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私は僕に恋をする  作者: 黒瀬玄絵
21/21

二十一、僕は私を愛してる

「六十点だな」

 リノリウムの床に、煩雑に書籍が散らばった部屋。本の多くは日に焼けていて、かなりの期間碌に掃除もされていないことが伺える。部屋の中には、かなり強い紙の匂いを更にコーヒーの匂いで無理やり塗りつぶしたような匂いが充満しており、長時間滞在していると頭が痛くなりそうだ。

 一言で言えば雑多。どう見ても汚い部屋なのだが、不思議と知性を感じさせる。例えるならば、外国の児童文学に出てくる魔女の工房の様。そんな怪しい知性が充満した部屋だった。

 そんな部屋に唯一光が差し込む窓辺に置かれた机に頬杖を付いて、つまらなさそうに私の報告書を読んでいた妙齢の女性が、不意に点数を口にした。

「どうした、そんな顔をして? まるで私が女性であることが意外とでも言うような顔だな」

 そう言いながらも、その顔には訝しみの一つも感じ取ることが出来ない。と言うよりも先程から表情一つ変える事がない。まるで全てがつまらないといったような仏頂面だ。

 彼女こそ他でもない、この部屋の主。私が葉山島に行くことになった理由そのもの、村上教授だった。

「いえ、決してそんなことは……。それよりも何ですか? 六十点? 私のレポートが?」

「いや、君のレポートはよくて二十点という代物だ」

 散々な代物だった様だ。まぁ調査をする時間が碌に無かったので仕方ないのだが。

「もっとも、一を聞くまでも無く十を知る私にとっては、二十点の出来で十分だがな」

 大した自信家だ。ただし、その自信は実績に裏付けされている。何しろ若干三十代という若さで国立大学の教授という地位に収まっているのだから、ただ事では無い。しかもそれに加えて、文化人類学の権威というのだから、私如きが口答えをすること自体が不敬というものだろう。

「では何が六十点なのですか?」

「決まっているだろう、君の言い訳の方だよ」

「言い訳と言いますと……。柊家で起きた事件の事ですか?」

「そうだ。全く私がどうかしていた。榎君の噂は私も聞いていたのだが、失念していたよ。榎君を向かわせれば碌な事にはならないと言う事は、少し考えれば分かった事なのに。君の弁ではその事件の為に調査が出来なかったという事だが、私に言わせてみれば、榎君が起こしたような事件なのだから、榎君の責任と言っていいと思うのだがね」

 中々に手厳しい意見だった。濡れ衣もここまで極まると着せられていて、いっそ清々しい。

「六十点……。まさか採点されるとは思っていませんでしたが、減点理由をお聞きしてもいいですか?」

「減点ではなく加点した結果なのだがね。なぜ皆、減点方式で物事を考えるのだろうか。小さなものでも根気よく積み上げていけば、凡人の君達でも、いつかは私のような高みに立てるかも知れないのに」

 ナルシストと話をすると疲れる。それも言い返せない相手ならば尚更だ。

「話を戻そう。私が君の報告の何を評価したかだが、まず第一は拙いものとはいえ、私にレポートを提出出来た点だ。まぁ言うなれば基礎点だな。……おいおい、笑うところでは無いぞ、報告すら出来ない場合だって考えられたのだからな。そして第二点は、こちらに非のある形で収束させなかったこと、全てを柊家の中での問題に押し込めて来たことだな。潔白を証明した手腕は評価してもいいだろう。それぞれ三十点ずつ。合わせて六十点だ」

「……お褒め頂き有難う御座います。ではどうすれば後の四十点を頂けたのですかね?」

「無論決まっている。真実に辿り着けていれば、更に加点があっただろう」

 ということはつまり……。

「村上教授は、私の推理が間違ってたと、そう言いたい訳ですか?」

「おいおい、あまり笑わせないでくれよ。まさか君だって、本当にあの推理が正しいなんて思っている訳じゃないだろう?」

「……」

「そんな訳がない。そんな訳が無いんだよ。あんな言い訳を、あんな辻褄合わせを捻り出せる知能を持つ榎君が、あの程度の真実に辿り着けていない訳が無いんだ。別に柊家の皆様を馬鹿にする訳では無いけれども、少し鋭い人間があの場に居たならば、榎君の論は完全に論破されていただろうね」

