十九、推理(水利)
「さて、皆様。朝も早いというのにお集まり頂きまして、誠に有難う御座います」
三十分ほどの後、秋名ちゃんが集めてきてくれた、柊家の皆様の前に私は立っていた。
名探偵、皆を集めてさてと言い。
まるでこれでは、私が本当に探偵のようではないか。少しこそばゆいが、別に今となっては慣れたものだ。
「構いませんよ夏木さん。この時間には、私共は普段から既に起きております。それより、本当に分かったのですか? まだ昨日の今日だというのに」
春子さんのその言葉からは、言外に「どうせ赤目さんの事を考えての事でしょう」と、投げやりになった私を揶揄する意図が感じられた。
「ええもちろんですよ。私も伊達や酔狂で、こんな朝早くから演説を打ったりしませんよ」
「そうですか、それならば安心です。では早速ご自慢の推理をご披露頂けませんか?」
別に推理が得意であるとPRした覚えは一度もないのだけれども……。まぁいいか。
「ええ、では。と言っても、どこから話せば良いでしょうか。話をしてしまえば至極単純、すぐに済む話なんですけれどもね」
「意外と段取りが悪いのですね」
「口下手なだけですよ。まぁ、段取りが悪いと言われましても否定するつもりはありませんけれどもね。そうですね、そこから話をしましょうか、段取りの話を」
「段取り……ですか?」
「段取りというよりも下準備と言った方が良いかもしれません。まず最初にここだけはハッキリさせておきましょう。犯人はこの中にいます」
なんて、まるでこれでは本当の名探偵だ。
「かっこいいですね。一度は私も言ってみたいセリフです。ですけれども、それはつまり私達、柊家の人間が母を殺害したという意味ですか?」
「そこを私に言わせるのは酷ではありませんか? まぁいいでしょう、話を進めさせて頂きます。まず最初に、思い出し辛いでしょうが、大樹氏の最後の姿を思い浮かべて頂けますでしょうか?」
とは言っても、実際に見たのは春子さんと枝葉氏のお二人だけな訳だが。
「ご心配なさらずとも、昨日の今日の話です。しっかりと細部まで思い出せますよ」
別に記憶力を心配して思い出し辛いといった訳では無かったのだが、まぁいいだろう。不快な感情を呼び起こさないというのならば、こちらも話しやすいというものだ。
「では、どう思いましたか?」
「惨憺たる有様でしたね」
自分の母親の終の様をそこまで客観視されたのでは、大樹氏も浮かばれないだろう。
「そうですね、同感です。私も結構な数の死体を見てきましたが、あそこまで徹底して破壊された死体は初めて見ましたよ」
「そうですか。それで、それがどうかしたのですか?」
自分の母親の死体が辱められたのだから、それだけでも大事だと思うのだが。
「ええ、勿体ぶるつもりはありませんよ、単純な話ですから。要はそれだけの大作業を、なんの下準備もせずに行うことが出来るかと云うことです」
当たり前だが、アレほどの解体にはそれなりの装備が必要になる。殺害を行うための装備の他に、解体のための装備を持ち込むのだとすれば、それが可能なのは自然とこの敷地内に住む人間、つまり柊家の人間に限られてくる。
「なるほどな。いつもならば儂が敷地内を見張っている。不覚にも昨日の夜は犯人を見逃してしまった訳だが、流石に数度に渡るとなれば、その全てを見逃していたとは考え辛い」
「そうですね。それに例え犯人自身が見付からなかったとしても、準備のために置いておいた道具すら見付からないというのは考え辛いですよね。春子さんもあんなに毎日熱心にお掃除をされていた訳ですし」
「それは、私なら隠せるという意味ですか?」
「いえいえ、他意はありませんよ。そう熱くならないで下さい、先は長いですから」
こればっかりは、どう工夫をしても短くはならなさそうだ。
「分かりました、犯人が私達の中に居る。そこまではいいでしょう。では、一体誰が犯人だと言うのですか」
「ですからそう焦らないで下さい、順を追ってご説明致しますから。ではまず犯行現場の状況から考えていきましょう。春子さん、まず何か気になりませんでしたか?」
「母の死体です」
それを言われてしまっては実も蓋もない。
「いえ、それは置いておいて下さい。あくまで場所、それだけを見て下さい」
一拍を置いた後、
「思ったよりも、現場が綺麗……、でしょうか?」
その通りの答えが出てきた。
「それが犯人の特定に繋がるのでしょうか? 当然ですが、私達一族は全員、信仰心を持っています。ならば神域である社をなるべく汚したくないと考えるのは当然では無いでしょうか?」
そもそも信仰の対象そのものである巫女を殺害しておいての話であるし、ならばわざわざ社で殺人など犯さないだろうと言う話であるが、そこを突いたところで、今は蛇が出れば良い方である。言わぬが吉だ。
「そうですね、全くです。では視点を変えてみましょう。逆に荒らされていた場所はどこでしょうか?」
大樹氏の尊厳以外で。
「それはですから、母の遺体……」
「いえいえ、ですからそうではなくて、あくまで場所を見て下さい」
そうしてまた一拍置いた後、
「……降参です。分かりません」
今度は答えに辿り着けなかった。
仕方ない……。
「御神木かな?」
私では無かった。
「あれ? 違った?」
小夏ちゃんだった。
「いや……合ってるよ」
思わぬところからの返答に少し戸惑ってしまった。
「良かった―。昨日夏木さんに怒られちゃったから、また間違えちゃったらどうしようかと思った」
ドキリとした。
