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星屑神話  作者: 参星
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月の名前

我が生涯の友人達に捧ぐ



 学校の授業というものは、往々にしてつまらないものと相場が決まっている。

 それこそ、宇宙のなんとやらに至っては、大して身近でもない上にスケールが大きすぎて逆につまらない、などという人も多いのだろう。

 ふと周りを見渡せば船を漕いでいる頭が何艘(なんそう)か。

 さもありなん。淡々とした先生の語り口は、一日の最後のこの時間には(いささ)かきつい。


 凜太郎(りんたろう)にとってこの宇宙の講義(じゅぎょう)は、どちらかといえば好きな部類に入る。入るのだが──今日はなんだか瞼が重い。

 まるで脳味噌が眠れと命令しているようだ。

 別に夜更かしをした訳でもないのに、と不思議に思いながらも、凜太郎はメトロノームのように進む穏やかな声を耳に、誘われるままそっと意識を手放した。



 ★☆★



 泡が水面に顔を出して弾けるように、まるで引き上げられでもしたかのように凜太郎は目を()ました。


 うっかり意識を失ってから、そう時間は経っていないらしい。見慣れた中年男性──理科の先生なのだが──は、相変わらずぼそぼそと図に解説をつけている。

 未だ生え揃い、綺麗に形作られた白髪が、動きにあわせて左右に揺れる。

 本当に一瞬、うつらうつらしただけらしい。


 ただ少し奇妙なのは、学校の生徒しかいないはずのこの教室で、チラホラと学外と思しき人の姿があることだろうか。

 はて今日は授業参観か、特別授業だったかしらんと首を傾げるがどうもいまいちよくわからない。


 ところどころ霞がかった頭の中で、やけにはっきりと先生の声が響いた。


「──これら神代の者たちが宇宙の遠いところに実在していたことも、していることも事実なのは皆さん知ってのとおりですが……」


 赤いレーザーポインターが、黒板の前にかけられた白いスクリーンの上を滑らかに動いてゆく。

 それを追いかけて見れば、仰々しい明朝体で書かれた「宇宙の歴史」という文字が、スクリーンと一緒に揺れていた。


 ──神代の者たちというのは一体なんだろう。


 次々と映し出される画像たちは昔の絵画によくあるそれで、どうやらアポロンとか、オリオンとか、そういうものであるらしい。


 宗教画じみたイラストが映される(たび)に先生の小さな解説が入るのだが、マイクの調子が悪いのか、その声は少し聞き取り(にく)い。


 ただまぁ、そういうものなのだろう。


『神代の者たち』


 そうした存在は、確かにきっと、何処かにいたのだろう。何処かにいるのだろう。

 この世界には、自分の知らないことなど(いく)らでもあるのだから。


「今日は月について学びましょう」


 マイクの調子が戻ったのだろうか、また明瞭(はっきり)とした声が静かな教室に響く。


 月だと言ってスクリーンに映されたのは空に浮かぶ目玉だった。


 暗い夜空を背景に、大きく拡大された月──の目玉。

 暗闇の中でなお白銀に輝く球体には、ぽっかりと空いた瞳孔と、それを取り囲むようにして広がる虹彩のような影が確かにあった。


「この月はかつてT-□□□□の瞳でした。ですが、彼の身体は砕かれ、今はこの瞳しか残っていません」


 レーザーポインターはくるくると円を書いて、赤の残像は月の周りを取り囲む。

 今にも動き出しそうなその瞳の虹彩に色はない。

 まるで象牙を削り出したようだと凜太郎は思った。


「なぜこの月はできたのか。その成り立ちを今日は学びましょう」


 照明の落とされた教室は宇宙(そら)のように暗い。

 指先も見えないような暗闇の中で、月の浮かぶスクリーンだけが眩しく輝いている。


「これがT-□□□□と、その兄とされているH-□□□□です」


 ポインターが示す先に二つの"人"の姿絵が浮かび上がった。

 ギリシア神話を思わせる繊細なその絵は、きっと有名な絵画なのだろう。

 視線、肉感。いっそ生々しいほどの()と、(かす)かな哀愁が、何百年も先に生きる凜太郎の元へと、画面越しでも迫ってきていた。


 片方は眩しいほどの金髪に青い瞳。もう一方は黒曜石のような髪と同じ色の瞳。二人ともよく似た顔をしている。

 天使のようなその面立ちはどこか見覚えのあるもので──だがそれは、一体誰であったのか。


「これはSⅡ-□□□□の記憶映像です。当時T-□□□□とH-□□□□の一番側にあった星ですね」


 先生の言葉と共に、ぱちぱちと時々線を走らせながら、やや不鮮明な映像は始まった。

 その揺らぎに引き込まれるかのように、凜太郎は、己の心が遥か彼方神代の頃へと揺蕩(たゆた)ってゆくのを感じていた。



 ☆★☆



 T-□□□□には兄がいた。


 自分達の在るこの宇宙のように美しく黒い瞳と髪の、この果てしない世界でたった一人の兄である。


 兄は、T-□□□□の金糸のような髪と、深い蒼の瞳を羨ましいと云っていたけれど、T-□□□□は兄のその静かな美しさが何よりも好きで、羨ましかった。


 彼らの持つその色の対比は、彼らの性質をも(こと)にしていた。

 まるでそれはコインの裏と表のように。

 決して交わることのないそれは、しかし二人をしてお互いを補完する、バズルのピースのようであった。


 T-□□□□は天真爛漫な少年で、無邪気に悪戯が好きで、ついこの前などは一等星スピカを泥塗(どろまみ)れにして心底楽しそうに笑っていたのだから、その(たち)の悪さは察しがつこうというもの。

 かわいそうにスピカは、一時(いっとき)その美しさを失ってしくしくと泣いていた。


 そういったことがある度に、父──星々(われら)を創りたもうた父。名はなく、定まった姿はなく、(ただ)、父と──は、彼を叱るのだけれど、当の本人は何を言われても(くすぐ)ったそうに笑うだけで一向に()める気配は無い。


