八、転(天)
私と赤目は境内を歩く。
心なしか赤目の歩調はいつもより早い。
気持ちは分かる。
私も一刻も早く、この島から出たい。
嫌な予感がする。
早くこの島から出ないと、また面倒なことになる。
だが、村上教授から与えられた課題を終えたとは、まだ到底言う事が出来ない。
ならば、すべきことは一つ。
大樹氏への聞き取り調査に他ならない。
大樹氏は早くせねば儀式に入ってしまう。
儀式に入ってしまえば、途中で立ち入るどころか、声をかけることが出来るのは、春子さんだけだということだ。
出来れば今聞いて、夜に整理して、明日にはこの島を出てしまいたい。
なので、一刻も早く、私と赤目は社へと歩を進める。
社には、先程見たままの姿の大樹氏が鎮座していた。
清廉潔白。
相変わらずその出で立ちには曇りひとつない。見る人は皆、彼女を聖人と崇め奉る事だろう。
だが、今の私には、この島の歴史を知った私には、昨日までのように彼女に接することは出来ない。
今では、その紅白の巫女装束が、薄く黒いヴェールで覆われているように見える。
儀式の準備の途中だったのであろう、先程運ばれてきたばかりの遺体を前にした大樹氏は、えも言われぬ禍々しさを放っていた。
「どうされましたか? そんなに慌てられて」
相変わらず大樹氏の顔は涼やかだ。涼やか過ぎて、今となっては寒気がする。
「いえ、今から儀式に入られるとのことでしたので、先にお話を聞ければと思いまして」
努めて平静に、努めて何でもないように、私は答えた。答えたつもりだった。
「なるほど、誰かからこの島の過去について聞いたのですね」
しかし、大樹氏には全てがお見通しのようだった。
「それで、早めに島を出たいと思った、と言った所かしら?」
「いえ……」
図星だった。その先は、何も言えなかった。
「いいんですよ。それが普通の反応でしょうから。間違っているのはこちら、非があるのはこちら」
それは自虐的とも思える対応。大樹氏の凛とした雰囲気が悪い方に働き、まるで開き直った様に見えてしまう。
「しかし、だからといって、あなた方に非難される言われはありません」
「なぜです?」
「何がでしょう?」
「あなただって、愛する伴侶を失ったのでしょう? お会いした時の会話で、あなたも先代の巫女を恨んでいる事は分かりました。ならばなぜ、あなたはまだこの島で、巫女という役を担い続けているのですか?」
「伴侶を見捨てた……と言わない辺りが、夏木さんの優しさなのでしょうね」
ドキリとした。
「夏木さんの言わんとする事は分かります。夏木さんには、伴侶の遺志を継がずに、この島の負の元凶の座に居続ける私は、さぞ薄情に見えるのでしょうね」
薄々分かってはいた事だが、自分で巫女を負の元凶とまで言う辺り、やはり大樹氏はこの島の巫女を良く思っていない。
だからこそなぜ。
「何故も何もありません。あなたも聞いた通りですよ。この島は巫女が居なければ狂ってしまう。その楔としてのみ私はこの島に存在し続けています」
「あんたは、それでいいのか?」
赤目が口を挟む。この島の権力者に対するものとしては乱暴であるが、その口調からは赤目の憤りが感じられる。
「是非もありません。あなた方も年を重ねれば直に分かる事でしょう。自分に課せられた使命、自分が負わされた義務に比べれば、愛なんてものは、課されても負わされても何の苦にもならない、羽の様に軽いものだということに」
切り捨てるような言葉。この人は、子まで設けるほどに愛した相手を、取るに足らないものだと断じた。
「もっと分かり易く言いましょう。よくある例です。『百人を救うためには、一人を犠牲にしてもよいか』。私はその問に対して是と答えたまでのこと。その一人がたまたま私の愛した人だっただけのこと。無論、夫を選んだ母、そして運命には憤ります。怒りも覚えましょう。ですがそれだけのこと。仕方のないこと。この話はそれ以上でも、以下でもありません」
何も言えなかった。
元より、部外者の自分達が口を挟んで良いような話では無かったのだ。
赤目も大樹氏を見据えるばかりで口を開こうとはしない。
説破に詰まった。
ならば、この話はここでおしまい。
それを感じ取ってか、大樹氏はそれ以上何も言わず、私達に背を向け、祭壇へと向かう。
しかし、数歩足を進めた所で、こちらに向き直り。意外にも大樹氏の方から、私達に話しかけてきた。
それは、先ほどの問答とは何も関係のないこと。だが、むしろこちらのほうが、私にとっては衝撃的だった。
「ところでですが、実は言うと私も『見通し』が出来るんですよ」
「え?」
思わず聞き返す。春子さんの話では、大樹氏には『見通し』は出来ないはずでは。
「この家の者どころか、この島の者にさえ、ただ一人として話した事はありません。ただいつからか、自然に出来るようになっていました」
さも当然の様に重大なことを話す大樹氏。
しかし、それが本当なら、
「なぜそのような重要な事を今、よりによって私達に伝えるのですか?」
「どうしても伝えねばならない事を、今、『見通し』たからです。ですが、今この場で話す事が出来るのは、お二人しか居ません。だからお二人に託します。私の最初で最後の『見通し』です」
最初は分かる、しかし最後とはどういう事だ?
その疑問は次の一言で私の感情ごと吹き飛んだ。
大樹氏は今まで見たこともないような優しい眼差しで、言葉を続ける。
「明日、私は死にます」
ドキリとしたのはその言葉だったのか、今まで向けられた事が無いような優しい微笑みのためだったのか、今ではもう確かめようもない。
その一言と共に、扉は固く閉められ、大樹氏は社の中へと消えていった。
翌朝、大樹氏の『見通し』は的中することとなる。