そうだった、昨日小夏ちゃんの前で取り乱してしまったのだった。少し気恥ずかしい。
「小夏ちゃん、昨日はごめんね」
「ううんいいんだよ。小夏にも悪いところがあったし。それより、御神木がどうしたのかな」
この娘のこのまっすぐな強さが、私には怖い。
きっと私は最後まで、この強さを直視することが出来ない。
「話を続けましょう。同じ信仰の対象であるべき社と御神木。前者には病的なまでの配慮がなされ、後者は荒らされていた。これが逆ならば分かります。大樹氏のあれだけの狼藉を働いたならば、その現場である社が荒れていることも当然ですし、逆に現場とは関係のない御神木が荒らされていない事も当然。しかし現実にはこの両者は全く逆の有様となっていました。この差は一体どうして生まれたのでしょうか」
「境内で一度争ったように見せかけた…とかかな?」
今度は枝葉氏からの発言。皆思ったよりも乗り気のようだ。
「なるほど、面白い発想ですね。しかし、そう見せかけるためには荒れ方が局所過ぎますし、第一そう見せかけたところで何のメリットもありません。もっと具体的に見てみましょう。荒らされていたのは本当に御神木でしたか?」
「どういう意味でしょう? 御神木以外も荒らされていたということですか?」
「いいえ違います、むしろ厳密に言うならば御神木自体には、一切の手は加えられておりませんでした」
「ますますもって意味が分かりません。本当の御神木は別にあって、私達が御神木だと思っていたあの木は、本当は別になんでもないただの木だったということですか?」
「まさか、ことこの島のことに関して、私が知っていて、皆さんが知らない事は無いでしょう。思い出して下さい、御神木は枝が折られていたり、幹が傷付けられていたりしましたか?」
「……そんな事はありませんでしたね」
「そうですよね、では一体何が変わっていたから、私達は御神木が荒らされたと思ったのでしょうか」
「………」
「………」
「注連縄と破魔矢……ですね」
「その通りです」
そう、荒らされていたのは御神木そのものでは無い、あくまでそのパーツだ。
「大切なのは御神木を荒らすことではなかった訳です」
「なるほど。そしてその破魔矢で母を殺害したという訳ですか」
「うん……いいえ。いや、その通りではあるのですけれども、大事なのはそちらではありません。むしろ注連縄の方です」
「注連縄ですか? それで母を絞殺したと?」
「いいえ、それも違うでしょう。話が前後してしまいますが、次に進む前に前提としておきたい事があります。大樹氏の直接の死因となった凶器は破魔矢です」
「どうしてでしょうか? 他にも致命傷となりそうな傷は多々ありましたけれども」
「単純な話です。皆様のうちの誰も、傷を負っていないからですよ」
「はい?」
「犯人が誰にしろ、とにかく遠距離から殺害するか、大樹さんが抵抗する暇もなく、一撃で殺害しなければ、必ず何かしらの揉み合った際の痕が残るはずです。大樹氏は女性とはいえ、この家の人間の中では大柄な方でした。単純な体力差では、太刀打ち出来るのは枝葉氏ぐらいのものでしょう。もちろん探せば誰かの体に痕はあるのかもしれませんが、それでも傷を負っているのであれば、普通この期に及んで、ひらひらした巫女服やキュロット、着物に甚平は着込んでいないでしょうからね」
私は一同を見据えながらそう言った。
「…なるほど、ですから絞殺は難しいという事ですね。それでは犯人は矢を放つことが出来る……」
春子さんはちらりと、小夏ちゃんと枝葉氏を一瞥した後、
「小夏か枝葉が犯人という事でしょうか?」
と言い切った。
「確かにこの状況だけを見れば最有力の候補とは言えますね。しかしこれだけでは足りません。第一、二人が犯人ならば破魔矢を使用する意味がありません。どうせなら何時も練習で使っている、通常の矢を使用した方が成功確率は高いでしょう」
「それはそうですけれども……。ですがどちらにせよ、弓が引けれなければ矢を突き立てることは出来ませんよ」
「いいえ、それがそうとも限りません。枝葉さん、小夏ちゃん、弓を使わずに矢を刺す方法はありますか?」
「そうだな……。基本的には勢いさえ有れば矢は突き立つ訳だが、生憎と儂はこの人生では弓を使わずに矢を射った事は無いな」
「そうだね。思いっ切りぶすーって刺せば刺さるのかもしれないけど、それだと矢の必要は無いもんね、何より近付いちゃってるし。包丁とかの方が便利そう」
さっくりと怖い事を言う娘だ。
「この中でも特に弓にお詳しいお二人でも、弓を使わずにしっかりと矢を突き立てる方法は思い浮かばないという事ですね。ならば私が気付けたのは本当に偶然、運が良かったとしか言う事が出来ません」
運は運でも悪運だろうけれども。
「……夏木さん、あなたとのお話は本当に楽しいのですけれども、そろそろ話を戻しては頂けませんか。それで注連縄はどう関係してくるのですか?」
「私も少しでも長くお友達とお喋りがしたかったもので、つい長話になってしまいました。だけれども安心して下さい、ここまで話が進めばもう話は終ったも当然です。楽しい時間はあっという間ですね。さてそれでは話を進めます。縄、いいえ、ここではよりイメージし易い様にロープと呼びましょうか。春子さん、ロープって便利ですよね」
「何ですか急に?」
「だってそうじゃないですか、何かをくくるのにも使えますし、よじ登る際にも使えますし、小さいころ良く遊びませんでしたか、縄跳びやターザンごっこで」
「ターザンごっこは置いておくとして、縄跳びはよく遊びました。一人でも出来ますから」
