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私は僕に恋をする  作者: 黒瀬玄絵
7/21

七、真意(神意)

 次の日の朝、私と赤目は春子さんに促されるまま、起きて早々に簡単な禊を行う。

 昨日は赤目と遊びまわって泥だらけになっていた小夏ちゃんも、今は清楚な巫女服にその身を包んでいる。

 枝葉氏と秋名ちゃんはどうやらお留守番らしい。初日で秋名ちゃんに苦手意識を持ってしまっている私としては、正直付いて来なくてホッとした。

 無学な私は、今日この日まで、神式の葬儀はその本人の家で行うとはついぞ知らなかった。

 なので、境内を出た私達は今、目的地を目指して、大樹氏を先頭に大名行列のようにぞろぞろと市街地を歩いている。

 大樹さんと春子さんと小夏ちゃん、それに赤目と私の五人。この人数では、大名行列は言いすぎかと思うかもしれないが、それはこの光景を見ていないからである。

 正直私はドン引きした。

 道中に出会った、私達を、正確には大樹氏を始めとした早馬神社の巫女達を見た島民たちは、私達が通り過ぎるまで、街道の端に寄り、こちらを見ること無く、ただ土下座していた。

 まさにテレビで見る時代劇さながら。

 本当に今は平成なのだろうか。

 どこかでタイムスリップしてしまったのではないか。

 いっそ、島民が時代劇のような衣装を着ていてくれたなら、私の違和感も緩和されたのだろうが、島民は皆、ジーンズやTシャツ等の現代の衣服を着こなしており、それが余計に異様さを醸し出していた。

 赤目も動揺を隠せないらしく、大きな体をそわそわとくねらせている。

 先を歩く大樹氏達が平然としている所を見ると、どうやらこれが島の日常らしい。

 どう見ても異様。

 率直に言うと気味が悪い。

 春子さんや小夏ちゃんと同じぐらいの歳の子や、秋名ちゃんぐらいの小さな子までが、同じように顔を伏せ、一言もしゃべらないどころか、身動ぎすらしない。

 そして、春子さんも小夏ちゃんも、同い年頃の子を見下ろして、顔色一つ変えない。

 これが葉山島。

 村上教授が興味を示すわけだ。

 私の人生でも一二を争うほどに居心地が悪い時間の末に辿り着いたのは一件の民家。

 出発前の説明では、この家の女性が亡くなったとの事だ。

 どう考えても本当は、私達が同席してもよい場ではないと思うのだが、柊一族が良いといえば、この島では全てが良くなるのだろう。何を言われることもなく、座敷にまで上がり、仏様と対面してしまった。

 いや、神式である事を考えると、呼び方は果たして仏様で良いのだろうか?