 一方、兄のH-□□□□は大人しく、物静かで、優しい目で常に何かを(うれ)いているような、そんな少年だった。


 悪戯ばかりの弟を優しく(いさ)めることすらあったらしい。弟も、そんな彼の言葉だけには、静かに聞き従っていた。


 たが、T-□□□□の悪戯は兄H-□□□□の気を引くためのものでもあったのだろう。

 云うことは聞いてもその場の事だけで、結局のところ悪戯を止めはしなかったのだから。


 そんな鏡合わせのような二人は、それでも、否、それだからこそ仲が良かったに違いない。

 T-□□□□は、兄が本当に怒るような悪戯をしないように気をつけているようだったし、H-□□□□は、弟からなるべくのこと目を離さないようにしているらしかった。



 ★☆★



 そんな兄弟にとって、その日は変わらぬ日常の一つだったのだろう。


 日課である散歩のコースはいつも通り。星の間を通り抜けて、ぐるりと一周する間。

 兄が(こぼ)した一言が、始まりといえば始まりだったのだ。


「あのねぇ弟。可愛い僕の半身。僕はね、きっと死んだら地球にいくんだ。──僕と違って綺麗なんだそうだよ」


 美しく伏せられた黒曜石の瞳に、周りの星々の光が映り込む。

 何でもないことのように呟かれた兄の言葉を聞いて、T-□□□□は大いに慌てた。


「嗚呼兄さん! 死ぬだなんて!」


 彼ら(ほし)にも寿命はある。

 人よりもずっと長くて、それは随分とゆっくりやってくるものだけれど。


 だが、だからこそ彼らの口から「死んだら」などという言葉は、滅多に出てこない。

 それこそ、寿命が近づいているわけでない限り──。


 T-□□□□にとって唯一無二の兄は、失うに耐えられるものではなかった。兄がいない世界は、彼にとっては考えるに値しない世界だ。

 縋るように、握る手に力を込める。

 だがH-□□□□は、優しく微笑(わら)うだけだった。

 いつも通り、優しい兄の笑みだ。


「地球。見たことはないけどね、きっとお前の()と同じ色だよ。お前は一等綺麗だから」


 そう云って頬を撫でる指が今は恨めしい。

 一等綺麗なのは自分では無く、兄なのだと彼はずっと思っているからだ。

 地球なぞ見なくとも、美しいものは此処に。彼自身が持っているのに。美しく黒い兄は、それをこれっぽっちも認めようとはしないのだ。


「ねぇ、兄さん。地球を見ることができたら元気になるの?」


 たとえ見た目は同じでも、T-□□□□はまだ随分と若かった。

 故に愚かな幼子は、うんと頷いた兄の事を、すっかりそのまま信じ込んでしまったのである。


 つまるところ、綺麗なものを見せればきっと元気になるのだ、と。


 T-□□□□は兄との散歩の後、意気揚々と(さそり)の巣穴へ向かい、せっせと罠を張った。思い当たる"美しいもの"がそこにある筈だった。