一々辛い過去を挟んでくるなぁ。私も気持ちはよく分かるけれども。
「生活にも遊びにも何かと便利なロープ。ですけれども知っていますか、実はそれだけでなく、ロープは世界に満ちている力を別の力に変換する、最も身近な装置だということを」
「……力? ……世界に満ちている力? まさかマナだとか妖力だとかファンタジーな事は言い始めませんよね?」
「もちろんです。そもそも私はそう言うオカルト方面の知識はからっきしでして、講義をしろと言われても何も話すことは出来ません。是非とも本職の巫女である春子さんに教えを乞いたいものです」
「私も恥ずかしながら、あまりそちら方面の話は出来ませんけれどもね。それで、力の変換っていうのはどういう事ですか?」
「ターザンごっこですよ」
「はい?」
「ですから位置エネルギーの運動エネルギーへの変換。つまり振り子運動です」
小学生でも知っている物理の初歩の初歩。
「もうお分かりでしょう。本当に必要だったのは注連縄の方。破魔矢と注連縄を括りつけ、重りとともに高いところから離すことで、振り子とした訳です。幸い周囲は御神木も含めて木々に囲まれていますし、矢を発射する為の高い場所には事欠きませんしね。高い場所から放たれた矢は、位置エネルギーを運動エネルギーに変換し、大樹氏に突き刺さるだけの力を得たわけです。凶器に破魔矢を用い、注連縄を切り刻んだのは、御神木を荒らしたように見せかけ、注連縄と破魔矢にフォーカスを当てさせない為のカモフラージュだったわけですね。以上で解説を終わります」
「…ちょ! …ちょっと!」
「どうしましたか?」
「終わりって、本当にそんな方法で殺害が可能なんですか!? いや確かにその方法なら、弓を用いずに矢を突き立てることが出来るかもしれません……。いいでしょう、とりあえずここはその方法で殺害が可能だったとします。ですがそれだけです! それだけでは誰が犯人かまでは分からないでしょう!?」
「分かりませんか?」
「ええ、分かりません!」
分からないことを素直に分からないと言えるのは素晴らしいことだ。
「そうですかね? 方法さえ分かれば後はこの方法を取る必要があった人と、取ることが出来る人は特定されると思いますが……」
「分かりませんよ。あまり意地悪をしないで下さい」
「そうですか……。分かりました、解説を続けましょう」
「お願いします」
「そうですね……。まず犯人は弓が引けない人です。正確には弓が引けないと周囲に認識されている人ですが……。これは別に弓が引けないからこの方法を取ったという訳ではありません。もしも弓を引ける人物が犯人ならば、わざわざ注連縄が本当の凶器であると気付かせないための工作をする必要がないからです。弓が引けない人に罪を擦り付けるだけならば、普通のロープをさり気なく置いておくだけで十分でしょう。ここまで手のこんだ事をすると、下手をすれば、誰にも気付かれないという事態になりまねません。それでは矢を用いた分だけ、自分が不利になるだけですからね」
「……なるほど、一理はありますね……。と言う事は、一気に容疑者が私と秋名の二人に絞られた訳ですね。そこからはどうやって絞り込むつもりですか?」
自分が追いつめられたという事実を何故自分から話すのだろうか?
「まぁ、ここからは更に単純な話になります。まず仕掛けの話ですね。この振り子仕掛けを仕込むためには、当たり前ですが木に登る必要があります。しかし、御神木を含め境内の木々は枝葉さんによって丁寧に整えられており、掴まるための枝も碌にありません。これでは簡単には木登りは出来ないでしょうね。それに殺害後の大樹さんへの暴行、もとい死体損壊行動ですが、例え道具を揃えたところで、中々の重労働となることが予想されます。つまり、どちらも大変体力のいる作業になる訳ですね。そして、この条件に当てはまる人は一人しかいません」
「つまり……」
春子さんのその顔からは、半ば確信したような、力のない笑みが浮かんでいた。
大丈夫ですよ、すぐにその余裕を無くしてあげます。
「つまり……」
その場の全員の注目が集まっていることが分かる、固唾を呑むとは、きっとこのような状況を言うのだろう。
ならば期待に答えよう。
道化に出来る仕事は茶番だけだ。
見事この茶番をやり遂げてみせよう。
私は、その名を告げる。
「犯人は……、私です」
「……」
「……」
「はい?」
柊家全員の呆けたような顔が面白い。
「聞こえませんでしたか? 私が犯人です。私、榎夏木が、大樹氏を殺害した犯人です」
大切なことなので二回言いました。
………。
一瞬の沈黙の後、
「ふざけないで下さい!」
秋名ちゃんが爆発した。
そうだろうね、最初に意義を申し立てるとしたら君だと思っていたよ。
「別にふざけてはいないよ。犯人の自白に拠る幕切れなんて良くある話じゃないか、良心の呵責に耐えられなくなってというやつさ」
「動機が……。あなたには動機が無いじゃないですか!」
今日は良くしゃべるなぁ。皆も目を丸くしちゃってるじゃないか。
「動機ねぇ、別に動機はあると思うよ。例えば個人的にこの島の在り方が気に入らないから、全てぶち壊してやろうと思い立って、その元凶である大樹氏を殺害したと言うのはどうかな。春子さんの方が巫女頭に相応しいと思っての犯行はどうだろう。研究が面倒になって、研究対象である巫女頭を殺害して有耶無耶にしようとしたっていうのも、最近の若者らしい犯行動機でいいかもしれないね」