 私のような、と顔に書いてあるのが見える。この人以上に自信にあふれた人を私は知らない。

「納得いかないような顔をしているね。君としてはもう話したく無い事なのだろうけれどもそうはいかない、私は嘘を吐かれるのが嫌いなんだ。嘘を吐くのは好きだがね。それに目の前に謎があって、その答え合わせをしないなんて私には耐えられない。否が応にも答え合わせに付き合ってもらうよ」

 どうやら逃げる事は出来ないようだ。古今東西、ラスボス戦からは逃亡出来ないものと相場は決まっている。腹をくくるしかないようだ。

「分かりました。それでは私の推理のどこに違和感を持たれましたか?」

「違和感なんてものではない、不信感だ。疑惑といってもいい。そしてどこからどこまでも間違いだらけだ、どこから追求したものかと迷うほどだが、まず核心となる話からしようか。そもそも君は本当にあんな方法で矢が刺さると思っているのか?」

 あんな方法とは、注連縄を利用した振り子運動の事だろうか。

「あんなものが人に刺さるわけが無いだろう。少し考えれば分かることだ。確かに矢と共に括りつける重りの重さによっては、それだけのエネルギーは得られるかも知れない。だがそれだけだ。矢が都合よく標的の方向を向いてくれるとは限らないだろう。ましてや紐の先に括りつけたものなど回転して当然だ。はっきり言って、こんな方法で標的を射る位ならば、素人が放った矢の方がまだ刺さるというものだ。これに対しての反論は?」

「……言いたいことはありますが、先に解説を全て聞きたいと思います」

「よろしい。それでは次に移ろう。君は大樹氏の傷を矢の刺さった方向を分からなくするため、前後を特定させないための工作だと説明した訳だが、それだけで本当に大樹氏の前後が分からなくなると思ったのか?」

「少なくとも……私は気付きませんでしたが……」

「そうだな、榎君は気付かなかったかも知れない。少なくともその場では。だが、少なくとも乳房が切り取られている事には気付いた訳だ。つまり切り取られている部位が特定出来たという事だ。それは、榎君の初見でも、乳房が付いてるべき場所に付いていない事が分かった、という事にならないかな? つまり大樹氏のどちらに矢が刺さっていたかが、ひと目で特定できたという事になる。大体、人体の前後なんて関節を始めとした骨格を見れば一発で分かるだろう。そんな杜撰な工作のために、乳房はまだしも、太い骨の通る首を切断などするだろうか?」

「……」

「沈黙は異論なしと受け取っておこう。まだあるぞ。榎君は本体から切り離されている部位は首と乳房のみと言ったが、本当にそうだっただろうか? 違うよな? 違うのだよ。これに関しては、榎君は間違いなく見落としてはいない、意図的に説明から省いている。あんな目立つ部位を、巫女の『見通し』の象徴とも言うべき部位が切り離されていたのを忘れるわけが無いだろう?」

「……」

「……眼球だよ」

「……それは首を切ったついでに繰り抜いたとかじゃないですかね。それか、最初は眼球だけ繰り抜いておけば、どちらが前か分からないと考えたけれども、後から思い直して首を切断したとか……?」

「……呆れ返るばかりだな。君は本気でそんな事を考えているのか? 目を繰り抜いただけで顔の正面が分からなくなる? 本当にそんな勘違いをする人間が居るとでも思うのか? もしも君が本気でそう考えているのならば頭の病院を紹介しよう。そしてもしそれが真実なのだとしたならば、君以外にもそんな事を考えた低能がこの世にもう一人存在することになる。いや、別に存在することに対して私は何かを言うつもりはない。人は誰しも低能である権利を持つし、世の中には私の想像を絶する存在も居るだろうからだ。ただ、そんなド低脳が二人もこの世界に居るのだとしたら、私はこの世界にもう未練は無い。これ以上の茶番に付き合うつもりもない。潔く自ら命を断つ事としよう」

「……それでは間接的にあなたを殺害したのが私になってしまうので、ご遠慮頂きたいところですが。では村上教授は何のために大樹氏の死体を傷つけたと考えるのですか? 私には前後を特定出来なくするため以外の意図が掴めませんが」

「君はもしかしてマゾなのかな? まさか君の口からそんな発言が出るとは思わなかった。どう見てもその発言は自分の首を締めるだけだろう。何のためにか、それを答えてしまえば、君はほぼ詰んだも同然になるというのに。……いいだろう、さっぱりと介錯してやるとしよう。死体を傷つける理由、眼球を繰り抜き、首を切断し、乳房を切り取り、体に無数の傷を刻む理由。そんな行動を取る理由は古今東西、相場は決まっている。……それは、個人の特定を不可能にするためだ」

