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私は僕に恋をする  作者: 黒瀬玄絵
8/21

八、転(天)

 私と赤目は境内を歩く。

 心なしか赤目の歩調はいつもより早い。

 気持ちは分かる。

 私も一刻も早く、この島から出たい。

 嫌な予感がする。

 早くこの島から出ないと、また面倒なことになる。

 だが、村上教授から与えられた課題を終えたとは、まだ到底言う事が出来ない。

 ならば、すべきことは一つ。

 大樹氏への聞き取り調査に他ならない。

 大樹氏は早くせねば儀式に入ってしまう。

 儀式に入ってしまえば、途中で立ち入るどころか、声をかけることが出来るのは、春子さんだけだということだ。

 出来れば今聞いて、夜に整理して、明日にはこの島を出てしまいたい。

 なので、一刻も早く、私と赤目は社へと歩を進める。

 社には、先程見たままの姿の大樹氏が鎮座していた。

 清廉潔白。

 相変わらずその出で立ちには曇りひとつない。見る人は皆、彼女を聖人と崇め奉る事だろう。

 だが、今の私には、この島の歴史を知った私には、昨日までのように彼女に接することは出来ない。

 今では、その紅白の巫女装束が、薄く黒いヴェールで覆われているように見える。

 儀式の準備の途中だったのであろう、先程運ばれてきたばかりの遺体を前にした大樹氏は、えも言われぬ禍々しさを放っていた。

「どうされましたか? そんなに慌てられて」

 相変わらず大樹氏の顔は涼やかだ。涼やか過ぎて、今となっては寒気がする。

「いえ、今から儀式に入られるとのことでしたので、先にお話を聞ければと思いまして」

 努めて平静に、努めて何でもないように、私は答えた。答えたつもりだった。

「なるほど、誰かからこの島の過去について聞いたのですね」

 しかし、大樹氏には全てがお見通しのようだった。

「それで、早めに島を出たいと思った、と言った所かしら?」

「いえ……」

 図星だった。その先は、何も言えなかった。

「いいんですよ。それが普通の反応でしょうから。間違っているのはこちら、非があるのはこちら」

 それは自虐的とも思える対応。大樹氏の凛とした雰囲気が悪い方に働き、まるで開き直った様に見えてしまう。

「しかし、だからといって、あなた方に非難される言われはありません」

「なぜです?」

「何がでしょう?」

「あなただって、愛する伴侶を失ったのでしょう? お会いした時の会話で、あなたも先代の巫女を恨んでいる事は分かりました。ならばなぜ、あなたはまだこの島で、巫女という役を担い続けているのですか?」

「伴侶を見捨てた……と言わない辺りが、夏木さんの優しさなのでしょうね」

 ドキリとした。

「夏木さんの言わんとする事は分かります。夏木さんには、伴侶の遺志を継がずに、この島の負の元凶の座に居続ける私は、さぞ薄情に見えるのでしょうね」

 薄々分かってはいた事だが、自分で巫女を負の元凶とまで言う辺り、やはり大樹氏はこの島の巫女を良く思っていない。

 だからこそなぜ。

「何故も何もありません。あなたも聞いた通りですよ。この島は巫女が居なければ狂ってしまう。その楔としてのみ私はこの島に存在し続けています」

「あんたは、それでいいのか?」

 赤目が口を挟む。この島の権力者に対するものとしては乱暴であるが、その口調からは赤目の憤りが感じられる。

「是非もありません。あなた方も年を重ねれば直に分かる事でしょう。自分に課せられた使命、自分が負わされた義務に比べれば、愛なんてものは、課されても負わされても何の苦にもならない、羽の様に軽いものだということに」

 切り捨てるような言葉。この人は、子まで設けるほどに愛した相手を、取るに足らないものだと断じた。

「もっと分かり易く言いましょう。よくある例です。『百人を救うためには、一人を犠牲にしてもよいか』。私はその問に対して是と答えたまでのこと。その一人がたまたま私の愛した人だっただけのこと。無論、夫を選んだ母、そして運命には憤ります。怒りも覚えましょう。ですがそれだけのこと。仕方のないこと。この話はそれ以上でも、以下でもありません」

 何も言えなかった。

 元より、部外者の自分達が口を挟んで良いような話では無かったのだ。

 赤目も大樹氏を見据えるばかりで口を開こうとはしない。

 説破に詰まった。

 ならば、この話はここでおしまい。

 それを感じ取ってか、大樹氏はそれ以上何も言わず、私達に背を向け、祭壇へと向かう。

 しかし、数歩足を進めた所で、こちらに向き直り。意外にも大樹氏の方から、私達に話しかけてきた。

 それは、先ほどの問答とは何も関係のないこと。だが、むしろこちらのほうが、私にとっては衝撃的だった。

「ところでですが、実は言うと私も『見通し』が出来るんですよ」

「え?」

 思わず聞き返す。春子さんの話では、大樹氏には『見通し』は出来ないはずでは。

「この家の者どころか、この島の者にさえ、ただ一人として話した事はありません。ただいつからか、自然に出来るようになっていました」

 さも当然の様に重大なことを話す大樹氏。

 しかし、それが本当なら、

「なぜそのような重要な事を今、よりによって私達に伝えるのですか?」

「どうしても伝えねばならない事を、今、『見通し』たからです。ですが、今この場で話す事が出来るのは、お二人しか居ません。だからお二人に託します。私の最初で最後の『見通し』です」

 最初は分かる、しかし最後とはどういう事だ?

 その疑問は次の一言で私の感情ごと吹き飛んだ。

 大樹氏は今まで見たこともないような優しい眼差しで、言葉を続ける。

「明日、私は死にます」

 ドキリとしたのはその言葉だったのか、今まで向けられた事が無いような優しい微笑みのためだったのか、今ではもう確かめようもない。

 その一言と共に、扉は固く閉められ、大樹氏は社の中へと消えていった。


 翌朝、大樹氏の『見通し』は的中することとなる。

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