「ふざけるのも大概にして下さい! これが、あなたの言う解決ですか!?」
「無事犯人は判明した訳だろう? これを解決と言わずして何をそう言うのかな?」
「そんなものは真実では無いでしょう!?」
「真実? そんなものにどれだけの価値があると言うんだい? 誰がそんなものを望むと言うんだい? 私には友達がいない、この島には未来が無い、私達には救いがない、もう一人の『私』は本当は私の友達にはなれない。そんな真実を一体誰が求める? 真実なんて誰も必要としていないんだよ。皆なぁなぁでその場を切り上げて、一番被害の少ない方法で妥協して、誰かを生け贄にして、根本的な問題からは目を逸らして、そうやって生きていくのが賢い生き方なんだよ。皆そうやって折り合いを付けて生きているんだ」
「詭弁です!」
「詭弁ですら無いよ、ただの暴論さ」
秋名ちゃんは荒げた息を整える様に呼吸を繰り返す。
その吐息は既に言葉にはなっていない。池の鯉の様に口をパクパクさせるばかりだ。
しかし、次は春子さんからの追撃が待っていた。
いいだろう、問い詰められるのは犯人の大切な仕事だ、甘んじて受ける事としよう。
「それで……、それで、どう片を付けると言うのですか? あなたが犯人、それでいいとしましょう。私達はそれでいいのです。ほとぼりが覚めた頃にこっそりとあなたを始末するなりして、その後改めて巫女の世代交代を行い、再び島の秩序を保ちましょう。ですがあなたを本島に返せない以上、囚われている赤目さんにも同じ道を辿って頂く事になります。あなたは自己犠牲のつもりかもしれませんが、これでは自己満足にすらなっていない。あなたのこの行動では誰も救われていませんし、救うことも出来ません。あなたは赤目さんを道連れに死にたいのですか?」
加熱した秋名ちゃんと違い、変わらずの低温を維持する春子さん。
赤目を道連れね……。きっとあいつなら喜んで黄泉路を付いて来てくれたのだろう。
……でも……。
「でも、もうやめたんですよ、誰かを不幸にするのは……。最後ですから、もういい加減、皆を幸せにしたいんですよ……」
これで柊家の人間はこれまで通りの生活を続けられる。この島の秩序も保たれる。研究成果を村上教授に持ち帰ることが出来ないのは申し訳ないが、後は赤目が無事なら大団円に終わる。
「ですから、赤目さんには同じくこの島で死んで頂きます。大団円では終わりませんよ」
「春子さん……。何かおかしいとは思いませんでしたか?」
「全てがおかしいでしょう。特にあなたの頭はおかしいとしか思えません」
これは手厳しい。だが甘んじて受けよう。なぜなら真実だから。
それにしても本当に皆人が良い。思い返しても、この島で出会った人は皆いい人ばかりだった。どう考えてもこの島の一番の悪人は私だ。
本当に……、こんな良い人達を騙すのは、本当に心苦しい。
けれども、皆良い人だから、きっと笑って許してくれる事だろう。
だから、少しでも早く自白してしまうとしよう。
私の、ささやかな悪戯を。
「春子さん、いくらなんでも回りくどすぎると思いませんでしたか?」
「何がでしょうか?」
「私の説明ですよ。気付かれてなかったのだとしたら、私には役者の才能があったのかもしれませんね。どちらにせよ、ここで失われるので、今更どうでも良いですが……。かなり冗長な言い回しで、脱線を繰り返し、時には一方的に話を終わらせたりしながら、話を伸ばせるだけ伸ばしてみたのですがね」
そこまで言えば、流石に気が付くかな?
「御客人……。まさか……」
最初に気が付いたのはやっぱり枝葉氏か。それはそうだろう。そうでなければ守り人なんてものは務まらない。
「ええ、そのまさかですよ。皆様にお集まりのこの間に、赤目にはこの島から脱出してもらいました」
私のその言葉に、枝葉氏は激高する。
「そんな筈は無い! 確かに儂が看病はした! だが、それでもまだ一人では立ち上がることすら出来ない筈だ!」
おや、期待していなかった訳ではないけれども、思ったよりもすんなりと釣り上がった。
「なるほど、やっぱりあなただった訳ですね、赤目に何かをしたのは」
「何を?」
「とぼけなくてもいいんですよ。今となってはもうどうでもいい話ですから。そのことについて問い質すつもりはありません。ただ、もう一度言いましょう、赤目を衰弱させたのはあなたですね、枝葉さん。方法は毒なのか何なのか、その方法までは分かりませんけれども」
「なぜ、そう思う……?」
「人の回復力なんて他人には分からないでしょう。原因と症状が分からないのなら尚更です。それにも関わらず、あなたは赤目が立つことすら出来ないと断言した。それは原因が分かっているからだ。違いますか?」
「……」
その沈黙は肯定と受け取っておこう。
理由は明確だろう。万が一にも赤目に暴れられると、枝葉氏でも抑えることが困難だから、対処が可能なように弱体化させただけだ。
どちらにせよ、これは本題では無いのだから、私にも関係のない話だ。赤目はこの島から脱出する、結果に違いは生まれない。
「まさか、あなたは!?」
次に気が付いたのは秋名ちゃんだった。
これもまたそうだろう。気付く事が出来るだけの材料は、彼女しか持っていないのだから。
「そんな! でも馬鹿な! なぜ? なぜそうなのですか! たとえそうだとしても、普通逆でしょう!?」
そうだよ、それで正解だ。
「あなたは、あれに赤目さんを託したというのですか!?」
あれとはご挨拶だな。あいつは、『私』は私の唯一の友達なのだけれども。
友達を信用するのは当たり前だろう?