「……個人の特定を不可能にする? あの場所でそんな必要はないでしょう。どう考えたって、あの場から消えたのは大樹氏ただ一人なんですから、どう死体を弄くったところで、消去法で個人は特定されてしまいます」

「そこだ」

 村上教授は、小さく、だが強く言い切った。

「そもそも本当に、あの場に倒れていたのは大樹氏だったのだろうか? 本当に消えたのは大樹氏一人だっただろうか? もっと言うならば、本当に消えたのは大樹氏だったのだろうか? あの社の中からは他に何かが消えてはいなかっただろうか?」

「……」

 私は何も答えない。応えない。どう反応したところで、既に詰んでいた。

「葬儀を執り行った人物の遺体が、消えてはいなかったかな?」

 私が応えずとも、王手は打たれた。

「そうだ、大樹氏は遺体と入れ替わったのだよ。無論、遺体を傷つけたのは大樹氏だ。これならば扉を開く必要無ければ、弓を使わずに矢を突き立てる事も用意だ。小夏とか言う娘が言った通り、力任せに『ぶすー』っと刺せば良いだけなのだからな。そもそも儀式中は原則誰の立ち入りも出来ない。誰に邪魔されることもなく、存分に遺体を加工出来る。こうなれば密室も糞もない。誰が扉を開けることもなく、全ては室内で完結していたのだよ」

「何の為にそんな事を? 遺体と入れ替わったところで、大樹氏にメリットは無いではないですか?」

「いい加減諦めろ。誰がどう見ても既に詰んでいる。此処から先は、君の口から言ってはどうだ?」

「……」

 私は答えない。答える訳にはいかない。彼女たちに応えるためにも、私は答えない。

「…答えは無し…か」

 良かろう、精一杯醜く悪あがきをしろ、とその眼光は語っていた。

「瀬をはやみ

   岩にせかるる滝川の

         われても末に 

           あわむとぞ思ふ」

「……」

「知らぬ訳ではないだろう。かの有名な崇徳院の和歌だ。川の流れが速いので、岩に堰き止められた流れが一度は別れはするけれども、また一つに合流する。同じように今は別れているあの人とも、いつかまた必ず会ってみせるという決意を風流に詠んでみせた歌だな。まさに名歌と言える。大樹氏の思いもこの和歌と同じだったのだろう」

 やはり、この人は全てが分かっているのだ。実際にその場に居たわけでもないのに、私の話だけで真実に辿り着こうとしている。

「聞くところによれば、大樹氏には夫が居たそうだな。私の予想が正しければ木葉とかいうその男はまだ生きている。無論、本島でな。そしてその事実を知った大樹氏も本島に夫を追いかけようと考えた。しかしそのためには、障害があった。巫女という立場だ」

 早馬神社の巫女は、海を渡ることが出来ない。

「巫女は終身制なのだから、途中で辞めることは出来ない。かと言って島を統治する巫女がその座を捨てるとなっては、島に混乱を招きかねない。ではどうすればいいか? もうこれは一つしかないだろう。自分が死んだことにして消えるしかない」

「ですが、当日に葬儀があったのは偶々ではないですか。そんなに都合よく大樹氏と入れ替われるような人が死ぬものでしょうか?」

「それに加えて、榎君のように都合よく推理をしてくれる探偵役も、場合によっては罪を被せる生け贄も……だな。だが、それはさしたる問題ではない。別にいつでもよかったのだよ」

「つまり……?」

「つまり、条件が整うまで、大樹氏はいつまでも待つつもりだったのだ。事実、木葉氏が失踪したのは、大樹氏がまだ二十歳半ば頃だったにも関わらず、娘が成人しかかる歳になるまでチャンスは訪れなかった」

 その言葉には言外に、その数十年単位の偶然を引き当てた、私の運の悪さへの非難が含まれていた。被害妄想とは思えない。

 くしくも秋名ちゃんの言う通り、あの事件は、私があの島を訪れたからこそ起きたものだった。

「逆に言うならば、それほどの歳月を重ねたとしても、夫への愛を忘れる事は無かったという訳だ。いや、違うか、これは最愛の夫を奪われた恨みがなせる技というべきかもしれない。うん? そんな顔をするなよ。誰に対する恨みかなんて決まっているだろう。先代の巫女、いや今となっては先々代か、大花氏に決まっているだろう」