 しかし、私の浅い知識では他の呼び方も思いつかなかったので、継続して仏様と呼ぶことにした。

 それにしても、仏様が口を利かないのは当たり前だが、この家の住人すら誰一人口を開こうとしない。

 街道で会った他の島民と同じように、私達が家に入ると同時に顔を伏せ、労いの言葉すらなく、手振りだけでこの部屋まで案内をする。

 こんな生者よりは、動かないという違いが無いだけ、目の前の死者のほうが馴染みが深いくらいだ。

「それでは、只今より式を執り行います」

 大樹氏が発したその声は、遺族に対するものでも、他の巫女に対するものでも無く、死者に対してのもの。

 大樹氏が私の前で初めて声をかけた相手は死者だった。

 式の描写は割愛させていただこう。

 もちろんレポート用にメモを取ってはいたが、その詳細をここで語る必要があるとは思えない。

 その後、棺に入れられた仏様を、春子さんと小夏ちゃんが担ぎ、大樹氏を先頭に帰路につく。

 普通神社は穢を嫌うために遺体は持ち込まないはずだが、この島には火葬場もなく、その後の供養も巫女の仕事であるため、社まで持ち帰るそうだ。

 少女二人にはかなりの重量だろうに涼しい顔をして運んでいく。特に小夏ちゃんは本当に同一人物かと疑いたくなる澄まし顔だ。

 そうして棺を社に納め、また禊を終えたところで、私達は一連の儀式から開放されたのだった。

 大樹氏はこの後、遺体の供養の為に、一晩中、社にて祝詞を捧げるとのことだ。

 ようやく、昨日最初に通された居間に腰を据え、開放感から私と赤目が吐き出した溜息も、先ほどの空気と同じくらい重いものだった。

「しんどかったな……」

「ああ、慣れないことをすると思ったよりも消耗するものだ」

「お疲れになられましたか、申し訳ございません」

 先ほどの冷たい顔から一転、温かな笑みとともに、春子さんが部屋へと入ってきた。後ろには小夏ちゃんも一緒だ。

「すみません、失言でした。せっかく調査させて頂いたのに申し訳御座いません」

「いえいえ、当然のことだと思いますよ。私達でも気疲れしてしまいますから」

「本当、疲れたよー。赤目くん足揉んで」

「仕方ないなぁ」

 いつの間にか小夏ちゃんからの赤目の呼ばれ方が、さんからくんへと変わっている。というか揉んであげるのか。一体私が見ていなかった短時間に何があったのだ。

「きゃはは! くすぐったいよぉ!」

「こら、大人しくしてろ! 俺が野球部で学んだツボを押せば、どんな疲れもすぐに吹っ飛ぶぜ!」

 まるで仲の良い兄妹の様だ。春子さんも窘める事無く、慈しむ様にその光景を見ている。

 こうしてみると、春子さんも小夏ちゃんも本当に只の可愛らしい少女だ。一体どちらが本当の小夏ちゃんなのだろう。

「やっぱり、この島はおかしいのでしょうか?」

 赤目と小夏ちゃんのやり取りで弛緩した空気の中、春子さんの口から疑問が零れた。

 それはまるでぽろりと取りこぼしてしまった様な言葉で、その分、春子さんの本心が偲ばれた。

「それは……」

 そんなことはない、とは言えなかった。

 人でなしを自称する私だが、少女のこんなにも純粋な疑問をはぐらかすことは、流石に出来なかった。

 顔を見ながらも、何も言えないでいる私の沈黙を、春子さんはどうやら否定と受け取ったようだ。

 壮絶な顔だった。

「いいんです、何となくは分かっていましたから」

 その声から感じるものは諦観。

 赤目と小夏ちゃんも戯れ合うのをやめ、こちらを見ている。

「私はこの島から出たことはありません。だから本当の外の世界も知りません。だけど観光客の方やテレビで知る外の文化とこの島の文化が、明らかに違うことくらいは分かります。だけど、だからってどうすればいいんですか? 本当は私だって、島の同い年の子達とお友達になりたいです。でも、誰も私と目を合わせようともしません。一体どうする事が正解なんですか? この島から出れば友達が出来るんですか?」

 そこまでを一息に熱く語った春子さんは、不意に私から視線を外し窓から外を見る。

 その目に写るのは景色ではなく過去であろうか。

 彼女は遠くを見つめたまま、微動だにしない。

 そう、先ほどの光景そのものが、春子さんに友達がいない、何よりも雄弁な答えだった。

「……夏木さん、私達の家族で、何か気になることはありませんでしたか?」

 気にならない所が無い、というのが本音だが、あえて色々な所に目を瞑り、一般的な家族構成で気になることを挙げるならば……。

「春子さんの御父様がいない……事かな」

 そうやらその指摘で正解のようで、春子さんは小さく「そうです」と呟くと、連々と語り始めた。

「私の父は、この島の人ではありませんでした。丁度、今の夏木さんの様に、研究のためにこの島にやって来たのだと聞いています」

 その内容は地質の調査だったと聞いていますが。

「そこで父と母は出会いました。その頃の母はすでに巫女ではありましたが、お勤めも余り無かったこともあり、父の調査には、母が付き添うことになりました。その時間を通して、二人は次第に仲を深めていったとのことです。もっとも最初は父の監視のためだったのでしょうけれど」

 今の私と同じように、とは言わなかった。

「調査が一年を過ぎた頃、父と母は正式に夫婦となり、この島に住まうこととなりました。ここまではいいのです」

 それはそうだろう、この島については知っていることの方が少ないが、それでも誰と誰が好き合い、誰と誰が結婚するかについては自由であるべきだ。

 しかし、ここまで、と言う事は、問題はここから先と言うこと。

「父がこの島の外の出身だったからでしょう。父は段々とこの島のあり方に疑問を持ち、また母も父に感化されて、同じくこの島に違和感を抱くようになってきました」

 エデンに対する疑問、その先に待つものは大体一つ。

「その時期の巫女がまだ見通しが出来なかったこともあり、また次期の巫女頭であった母が自ら、自分はただの人間であると触れ回ったこともあって、秋名が生まれた頃には、次第に柊家と島民の距離は縮まっていきました。そして、それが全ての始まりでした」

 そこで、春子さんは一息付くとともに、改めてこちらに顔を向ける。その瞳は心なしか潤んでいるように思える。

「夏木さん、赤目さん、お二人は何か信じているものはありますか?」

「信じているもの、ですか?」

「はい、何か迷った時や困難に直面した時に、これだけは間違いないと縋れるもの。人生の指針に出来るもの。安心して身を任せることが出来るもの。そんなものがお二人にはありますか?」

 そんなもの、私には有るのだろうか?