「理解できません! それではあなたは、あれに自分の存在を明け渡したも当然ではありませんか!」
「そうだよ、明け渡した。幸い私の中身は空っぽだからね、明け渡しは楽だったよ。赤目と共に、私は『私』に私を託した」
他に皆さんは話に着いて来れていないようだ。別にそれでいい。私もこれまでは説明する気はない。
「逆なら話は分かります! あれに解説役、もとい今のあなたの囮役を任せて、その隙に二人で脱出するというのなら分かります! 何で逆なんですか!? なんであれが脱出して、あなたがここに残るのですか!?」
「必要としてくれたからだよ」
そう、それだけだ。
「初めて私を必要としてくれる存在に出会ったんだ。心から私を欲しいと言ってくれたんだ。それだけで私は救われたんだ。だから、もういいと思った。私はその瞬間に全てを貰っていたんだよ。だから、それに応えるためには、私も全てを捧げなければ吊り合わないと思ったんだ」
「そんな……」
「それにね、本当の事を言うと、私はずっと、他の何かに全てを託して死んでしまいたかったんだ。他の誰かなら、私の人生をもっと上手に生きていってくれると思っていたんだ。だから、これは、私の祈りの完成形だ。何の悔いもないよ。感謝しか無い。この心には一点の曇りもない。全てが真実だ」
これが、私の人生の考えうる限り、最良の終わり方、最終形だ。
そして、ついに審判が下される。
「もういいのですね」
その言葉は春子さんのもの。心なしかその声は慈愛に満ちていた。
「残念ながら私にはその話の全容は分かりません。何をしたのかも、何をしたかったのかも。ですが今から赤目さんを追いかけても間に合わないという事は分かります。その認識に間違いはありませんね」
私は無言で頷く。
そんな事を私に聞いても仕方が無いだろうに。本当に人が良い。
「良いでしょう。赤目さんは一旦捨て置くとします。ですがこれ以上の手違いが起きない内に、先にあなたをここで始末させて頂きます。こうなる覚悟くらいは、当然出来ていましたよね?」
それぐらいは当然だ。
今度は頷くまでもない。
春子さんの言葉を受けて枝葉氏の手が私の首へと伸びる。
絞殺か……。
出来ればもう少しスマートな死に方が良かったのだが、願いを叶えてもらうのに贅沢も言ってられない。
枝葉氏の手が私の首へとかけられる。
少しずつ力が込められてく。
何だ、思ったよりも悪くないではないか。
少しずつ意識が私から離れていく。
一歩一歩、私の命があの世へと歩みを進める。
あと少し……。
あと少しで私の人生は完成する。
「え……だは…さん……」
そうだ、最後にこれだけは伝えておかねばならない……。
「あ…りが……とう…ご…ざ……いま……す」
「ッ!」
気持ちの悪い虫を見るような目。
そうだ、その目が相応しい。
私の最後には、そんなドブのような目が相応しい。
この感情がきっと充足感。
空だった私の殻が、ついに満たされてゆく。
これで、私の人生は完成だ……。
私は私の終わりを確信する。
ありがとう。
さようなら。
今なら素直に、この世の全てにその言葉を捧げられる。
しかし、
終わりは、
訪れなかった。
「…そうじゃないだろう!」
頭の芯まで響く様な怒声。
靄がかかっていた私の思考が現実へと引き戻される。
その声と共に、私の首にかけられた力が消えた。
ようやく掴みかけた私の終わりが離れていく。埋められたパーツが全て剥がれ落ちていく。
この声は……。その声は……。
「なん……で……?」
聞き覚えがあった。
いや、聞き覚えしか無かった。
だけれども、理解が及ばない。及ばせたくない。
その声の主はここに居るはずもなければ、居てもらっては困るのだから。
呼吸を整えながら、ゆっくりと声のした方向へと視線を向ける。
一呼吸毎に、脳に酸素が運ばれる度に、視界が鮮明となり、その影が像を結ぶ。
果たして、そのに居たのは、想像通りの人物。
なぜ?
どうして?
赤目がここに居る?
居るはずがない、居ていい訳がない。
それよりも何よりも、ここまで来れる訳がない。
今だってそうだ、声だけは勇ましいがその姿は変わらず満身創痍そのもの。
額には脂汗が浮き、体は小刻みに震え、立っているのもやっとの様子。あと一歩でも歩けば膝から崩れていきそうだ。
それにも関わらずここまで来た。
理解が出来ない。
私の認識の範疇を超えている。
「当たり前だろう? 俺一人で帰れるかよ。お前を迎えに来た」
そんなはずはない。
そんなはずはないんだ。
だって、
「お前のことは…、私が迎えに行ったはずだろう…?」
赤目の事は『私』が本島に連れ帰ったはずだから……。
「ああ、お前に似た奴が檻から出してはくれたさ。そのまま一緒に島を出ようとも言っていた」
「似た奴……『私』はそんな曖昧なものじゃなかっただろう? ……どうして……どうして分かったんだ……?」
「お前じゃないからだよ。決まっているじゃないか」
こともなげに、当たり前に、当然の様に、ありえない事を言い放つ。
こいつはいつもそうだ、いつも私の計画を台無しにする。どんなに丁寧にロジックを積み上げても、一段目を引き抜いて瓦解させる。
私と『私』を区別する? そんな事は私にさえ出来ないというのに……、どうしてそう思える? どうしてそう信じられる?
「アレからは、何も感じなかった。ときめきもやすらぎも幸福感も……何もだ。目が合った時の胸の高鳴りも、手が触れ合った時の締め付けられるような胸の傷みも、何も感じられなかった。だから違うと思った」
そんな、非論理的な……、非科学的な……、感傷的な理由だけで、私の作戦は失敗したのか。
なんて馬鹿らしい!
なんて愚かしい!
「ふざけるなよ、あれで我慢しろよ! 『私』には私のことを全部伝えた! 『私』なら私以上に全部上手くこなすはずなんだ! 私は『私』に全てを任せることで、もっと良い人生が送れるはずなんだ! だからお前も、私じゃなくて『私』と一緒の方が幸せなんだ!」
「ふざけてんのはお前だろう! 俺の幸せを勝手に決めんなよ! あれの方が人生上手くいく? 確かにそうかもしれない、お前は本当に不幸だ、それこそ笑っちまうくらいに。何をしても上手く行かないし、頭は良いくせに要領は悪い、体もそんなに強くなければ、それに加えて不器用、感情を上手く伝える事が出来ないからいつも誤解されるし、そのくせ変に正義感だけ強いから人には疎まれる。挙句の果てに人から蔑まれても、変わらず底抜けに優しいとくれば、これで不幸にならないわけがない」
「ほっといてくれ! お前に何が分かるっていうんだよ!」
「全部分かってるに決まってんだろ! 全部分かってんだよ! だからお前は何も言い返せてないんだ! お前が自分の事をどう思ってるかは分からねぇけどよ、じゃあ俺がお前の事をどう思っているか分かんのかよ!?」
「!?」
「分かんねぇだろ? そりゃそうだ、別にそれは悪く無い。皆そうなんだから当たり前だ。皆それで悩んでる。俺もお前が俺の事をどう思っているか分からなくていつも悩んでる。そんなもんなんだよ」
「それがどうしたんだよ? それが、私が『私』と入れ替わる事に、何の関係があるんだよ……」
「関係あるんだよ。俺が一緒に居たいのは、お前のそっくりさんでも、お前より素晴らしいお前でも無いんだ。お前なんだよ、プラスにもマイナスにもどちらにも振れていない、そのままお前がいいんだ。お前じゃなきゃ駄目なんだ」
お前じゃなきゃ……。私じゃなきゃ……駄目……?