 別にその名前は意外では無かった。ただ、そこまで言及することが意外だっただけだ。

「そうか? そここそが全ての根源だ。そこを語らなければ、真実らしいことは語れても、真実を語ることは出来ない。全ては実の娘の伴侶を愛するという大花氏の罪から始まったのだからな。そしてその時からだ、かつては本当に存在したのであろう、巫女の『見通し』が別の意味を持つようになったのは。話では、大花氏が『見通し』を発現し、最初に見通した人間は木葉氏だったな。葉山島に居たのでは、二人が結ばれることは決してない。だからこれは駆け落ちだったのだ。表向きは島の秩序を回復するための見せしめとして木葉氏を『見通し』た訳だが、その実は密かに木葉氏を島から脱出させたに過ぎない。そしてその過程で、煙幕として利害の一致を得た人間、つまりは島の体制を嫌い改革を願う人間、更に言葉を置き換えるならば、島から出たい人間を同じように『見通し』て、後腐れなく島から出してやったのだ。これは推測だが、当時は故郷を捨てるとなれば、親族から裏切り者と謗りを受ける事もまれな事では無かっただろうからな。中島みゆきの「ファイト!」を聴いたことはないかな? 聴いた事がない? そうか、世代が違えばそんなものか……。まぁいい、とにかく木葉氏の失踪を隠したい大花氏と『見通し』された人間の利害は十分に一致する土壌が有ったという訳だ。そしてそのどさくさに紛れて、まんまと自分も蒸発することに成功した」

 結局のところ『見通し』なんて超能力は誰一人として持ってはいなかった。ただの不貞の道具でしかなかった。

 まとめてしまえばこの事件は、不倫の末駆け落ちした夫を追いかけるための妻の小細工でしか無かったのだ。巫女の統治する神域とも言える島で行われた、どこまでの世俗に塗れた愛憎劇、それがこの事件の根幹であり、本質であり、全容だった。だが……。

「ですが、それが真実だとするならば、春子さんが、完全に的外れだった私の推理を受け入れるはずが無いのでは?」

「確かにな、そこに関しては確かに榎君にとっても賭けの部分だった事だろう。だけれども九割九分負けない賭けである事も織り込み済みだったはずだ。なぜならばこの状況では、ここまで推理が進んでしまえば、春子氏と大樹氏が共犯であったと考えない方が不自然だ。これはかなりに公算が高い。なにせ、大樹氏が急に消えてしまっては、その後の島の運営に支障が出る。何十年間も夫を追いかけることを我慢する程には島の事を思っていたのだろうから、後を引き継ぐ人間に何も伝えていなかったとは到底思えない。それに、事件の発生後に警察を呼ばない判断を下したのも春子氏だ」

「それは島に混乱を招かないために………」

「そうだな、表向きはそうなっている。だけれども本気でそう考えていたと思うか? 島の秩序を保つだけならば、巫女という役職者が居れば中身は誰でもいいのだから、春子氏が引き継ぐだけで丸く収まる。事実、現在も葉山島は相変わらず安定している。それに大人びて見えるとはいえ、春子氏はまだ成人もしていない子供だ。そんな子供が母の死を前にして、あんなにも冷静を装い、あまつさえ母の死の真実に近づく為の一番近いツールである警察を、島の秩序の為だけに使用する事を断念するだろうか。それよりも、死体と入れ替わるなんて、警察が見れば一発で看過される様な杜撰なトリックの隠蔽に協力したと見る方が自然ではないだろうか」

 原型を留めない程に損壊されていても、現在の科学力を持ってすれば、死体の入れ替わりなんて古典的なトリックを看破する事は容易い。むしろ見逃す方が難しいだろう。

「そして、警察を呼ばず、その場に居合わせた人間に推理を依頼すれば、普通の人間ならば、柊家の人間が犯人であるように推理をするだろう。まぁ実際には、榎君という例外が居たわけだが…。ともかく、例えそれが荒唐無稽な辻褄合わせであっても問題はない。その場では一旦それを真実としてしまえばいい。そうすれば後は柊家の中だけの問題だ、家長となった春子氏ならどうとでも処理できる。要は大樹氏が失踪した訳ではないという事を証言してくれる立会人さえいれば、……つまりは、大樹氏を殺害したのが春子氏であるという推理をしてくれる人物さえいれば、それで良かったのだよ」