 暫くして見に行けば、果たしてそこには(あか)大蠍(おおさそり)が、鋭い尻尾を左右に振りながら罠にかかって藻掻(もが)いていた。

 オリオンを誅した英雄殺しは、血のような瞳で憎々しげにこちらを見ている。だが、T-□□□□にとってそんな事は問題にもならない。

 兄がいなくなってしまうことよりも怖いことなど、今の彼には無いのだから。


「ごめんね、(さそり)さん。元気のない兄さんに見せてやるだけだから、少し貸しておくれよ」

 主を無くした蠍の巣には紅玉(ルビー)のような石が一つ。煌々(こうこう)と輝きを放っていた。


 (さそり)の心臓、アンタレスである。


 鼓動するようにちらちらと光るその石を、おしいただくように抱えると、T-□□□□は一目散に兄のところへと走り去っていった。



 ☆★☆



 彼らが暮らすその場所で、兄は静かに眠っていた。


 その傍らに、そっと石を─(さそり)の心臓、アンタレスを置いておく。

 目を()ましたときに、きっと驚く顔が見れるから。

 それは彼の、小さな悪戯心だった。


 紅い光を受けて妖しく輝く黒い髪は、やはり何よりも美しい。

 そっと隣に添い伏して、彼の手のひらへ口づける。


「ねぇ、兄さん。地球は赤かったよ」


 この綺麗な石を見れば、これを地球だと言えば、彼は忌まわしい「死」のことなど、もう話さないだろう。


 だって、兄さんは地球のような綺麗なものが見られれば、元気になるのだ。

 これできっと全てが良くなる。兄さんはもう二度と、あんな寂しいことは云わなくなる。

 そう無邪気に、ただ無邪気に彼はそうなることを疑わなかった。



 ──だからこそ、今目の前で起こったことを彼は信じることができなかったのだ。



 ★☆★



 すっかり安心して眠りについていたT-□□□□は、兄の叫び声で目を()ました。


「あぁ、お前、可愛い弟。──なんてことを」


 ふと見上げたそこには身の丈以上の大蠍(おおさそり)に抱き込まれた兄が、アンタレスを手に、その黒い瞳から静かに涙を流していた。

 罠から抜け出した(さそり)は、一目散に己の心臓へと向かい、敵を──(アンタレス)を持っていた兄を──襲ったのだ。


 T-□□□□は兄の頬を伝う、透明な雫の連なりを呆然と見つめるだけで、説明をすることも、弁解を述べることも──謝ることすらできなかった。


 振りかぶられた毒針は、容易くH-□□□□の薄い胸を貫いて、溜息(ためいき)のように吐き出された息がひとつ。


 (もや)のような星雲を残して彼は──あっさりと割れた。


 穿たれた中心から蜘蛛の巣のように広がる(ひび)は、やがてH-□□□□の全身を(おお)ってゆく。

 粉々になった指先から転げ落ちたアンタレスを、その尾で器用に持ち上げた大蠍(おおさそり)は、呆然と座り込んだT-□□□□には見向きもせずに、悠然と巣へと帰っていった。