はっきり言って、激高した私の頭でも赤目の論が支離滅裂な事は分かる。
だけれども、どうしてだろうか、私の胸が熱くなるのは?
この心の芯から暖かくなるような、この感情は何なのだろうか?
私には、この感情に名前をつける術がない。初めてだから定義づけることも出来ない。だけれども、大切にしなければならないものだということは分かる。
「だからさ……、一緒に帰ろうぜ」
「一緒に……? 私でいいのか……?」
「何回も言わせるなよ、お前がいいんだよ、夏木」
ああ……。今日は本当にいい日だ……。
一日に二回も自分が必要とされる日が来るなんて、今までたったの一度も思いもしなかった。
本当に今日はいい日だ。
死ぬには……本当にいい日だ……。
でも……。
ゴメンな、赤目……。
私は意外と一途だったようだ。
お前の気持ちには応えられない。
私には…もう…心に決めた相手が居るんだ……。
だから、お前にはその人と幸せになって欲しい。そして願わくば、いつかちゃんと私の事を忘れて欲しい。それが、私の祈りだ。
そしてこれから、その理想に向けて、最後の悪足掻きを始めよう。
「……何がなんだかもう私にはさっぱりです。ですが、私にとってはありがとうの言葉を送らねばならない場面のようですね。赤目さん、戻って来て頂いて有難う御座います」
業を煮やした春子さんが場面を回す。
「礼なんていいさ。ちょっと忘れ物を取りに戻ってきただけだ。すぐに御暇させて頂くよ。それにまだ質問に答えられてなかった心残りも有ったからな」
「質問? 私はあなたに何か尋ねておりましたかね?」
「ああ、もしも俺が病に倒れて、夏木に裏切られたらどうするかって聞いただろう?」
「そう言えばそうでしたね……。せっかくです、それでは答えをお聞きしましょうか?」
「……これが、俺の答えだよ」
この状況こそが、赤目の答え。
「例え俺の肉体が滅びても、夏木が俺の前から消えても。そんな事は関係ない。俺は俺の肉体に無理を聞かせるし、夏木を信じて待ち続ける。何度裏切られようと、何度騙されようと、何度迷惑を被ろうが、俺は夏木と共にいる。少なくとも心だけは、魂だけは常に夏木と共にありたい。それが俺からの一方通行の感情だとしても、その理想を全うできたなら、俺はそれで満足だ」
その言葉が、私の心に小さな火を灯す。
小さな小さな灯り。
だけれども、その灯りさえ有れば、どんな暗闇も歩き続けることが出来る。そんな力に満ちた光。
きっとこれが、希望というものなのだろう。
「……なるほど、美しい答えですね。私としては、嫉妬さえ覚えます。ですがそれだけですね。あなたはその理想の結果、これからの未来を閉じます。せめて望みの通り、魂だけは夏木さんと共にいさせてあげましょう」
その言葉で、改めて枝葉氏が構え直す。当たり前だが、このまま私と赤目の友情にほだされて見逃してくれたりはしないようだ。
「帰るさ。帰る所があるんだから。俺と夏木には、帰った後、二人で野球をするという大事な用がある」
「その体調でよくそこまでの虚勢を張れますね。正直感心してしまいます。ですがそこまでです。申し訳ございませんが、お二人には永久にこの島に滞在していただきます」
「………」
大丈夫だよ。
「大丈夫だ赤目、後は私がなんとかする」
そう、こうなれば柊家の事情も、早馬神社の事情も、葉山島の事情も知ったことではない。私は、私と赤目の事情を優先させて頂く。
「どういう……」
「どういう意味ですか、夏木さん」
赤目に被せて、それこそ身を乗り出すかのように質問する春子さん。そうですよね、話が続くとなれば、今度は困るのはあなたの番だ。
「解説を続けさせていただくという意味ですよ、春子さん」
「犯人はあなた、さっき自分でそう言ったばかりではありませんか」
「確かにそう言いました、そうは言いましたが、それで誰か一人でも納得しましたでしょうか? していませんよね? 納得は全てに優先されます。ですから、今から解説を続行させて頂きます。ここに居る皆さんが納得して頂けるまで」
「……夏木さん、さっきと言っている事が全然違うじゃないですか……」
「ええ、違いますね。当然です。事情が変わりましたから。人は自分の都合のいいように動くものでしょう? 今日まで私は、そんな当たり前の事が出来なかったから不幸だった訳ですが。それで、話を続けさせて頂くことに反対の方は? 真実を知りたくないという方はいらっしゃいますか?」
………。
………。
………。
しばしの沈黙が流れる。どうやら誰からの異議も、挙手もないようだ。
当たり前だ、ここで異議を唱えれば、自分が犯人であると自白するようなものだ。
ならば、勝手に解説を続けさせて頂く事としよう。私達には時間が無い。
「いいでしょう。それではアンコールの始まりです。……実を言いますと、先程述べた内容だけでは、犯人を特定することは不可能です。と言うよりも、これから話す内容、それ一つだけが分かれば、それだけで犯人は特定されます。長々と解説させて頂きましたが、準備が出来るだとか、弓が使えるだとか、木に登れるだとか、そんな事は本当はどうだっていいんです。真実は一つとは私は思いません。ですが一つの真実で全てが解決することもあります」
「夏木さん……、必要が無くても話が長いじゃないですか……。本当は元からなんじゃありませんか……?」
むぅ、格好を付けている所を茶化されると背中の辺りがむず痒くなる。
「そうですね、多分性分なんでしょう。ですから、今しばらく我慢してお付き合い下さい。それではまず、今まで会話の途中で誰かに気付かれては都合が悪かったので、あえて焦点を外していた箇所にご注目頂ければと思います。つまり境内でも無ければ、社でも無い、死体、もとい大樹氏そのものです。皆さん、死体を損壊するという行動には、何の意味が有ったと思いますか?」
「意味……ですか?」
「そうです、意味です。例えばの話ですが、あくまで喩え話ですので、気を悪くして頂きたく無いのですが、枝葉さん、あなたなら、どういう意図が有れば、あそこまで死体を破壊しようと思いますか?」