「今回は偶々、私が春子さんを犯人に指名した訳ですけれども、別の人を指名していたなら、その人物からの反発が考えられたのではないですか? それに今後島を統治する巫女頭が母親を殺害したという事が知れたら、今後の統治に都合が悪いでしょう?」

「君の場合は偶々ではないけれどもな、そう考えたからこそ、榎君は犯人に春子氏を指名したのだろう。しかしまぁ、この世の中の人間が全員、榎君のように気の利く人間ばかりでは無いという事もまた事実だ。だが、探偵役が春子氏以外を犯人であると推理した場合は、春子氏が自白してしまえばいいだけの話だ。それで全てが丸く収まる」

「それならば、最初から第三者に推理などさせずに、自白してしまえば良いだけではないですか」

「その場合、君は本当にそれで納得しただろうか?」

「それは………」

「本当に、最初から春子さんが、自分が犯人だと名乗りでたとして、それで君は納得したのかと聞いている」

「納得………ですか……」

 私は、果たして、納得したのだろうか。

「……納得しないよな。納得するわけがない。人間というものは何とも業の深い生き物だ。簡単に辿り着いた答えは疑わずにはいられない。それは人の性だ。与えられたものだけでは満足できなくなってしまう。必ず後々から疑惑が生まれる。それに反して、人間は更に愚かな事に、自分達で知恵を出して辿り着いた答えを疑う事を拒否する。自分が、自分達が出した答えに間違いは無いと盲信する。だから自ら一度答えを出させることによって、再び誰かが疑い出して、真相に辿り着いてしまう、そんな芽を摘んでおきたかったんだろう」

 全員で一つの答えを出した事を確認するだけの儀式。それが私の推理劇だった訳だ。

「まぁ、春子氏の誤算は、本当に榎君が真相に気付いてしまったことだ。これ以上時間を取らせては真相に辿り着いてしまう。そう考えたからこそ、春子氏は枝葉氏に、鬼ヶ島君に毒を盛るように指示したのだ。もちろん表向きは力づくでの脱出を防ぐためと説明して、しかし、その実は、さっさと間違った答えを出させるための発破だった訳だ」

 そこまでを言い終えると、村上教授は一呼吸を置いた。

「しかし、だからこそ榎君は真実に辿り着いてしまった」

 次に吐き出された声は、いつも以上に鋭く尖っていた。

「どういう心境なのか私には理解できないが、榎君は、鬼ヶ島君が倒れたのは自分のせいだと思いこんでいたようだな。しかし、秋名氏の言葉でそれを思い直した。ならば、次に考えるのは、当然、なぜ鬼ヶ島君は倒れることになったのか。倒れる必要があったのか、そして誰が行なったのか」

 確かに、それが契機だった。

「そこに思考が至れば後は簡単だ。その違和感から手繰り寄せていけば、真相はすぐに明らかになる。どう考えても鬼ヶ島君を手に掛けたのは柊家の人間なのだから、『誰か』を考える必要はそこまで無い。ならば、次に出て来る疑問は『どうして』だ。犯人を知られたくないだけならば、早々に二人を島から追い出してしまえばそれで済む話だ。それなのになぜ、中途半端に捜査をさせて、さらに急にタイムリミットを提示したのか。これも簡単だ、『中途半端に推理をしてほしかったから』、これに尽きる。ならば、それで得をするのはどのような場合か……。こうして順を追って考えていけば、すぐに思考は正解のレールに乗る」

 一つの山場が終わったのか、村上教授はそこで、小さく息を吐いた。

「しかし、春子氏も榎君が自分が犯人だと名乗りでた時に、榎君が真相に辿り着いた事に気が付いた。だからこそ不自然なほど速やかに榎君の始末を指示した。なぜ榎君がそのような行動に出たのかは分からないが、気が変わる前に始末してしまいたかったんだろう」

 当たり前だが私には分かる。私は誰も傷付けたくなかった。自分が死ぬだけで全てが丸く収まるのなら、それでいいと考えただけだ。きっと村上教授の様な自尊心の塊のような人間には、一生かかっても理解できないだろうけど。

「そして春子氏が犯人と確定した後は、家族で口裏を合わせて、大樹氏が急逝した事にでもしてしまえばいい。そして現状では大樹氏を殺害したと知っているのは、いや考えているのは柊家の人間だけだ。さて、ここで少し考えてみようか……。果たしてその後、柊家に春子氏に反発しようとする者は居るだろうか………?」