「……兄さん、にいさん」


 砕け散った兄は、もう元の姿すら留めていない。

 必死に掻き集めても、小指の先程の欠片が数個集まっただけだった。

 兄であった存在は、星雲と塵になって何処かへ逝ってしまった。


 自分のせいで何よりも大切にしていた兄が死んだ。

 何よりも恐れていた事態が己の手によって起こってしまったのだ、と気づいた頃には遅すぎたのである。

 己の悪戯の、ただ純粋に兄を思ったが故の悪戯の末路を悔いても、(いさ)め、(ゆる)す兄はもういない。



 それからというもの、T-□□□□は涙も流せず、兄の残骸を集めたその場から決して離れようとしなかった。

 星星の輝きは鳴りを潜め、彼の周りだけ、時が止まったようだった。



 暫くして(のち)、その様子を見た父は無言のうちにT-□□□□を砕いた。

 指先を、小さく振るっただけだった。


 罰──だったのだろう。

 それは、(ゆる)されることを望んだ子への、父が与えうる最後の愛だったのかもしれない。


 どこからともなく、彼の身体には(ひび)割れが広がり、彼を構成していたあらゆる物がゆっくりと剥離(はくり)してゆく。

 その隙間からは、血を流すように紅い星雲が流れ出していた。


 それはまるで兄と同じ最期をなぞるようで。


 茫然としたようなその顔を、きっと誰もが今でも忘れられないでいることだろう。


 剥がれた先から彼は星屑に変わり、宇宙(そら)の暗闇へと消えてゆく。


 頬も、(まぶた)も消え、剥き出しになってなお残る右の瞳が、まるで凍りつくように色を失った。

 くるくると廻っていた瞳は徐々にその動きを止める。

 色の抜け落ちた象牙のようなその瞳を見て、誰とはなしに皆、あぁ、彼は死んだ、とそう思った。


 父は、その凍る瞳を見て、少し驚いたようだった。

 彼の何もかもは、この宇宙の塵になるはずだったのだろう。

 だが彼の瞳は、星雲に包まれ、塵に撫でられても消えることはなかった。

 宙を漂うその瞳を父は優しく摘んで、そうっと何処かへ放り投げた。



 ☆★☆



「──そうして今、宇宙を漂い辿り着いた先で、T-□□□□の瞳は兄の焦がれた地球を()っと見つめているのです」


 ふと気がつけば、そこは見慣れた教室の一角で、マイク越しの声が痺れた脳を優しく揺すってゆく。


 スクリーンの中で浮かぶ月は、鉄筋の隙間からロケットを見つめていた。

 ──嗚呼、彼は宇宙に飛び出さんとする人間をどう思っているのだろう。

 無邪気にアンタレスを盗んだ己のように、馬鹿よ愚かよと憐れんでいるのか。


 なんだか酷く哀しくなって──凜太郎は、どこかで名前を呼ばれた気がした。



 ★☆★



「──りん、りんたろう、ね、起きて」


 体を揺すられ、慌てて身を起こせば、見覚えのある顔が心配そうにこちらを覗き混んでいた。


 視線を()ればいつもの教室。人も疎らに、窓から差し込む夕日が室内を赤く染め上げている。

 どうやらすっかり寝ていたらしい。

 教鞭を執っていたはずの先生の姿はない。授業は終わったのだろうか、なら、今は放課後か。


「…………ごめんなさい、寝ちゃっていたのね」


 諸々の事情で女口調のこの自分を、目の前の、(たつき)という少年は好ましく思っているらしい。


 高校2年生。同年代とはとても思えないほどあどけなく、幼い彼は、事あるごとに自分を慕って付いてくるようになっていた。

 そんな彼を、凜太郎もまた好ましく思っている。


「疲れてた? 大丈夫……?」


 眉をハの字に下げた樹の手が、そっと額に充てがわれる。

 大丈夫よと笑って言えば、ほっとしたようにその手は降ろされた。


「樹、今日はどんな授業をしたのか教えてくれる?」


 いいよと笑ったその顔は、なんだか既視感があって。

 夕日に染まる金の髪と、その海色の瞳を別の何処かで見たような──。


「今日はね、月について習ったよ。……月って、地球とは兄弟なんだね、僕初めて知った」


 月はきっと、兄さんが恋しくて側にいるんだね。


 それを聞いた瞬間、凜太郎の夜明け色の瞳から、ポロポロと涙が零れ落ちた。

 なんでもない言葉の筈なのに、何故こんなにも胸が締め付けられるのだろう。


 心の奥底にストンと落ちたその言葉は、まるで何かの救いのように温かい。


 あぁ、そうだったんだなと漠然と思う。

 (ただ)只管(ひたすら)恋しいのだ。無邪気に笑う彼は、塵と消えた兄の欠片を、この地球(ほし)に見つけたのだろう。

 ならば彼の兄の欠片は、この美しく(あお)い地球のどこかで、今もひっそりと(おとうと)を見つめているのかもしれない。

 弟が兄を慕うように、兄が弟を慕うように。

 ──そうだとしたら、どれだけいいだろう。


 もう既に朧気なあの美しい夢の輪郭は、凜太郎一人を残してゆっくりと消えようとしていた。



 ふと見上げた夕空には瞳のような月が浮かんでいる。

 なんだかその中心にぽっかりと穴が空いているような気がして、思わずそれが声に出た。


 所詮は夢の話。聞くつもりは、なかったのに。


「──ねぇ、樹は…………お月様だったりするのかしら」


 一瞬呆けたような顔をした彼はニ三度瞬きをすると、嬉しそうに微笑(わら)って、小さく「そうだよ」と言った。




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