急に話を向けられて少しは戸惑うかとも思ったが、枝葉氏は普段通りに言葉を紡ぐ。
「どんな理由が有れば人を殺してから、更に死体を破壊するか……か。そんなものは決まってるだろう、恨みや憎しみ、怨恨だろうな」
「いいえ違います、全然違いますね。そりゃ別に死体にまで憎しみを向ける人が居ても悪くはありません。いえ、倫理的に言えば悪いのでしょうが、そういう人が存在する事にまで私は口を挟むつもりはありません。ですが、怒りから出た行動の割にはおかしくありませんか?」
「そうか……?」
「勢いに身を任せる? その場の勢いで? 一心不乱に? そんな訳は無いでしょう。周りを全く傷つけること無く、ピンポイントで対象にだけ怒りをぶつけられる人間が居るとしたら、その人は既に怒ってはいませんよ。怒りなんてものは、感情から出た行動なんてものは、そんな繊細なものではありません。もっと煮えたぎるマグマの様に、熱く、不気味で、得体の知れないものです」
少しだけ視線を赤目に移す。流石に立ち続けるのは無理だったのか、今は床に座り込んでいた。コイツの様に……とは私は言わない。さっきのものは、もっと尊いものだった。
「……だったらどうしてだと言うのだね、御客人?」
「大樹氏の死体の破壊のされ方には、少なくとも方向性がありました」
「……方向性……?」
「そうです、方向性です。少なくともあれほどの事をした犯人の精神は、明後日の方向を向いているという他ありませんけれどもね」
私の精神はどこにも向いていない訳だけれども。未来が無いから向くべき方向も定まらない。
「体に無数の刺し傷切り傷はあれども、私が特に気になったのは、首を切る、乳房を切り取る、この二つです。この二つって、怒りをぶつける行動としてはどうなのでしょうか? 私はこの作業にだけは、どうしても作為的なものを感じてしまいます。首なんて太い骨が通り、人体でも特に加工が難しい箇所な訳ですし、乳房に関しても、わざわざ二つ揃えて切り取る必要ってあると思いますか? いいですか、多数の傷が付けられているにも関わらず、『切断』されているのは、この二箇所だけなんです。手足ですら傷付けられてはいるものの、切断はされていません。それこそ指の一本ですら切り取られてはいないんです。切断まで至っているのは、たったの二箇所。これって変だと思いませんか?」
「……言われてみれば、妙なのかもしれんな……。だがそれだけだろう? その二箇所に共通点は無ければ、共通する方向性も無いと思うが?」
「本当にありませんか? 小夏ちゃんはどう思う?」
「え! 私!? ……うーん、首とおっぱいだよね……。うーん……分かんないなぁ、私にはおっぱいも無いし、想像しにくいかも……」
「そうですね、当たり前ですが、枝葉さんにも、小夏ちゃんにも。秋名ちゃんにも……そして私にも無いわけですが……、とにかく乳房が無い人には想像しにくい話かもしれません。春子さんなら分かるかもしれませんね、少し質問してみましょう。春子さん、乳房が有れば分かることって何でしょうか?」
「……それは、その人が女性かどうかという事でしょう?」
聞く人が聞いたら怒る発言かも知れない。私は怒らない。
「そうですね、それは間違いありません。ですが、今回は違います。発想の出発点を変えた方が分かりやすいかもしれませんね。出発点は首です。首が無くなっても、乳房が有れば分かることってありませんか?」
「……」
「……分かりませんか? ……分からないようですね?」
本当に分からないのか、分からない振りをしているのかまでは分からないけれども……。
しょうがない、私の口から答えを告げることとしよう。
「人体の前後……ですよ……」
私が最初に気になったのがそこだった。
最初は前後が分からないほど破壊されていると思った。
実は逆だった、前後が分からないように破壊されていたのだ。
首が有れば、死体はどっちを向いているか一発で分る。首が無くても乳房が有れば、どちらを向いているかを推測するのは簡単だろう。特にあれほど大きかった乳房だ、分からない方がどうかしている。
「死体の前後を分からなくする事に意味なんてあるのか?」
「あるんですよ、死体の前後さえ分かれば、矢がどちらから刺さっているのかさえ分かれば、犯人が特定されてしまうのですからね。それは犯人にとっては、どうしても隠したかった事実なんです」
「前から刺さっているか、後ろから刺さっているかが分かるだけで、犯人が分かると?」
「そうです。私も恥ずかしながら、実際にはどちらから刺さっていたのかは確認しておりませんでした。ですがおそらく、それこそ十中八九、いえ、ほぼ確実といっていい確率で矢は大樹さんの背後を貫いていたと言い切る事が出来ます」
「それはどうしてだ?」
「単純な話ですよ、大樹さんには後ろを向いていてもらわなければ、矢を避けられてしまうからです」
「それは……」
「まぁ……そうだよね……」
どうやらここまでの同意は得られた様だ。
「そしてここで問題となるのが、誰なら大樹氏を振り向かせること無く、矢が刺さるための最後の障害、社の扉を開く事が出来たかということです」
「あ……」
横で黙っていた赤目も気付いたようだ。
「例えば、小夏ちゃんが急に扉を開いたら、大樹さんはどうすると思う?」
「多分……振り向くと思う……」
「では、秋名ちゃんが声を掛けたらどうすると思う?」
「多分……扉を開いて話は……してくれません。返事も……してくれないかも……」
「そうですね、儀式中は原則立ち入りも、声を掛けることも禁止されていたはずです。一人を除いて。では枝葉さんが、『話がある』と前置きをした上で、扉を開こうとしたらどうなりますかね?」
「おそらく『なりません』と答えた上で、扉を押さえるだろうな」