 きっと人にとってそれは宗教であり、お金であり、信条であり、他人であったりするのだろう。

 そんなもの……私には、無い。

 私には何も無い。

「俺はこの肉体と、夏木のことだけは信じてるぜ」

「え? おい、赤目?」

 赤目から放たれた、私が全く想像していなかった言葉。それは、私の頬を染めるには十分な一言だった。

「春子さん、俺はこいつと会ってまだ半年足らずだけれど、その間色々あった。そして下した結論だが、夏木は信用できる奴だ」

 こいつは急に何を言い出すんだ?

 私の思考が追いつかない。頭が沸騰しそうになる。

「ちょっと、赤目、やめてくれ」

 きっと今、私の顔はゆでダコのようになっていることだろう。何でこいつはこんなに真っ直ぐな言葉を話せるんだ……。

「ふふふ、それは素晴らしいですね。私も夏木さんは素敵な人だと思います。ですけれど、赤目さん」

「ん?」

「例えば、あなたが病に倒れて、その体を頼りに出来なくなり、また、夏木さんがあなたを裏切った時、あなたはどうしますか?」

 ドキリとした。

 春子さんの言葉に他意は無かったのだろう。だが、その言葉はおそらく、いつかは真実になる。

 赤目に私が本当は信用ならない奴だということがバレた時、いつかかならず来るその日が来た時、私は一体どうなるのだろう?

 赤目は私から離れていくのだろうか?

 私はまた、一人になるのだろうか?

「それは、どういう意味だ?」

 私の思考とは関係なく、二人の会話は続けられる。

「そのままの意味です。赤目さんが生きる指針と自信をなくした時にどうなるかという質問です」

 赤目にはおそらく答えることが出来ない質問に、残念ながら私は答えることが出来る。

 きっと、私のようになる。

 私のような人でなしになってしまう。

「……」

 赤目はついに質問に答えること無く沈黙する。

 当たり前だ、そんな机上の空論に答えられる訳が無い。春子さんは一体何を言おうとしているのだろう。

「分かりませんよね。すみません、意地悪な質問をしてしまいまして。その答えが、かつての葉山島なんです」

「つまり、この島の住民にとっての、最後まで信じられるものが、巫女だったと言う事ですか?」

 私のその質問に対して、春子さんは小さく頷いた。

「はい、私もその当時はまだ幼かったもので、はっきりとは覚えておりませんから、あくまで母曰くになりますが、地獄、だったそうです」

 地獄。

 本島ではありふれた形容詞だが、この島で、しかも神職に就く者の口から聞くと、それほど物騒な言葉も無い。

「夏木さん、赤目さん、人は指針を、心の拠り所を失うと、人では無くなるんですよ」

 それは、前述の通り、残念ながら、私には分かっていた言葉。

「それは、少しずつの変化でした。巫女と島民の距離が少しずつ縮まるに連れ、巫女の影響力が少しずつ薄まるに連れて、その変化は徐々に目に見えるものになってきました」

 それは、飲み水に少しずつ毒を混ぜ、ある日ついに致死量に達するようなもの。

「荒れる人、無気力になる人、罪を犯す人、犯されても抵抗さえしない人。変化は人それぞれですが、ひとり残らず、変わらない人はいませんでした。人が原始宗教を手に入れる前、まさに動物みたいな状態です。おおよそ文明的と呼べるような生活を送ることが出来ないまでに、この島の状態は困窮してしまいました」

