差しで視線を向けた。
「……私この子のことをこのまま放っては置けない」
反対する謂れはなく、その気持ちを聞いてエルヴィスはマリノアの気持ちと同じだった。
「そうだな」
「そして、そのままお家に連れ帰り、育てることにしましたとさ」
ちゃんちゃんと音楽をつけて終わりを告げた。
まあそんなところかしらね〜とマリノアは話に区切りをつけてお茶を飲んだ。一方、ティルの経緯を聞き終えたリオは目の前の紅茶を飲む気がしなかった。
喉がカラカラに渇いているはずなのにティーカップを持つことよりも、呆気に取られていたからである。今言わなければとリオは悶々とした気持ちから早口になる。
「ちょっちょっと待ってください なっなんでそうなるんですか!!?」
「え?」
今度はリオの表情にマリノアが少し驚いた。リオにとって優しくて心配性でヒーラーとして優れた先輩でリオにとっても心の拠り所になった人物の一人なのだがやや心配なところがあったことを思い出した。それは怪我した動物を持って帰る癖みたいなものだった。
「何を考えているんですか!? 気持ちは分かりますがもし魔獣とか危険な生物じゃなかったからよかったですけど」
「犬や猫じゃないんですよっ、治療が終わったら、彼がもし迷子だったらしかるべき場所に預けるべきだとーー」
ぽかーんとリオの怒濤の早口に放心するマリノアだが、いわれたことが最もな正論にぐうの音も出せず、彼女はしょぼーんと項垂れる。
「そうだね、今考えるとって…判断が遅すぎるし、確かに不用心すぎだよね。 私…先輩なのに」
マリノアの一気に消沈し項垂れる姿にリオは急に冷めた。
『あれ?……僕は間違ったこと言ってないのに何でだろう ーーこの罪悪感は』
「あの、怒っているのではなくてですね」
慌ててマリノアを宥めるリオなのだが、まさかこんなに落ち込むとは思ってなかったので激しく動揺する。
『やばい あまりのことにツッコンでしまった。こんなところエル先輩に見られたらーー』
焦る気持ちのリオだったが背後から可愛らしい声が聞こえた。
「ママ、泣いてる……?」
タイミングが悪くそこにはマリノアは子供である双子の弟セシルが現れた。
その後に双子の姉メアリも来て芋づる式に起こしてきた父親もその場にいるということになるのだが、案の定双子の後ろに立っている。
朝っぱらから自分の愛する妻の泣きそうな顔を見た夫のエルヴィスは妻を悲しませた原因を素早く処理しようと考えた。
たとえ学生だった頃に目をかけていた後輩だろうと殺気は抑えられなかった。
「……マリノア」
そして元凶であるリオの方をゆらりと向いた寝起きの悪いエルヴィス。整った容貌に眉間にしわをよせ、身長があるエルヴィスが仁王立ちをする様は迫力がある。目元を細め、瞳は爛々と輝いていた。
「リ〜〜〜オ」
晴れ晴れとした天気とは裏腹に、ドスの利いた低い声が部屋中に響き渡る。
「お前……覚悟できているだろうな」
「へ…えちょ、せんぱっ、今のは不可抗力で」
リオはエルヴィスのあまりの迫力に後ずさりあたふたする。
「ちょ、ちょっと待ってください。 あの、少しだけ時間をーーっ」
「問答無用だ」
ぎゃああああああ〜
朝から山奥にある家の中で絶叫が木霊した。