「なるほど。では……、それでは…。唯一儀式に干渉できた春子さんが、同じように『お話があります』と前置きした上で、『失礼します、そのままお聞き下さい』と扉を開けたとしたら……、大樹さんはどうすると思いますか?」
「…それは……」
「………」
「………」
どれだけ待っても、その先を春子さんの口から聞くことは出来なかった。
だから、私が告げる。
代弁する。
「後ろを振り返ること無く、儀式を続けるでしょうね……」
当然の帰結だった。
そして、その事実はもう一つの事実と直結する。
「犯人は、あなたですね……、春子さん……」
私は名探偵がそうするように、春子さんを指差すことはなかった。
今の私には、彼女に何も向けることは出来ない。手向けとなるものが何なのか、私には分からない。こんなグダグダな結末まで引き釣り込んでしまった私が、誰に顔向け出来ると言うのだろうか。
沈黙だけが流れる。
誰一人声を発しない。
枝葉氏も小夏ちゃんも秋名ちゃんも何も言わず、春子さんを見つめるばかり。
赤目も何も言わない、もしかしたら話を聞く体力さえ無いのかもしれない。
そして誰より、春子さんは、自分が自分の母を殺した犯人であると告げられて尚、一言も発する事が無かった。
ここまで彼女を追い詰めたのは私。だからこの推理がどこに行き着こうとも、最後まで彼女を先導する義務がある。
「春子さん、何か言う事はありますか?」
春子さんは、そこから更にしばらくの沈黙の後、ようやく口を開いた。
「夏木さんは、私にどう答えて欲しいんですか?」
「私は春子さんに何も強制しません。私はあなたの本心が聞きたいだけです」
「ふふ、本当に夏木さんは嘘が下手ですね。あなたは私に『違います』といって欲しいんじゃないですか?」
「……何を言い出すんですか?」
「隠しても無駄ですよ。あなたは私に罪を否認して欲しいんですよね。だから最初は自分が罪を被ろうとした。けれどもショックだなぁ。仕方ないことだと思いますし、当然のことだとも思いますけれど、結果を見れば、夏木さんにとっては、私よりも赤目さんの方が大事だったわけですから」
……なぜ。
なぜ私が追い詰められているのだろう。
「夏木さんは優しすぎるんですよ。あーあ、私も少し甘え過ぎちゃったのかもしれませんね。初めての友達だったから浮かれてしまいました」
「そんなことより、本当に春子さんが犯人で間違いないんですか?」
「夏木さんも往生際が悪いですねぇ、どうみたって私が犯人に決まってるじゃないですか。そんなことよりと言われても、私にとっては犯人が誰かという事の方がそんなことです。私、今、拗ねてしまっていますよ」
これまで何度も事件には遭遇してきた。
何度も犯人の自白も見てきた。
だけれども、こんなさっぱりとした自白は初めて見る。
本当に、心からどうでもいい事なのだろう。彼女にとっては、友達に裏切られた事の方が大事件なのだ。
「どうして大樹さんを殺害したのですか?」
「そんなの決まってるじゃないですか、遊びたかったんですよ」
「遊び? つまりは大樹さんをびっくりさせようとした悪戯だったという事ですか? それが予定が狂って事故で殺害してしまったと?」
「何を言っているんですか夏木さん」
春子さんはわざとらしい位に大きな溜息をはぁーと吐き、その息で続ける。
「夏木さんと遊びたかったに決まっているじゃないですか」
「私と……?」
「そうですよ? この島には何にも在りませんから。一緒に海に行った時もずっとつまらなさそうでしたし。だからちょっとしたレクリエーションを用意したんです。夏木さんと探偵ごっこで遊びたかったんです。どうです? 私の怪しい島の主人役、結構堂に入っていたでしょう? 夏木さんの探偵役もとても素敵でしたよ」
「……そんなことの為に、自分の母親を殺害したんですか?」
「さっきからそんなこと、そんなことって酷いですね。友達に楽しんでもらう以上に大切な事なんてあるんですか? 私はずっと友達が出来たら全てを捧げたいと夢見てきました。今、その夢が叶って、私はとても幸せです」
その重い友情を私は否定出来ない。少なくとも私は否定してはいけない。私が春子さんにその感情を背負わせてしまった、だから私が受け止めるのは当然だ。
そして結果として、また私の存在のせいで誰かが不幸になった。呪いが無くなったにも関わらず、私はまた人を不幸にした。やっぱり私には『私』の様に上手く生きていく自信がない。私を『私』に任せるという判断には誤りがなかった。それが分かっただけでも儲けものだと思おう。
「素敵なおもてなし有難う御座いました……」
「いえいえ、喜んで頂けたのなら幸いです」
満面の笑み。私と友達となった時に見せたものと同じ笑み。この笑みには毒気がない。無邪気程に怖いものを私は知らない。
「それでは遊んだ後の後片付けはお任せしてもいいという事ですよね?」
「もちろんですよ」
「では今日はもうこの辺りで失礼させて頂きます」
「寂しいですねぇ、もう少しのんびりして下さっていいんですよ」
「お言葉は有り難いのですが、遠慮させていただきます。連れの体調が優れませんもので」
「そうですか、それは残念ですが仕方在りませんね。それではお元気で。最初にお会いしました港に一緒に乗った船が置いてあります。どうせ夏木さんなら操縦位出来るのでしょう? どうぞお使い下さい。また会える日を楽しみにしておりますよ」
「心遣い痛み入ります。それでは」
最後の挨拶は誰がどう見ても友達同士で交わすようなものではなかった。
こうして事件はとても淡白な終わりを迎えた。これから柊家がどうなるのか、春子さんがどのような責任を負うことになるのか、私には分からない。最早私達には関係のない出来事だ。けれどもきっと、この程度のことでは何も変わらないのだろう。この島の文化は変わらず、あの姉妹は変わらずの孤独のまま。
それを哀れと思えば哀れだが、私にはどうする事も出来ない。
私は意識を失った赤目を背負い柊家を後にした。
後には何も残さない。
禍根も、
思い出も、
情も、
何も。