 私は思考を巡らせる。

 出来る限りの記憶を辿り、頭のなかに、枝葉氏を、小夏ちゃんを、秋名ちゃんを再現する。

 ………しかし、誰も春子さんを批難する言葉を吐くものは居なかった。

「そうだ。そうなのだよ、柊家の人間は、全員現状に不満が無いんだ。枝葉氏は柊家が存続するならばそれでいい。娘を失った後に孫まで失いたいとは思わないだろう。庇わない訳がない。秋名氏は自ら言っていたはずだ、春子氏が居なくなった場合、次に巫女頭となるのは小夏氏だ、それだけは避けなければならないと。ならば春子氏を失脚させるような真似をするはずがない。そして、話を聞く限り一番闇が深い小夏氏も同じく、春子氏が居づらくなるような振る舞いはしないだろう、なぜなら、ほとんど唯一とも言える遊び相手が居なくなってしまうのだから」

 私は何も言い返さない。

 なぜならば、私もその推測が正しいと思うからだ。

 認めたくないが、認めざるを得ない。

 彼らは、彼女らは、各々の理由は異なれど、家族を一人失って、一人が殺人に手を染めたとしても、なぁなぁで済ませてしまえるのだ。

 それは、実際には誰も死んでいないにも関わらず、図らずとも浮かび上がることとなった、とても醜い家族の在り方だった。いや、感情論となってしまうが、私はそんなものを家族とは認めたくない。

 誰かが傷付けば共に悲しみ、誰かが誤てば誰かが正す。家族とはそんな共同体であるべきなのだ。少なくとも私はそう考える。

「君がどう考えたところで、世界は何も変わらない。あるがまま存在し、なすがまま事を成す、それだけだ。全く、榎君は本当に不器用だ。こんな形でしか、真実の隠蔽に協力することでしか、春子氏に友情を示せなかったというのだから。はてさて、以上が事の真相であると私は考える訳だがどうだろうか?」

「まだ穴はあります。それでは春子さんにメリットが無いではないですか。そこはどう考えられます?」

「ふん、メリットね……。本来なら、家族同士なのにメリットが無ければ行動しないというのも悲しい話だが、こと今回に限れば当然気になる部分だな。だがそれも簡単に説明が付く。彼女が、春子氏がずっと望んでいた事は何だったかな?」

 望み……。

 春子さんがずっと望んでいたこと……。

「……友達を……作ること……ですか……」

 私の言葉は疑問形では無かった。

「そうだ、そしてその望みはあの島にいては叶えられない。春子氏もゆくゆくは同じ方法であの島から出るつもりなのだろう。だからその権利を得るために、このトリックを使用可能な巫女頭という立場を得るために、大樹氏に協力したという訳だ。その後は今回と同様の条件が整えば、次は春子氏と小夏氏が結託するだろう。小夏氏も島から出たがっている訳だからな。そして更に小夏氏が脱出する際にも、残る秋名氏の協力を得ることは容易だ。島から出たい小夏氏と、追い出したい秋名氏の利害は必ず一致する。残るは枝葉氏だが、彼としても秋名氏一人でも残っていれば、それで問題はないだろう。一見人騒がせで自分勝手に見える今回の事件だが、長いスパンで見れば、不思議と全員の望みが叶うのだよ」

 その内、春子氏は君にも会いに来るかもしれない……。村上教授が小さく呟いたその言葉は、不思議と私の背筋を冷たくした。

「果てさて、流石に全ての疑問は氷解したかと思うが、反論は?」

 傍から見れば荒唐無稽な真相。

 だけれども、全ての辻褄が合ってしまう。

 そして何よりも……。

「私も……そう考えます……」

 同意見でしか無かった。

「よろしい。それでは以上で本日の講義を終了する」

 その宣言は、裁判官の閉廷と同じ響きを持っていた。被告人として詰問された数十分間、全く生きた心地がしなかった。ようやく開放される。生きてこの部屋から出ることが出来る、それだけでこの世の何よりも尊い幸せを感じる事ができた。

 しかし、

 水面から顔を出した瞬間、私は再び息苦しい水中へと引き戻された。


「……ところで、君は一体誰なのかね?」


 それは、私のアイデンテティ―を崩壊させる一言。

「誰とは……?」

「決まっているだろう。君が誰なのかと問うている。榎君の代わりに説明に来てくれたのは有り難いが、間違いなく、君と私とは初対面のはずだが」

「……何を言っているんですか……。私は、榎夏木ですよ……」

「そんな訳があるか、彼が君のようなスカートを履く訳が無いだろう」

 スカート……。確かに私は今、ロングスカートを履いている。榎夏木はスカートを履かない? そう言う主義なのか?