 たとえ今、警察組織が力を失い、貨幣経済が崩壊したとしても、同じような状況までは陥らないだろう。

 いつだったか、村上教授が講義で仰っていた。人間が平和を手に入れるために最初に作ったものは、警察でも貨幣でもなく宗教。

 それは、他人と価値観を共有するため。

 それは、他人と道徳を共有するため。

 そして、そうする事で初めて、社会の基盤が築かれるのだろう。

 ならば、逆説的に、その基盤を失ったこの島が、もろく瓦解するのも、また当然のこと。

「だから祖母は、島に規律をもたらすために、巫女の見通しを復活させたのでしょう」

「と言う事は、春子さんは、お祖母様がなされたことに賛成ということですか」

「両手を挙げて……という訳ではありませんが、話を聞く限りでは仕方がない対処だったと言うのが、私の意見です。賛成派というよりは擁護派ですね。母も心の底では、祖母を認めているはずですよ。ただ、最愛の人の、父の思いを否定することが出来ないだけで」

「だけどよ」

 大人しく話を聞いていた赤目が急に口を開く。

「だけどよ、その話って少し変じゃねぇか?」

「はい、どこがでしょう?」

 私にも、先程から気になっていることがある。だが、それをこの場で言うのは不味いだろう。

 人のいい赤目の事だ、きっとその疑問の答えがどんな真実に繋がるかまで、考えを巡らせることができていない。

 だから私は、とりあえず、小夏ちゃんをこの場から離れさせる事にした。

「ちょっと待った赤目。小夏ちゃん、少しだけ別の部屋で待っててくれないかな?」

「えぇ~何で~!?」

 頬をふくらませる小夏ちゃん。不貞腐れても可愛らしい。

「少しだけ、大人の話があるんだよ、後で赤目が釣りに連れて行ってくれるらしいから、少しの間だけお願いできないかな?」

「うーん、仕方ないか……。約束だよ!」

 赤目はまた「え? 俺?」という顔をしているが知った事か。赤目が蒔いた種だ。育てたのは私だが。

 小夏ちゃんが部屋を出たところで、コホンと小さく咳払いをして、私は話を続ける。

「すみませんね、可愛い妹さんを居候が追い払ったりして」

「いいえ、それよりも何でしょう、変な事とは? 知る限りのことはお教えします」

「いや、多分これは答えなんて出るようなものじゃないと思うんだが、何というか?」

「意外と赤目さんって気を使われる方なんですね。いいですよ、明け透けに仰って下さい」

「それなら言わせてもらうんだが、言い方が合っているか分からないけどよ、その『見通し』って言うのは、そんなにタイミングよく使える様になるものなのか?」

 そう、この話の一番の疑問はそこだ。

 大樹氏が男に感化されるのは分かる。

 巫女を失った人々が廃退するのも分かる。

 だが、それでタイミングよく『見通し』が出来るようになるというのは、解せない。

 そして、その当時の巫女が行った『見通し』の内容は、人の死を当てること、唯一つ。

 それは決して、島の人にインパクトを与えるためだけでは無いだろう。普通に考えるなら、人の死しか言い当てることが出来なかったという方が自然だ。

 ならば、そこから導かれる答えは一つ。

「それはきっと、祖母が人を殺していたのでしょうね」

 その答えは、他でもない、巫女である春子さんの口から放たれた。

 私にとっては分かっていた答え。きっと顔色一つ変えていないだろう。

 赤目は自分の疑問の終着点を知り、呆然としている。

 そう、予言を確実にするには、それしか無い。

 自分で実現するしか無い。

「春子さんは、それでもお祖母様のしたことに賛成しますか?」

 私にとってはどうでもよい質問。口を利けない赤目の代理として、ただの社交辞令として、儀礼としての質問。

「ですから言っているでしょう。賛成はしませんが擁護はします。結果だけを見るならば、少数の犠牲で、多数を救った訳ですから」

 かなりの危険思想だが、私には言われたくないだろう。

「ですから、私は悩むのです。皆と仲良くなりたいですが、そうするとこの島は同じ轍を踏むことになる。島民に同じ犠牲を強いる事になる。過去から学ばないと、同じ失敗ばかりを繰り返すと、馬鹿だと思われちゃいますから」

 春子さんはそこまで言葉を紡ぐと、思い出したように、

「そういえばまだ、最初の質問に答えていませんでしたね。随分と遠回りをしてしまいました」

 そして、春子さんはこちらを正面に見据え、いつものあの笑顔で、柔和な微笑みで言葉を紡ぐ。

「私に父がいない理由なんですが」

 聞かなくても分かる。

 だから、その続きは聞きたくない。

 赤目には聞かせたくない。

 だが、私のそんな些細な願いすら、神の従者は叶えること無く、最後まで呪文を唱えきる。

「最初に『見通し』をされたのが、私の父なんですよ」

 その平坦な声は、まるで万力のように、私達の心をすり潰した。

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