 いや、気にするべき所はそこでは無い………。

 何が引っ掛かった?

 いや、引っ掛けられたのは私なのか?

 今、何と言った?

 榎夏木を、三人称で、何と呼んだ?

 彼……と、そう呼んだのか?

 男性であると、そう言ったのか?

「うん……そうか、なるほどなるほど……」

 これ以上の沈黙は不味い。

 この天才は、ただの思考のみで容易に答えに辿り着く。

「そういう事か……。君の話でどうも繋がりが分からない所があると感じていたが、なるほど……、君がそういう存在で、その場にいたのならば、二つの違和感のうち一つは解消されるという訳だ……」

 不味い。

 この状況は、非常に不味い。

 しかし、私はこの場を切り抜ける術を、何も持ち合わせていない。

「そして、君が本当にそうなのだとしたら、私はこうするべきなのだろうな。こうしておかねば、更に面倒な事になるのだろう」

「や……やめろ!」


「君の名前は、柊冬木だ」


 叫びも虚しく、僕の存在は固定された。

 僕の未来は、この瞬間に閉じた。

 彼女のたった一言で……、永久に。

「どうだい? いい名前だろう? 榎夏木と対になる、永遠に交わることが無い名前。これ以上に君に相応しい名前は存在しない。……そして、こうされると困るのだろう? これで君は榎君とは別の存在に固定された。君がどこの誰だかは分からないけれども大した変装だ。それだけは諸手を挙げて賞賛しよう。しかしこれでもう成り代わることは出来ない。名を与えるということは存在を縛るということ。名を与えることで、タヌキもムジナも別物になる」

「……どうして、僕が榎夏木では無いと気が付いた?」

「君が勘違いしていただけだろう。流石に男性と女性は間違えんよ。誰だって気が付く。私としては、なぜ君が、そんな根本的な部分を間違えたかの方が理解が及ばんね。思い込みというものは怖いねぇ。それで、本物の方はどうしたのかな?」

「………海に捨てた」

「………」

「………」

「ハッハッハ! これはいい! 海に捨てたか! その程度で彼が死ぬとでも思ったのか! その程度、榎夏木にとっては日常茶飯事だ。せめて細切れにしてから、魚の餌にでもするのだったな。それでも私は、彼が生き残る方に賭けるがね。ほら、噂をすれば足音が聞こえてきた」

 コツンコツンと、リノリウムを叩く、二つの足音。

 一歩一歩、この部屋へと近付いて来る。

 あーあ、やってしまったか。

 だが、このミスは僕のせいではない。勘違いされるような容姿の『僕』が全て悪い。

 ……なんて。

 言ったところで何も始まらず、全てが終わりゆくだけだけれども。

 もしかしたらこれも、彼の呪いのせいなのかもしれない。

 まいったな、やはり返すべきではなかったか。

「……一つだけ悪足掻きをさせてもらってもいいですかね?」

「いいだろう、許可しよう。精々私を楽しませんてくれ」

「それでは失礼しまして。二つの違和感のうち、もう一つは、秋名の『見通し』ではないですか?」

「うん? そうだが? まさか本物とは言うまいね? それに関してはもう少しだけ頭を働かせてみるとするよ。なに、どうせいつも通り直に答えは出る」

「無駄ですよ」

「どういう意味だい?」

「あれだけは本物ですから」

 そう、嘘だらけのあの島にも、一つだけ本物はあった。

 ならば『僕』が絶望した、まやかしだらけのこの世界にも、一つくらい本物はあるだろう。

 例えば、この気持ちとか。


 運命の人は、もう間も無く、再び僕の前に現れる。

 どうやら、随分と厄介な相手に惚れてしまったようだ。

 愛されるために生まれてきた様な容姿と心。

 それにも関わらず、愛し愛された相手を不幸にする呪われた愛しい彼。

 まさに愛くるしい。

 愛が苦しくて、愛狂おしい。

 愛らしい程に憎らしい。哀れな彼。

 仕方がない、恋は惚れたもの負けだ。


 勝ち越すまで、延長戦を始めよう。

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